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オルターニア王国南部迎撃戦

周辺図

挿絵(By みてみん)




結局、昨晩はゆっくり休めたかどうかは分からない。

何しろ、半刻から一刻くらいの間隔で伝令が天幕に出入りし、夜襲の状況報告なんかをしに来ていた。

眠ったという感覚は薄く、うとうととしていただけだったようにも感じる。

しかし、それでも空に暁が差し始めるのとともに活動を再開したアタシは、心身共にずいぶんと回復しているような気がしていた。

それがどうしてか、なんて理由は、説明するまでもなく明らかだろう。


身支度を整えたアタシは、アレクと一緒に隣の大きな天幕に移動した。

そこは司令部用に張られたもので、中には大きな机とイスがいくつも運び込まれている。

今回アレクは前線の近くまで出る予定になっているけど、そうでもなければ大抵はここで軍の指揮を執ることになるくらいの準備がされていた。


「あぁ、これはティアニーダ様、アレクシア様」


天幕に入ると、すでにそこにはヒルダナ男爵様が居て、アタシ達を出迎えてくれた。


「これは、男爵様。お早いですね」

「いえいえ、逸ってしまいましてな」

「分かります。私も昨晩は、落ち着きませんでした」

「ははは、決してそうは見えませんが?」

「取り繕うだけで精一杯ですよ」


アレクと男爵様が、いたって軽い様子でそんな話をしている。

昨晩のアレクはかなり辛そうだったけど、今朝目を覚ましてからはそんな雰囲気を微塵も感じさせない。

口では取り繕っているだけと言っているけど、誰が見ても落ち着いた様子に見えることだろう。


男爵が小間使いに声を掛け、お茶を出してくれた。

二人でイスに腰を下ろしてそれを楽しんでいる間に、他の貴族家の方々と部隊を動かす士官達も次々に天幕へと姿を現す。

半刻もしないうちに全員が集まってので、皆でお茶を飲みながら、今日の作戦の最終打ち合わせを開始した。


「昨晩もご説明した通り、街道の合流地点に展開する部隊は迂回部隊が到着するまでの時間稼ぎが主任務となります。積極攻勢に出るのは挟撃体制が完成してからになりますので、それまでは堪えていただきますよう」

「常道なら数の有利を使って圧を掛けてきましょう。のらりくらり凌ぐのみ、ですな」

「私のそばにも一千の兵を残してあります。もし、戦況が悪化するようでしたらすぐに支援の要請をしていただいて構いません」

「しかし、それはアレクシア様をお守りする兵なのでは?」

「ここで負けるようなことがあれば、私の身は遠からずノイマールの手で粛清されることになるでしょう。出し惜しみをしている余裕はありません」


そんなことを言ってはいるけど、アレクに不安な様子ない。

方々もそれが分かっているようで、あちこちから笑い声が上がった。

そんな様子にアレクも笑顔を浮かべて話をつづける。


「布陣や軍備に関して、何か問題はございませんか?」

「問題というのとは少し違いますが、我が私兵団が持ち出している弩弓用の矢が少し余っております。いずれか不足やその心配のある部隊があれば、御譲りしましょう」

「これはありがたい。皆さま、矢の数に不足はありませんか?」

「我が家はとにかく速度を取ってこちらに参りましたので、少々不安があります。他家でのご所望がなければ、ぜひ提供いただきたい」


マックラン男爵様の提案に、バラン子爵様が応えた。

他家の方々からは希望はないようで、皆が納得した様子で頷いた。


「では、そのように致しましょう」

「感謝致します。後程、人を向かわせます」

「マックラン男爵様、ありがとうございます。他に、何かございますか?」


お二人が合意したようなので、アレクが進行を再開する。

幾つか、状況に応じた対策を再確認するような質問は出たものの、準備に関してはおおむね問題がないようだった。

和やかとまではいかないけど、アレクを始め、他家の方々もそれほど緊張したり焦ったりしている様子はない。

…もう一日、敵軍の侵攻が早ければ、こんな風にはしていられなかっただろう。


そんな落ち着いた空気の中、不意に天幕の外から


「伝令です」


と声が聞こえた。


「入れ」


アレクが声を掛けると、中に入って来たのは青鎧。

顔を見れば、それはうちの士官のジーマだった。

ジーマには待機するよう命令を出していたはずだし、伝令は別の班に任せていたはずなんだが…

不審に思ってその表情を見ると、どこか硬く険しい顔つきをしている。

良くない報告、か?


