突撃
昼過ぎ、アタシは丘を降りた先の平原に居た。
平原と言っても、多少の起伏はあって、今は、ちょっと窪んだ地形に潜むようにして隠れている。
ここからだと、敵の軍勢は良く見えない。
敵の様子を確認するためには、ちょっとした坂をあがったところまで這って進む必要があるような場所だ。
1000の部隊を隠すことは難しいけど、アタシに着いてきてくれている200の騎馬隊なら、何とか身を潜めることができている。
隊員達の表情には、相変わらず色がない。
恐怖を抑え込んでいるんじゃない…これは、決死の覚悟を固めた者の顔つきなんだろう。
たぶん、アタシも同じような顔をしてるに違いない。
「ティアニーダ様」
そんなことを考えていたら、サリアがそっとアタシに声を掛けてきた。
みると、サリアは手に小さな革袋を持っている。
「甘味です、いかがですか?」
「あぁ、ありがたい。一つもらうよ」
「一つと言わず、お二ついかがですか?」
「良いのか?」
アタシが言うと、サリアはコクっと頷いて革袋の中から白っぽい塊を二つ、アタシの手のひらに乗せてくれた。
砂糖菓子みたいだな。
花を象ったような形をしていて、かわいらしい。
口に放り込んでみると、濃厚な甘みが広がってくる。
混ぜ物の少ない、ずいぶんと砂糖をたくさん使ってる代物のようだ。
「美味いな…これ、高かったんじゃないか?」
「はい、いざというときのためのとっておきです」
アタシの言葉に、サリアはほんのわずかに笑みを浮かべた。
それから少し遠慮がちに
「あの、ティアニーダ様」
と名を呼んできた。
「なんだ?」
「お礼代わりに、一つ…いえ、二つ、お願いしても良いですか?」
「今できることなら」
アタシが答えると、サリアは一層緊張したような面持ちを浮かべる。
なんだ…?
まさか、帰りたいなんて言うんじゃないだろうな?
そんなことを思っていたら、サリアは押し籠った声で
「抱きしめて、励ましていただけませんか…?」
と言ってきた。
サリアの表情に、恐怖は見られない。
どちらかと言えば…遠慮…いや、照れが浮かんでいる。
まったく、土壇場だってのに、欲望に素直なヤツだな。
思わず笑ってしまったけど、アタシはそっとサリアに手を伸ばして彼女を抱きしめた。
「サリア…あんたはアタシの自慢の部下だ、頼りにしてる…でも、無茶はするなよ」
そう言いながら、ポンポンと頭を撫ぜてやる。
体を離すと、サリアは満足そうな笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます」
「で、もう一つは?」
「あの、髪留めを頂けませんか?」
「髪留め?」
「はい」
サリアはそう返事をして、顔を伏せた。
髪留めをなくしちゃったんだろうか?などとは思わない。
現に、彼女は赤茶色の髪をきちんと後ろで留めている。
要するに…アタシが身に着けている物が欲しいんだろう。
お守り、みたいなもんだろうな。
ありがたい加護なんかはなさそうだけども。
「砂糖菓子の礼にしちゃ、ずいぶん高いものをねだるんだな」
そうは言いつつ、アタシは自分の髪留めを解いてサリアに手渡した。
受け取ったサリアの顔が嬉しそうにほころぶ。
「あ、ありがとうございます…」
彼女はアタシの髪留めを胸に抱いて、スっと頭を下げてくる。
アタシは改めてサリアの頭をポンポン撫ぜた。
「いいか、役目をはたして、生きて帰るぞ」
アタシの言葉に、力強い表情を浮かべたサリアがコクっとうなずいた。
「よし…あ、革紐って余ってるか?」
「あ、はい。あります」
アタシが聞いてみると、サリアは腰の剣帯に通されていた皮の小物入れから革紐を一本取り出した。
それを受け取って、解けた髪を革紐で纏めなおす。
それから
「確認に行くか」
とサリアに声を掛けて、坂の上に頭を振る。
「はい、御供致します」
相変わらず、サリアは嬉しそうに笑みを浮かべて頷いた。
アタシはサリアと一緒に、ゆっくりと坂を上がって行く。
