後送
広がる青空に、吹き抜ける風。
見渡す限りに広がる小麦畑は収穫を終えてしまっていて、ちょっと殺風景な気もするけど、それでもここが前線から遠く離れた場所なんだと実感できる。
アタシは、国境からバイルエインを経て王都へと続く街道を行く隊列の真ん中で、馬に乗って移動している最中だった。
ここはすでにバイルエイン領だ。
勝手知ったる我らが領地。
道行く農民がアタシを見て手を振ってくれたりする様子に、帰ってきたんだなと安心できた。
親父殿にぶん殴られ、軍規違反の説教を食らった後、アタシはアレクシアの身柄と負傷兵を後送するよう指示された。
前線を離れてもう三日。じきに、バイルエイン領都も見えてくるころだ。
アタシが率いる隊列は、馬車12台。
真ん中に陣取って、前に6台、後ろに6台。
先行のし過ぎや落伍のないよう速度を保つ、隊列の手綱を握る御者のような仕事だ。
警備の兵はごくわずかだけど、ここはもう戦場ではない。
皆も安心しているのか故郷への帰りを楽しみにしているのか、足取りも軽いようでアタシも気楽に任務に当たっている。
ちなみに、アタシは親父殿に別途の命令をくだされている。
自領に帰ったら、許可があるまで謹慎せよ、とのことだ。
親父殿と一の兄上を残して前線を離れるのはイヤだったけど、そこはもう仕方がない。
国境線まで追撃したら、それで戦争も終わるだろう。
戦場に絶対はないけど、状況的に二人が遅れを取るような事態に陥るようなことはないと思えた。
空を見上げると、陽が高く昇り始めている。
そろそろ中天になる、か。
一休みする頃合いだな。
街道の先に視線を向けると、小麦畑を管轄している村が見えた。
ちょうどよい、あそこですこし休ませてもらうとしよう。
アタシは馬の腹を蹴って、いったん隊列の先頭へと向かう。
そして最後尾へ移動しながら、次の村で休憩を取ることを告げて回り、元の位置へと馬を戻した。
半刻程歩いて、隊列は村に辿り着いた。
村はずれの広場に馬車を止め、井戸を借りてそれぞれが喉を潤す。
もちろん、馬に水をやるのも忘れてはいけない。
「ティアさまぁ」
井戸からくみ上げた水を瓶に詰めていると、不意にそう呼ぶ声が聞こえた。
顔をあげてみたら、村の人が数人、小さな子どもと一緒になってやってきている。
「やぁ、突然押しかけてすまないな」
「いえいえ、とんでもない。皆さまは、お怪我を?」
「あぁ、負傷兵の後送なんだ」
「それは…ありがたいことです」
「皆、国のために戦ってくれた。そう言ってもらえるなら本望だろう」
アタシが言うと、女性たちは笑顔を見せてくれた。
「そうだ。もし果実の類が余分にあったら、少し分けてもらえないか?」
「果実、ですか?」
「うん。行軍をしてると、甘いものを口にしたくなるんだよ」
アタシはそう説明しながら、銅貨の詰まったこぶし大の革袋を一番近くにいた村人に手渡す。
「無理のない程度で良いから、頼めるか?」
「はい、少々お待ちくださいませ!」
村人たちはそう言うが早いか、子ども達を連れて村の中へと駆けだした。
ほどなくして、背負い籠2つにいっぱいになった林檎が届けられた。
村人たちに礼を言い、警備兵を捕まえて、皆に林檎を配るように頼んだ。
アタシは自分用に三つと、アレクシア用に三つ、特に色艶の良い物を選んで取り分けた。
その足でアレクシアを移送している馬車へと向かうと、彼女は荷台で警備兵から渡された水で喉を潤しているところだった。
表情には、幾分か疲れが見えるような気がする。
まぁ、こんなところにずっと座らされているようじゃ、気疲れもするだろう。
「アレクシア」
彼女に声を掛けると、その表情がパッと明るくなったような気がした。
「あぁ、ティアニーダ。それは?」
「差し入れだ」
アタシはそう言いながら、抱えていた林檎を三つ手渡す。
彼女はなぜだか安心したような笑みを浮かべたように見えた。
「窮屈な思いをさせてすまないな。疲れてるだろう?」
「いや、これくらい問題ない」
「それなら良いけど…もうじき到着するから、それまではなんとか堪えてくれ」
「あぁ、承知した」
アタシの言葉に、彼女は不満な様子一つ見せずに頷いてくれた。
そう振る舞ってくれるのはありがたい。
これでぐったりされたりなんかしたら、気に病んでしまうところだ。
内心、ホッとしながらアタシは林檎を自分の分の林檎をかじって見せる。
それに続いて、彼女も意外と豪快に林檎に歯を立てた。