「報告いたします。敵軍、進軍を再開した模様」

「分かった。来るか…皆様、ご準備を」

「今一つご報告が」

「何か?」


アレクの問いに、ジーマは一瞬顔を伏せ、拳をギュッと握りしめた。

それから感情を何とか押し殺したように顔をあげると、口を開く。


「敵は…死体を掲げつつ前進しているようです」


「死体…?」


どこかの誰かが、そんな言葉を漏らすのが聞こえた。

アレクでさえ、少し怪訝な表情を浮かべている。

でも、アタシには分かった。

ジーマの言葉が、何を意味しているのかを。


「青鎧を着た、死体です」


ジーマが言葉を添えた。

流石に、皆も意味が分かったらしい。

みるみるうちに顔色が曇り始める。

確信を得てしまったアタシは、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。


「誰だ?」


アタシが聞くと、ジーマは無念そうな表情を浮かべてアタシを見た。


「…斥候の話では、遠目だったので人相は良く分からなかったようですが…おそらく、ライノとノラン…その配下の者、数名」


ギュッと、胸が詰まった。

次いで、焼けるような感情が込み上げて、頭が真っ白になる。

あいつら…あいつら、なんてことを…!!


「ジーマ、続け!」


気付けばアタシは、そう怒鳴ってイスを蹴り立ち上がっていた。


「待てティア!」


駆け出そうとしたアタシの腕を、アレクが捕まえてくる。


「行かせてくれ…あいつら、皆殺しにしてやる…!」


苛立ちで、アタシはアレクにも怒鳴った。

その腕を振りほどこうとするけど、アレクはさらにもう一方の手でアタシの胸倉をつかんでくる。

咄嗟にその手首を取り、関節を固めようとしてしまった。

しかしアレクはひるむどころか、さらにアタシの手首をつかみ返して来てそれを防ぐ。


「アレクシア様、どうか…どうかお許しいただきたく!」


ジーマがそう言って、アレクシアに詰め寄ろうとする。

しかし、アレクは


「ダメだ」


と、ジーマをジロリと睨み付け低い声で告げた。

途端に、ジーマは体を硬直させてその場に立ち止まる。

そして今度はアタシにも視線を向けて来た。


アレクと目線が合った瞬間、アタシは不意に、背筋が凍り付くような感覚に襲われた。

強烈な殺気。

鋭く、それでいて激しい殺意が、アレクから迸っている。


それは…あの日、一騎打ちで感じた殺気と同等か…いや、それ以上だった。

あのときの殺気も相当だったけど、今回のこれはもっと強烈だ。

気を抜いてしまえば、目を逸らしてしまえば、その瞬間に自分の喉元を貫かれてしまうんじゃないかと思うほどの感覚。

全身から汗が吹き出し、気付けばアタシはアレクの腕から手を離し、身構えて体を固まらせていた。

怒りに支配されていたアタシの頭は急激に冷え、猛ってしまっていた気持ちが萎れる。


叱ってくる親父殿を怖いと思ったことは何度もある。

一騎打ちのときのアレクも相当に怖かった。

しかし、今のアレクから感じるものは完全に別物だ。

なんというか…人間の手には負えない未知の獣に相対しているような、そんな得体の知れない恐怖。


「いいか、ティア。必ずやつらに報いは受けさせる」


アレクの声は静かだった。

しかし、恐ろしく低く、押しこもってもいた。

アレクは、怒っていた。

アタシにじゃない。

たぶん…敵の非道な振る舞いに、だ。


「……あ、あぁ、うん………その、ご、ごめん、ね?」


殺気に当てられたアタシには、もうそう言うより他に選択肢がなかった。

しかしアレクは、ふう、と静かに息を吐くとアタシを解放してくれる。

彼女はテーブルに置いてあったカップを一気に煽って、もう一息吐いた。

それからイスに座り直し、方々の方に視線を送った。


さっきまでの和やかさから、報告を聞いて驚きと怒りが溢れそうになっていた天幕は、一転してひんやりと冷え切っていた。

もう、真冬の雪の日みたいにキンキンに、だ。


「…取り乱し、申し訳ありません…皆様に、作戦変更の提案をしたいと思います」


そんなアレクの言葉に戸惑いが広がった。

さすがにアタシも、混乱する。

まさか、迂回はやめて全軍突撃するなんてこと言い出さないよな?

いや、アタシが言えたことじゃないけど…アレクに限って、そんなことはしないはず…でも、あの怒りっぷりからして、ちょっと普通じゃなかった。

だ、大丈夫かな…?