その先にはヒッテが伏せていて、平原の方を見つめている姿があった。
アタシは慎重に坂を上って行き、ヒッテの隣に伏せる。
「敵の様子は?」
「かなり接近していますね…ですが、こちらには気づいていないようです」
顔をあげてみると、かなり近くに敵の軍勢が見えた。
十町もないな…せいぜい、五、六町ってところか。
「防御陣地を意識してるみたいですね」
アタシに寄り添うようにして伏せていたサリアが言う。
確かに、軍勢は偽装の防御陣地に意識を奪われているように見えた。
防御陣地までは一里ほど。
陣地では時折旗が左右に動いていて、戦笛の音が聞こえてきたりもする。
ここからならまだ、陣地が偽物であそこには30人ほどの工兵がいるだけには見えない。
良い傾向だ。
あの様子なら、おそらくこっちの想定通りに動くはず…
「ヒッテ、引き続き監視を頼む」
「はっ」
「サリア、戻って準備だ」
「はいっ」
ヒッテに指示を出し、サリアと共に坂を下った。
「全員、集まれ」
アタシは隊に声を掛けた。
狭い窪地に詰めていた隊員達が、自分の馬から離れてアタシの周りに集まってくる。
全員がアタシに注目しているのを確かめてから、一つ咳払いをして告げた。
「みんな、間もなく作戦を開始する」
アタシの言葉に、全員の顔が引き締まった。
「さっき説明した通り、ジーマの班が先陣を切る。アタシとミットリーの班がそのあとに、アタシ達の後ろから、ヒッテ班、ノラン班、ライノ班が続け」
ヒッテ以外の、それぞれの班を指揮する隊員達に視線を移しながら確認する。
彼らはアタシの言葉に頷いて返してきた。
アタシも彼らに頷いて返し、さらに話を続ける。
「目標は、敵本陣、軍の指揮官だ。進路を遮る敵以外には構うな」
「はっ」
「敵の指揮官を討ち倒すか、撤退の戦鐘が聞こえるまでは、突撃と後退を繰り返すことになる。特に後退時は無防備になりやすい、機動に注意しろ」
「はっ」
「よし…。これからアタシ達は、国のため、民のため…自分自身の家族の命、生活のために命を賭ける…それが、アタシ達の役割だ」
「はっ」
「復唱せよ。“我らはオルターニアの剣”!」
「我らはオルターニアの剣!」
「“我らはオルターニアの盾”!」
「我らはオルターニアの盾!」
「“オルターニアを脅かすものを許すな”!」
「オルターニアを脅かすものを許すな!」
「総員、出撃準備!着装の上、騎乗せよ!」
「はっ!」
アタシの言葉に、隊員たちは返事をして各所に散っていく。
アタシも自分の馬のところまで行き、兜を被って、鎧の帯を締めなおした。
槍を手に、馬へと跨る。
心臓が、高く、強く鳴っている。
全身に激しく血が巡っているのも感じられる。
ただ馬に乗っているだけなのに、呼吸が乱れそうな気さえした。
どれくらい時間が経ったか、不意に坂の上にいたヒッテが駆け下りてきた。
「敵陣に動きあり!配置転換の様です!」
「分かった。お前の準備を」
「はっ」
アタシに報告をしたヒッテは、自分の馬に駆け寄ってその上に飛び乗った。
その様子を確かめていると、不意に遠くから戦鐘の音が聞こえてくる。
ガンガンガン、ガンガンガン、ガンガンガン、という短く三連打が三回。
さらに間をおいて、同じ拍で鐘が打ち鳴らされている。
敵が陣地変換を始めた合図だ。
それは同時に、アタシ達の突撃の合図でもあった。
「行くぞ!全軍、前進!」
「おぉぉっ!」
アタシの号令に、咆哮のような応えが響いた。
先頭にいたジーマの班が坂を馬で駆け上がっていく。
アタシも馬の腹を蹴って、そのあとに続いた。
坂を駆けあがると、その先には陣が乱れた敵軍の姿があった。
敵は防御陣地へ接近する前に、移動のための陣から戦闘のための陣へと転換する可能性が高いと予想していた。
そして、その転換の際にできた隙こそ、寡兵すぎるアタシ達が最も優位に立ち回れる瞬間のはずだ。
その瞬間が、想定通りに訪れてくれた…!