シャリシャリと音をさせる彼女の頬が、また一段と緩んでいくのが分かった。
「美味しいな」
「そう言ってもらえて良かった。差し入れた甲斐がある」
アタシもそう言って笑顔を返すと、彼女も
「心遣いに感謝する」
と目礼した。
大仰な感じではない。
どことなくおどけているような雰囲気だったので笑顔を返すと、顔をあげた彼女もニコッと笑ってくれた。
「そう言えば、チラっと見えたのだが、この辺りの麦畑は壮観だな」
顔をあげた彼女は、林檎をかじりながら言う。
確かに、この周辺は領内では一番の農耕地だ。
これだけの規模で開発が進んでいるところは、王室の直轄地を除けば他にはないんじゃないだろうか。
「この辺りは水が豊富で農業がしやすいんだ。先々代…アタシの曽祖父の代に開拓がすすんだらしい」
「良い土地なんだな。税収も豊かそうだ」
「まぁ、領民を飢えさせるようなことにはなってないかな、今のところは」
「伯爵は民にとって良い領主でもあるんだな」
「そうだと良いけど。親父殿、おっかないからなぁ、変に怖がられてるんじゃないかと思うけど」
なんてアタシが返したら、彼女はクスクスっと笑い声をあげた。
「あんたのトコは、畑はそんなになかったのか?」
「ノイマールは全体的に山が多いんだ。だから、これだけ開けた土地に一面畑があるなんてお目に掛かれない」
「そうなのか」
「うん。川はそれなりにあって水利は悪くないんだが、水害が起きやすい地域も多い。だから父は、治水と開墾を進めるようにと常々考えていたらしい」
「あぁ…諫言の話か」
そう言えば、そんなことを言っていたっけ。
アレクシアの父上は、噂通り賢い御方で、きっと民を思いやれる良い領主だったんだろう。
そんな子爵家を冷遇するノイマール現王に対する忠信は、かなり揺らいでいる様子だ。
思えば彼女が一騎打ちを受けてくれたのも、自領の民と兵を無事に帰還させたいという思いからだった。
彼女もまた、御父上と同じように、民を思いやる心が強いのだろう。
「…すまない、尋問じゃないんだったな…」
「ずいぶん溜まってるみたいだな」
「これまではずっと胸の内に留めておいたんだが…なぜだろう、あなたと話をしていると、ついつい愚痴が出てしまう」
彼女はそう言って肩を竦めてみせた。
おどけたつもりなのかもしれないが、心を許してくれているんなら割と嬉しいと思ってしまう。
それくらいには、彼女に対して好意的な気持ちがあった。
普通なら、こちらに取り入って脱走の隙を狙おうとしているのかもしれない、と考えるところだけど、彼女からはそんな雰囲気は微塵も感じない。
本当に、ただただ、アタシとのやり取りを楽しんでくれているような気配がある。
まぁ、アタシが手のひらで転がされてるだけかもしれないけど。
「気を許してくれてるんなら、嬉しいよ」
「普段は溜め込んでしまいやすい性質なんだが…あんな経験をしたせいだろうな…」
「あんな経験って…一騎打ちか?それとも…その、夜の方か?」
ちょっとだけ顔が熱くなるような感覚を覚えつつ聞いたら、彼女はまたクスクスと笑った。
「一騎打ちは大きかったな…夜のことは、ダメ押しというか、とどめだったというか、そんな感じだと思う」
「そっか…まぁ、気持ちは分からなくもない…気がする」
確かに、アタシの方も彼女に対して遠慮はない。
一騎打ちがなく、彼女がただ人質になっただけだったとしたら、アタシは別に酒を持って行こうなんて思わなかったし、ここまで明け透けに慣れ合ったりはしなかっただろう。
どう表現したら良いのか言葉に困るけど…普通は誰に対してもある一線が木端微塵に砕けてしまっているというか、そういうことを気にする関係ではないというか、そんな感じだ。
身体的な意味ではなく、内面的な意味で互いの恥部を晒し合ったわけだからな。
いや、まぁ、身体的にも晒し合ってしまっているわけではあるが。
とにかく常識や規則なんかを一切合切無視して関わることのできる、そんな相手になったんだろう。
「迷惑でなければ良いが」
「気にすることないさ」
彼女の言葉に、アタシはそう返事をする。
すると彼女はホッとしたような表情を浮かべてふぅと息を吐き、林檎をかじって荷馬車の壁面に背を預けた。
その顔は、どことなく穏やかな色が浮かんでいるように、アタシには見えた。
アタシは一旦、周囲を見渡す。