「ア…アレクシア様、ここは焦ってはなりませんぞ」


ヒルダナ男爵様がちょっとおどおどした様子でそう声をあげた。

男爵様から見ても、アレクが相当怖かったらしい。

しかし、アレクはそんな男爵様に頷いて見せた。


「はい、ご助言ありがたく…しかし、今回の件、単純に敵がこちらの襲撃に対する報復として行っているというわけではないと考えています。これはおそらく挑発です」

「我らを煽っていると?」

「はい」


アレクは…怒ってはいても、冷静だった。

そう…そうか、これは挑発だ。


「こちらから攻めさせ、何かの罠にはめようとしていると考える方が自然です」

「…確かに、そうですな」

「有りうることです…」


アレクの言葉に、方々も少し落ち着いた様子を取り戻し、そう同意し始める。

そんな中、ガーダイン伯爵様の傍の男が挙手をした。


「ガーダイン伯爵様、何かございますか?」

「敵の狙いはどのようなものであるとお考えか、問うてございます」


男の言葉を聞いて、アレクは伯爵様に視線を送って頷いた。


「…おそらく、こちらを引き付け背後を取りに来るでしょう。こちらが丘陵地に接近すれば、敵は丘の上からの射撃も可能になる。囲まれます」


アレクの言葉に、天幕内が微かにどよめいた。

敵も迂回攻撃を狙ってる、ってことか。

こっちを煽って前進させて、それを受ける。

その隙に背後へ回ろうとする算段なのか?


「ヒルダナ男爵様。昨晩迂回攻撃を提案した際に、街道以外の道は二本あると仰っていたかと思います」

「えぇ…えぇ、確かに。街道を挟んで、東回り西回りに二本道がございます」

「西の迂回路は道幅が狭く隘路が多いものの、距離は近い。東の迂回路はやや大回りにはなるものの、比較的平坦な地形が続いていると伺っていたかと思いますが、その認識で間違いないでしょうか?」

「はい、その通りです」


こっちは、東側の迂回路を進ませる予定だった。

交易都市から近く、戦場になる場所を素通りさせることにもならないので、西に比べると気取られる心配が薄いから、というのがその理由だ。

問題は、だ。


「もし敵も迂回作戦を行うとしたら、どちらの道を使ってくるか、か」


アタシが言うと、アレクは頷いた。

方々も腕組をしたり、視線を宙に泳がせたりしながら考え始める。


「東側ではないでしょうか?交易都市側に敵が出現したとなれば、こちらとしてはかなり痛手になります」

「私もそう考えます。西の迂回路は移動は早く済みますが、利は小さい。それよりも、東側を押さえてこちらに選択を迫る方が得策と言えるでしょう」


マックラン男爵様の発言に、ヒルダナ男爵様が同意される。

例えこっちが挑発に乗らずに無理な攻め方をしなかったとしても、交易都市を脅かされれば何とかしなくちゃならない。

西側に素早く展開されるよりも厄介だ。


東側からの迂回を警戒としたら…こっちは迂回部隊を使うわけにはいかないな。

防御に回すか…むしろ、全軍で突撃して迂回される前に正面の敵を撃破する他にない。

敵がどの程度の数を迂回に回すかは定かじゃないけど、こっちが正面で当たる敵の数は相応に少なくなるはずだ。

他の方々も発言こそしないけど、うんうんと頷いている。


そんなとき。

不意に、誰かが咳込んだか、咳払いをしたかのような声が聞こえた。

ハッとして顔をあげると、皆も少しキョトンとしたような表情を浮かべている。

アレクに目を向けると、彼女の視線はガーダイン伯爵様の方に向かっていた。


「敵軍は、西を使ってくるでしょう」


ガーダイン伯爵様が喋った。

ゴロゴロ、カスカスした声で聞き取りにくい。

先ほどの咳払いのような声も、伯爵様の声だったらしい。


「そう思われますか?」


アレクが尋ねると、伯爵様は頷いた。


「ティアニーダ様の突撃で混乱させられたうえ、行軍を遅らせられている。さらに、夜間の襲撃も受けた。今回のことを鑑みれば、敵は相当苛立っているとみえる。速度と勢いで一気呵成に攻めたくなりましょう」