「ジーマ班に続けぇ!」
「速度を緩めるな!突っ込め!!」
「うおぉぉぉぉっ!」
ジーマ班を先頭に、アタシ達は小さな鏃陣を形成しながら咆哮する。
陣を変換しようとしていた敵軍は、あちこちが隙間だらけなうえに、混乱して戦列も乱していた。
「左方!弩弓兵隊が射撃体勢!」
馬の足音と風を切る音に混じって、サリアの声が聞こえてくる。
視線を向けると、弩弓を携えた部隊の一部が矢をつがえ始めているのが見えた。
「引き離せ!左方の弩弓兵に警戒しながら速度をあげろ!」
アタシは前方のジーマ班に怒鳴る。
最後尾にいた伝令役にアタシの声が届き、
「左方の弩弓兵に警戒!速度をあげろ!」
と指示を復唱した。
次の瞬間、ジーマ班全体の速度があがる。
アタシ達もそれに続いて手綱を緩め、馬の腹を蹴った。
敵の弩弓兵が矢を放ってきたが、そのことごとくが背後へと流れ行く。
「前方、敵軽歩兵!吶喊する!」
今度は、ジーマ班の伝令から声が先に声をあげた。
アタシはそれを聞いて、周囲に怒鳴る。
「敵軽歩兵に接敵する!槍構え!食い破る!」
「おおぉぉっ!」
応えと共に、隊員達は槍を外側に構えた。
前方に目をやると、ジーマ班の背中のその先に、敵の軽歩兵隊の姿が見える。
陣は整っていない。
混乱しているのが見えた。
「おぉぉぉっ!」
先頭のジーマ班が軽装歩兵隊に突っ込み、アタシもそれに続く。
突き出した槍に幾度も鈍い衝撃が走るものの、アタシはとにかく姿勢を維持してそれを堪えた。
その衝撃が走るたびに、敵兵がその場に倒れ込んでいく。
それもつかの間に、隊は軽装歩兵の集団から抜け出た。
後方の三班もしっかり着いてきている。
脱落者は見えないが、何人かは槍を落としてしまってはいるようだ。
「さらに前方!重装歩兵隊!」
不意に、ジーマ班の伝令の声が聞こえた。
前に視線を戻すと、少し先には大きな盾に長槍を手にした全身鎧の集団が見える。
隊列はまだ整っていないけど、正面から挑むのは無理な相手だ。
「転進!右方!回り込むぞ!」
騎馬隊で重装歩兵と戦うには、弱点を突く必要がある。
重装歩兵には、盾を持っていない右側面からの攻撃が有効だというのは常識だ。
しかし、そもそも機動力では騎馬がはるかに優位。
今の状況ではあえて交戦する必要はない。
「転進、右方!」
伝令が叫ぶと、ジーマ班が右へと進路を変え、それに続いたアタシ達は重装歩兵隊の右側面を駆け抜けた。
本陣はまだだ…もう少し先に…!
そう思って、前方に目を走らせたそのときだった。
「左方、弩弓隊!」
そう叫ぶ声が聞こえた。
左に視線を移すと、そこにはこちらに狙いを定める敵の弩弓兵の戦列が見える。
重装歩兵隊の陰になっていたらしい。
そして、その距離は一町もない。
まずい、近すぎるっ!
「回避行動!転進右方!」
「回避行動、右方!」
アタシが怒鳴り、それを聞いたジーマ隊の伝令が復唱して叫ぶ。
しかし、その直後、
「ライノ班、直進して散開!」
という声が背後から聞こえた。
何を…!?
そう思った瞬間には、右方へ逸れていくアタシ達の左側面にライノ班が展開した。
「ご武運を!」
班長のライノの声だったのか、それとも他の隊員の声だったのかは定かじゃない。
次の刹那、弩弓隊の放った矢が浴びせられ、次々と崩れ落ちていく。
アタシ達を守るために、盾に…
―――すまない…
アタシは胸の内でそう詫びながら、声をあげた。
「進め!速度を緩めるな!」
アタシの号令に、速度を上げて弩弓隊から距離を取る。
「左前方!敵本陣と思しき集団!」
アタシの耳に、そう叫ぶ声が聞こえた。
目を向けるとそこには、ひときわ目立つ旗を掲げた一団が見える。
見つけた…!
「転進、左方!敵本陣に突っ込む!」
「転進左方!吶喊せよ!」
アタシの言葉を伝令が復唱した。
ジーマ班が進路を本隊に向ける。
距離が近づいてくるにつれ、本隊の陣容が見えてきた。
近衛らしい兵士達の装備は短槍。
相性は良いとは言えないが…勢いで破れる…!