そもそも足取りが重かったわけでもないけど、休憩を入れたことで、兵士や荷馬車の怪我人達も、一息吐けたのか表情に力強さが増しているように見えた。
そろそろ出発の頃合いだろう。
「皆、そろそろ行軍を再開するぞ。革袋に水を補給するのを忘れるなよ」
そう声を掛けると、方々から引き締まった返答が聞こえた。
それからアタシは、首に革紐で掛けておいた鍵を引っ張り出す。
「アレクシア、ちょっと来てくれ」
アタシはそう声を掛けて彼女に体を寄せると、その鍵を使って足枷を外した。
両手を縛っていた紐もほどいてやる。
彼女は、すこし怪訝な様子でアタシを見やった。
「逃げだしても良いってことだろうか?」
「逃げ切れると思うのなら試してくれても構わないけど?」
そう言い返しながら、アタシは彼女の抱えていた林檎を引き取って、マントでくるむ。
それから彼女に手を差し伸べた。
「一人で馬に乗ってると眠くなってな。良かったら話し相手にでもなってくれよ」
そう告げたら、彼女はクスクスっと笑って、アタシの手を取ってくれる。
そのまま荷台から彼女を降ろして、自分の馬へと向かった。
もしこれまでの態度がアタシを安心させる罠で、逃げられでもしたら、大目玉だろう。
でも、アタシはそれでも良いと思えた。
彼女を信じて裏切られたんなら、もうそれはアタシの目が節穴だったということで責任を取ろう。
馬には先に自分が跨り、彼女を上へと引っ張りあげて、鞍の前方に座らせる。
鐙は一組しかないから、アタシの足の上に足を乗せるように言った。
鞍に二人で座るのは、さすがに狭い。
それこそ体はぴったりとくっついたままだ。
手綱はアタシが握るので、どうしたって後ろから抱きかかえるような姿勢になってしまうけど、なんというか、それを恥ずかしがるのは今更のように思えるし、むしろ心地良さすら感じた。
「よーし、皆、そろそろ出るぞ!」
隊列に声を掛けると、それぞれが持ち場に戻る。
全体の確認を行って号令を発し、行軍が再開した。
「良い馬だな。これだけの体躯のものは初めて見る」
彼女はそう言いながら馬の首をポンポンと叩く。
「あぁ、東の大陸から仕入れたのを、交配させて増やしてるんだ。足は速くないけど力があるから、荷車を引くのに重宝する」
「海の向こうと交易できるのはオルターニアの強みだな。この種、登坂はどうなんだ?」
「良く登るぞ。下りもそれほど苦にしてない」
「なるほど。我が国でもぜひ欲しいところだ」
「さすがにそれは難しいかなぁ」
「分かっているさ。でも、そう思うくらい良い馬だ」
馬は軍事品だ。
おいそれと他国に流出させるわけにはいかない。
まぁ、彼女が本気でそんなことを考えているとはアタシも思ってはいなかった。
言葉の通り、褒めたかったのだろう。
パカポコと小気味良い蹄の音とともに、馬が揺れる。
ときおり吹いてくる風は爽やかで心地良く、陽の光も穏やかだ。
鱗のような薄い雲が漂う青空も気持ちが良い。
「穏やかだな…」
不意に、彼女がそんなことを口にした。
「うん、そうだな」
「戦時だということを忘れてしまいそうだ…」
そう、そういやまだ戦時だった。
「アタシも今はすっかり忘れてたよ」
アタシが言ったら、彼女はクスクスっと笑った。
それから、少し戸惑い気味に
「迷惑でなければ…少し、寄りかかっても良いか?」
と尋ねて来た。
「構わないぞ」
アタシが答えたら、彼女はクタっと力を抜いて、アタシに体を預けて来た。
アタシは姿勢を整えて、そんな彼女を支えてやる。
すると彼女は、ふぅ、と大きく息を吐いた。
「我が家は、近いうちに磨り潰される」
彼女は不意にそんなことを口にした。
「えっ…?」
「王は、我が家を戦争で使いつぶすつもりなんだ」
あまりに唐突で驚いたが、昨日の彼女の話を思い出す。
ノイマール王は彼女の家を疎んでいる。
そのことと関係があるのだろう。
「諫言のせいで?」
アタシが聞くと、彼女は頷いた。
「それだけじゃなく、我が家のような家をつぶして、王を支持しない勢力を粛清して見せしめにするつもりなのだと思う。それに、そういう家をつぶして王家の直轄地を増やそうとしているんじゃないかと私は思っている」
「力を集中させたい、ってことか。軍を効率よく動かしたいんなら、王の権力を強化するのは確かに理にかなってはいるな」
「うん、それで国が良くなるわけではないがな」
「そうだな…」
彼女の思いは分かる。
現ノイマール王の領土拡張路線は、国のためというよりも自身の征服欲に依るもののように感じる。