「確かに、その可能性も考えられます」

「それに、西側と踏んでおく方が対応もしやすい。隘路が多い分、僅かな兵で進軍を妨害できます。その間に、こちらは東側の迂回路を使って背後を突けば良い」

「もし、東側を進んで来られたら?」

「そうなれば、東側の迂回部隊が防衛を担い、その間にこちらが正面の敵を打ち崩す他になくなりますが、背後に敵を抱えるよりははるかに戦いやすいと言えます。どう打ち崩すかは、アレクシア様の手腕が問われることになりましょうな」


伯爵様は、そう言って笑みを浮かべた。

話を聞いて、方々が静かに唸り声をあげるのが聞こえる。

交易都市のことを考えれば、普通は西側の迂回路を使うって考え方はあまりしないだろう。

でも、伯爵様の「苛立っている」という話は、妙に納得できてしまった。

アタシの突撃に、夜間の襲撃、もしかしたら偽の防御陣地のこともあるかもしれない。

苛立っているからこそ、こっちの鼻っ面をへし折ろうとする行動を選択してくるっていうのは、想像に難くないことだった。


それに加えて、対策に不利が少ない。

西側に少数を配備し、東側からこっちの迂回部隊が進軍する。

もし敵が足止めのしやすい西側を進軍してくればそれを防ぎつつ、東に回った味方の迂回部隊が敵の後方を襲える。

敵が東に進軍してきたときはこっちの迂回部隊に迎え撃ってもらい、正面の敵を叩くことに集中する。

どちらから進軍してきたとしても防御が成り立つはずだ。


アレクの方に視線を向けると、アレクもアタシを見ていた。

アタシはアレクに頷いて返すと、彼女もアタシに頷いて見せ、方々に視線を向ける。


「ガーダイン伯爵様のご意見は、的を得ていると考えます。いかがでしょうか?」


アレクの言葉に、方々は頷いた。

どうやら決まったらしい。

それを見ていたガーダイン伯爵様も、二度、三度と頷いた。

それから、


「西側の守備は、私にお任せいただきたい」


と仰った。

まさか、伯爵様が前線に出るっていうのか?