「換装、弩弓!」
不意に前方のジーマがそう叫ぶ声が聞こえるのと同時に、隊員たちが動きを見せた。
槍を馬の側面に提げ、背負っていた弩弓の弦を引き、矢をつがえる。
「構えっ!」
ジーマの号令と共に、隊員たちが弩弓を構えた。
敵本陣との距離が詰まる。
「撃てっ!」
その叫び声とともに、ジーマ隊が一斉に弩弓を放った。
しかしその射撃の効果を確かめる間もなく
「弩弓を放棄!突撃体制!」
とジーマが怒鳴った。
隊員達は一斉に弩弓を投げ捨て、再度槍を構えて突撃姿勢に移る。
本隊との距離が一町を切った。
「鬨をあげろぉ!」
アタシは声の限りにそう叫ぶ。
「おぉぉぉぉっ!!!」
応えが、まるで雷鳴のようにあたりに響いた。
体が熱い。
心が猛って、全身が震えた。
そしてついに、先行するジーマ班が敵陣に突っ込んだ。
槍を突き出し、敵兵を蹴散らしていく。
「続け!」
ジーマ班がこじ開けた敵陣の穴に、アタシとミットリーの班でさらに押し込んだ。
こっちの勢いに、敵は押されてさらに左右へと逃れていく。
「突撃!」
次いで後方から、ヒッテ班とノラン班が、アタシ達が切り開いた穴へと突撃を開始した。
さすがに最初に突き破った軽装歩兵隊に比べると厚い陣形を敷いているが、破れないほどじゃない…!
アタシは槍を突き出し、逃れようとする敵兵の背を突き、こっちに突き出された敵の短槍を打ち払う。
近場の敵兵を薙いでから、アタシは前方へと視線を投げた。
そこにあったのは、たなびく派手な旗。
間違いない、あれは大将旗だ…!
「前方、敵指揮官隊!」
アタシのすぐ傍らにいたサリアがそう叫んだ。
敵指揮官がいるらしい部隊は、今相手にしているのと同じ軽装の短槍隊だ。
すでに距離を取るために後退を始めている。
あれを潰せば…この軍を止められる…!
「逃がすな!敵指揮官隊へ突っ込め!」
アタシがそう叫んだ直後、
「ヒッテ班、続け!」
と叫んでヒッテが敵中に突っ込んだ。
槍に突かれ、馬の勢いに弾き飛ばされ、敵が散っていく。
そしてついに、敵陣が割れて後方へ抜ける間が空いた。
「ノラン班、行くぞ!」
そんな叫び声と共にノラン班がその間隙へと突き進み、敵陣を抜ける。
ノラン班だけじゃ、数が足らない…隊を全部ぶつけないと…!
そう思って指示を出そうとした瞬間、アタシの耳に
「敵重装歩兵!」
という鬼気迫る声が聞こえてきた。
見れば、後退しつつあった敵の指揮官部隊と入れ替わるようにして、前面に重装歩兵隊が進み出て来ている。
数はそう多くは見えないが、指揮官隊を守るように横陣を敷いていた。
「くそっ…!」
ノラン班は、その重装歩兵隊へと突っ込んだ。
最初の一撃で多少は陣を乱すことができたものの、その後は勢いを殺されて長槍の餌食になっていく。
前方を塞がれたことで、後続のアタシ達も足を止めざるを得ない格好になった。
数の少ないアタシ達は、速度が死んだら囲まれて押しつぶされるだけだ。
くそっ…!
くそっ、くそっ…!
そこに指揮官がいるってのに…!
アタシは歯噛みしながらも叫んだ。
「ジーマ班先導!離脱!離脱だ!」
「離脱!」
「離脱する!」
「ミットリー班とミッテ班で、ノラン班の離脱の援護をする!少し堪えろ!」
あちこちから声が響き、隊は軽装歩兵との交戦を中断し、馬を回頭させ始めた。
ジーマ班を先頭に、アタシの班がそれに続き、重装歩兵に突っ込んだノラン班の残存兵が付いてくる。
最後尾にいたミットリー班とヒッテ班も、なんとか敵陣から抜け出して追いすがってくるのが見えた。
先頭のジーマは、敵の指揮官隊を中心にして遠巻きに回り込むように機動している。
その後ろに続きながら、アタシは指示を飛ばして再度陣を組みなおさせた。
重装歩兵隊に突っ込んでしまったノラン班は、すでに半数になってしまっている。
先頭を走るジーマの班も、少なくない脱落者と負傷者が出ていた。
ヒッテ班、ミットリー班とアタシの班は、まだ被害が少ない。
隊列を組み換えて、位置取りを見極めればもう一撃、なんとか行けるか…?