そしてそのしわ寄せを、ノーフォート家のような貴族家が受けることになってしまっている。
国や民のことを考えて献身する身としては、これ以上に苦しく遣る瀬無いことはない。
「この戦争が終わったらきっと、ノイマールは南へ進軍する」
「南…?サラテニアにか?」
「そう。今回の戦争は、その事前準備なんだ。オルターニア王国に侵攻し、私の家のような反王政派の兵を先頭に立たせて力を削ぐ。賠償金も、敗北の原因だと理由を付けて反王政派から財産を没収して支払うだろう。そして、被害を受けて当分戦争は起こせないだろうと油断したサラテニアに、温存していた王国軍と王政支持派の軍を使って奇襲をしかける」
「…それ、けっこうマズイ情報なんじゃないのか…?」
「…実際のところそうなるかは分からない。だが、国内の動きから推測するに、可能性はかなり高いと思う」
流石に…この話は、ちょっと放ってはおけない気がする。
「それ、親父殿に報告しても良いか?」
「…うん、そうして欲しい」
彼女はそう答えて、それから大きく溜息を吐き
「……助けて欲しいんだ」
と絞り出すようにつぶやいた。
「助け…?」
意味が分からず、アタシは思わずそう尋ねる。
すると彼女は自嘲するような笑みを浮かべて
「戦場が南になれば、先鋒を任されるのは、我が家だ」
と言った。
あぁ、そうか。
彼女の家は、現王の不興を買って、南の国境付近に転封されたと言っていた。
南のサラテニアに侵攻するという前提が正しければ、ちょうど良い位置にいる捨て駒だ。
ただでさえ今回の戦争で被害を受けているだろうし、使いつぶされる、という可能性はけっして低くはない。
「助けって、例えばどんなことだ?親父殿に頼むとしたら、何をして欲しい?」
「……ノイマールへの越境攻撃、とか?」
アタシが尋ねると彼女はそう言って、いたずらっぽく笑った。
けど、その笑顔にはどこか、悲し気な色が感じられる。
あぁ、そうか。
ノーフォート家は王に疎まれながら、これまで何とか生き残ろうとしてきたのだろう。
けど、今回の戦争と、今後予想される展開を考慮すると、もうどうにもできない現状に来てしまっているのだ。
だから…助けて、と訴えた…現実的に、助けなんて得られないと分かっていながら。
アタシは、片手を手綱から離して彼女の体に回した。
その腕に少し力を込めて、彼女を引き寄せてやる。
「…分かった、全軍でノイマール王都まで攻め上がるようにと頼んどこう」
「王政支持派の貴族たちも、全部始末して欲しい」
「うん。一覧を作ってくれれば、うちの密偵部隊に片っ端から片付けさせる」
「あと、すべて終わったら、そのあとは伯爵にノイマールを治めて欲しい」
「親父殿と一の兄上に次の兄上なら良い治世ができそうだな。いや、でもそうなると、アタシは王女様か、公女殿下ってことになるな…それはちょっと柄じゃないな…」
「渋るところ、そこ?」
アタシの言葉にそう指摘した彼女は、クスクスっと笑って、穏やかな表情を浮かべた。
「…ありがとう、バカ話に付き合ってくれて」
「今のところ、そのくらいしかしてやれないからな」
「いや、少し気が晴れた」
「そうか、それなら良かった」
そう言ってやったら、彼女は深呼吸をして目を閉じた。
まるでそのまま寝入ってしまうんじゃないかと思う程、だらりと力を抜いている。
アタシはそんな彼女の体を支えながら頭を回転させた。
たぶん、親父殿なら国境周辺の警備を引き受けるくらいのことはできる。
もしも場合に東の国境へ逃げて来てもらえれば、身柄を保護することができるかもしれない。
ただ、それ以前にノイマールが南に侵攻する計画を立てているなんてちょっと信じられない。
彼女がそう感じた根拠はどんなところなんだろう…屋敷に着いたらそこの部分をちゃんと聞きとって、親父殿に手紙を書くか。
前線にいる親父殿ならもしかしたら、何かに気が付いている可能性もあるかもしれないし、な。
すこしして、不意に寝息が聞こえ出した。
どうやら本当に寝てしまったらしい。
その表情は、どことなく安心して緩んでいるようにも思えた。
国内に居れば家族に危険を訴えることもできたのに、彼女は今こうして人質になってしまった。
そのことがいっそう不安だったのかもしれない。
アタシは、彼女の腰に回した腕にもう少しだけ力を込める。
国や民、家族のことを思いやり、未来を憂うことのできる彼女に、最大限の敬意を払いながら。