「そ、それは…」

「我が重装歩兵隊を三百連れて行きます。残りは、バイルエイン伯にお預け致しますので、いかようにもお使いくだされば」


言葉に詰まったアレクに伯爵様はそう言い、それからアタシに視線を向けて来た。

正直に言って、それが一番安心ではある。

指揮の方は、三百程度の部隊なら声が届かなくても伝令を走らせればすむし、別の指揮官を立てて伯爵様は参謀をするって方法でも問題はない。

力量の方は確かだし、伯爵様の重装歩兵隊は強い。

敵の数や地形にも依るだろうけど、隘路で敵を受けるんならさながらワインの瓶のコルクみたいに、そう簡単に敵を通しはしないだろう。


「アレク。アタシは伯爵様の案に賛成だ。それが一番良い」


アタシがそう口にすると、伯爵様は満足そうに頷き、アレクも


「分かった」


と頷いてくれた。

それから、改まって方々に視線を向け、低く、力強い声で宣言した。


「では、これより陣を展開し進軍を開始します!」




*   *   *






朝日が昇った。

明け方はとにかく冷え込んでいたが、陽の光が届き始めたことで寒さが緩んだのが分かる。

ただでさえ、緊張で強張っていた体には、その温かさが何よりもありがたい。


私の隣にはティアと、伝令のための兵が少しいるだけ。

この本陣の守りには、騎馬隊が50、軽装歩兵が50の直掩と、200のノーフォート・バイルエイン混成の補助用の騎馬隊がいるだけだ。

貴族家の方々は、すでにそれぞれの兵を率いて前方四町程先で陣を張っていた。

どの家も逸ってはいないし、怯えてもいない。

しかし、軍全体からは静かな熱気のようなものは感じさせる。

各家の方々や兵達が皆同じ思いだとは思わないが、それでも自国が侵攻を受けているのだ。

多少なりとも、奮起している部分はあるのだろう。


私も、奮起していないと言えば嘘になる。

オルターニアのため、ノーフォート家のため。

バイルエイン家のため、ティアのため。

国と民、そして信じる主を守って命を落とした兵の尊厳のため。

理由はいくつも思いつく。

けれど、たぶんその本質はもっと単純だ。


私は、怒っていた。

戦死したティアの配下を見せしめにしている、と聞いたとき、私の胸に込み上げたのはこれまで感じたことのない怒りだった。

それはノイマール王に対して感じるそれに近かったが、その度合いは比べるべくもない程だ。

配下にそんな扱いをされ怒ったティアを押しとどめはしたものの、そんな彼女に何かを言うだけの資格などない。

カッとなって飛び出していこうとした彼女の方が、よほど素直で健全だと思う。

私は、違った。


胸の内は煮えたぎるような怒りに満たされながら、しかし、頭の中はまるで今朝の澄んだ空気のように晴れ渡っていた。

そして、侵攻してきたサラテニア軍を押し返すのではなく、圧殺する決断をした。

確実に、そして一切容赦なく、だ。


ティアにも、各家の方々にもそれは伝わったらしい。

特に反対の意見はでなかった。


「敵の陣、重装歩兵隊を前面に出しているな」


ティアがそう声を掛けてくる。

そう、敵は重装歩兵を後方ではなく前面に置いてきた。

位置は陣の中央。

これは昨晩の想定の中に入っている。

ガーダイン伯の重装歩兵隊をぶつければ、少なくとも拮抗状態には持ち込めるはずだ。

同時に、敵陣のその配置を聞いて、敵が迂回攻撃を企図していることがほぼ確実だと思えた。

重装歩兵を前面に出して守りを固め、別動隊の到着を待つ腹積もりなのだろう。

しかし、思い通りにはさせない。


「ティアニーダ様。各陣の準備、整いましてございます」


駆け寄ってきた伝令が、ティアにそう報告する。

それを聞いたティアは、私に視線を送ってきた。

私はそれに頷き返す。

そして、傍に控えていたノーフォートの兵に声を掛けた。


「戦鐘を鳴らせ、始めるぞ」

「はっ!」


私の言葉を聞いた兵が、ガンガンと戦鐘を打ち鳴らし始めた。

同時に、オルターニア軍から鬨の声が上がって前進を開始した。


こちらの陣形に、大きな変更はない。

中央にガーダイン伯爵様の重装歩兵隊。

両翼には、長槍隊と弩弓隊を配してある。

補助のために短槍や剣を装備した軽装歩兵隊も各隊に付き従っていた。


各隊には、無理に突っ込むことのないように繰り返し伝えてある。

しかし、ジワジワと押し込む手筈にはなっている。