そう思いつつ、周囲を確認していたアタシの耳にジーマ班の伝令の声が聞こえてきた。
「前方、敵騎馬隊接近!」
その声に、アタシはハッとして視線を前に移す。
遥か先に、敵の騎馬隊がこっちにめがけて近づいてきているのが見えた。
騎馬隊を相手にするのはまずい…こっちは数が少ないうえに、走りっぱなしだ。
どこかで足を緩めないと、馬が保たない。
「指示を乞う!」
ジーマ隊の伝令が続けて声をあげた。
交戦はダメだ。
回避するなら右か、左か…
右へ転進すると、敵の指揮官隊からは離れることになってしまう。
次の攻撃を狙うなら、等距離を維持できる左への転進だ。
「転進、左方!距離を取る!」
「転進左方!敵騎馬隊から距離を取る!」
伝令の復唱とともに、ジーマ班が左に進路を変えた。
手綱を引いて、他の隊員とともにジーマ班の後を追う。
振り返ると前方に見えていた敵の騎馬隊は背後に回って、こっちの追尾を始めていた。
良くない状況だな…進路を塞がれたら、挟み撃ちにされる…
「ジーマ班!背後から敵騎馬隊が追跡している!前方に注視して挟撃を避けろ!」
「了解!」
アタシの声を伝令が聞き取り、それを班長のジーマに伝えた。
このままだとジリ貧だが…距離を取って陣を整えられたら最後、こんな少人数の突撃じゃ歯が立たなくなる。
周囲にはあちこちに敵部隊が展開して、こっちを補足しようと動いていた。
時間を掛ければ確実に持ち直して囲まれる。
もう一度、指揮官部隊に強襲を掛けなきゃならないけど…
「ミットリー!敵指揮官部隊の状況見えるか!?」
アタシがそう声を張ると、部隊の左翼側に位置していたミットリーが顔をあげて左方に視線を向けた。
「敵指揮官部隊、現存!周囲に重歩兵隊が終結しつつあります!」
あぁ、くそっ!
そりゃぁ、こっちがこれだけの数しかいない騎馬隊ならそうするよな…
周囲を二重か三重にグルっと囲まれたら手が出せなくなる。
どうする…?
突っ込むか…?
いや、もう手遅れか…?
もう一手…何か相手を混乱させることができたら…
アタシはすでに焼け付き掛けている思考を何とか走らせる。
弩弓を打ち込むか?
いや、重装歩兵にはほとんど効果なんか期待できない。
やっぱり、手詰まりなのかよ…!?
「ティアニーダ様!」
そう怒鳴る声が聞こえた。
ハッとして顔をあげると、アタシのすぐそばにサリアが居た。
彼女は乗っていた馬ごと、アタシの方にまるで体当たりするみたいにしてぶつかってくる。
次の瞬間、サリアの肩とサリアの乗っていた馬の首元に矢が突き立った。
「サリア!」
アタシはぶつけられて崩れた体勢を無理矢理に戻して、馬ごと地面に崩れそうになっていたサリアの襟首を引っ掴んだ。
そのまま腕力にものを言わせて、自分の前に引っ張り上げた。
「ティアニーダ様!後方の騎兵隊より弩弓の攻撃!大型の弩弓を装備した弓騎兵です!」
誰かの報告を聞いて、アタシは背後を振り返った。
後方から追いかけてきていた騎兵隊がさっきよりもかなり近い距離まで詰められている。
くそっ、速い…!
そうとうな駿馬だ…アタシ達の馬は体力と力はあるけど、速さに関しては秀でてるとは言えない。
そのうえ、もうすでにかなりの距離を走らせている。
すでに射程に収められてるってのに、これ以上距離が詰められたら…!