敵は、こちらを引き付けるために前には出ず、後方へ下がっていくはずだ。

下がれば下がるほど、丘に囲まれた街道に押し込まれる形になるので、軍の密度が高まるはず。

そうなれば陣の転換の自由は効きにくくなる。

あとは、こちらの迂回部隊の速度次第、というところだろう。


「左翼部隊、接敵しました!」

「右翼の接敵も確認!」


仮設で建てた物見櫓の上から、戦況を確認している兵が報告してくる。


「中央はどうなっている?」

「未だ少し距離がある模様!」

「伝令、中央のガーダイン隊へ!両翼の戦線を意識して、戦列を揃えたまま前進せよ!決して逸るな!」

「はっ!」


私の指示を聞いて、伝令が馬に飛び乗って駆け出していく。

敵はこちらを受けるために逆弓型の陣形を敷いているらしい。

下手に押し込むのはうまくないだろう。

まずは、両翼を下げることを狙った方が良い。


「伝令、補助の騎馬隊へ!敵両翼の外側を脅かせ!無理攻めは禁ずる!」

「はっ!」


別の伝令が、本陣のすぐ傍に控えている騎馬隊へ馬で向かって行く。


「良いのか?補助の騎馬隊はここの守りだろう?」

「構わない。こっちは寡兵だ。出し惜しみしている暇はない」


確認を取ってきたティアに私がそう答えている間に、騎馬隊が二手に分かれて敵軍の両翼へと向かって行った。

騎馬隊は鋭い機動で敵陣の横に展開すると、すぐさま槍を構えて突撃を始める。


「左翼、騎馬隊接敵!」

「右翼でも接敵を確認!敵に動揺が見られます!」

「左翼、敵を押しております!」


騎馬隊はごく少数ながら、側面を突かれた敵は怯んだようだ。

敵もこちらを引き付けることが目的なら、無理はしないだろう…不利を感じれば下がるのは自然だ。


「右翼でも敵の後退を確認!」

「ガーダイン伯の重装歩兵隊、前進を開始しました!」


報告を聞いて、私は声をあげる。


「伝令、各隊!突出せぬよう注意!戦列を乱すな!」

「はっ!」


今度は伝令が複数馬に乗って駆け出した。

それを聞いていたティアが、少し感心したような声を漏らす。


「見くびってたわけじゃないけど、アレクは細かい用兵するんだな」

「ここからじゃ分からないが、前線では敵がこちらの軍を煽るような物言いも出ているだろう。それに乗らないよう注意は払わなければな」


私の応えに、ティアはふん、と鼻から息を吐いた。

気に入らないだろうな…ただでさえ、ティアは配下があんな目にあわされてるんだ。

その上、煽り口上なんて言われることを想像したら、腹を立てるのが自然だろう。


「ガーダイン伯隊、敵重装歩兵隊と接敵!」


不意に、そう叫ぶ声が聞こえた。

中央が接触した、か。

両翼はある程度押し込めたようだな…これで敵とは真正面でぶつかり合っていることになる。

もう一手、両翼に圧を掛けておきたいが、これ以上は手駒がない。


どうするか、と悩んでいたとき、不意に私達の傍に息を切らせた伝令が駆け込んできた。


「ご報告!西の迂回路で、ガーダイン伯様が敵部隊と接触!数は五千程!」

「来たか…!」


報告を聞いて、ティアが拳を握りながらそう言葉を漏らした。

私も内心で、快哉を叫ぶ。

こちらの読みは当たった。


「伯爵様より、万事任されたしとのこと!」

「承知した!こちらも順調、お頼み申し上げるとお伝えせよ!」

「はっ!」


私の言葉を聞いて、伝令が下がる。

伯爵様は三百の重装歩兵で受け切れるとみている、か。

それなら、伯爵様が持ちこたえている間は我々が敵を釘付けにすれば良い。

東側から迂回した部隊が背後を突けば、敵を崩せる。


「伝令、両翼騎馬隊!いったん下がって次の指示を待て!」

「はっ!」


私の言葉に、傍に控えていた伝令が掛けて出した。


それを見送ってからも、各隊との連絡を担っている伝令たちが入れ替わり立ち代わり、戦況の報告に来ていた。


「中央、ガーダイン隊!被害軽微、意気軒高!」

「左翼、マックラン男爵の長槍隊、善戦中!敵は押してこない模様!」

「右翼、ヒルダナ隊、奮戦中!ただ、敵の挑発が激しい模様!」

「伝令、ヒルダナ隊へ!敵は術中にハマりつつある!負け惜しみだ、言わせておけ!」

「左翼、バラン子爵様弓兵隊より!敵軽装歩兵が木盾を前に押し出してくる模様!」

「右翼、ダナーテラ子爵様の弓兵隊より!敵軽装歩兵が前進中とのこと!」


戦況が変化しつつあるらしい。

敵が前進を試みている…こちらの包囲を破ろうというのか?


「アレク、敵が圧力を掛けて来てるんじゃないのか?」

「…おそらくそうだろう」


西の迂回路を塞いでいるガーダイン伯からの伝令がこちらに届いているのだ。

あちらの指揮官にも同様の報告が行っていておかしくはない。

迂回が失敗しつつある現状を把握し、圧力を加えて強硬突破を図る方針に変えたのだろう。


実際問題、押し返されるのは少々厄介だ。

こちらは数が少ない。

今は街道の出口に押し込んでいる状態だからある程度戦線を維持できているが、これを後退させると各隊の間に隙間が生まれる。

ここを突かれると、たちまちこちらが崩壊する可能性があった。


「伝令、各隊!現在の位置を死守せよ!」


私はそう声をあげて、各隊へと伝令を飛ばす。

それを聞いた伝令たちが一斉に駆け出したのを確認してから、ティアがそばに寄ってきた。


「アレク。騎馬隊をアタシに預けてくれ」

「ダメだ」

「押し込まれてるんだろう?右翼か、左翼…どっちでもいいからちょっかいを掛ければ、敵もうかうかと前には出てこれないはずだ!」

「ダメだ!ティア、お前は旗印だ。やすやすとここを離れてもらっては困る!」


私はティアにそう言い返したものの、彼女は必至の形相で私を見つめ返してきた。

もちろん、ティアに伝えたことは真実だ。

彼女はこの軍の大将。

軽々と前線に向かわせるわけにはいかない。

…それに、今の彼女には、戦闘をさせたくはなかった。


「中央、ガーダイン隊より!敵の重装歩兵隊が強硬攻撃を開始!被害を受けているとのこと!」

「左翼、バラン子爵隊が敵軽装歩兵を押し返したものの、損害あり!」

「右翼、ヒルダナ隊の長槍隊が消耗しているとのこと!」

「右翼、ダラーテナ子爵様の弓兵隊が敵軽装歩兵と接敵!被害が出ています!」


そうしている間にも、次々と伝令が駆け込んでくる。

それを聞いたティアが、私の羽織っていたマントの胸倉を引っ掴んだ。


「アレク!」

「ダメだ!ティアを前線には出さない!」

「兵が…!オルターニアの民が死んでるんだぞ!?」

「これは戦争だ、ティア!兵は死ぬ!」


私は、そう怒鳴ってティアの腕を振り払った。

それから、伝令達に大声で伝える。


「伝令、各隊!直に迂回部隊が敵の背後に到達する!それまで何とか堪えたし!」

「はっ!」


再び伝令達が駆け出した。

それとは別に、私は騎馬隊に向けて


「伝令、騎馬隊!二手に分かれて、敵の両翼を牽制せよ!」


と伝令を走らせる。

本陣のすぐ傍に戻っていた騎馬隊が、再び二班に分かれて敵へと向かって行った。


傍らでは、ティアが前線に視線を向け、拳を握って歯噛みしている。

そんな彼女を横目で見つつ、私も奥歯を噛み締めた。


矛盾していると、我ながらにして思う。

戦争だから兵は死ぬと言いながら、これ以上傷ついてほしくないからとティアを前線に出すことはしない。

今のティアは、危険だ。

下手に隊を任せて配下や味方の兵が命を落とすところを間近で見れば、そのまま敵本陣に突撃しかねない。

もしかすると途中で心の痛みに耐えかね、戦闘の継続ができなくなるかもしれない。

彼女を信用していないわけではない…むしろ、彼女という人を理解しているからこそ、私は彼女を前に出すという選択を取れなかった。


彼女は剣の腕は立つし、騎馬隊の指揮は手馴れている。

兵からの信頼も篤い。

騎士として、伯爵家の士官としての高潔な精神も持ち合わせていた。

しかし、その本質はエルデール様やレニエール様とよく似ている。

彼女は、優しいのだ。

情が深く、他者への思いやりにあふれた、慈しみの深い女性だ。


そんな彼女に、隊を指揮させて配下を死なせる経験をしてほしくなかった。

傷ついているだろう今は特に、だ。

甘やかしている、と言われればそうなのだろう。

しかし…これ以上、彼女の指揮で味方を死なせるようなことがあれば、それこそ彼女の心が折れてしまうんじゃないかという想いがあった。


「左翼バラン子爵隊より伝令!敵が再度押し出してきているとのこと!劣勢の模様!」


不意に、駆け込んできた伝令がそう報告してきた。

ティアが、鋭い目つきを私に送ってくる。

しかし、私は努めて落ち着いた態度を保って


「伝令、騎馬隊!バラン子爵隊を援護!」


と別の伝令に声を掛けた。

その伝令が駆け出すのも待たずに、ティアが私の肩を掴んでくる。


「アレク…行かせてくれ」

「ダメだ」

「頼むよ…」

「騎馬隊は500だ、士官の指揮に任せておいて問題はない」


実際問題、ティアが指揮を執った方が士気は上がるだろうし、機動も良くなるだろう。

しかし、言ってしまえばそれだけだ。

500の騎馬隊とはいえ、戦力としては心もとない。

今のところは敵の気を削ぐことくらいのことしか期待できず、直接的な打撃を与えるのはあくまでも直接相対している部隊だ。

それはおそらく、ティアが指揮したところで変わらないだろう。

しかし、ティアは私の肩口を掴む手に力を込めてくる。


「アレク…アタシを信用できないってのかよ?」