「各員、広がれ!固まっていると曲射の餌食だ!」
「散会!」
「散会せよ!」
隊員達が叫ぶ声を聞きながら、アタシは前に引っ張り上げたサリアの様子を見る。
ひとまず、矢を受けているのが肩だ。
出血の具合は分からないが、少なくともまだ生きてはいる。
「サリア、サリア!意識はあるか?!」
「ティアニーダ様、私を捨ててください!このままでは、速度が…!」
「黙れ!意識があるなら後ろに回って、盾で背後を守れ!」
そう言って、アタシは揺れる馬の上でサリアの体勢を整える。
洗濯物を干すみたいに鞍の前にしな垂れ掛かっていたサリアは何とか体勢を立て直し、アタシの背後に回ってくれた。
それを確かめてから隊員の状況を確認する。
他にも何人か、体に矢を受けていた。
背中のど真ん中に受けてしまっている者もいる。
それでもまだ、手綱を握って必死に馬を走らせていた。
「ティアニーダ様!前方から別の騎兵隊!新手です!」
今度は先頭を行くジーマの隊から声があがった。
さっきまで伝令をこなしていたコービーの姿はない。
顔をあげると、かなり離れた位置ではあるものの、別の騎馬隊がこっち目掛けて突撃してくる姿見えた。
前を塞がれたか…
そりゃぁそうだよな…指揮が苦手なアタシだって、きっとそうする。
足の速い騎馬隊を取り囲むんなら、同じ騎馬隊を投入するのは当然だ。
前後を挟まれた。
この状況じゃ、左右のどっちに転身しようが横っ腹を突かれる。
まいった…さすがに、もう手が思い浮かばない…
アタシは、そう思い至った。
そして大きく息を吐き、それからその倍くらいの空気を大きく吸い込んだ。
「みんな、死ぬぞ!」
そう、声の限りに叫んだ。
「おおぉぉぉぉっ!!!」
周囲の隊員達から声が上がる。
「転進、左方!敵本陣に突入する!死んでも敵の指揮官を討て!」
「転進、左方!」
「吶喊せよ!」
先頭のジーマ班が左へと進路を変えた。
アタシも手綱を引いてそれに続く。
前方には、重装歩兵隊によって守られている敵の指揮官隊が見えた。
「声を合わせろ!“我らはオルターニアの剣”!」
「我らはオルターニアの剣!」
「“我らはオルターニアの盾”!」
「我らはオルターニアの盾!」
「“オルターニアを脅かすものを許すな”!」
「オルターニアを脅かすものを許すな!」
「突っ込め!」
「うおぉぉぉぉ!!!!!」
雄叫びをあげて、敵の指揮官隊へと全速力で突き進む。
あと、三町、二町と距離が詰まったとき、不意にサリアがアタシの肩を叩いて来た。
「ティアニーダ様!」
「なんだ!?」
「鐘の音です!戦鐘が聞こえます!」
戦鐘…?
まさか…!
ハッとして、アタシは顔をあげて耳を澄ませた。
ガーン、ガーン、ガーン、と間延びした音が三度。
そして少し間が空いて、再びガーン、ガーン、ガーンと三度鳴る。
撤退の合図だ…!
「ティアニーダ様!右方の新手の騎兵隊、青鎧です!」
サリアに肩を叩かれたことで、アタシは瞬間的に頭が冷えていたらしい。
隣にいた別の隊員がそう叫ぶ声が聞こえた。
青鎧。
それはつまり、バイルエインの装備のはずだ。
右方に視線を送ると、そこに群がる騎馬隊は濃い青をした鎧をまとっていた。
間違いない…あの色は、バイルエインの兵装だ!
「転進!右方!突撃は中止!転進だ、右方へ転進!」
アタシは、腹の底から声をあげた。
突撃を指示してしまったから、隊員隊はそのつもりのはずだ。
指示が届くか…!?
頼む、聞いてくれ…!
「転進、右方!」
先頭を行くジーマ隊からそう叫ぶ声が聞こえた。
それでもアタシはさらに叫ぶ。
「転進、右方!声を合わせろ、転進、右方!味方が来てくれたぞ!」
「転進、右方!」
「右方へ転進!」
方々からそう声が聞こえた。
先頭のジーマ班が急速に向きを変え、こちらに近づいてきている青鎧の集団へと進路を合わせる。
それを確かめてから、アタシはさらに指示を出した。
「総員、装備を廃棄!身軽になって速度を取れ!背後の弓騎兵を引き離すぞ!」
「装備を廃棄!」
「身軽になるんだ、急げ!」
隊員達はすぐに手にしていた槍や剣、弩弓に予備の矢なんかを投げ捨て始める。
一方で、サリアがバカなことを考えないよう、アタシは自分の体に回されたサリアの腕をがっしり握り込んだ。
幸い、後方からの二射目は来ていない。
向こうの馬は、速さはあっても体力がないのかもしれない。
振り返ってみても、それほど距離が縮まってはいなかった。
前方に視線を戻すと、青鎧とはずいぶんと距離が近づいている。
そのうちにその陣容が見えるようになり、さらには声が届き始めた。
「ティア!撤退だ!撤退しろ!」
アタシの耳には、確かに聞こえた。
それは、この一ヶ月ちょっと、毎日毎晩、すぐそばで耳にしていた声だった。
それは、聞き間違えなんかではなかった。
目を凝らして見れば、青鎧の騎馬隊の先頭には、バイルエイン家の兵装に身を包んだアレクシアの姿があった。