その言葉に胸が詰まり、寸瞬言葉が継げなくなる。

それでも私は、彼女を睨み返して言うほかになかった。


「ティアこそ…私の指揮を信用していないのか?」

「そういうわけじゃないけど、でもっ!」

「何度も言うようだが、誰も死なせずに敵を撃退することはできない。それなら、その責は私が負う」


そう伝えて、私は肩を掴む彼女の手に触れ、解きほぐすようにして離させる。


「安心しろ…私は負けない」


私の言葉に顔を歪めたティアの手を振り払って、私は声をあげる。


「伝令、ガーダイン隊!押し出せ!」

「はっ!」

「この状況で前に出すのか!?」

「そうだ。中央を下がらせて、他の部隊もそれに追随させる」

「できるのかよ、そんなこと…?」

「やってもらわねば」


駆け出した伝令の背を見送ってから、私は戦線に視線を戻す。

両翼は確かに押されているようだが、まだ決定的な損害は受けていないようには見えた。

攻めるか、守るか、悩むところだが、敵が攻めてきているのなら数に劣るこちらが守っていてはいずれ後手に回る。

迂回部隊が到着するまで保たせる必要があるとは言え、ただ堪えてばかりでは拙い。


そんなとき、伝令が駆け込んできた。


「右翼、ダラーテナ隊より!戦線を維持しつつあり!同じく右翼ヒルダナ隊も何とか持ち直しつつあります!」

「よし…中央を押し込む、それに合わせて圧力を掛けるよう伝えよ!」

「はっ!」


「左翼から伝令!お味方の騎馬隊による牽制で体制を整え直しました!」


続いて、左翼からの伝令だ。

両翼とも、なんとかなっている…あとは中央だ…!


「中央を押し込む、それに合わせて押し返すよう伝えよ!」

「はっ!」


左翼側から来た伝令にも、右翼と同じ指示を出して前線へと帰す。

伝令が下がるのを待たずに待機していた伝令を呼んだ。


「伝令、騎馬隊!中央のガーダイン隊の右翼から敵重装歩兵隊を攻撃せよ!」

「はっ!」


指示を受けた伝令が、他の者に声を掛けて馬に乗り本陣から離れていく。

伝令が両翼に展開していた騎馬隊に接触すると、騎馬隊がいったん後方に引き、一つの部隊になって重装歩兵隊が苦手とする右翼へと突っ込んで行った。

同時に、


「押せ!」

「押し返せ!」

「勝負所だ!」


という掛け声が聞こえ始める。

戦線中央部がにわかに騒がしくなった。


ほどなくして、中央のガーダイン隊からの伝令が駆け込んでくる。


「ガーダイン隊より伝令!騎馬隊の援護により、敵重装歩兵隊を押し返しつつあり!」

「よし…突出しないよう留意しつつ、前進を継続せよ!」

「はっ!」


敵の反攻を抑え込みつつある。

次はどう手を打ってくるか…一気に下がって守りを固めるか、それとも再度反攻に出てくるか…

どちらにしても、中央に斬り込んだ騎馬隊の対処に長槍隊か弩弓隊を出してくるだろう。

両翼からは出せないだろうから、後方の本陣にいる後詰めを出してくるとは思うが…その辺りは軽率には判断しきれんな。

今は、出方を見る方が良い、か…


私がそんなことを考えているときだった。


不意に、仮設の物見台の上から私を呼ぶ声が聞こえる。


「アレクシア様!狼煙があがりました!」

「敵の後方か!?」

「はっ!間断があります、合図に相違ないかと!」


来たか…!

私は思わず手を握りしめていた。

敵の後方に上がる、断続的な狼煙。

それは、事前に取り決めていた迂回部隊からの合図だ。

敵の後方に展開完了したとみて良い。


こちらはちょうど敵の圧力を何とか抑え込めた。

好機だ…!


「戦鐘を鳴らせ!後方の騎馬隊に届くよう、目一杯にだ!」

「はっ!」


私の指示を聞いて、本陣に控えていたヒルダナ様のところの工兵達が、一斉に戦鐘を打ち鳴らし始めた。

それには、拍子も何もない。

各々が力いっぱいに、何度も何度も鐘を布で固めた打ち子で叩いている。

その音は、そばに居る者の話し声すら聞き取れなくなるほどの轟音があたりに鳴り響いた。


私はその轟音に負けぬよう、伝令達を呼び集める。


「伝令、各隊!準備が整った!戦線を維持したまま前進して敵を蹂躙し、封殺せよ!ただし、深追いは禁ずる!」

「はっ!」


私の指示を聞いた伝令達が一斉に馬に乗って駆け出した。

同時に、遠くから鬨の声が聞こえ始める。

それを認めて間もなく、敵の陣が唐突に乱れ始めた。

各隊がその隙を逃さず、戦線を前進させていく。

敵の部隊はまるで櫛の歯が欠けるようにしながらボロボロと後退を始める…いや、後退というより、崩壊に近い。


さすがに、勝負があっただろう。

しかし、目の前の敵を潰したあとは、西側のガーダイン伯に攻撃を掛けている敵の迂回部隊を後方か抑える必要がある。

こちらはできるだけ手早く終えて、そちらに兵を回さねば、な…。


私は、潰走を始めつつある敵陣を見ながら、そんなことを考えていた。




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