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内偵

周辺図

挿絵(By みてみん)




領都の中央を貫くようにして伸びる目抜き通りには、目がまわりそうになるほどたくさんの人が往来していた。

通りの両側にはたくさんの店棚が軒を連ね、各地から運ばれてきた食料やその他の産物、日用品に至るまで、あらゆるものが並んでいるのではないかと思う程だ。

店先に立って声をあげている店主も、呼び止められて品物を眺める客も、皆活気に満ち溢れているように感じられる。

ノイマールでは王都でもなければ見られないような光景に、私はついつい目移りしてしまう。


「あはは、そんなに珍しいか?」


私の様子に、隣を歩いていたティアが声をあげて笑った。

それはそうだろうと思う。

今の私は、都会に出て来たばかりの田舎者そのままだ。

…いや、実際には私は本当に都会に出て来た田舎者ではあるのだけど。


「あぁ、すごい活気だな」

「もうじき寒くなるからな…その準備で、最近はいつもこんな感じだ」


そんなことを言いながら不意に足を止めたティアは、道端の出店に銅貨を手渡して、紙に包まった何かを二つ受け取った。


「ほら」

「あ、あぁ」


ティアが片方を手渡してきたので中をのぞいてみると、そこには赤紫色をした塊が見える。


「これは甘藷か?」

「そうそう。寒くなってくると、ついつい食べたくなるんだよなぁ」


彼女はそう言いながら、甘藷を千切って口の中に放り込んだ。


「あちちっ…んんっ、今年も甘くできてるな」


はふはふ、と息を吐きながら甘藷を噛みしめた彼女は、満足そうな笑みを浮かべた。

貴族の、それも伯爵家の令嬢が、出店で甘藷を買って歩きながらそれを食べている。

常識で考えればとんでもないことなんだろうが、田舎者の子爵で領民とも近しかった私にとっては、そんな彼女がどうにも心地良い。

私も彼女を真似て甘藷を千切り、口に運ぶ。

確かに少し熱いけど、口の中で繊維がほどけて濃厚な甘味が広がった。


「ん、美味しい」

「だろう?」


私の言葉に、ティアはそう言って満足げに笑った。

私はこの日初めて、バイルエイン領都を歩いていた。

目的は、オルターニア侵攻の際に私の副官を務めてくれたエリク・ノーフォートに会うことだ。

そもそも彼は伯爵邸に隣接する敷地にある私兵団の営舎にいたが、ノイマール国の密偵の存在を警戒して、別の場所で面会する手はずになっていた。

当然私もティアのお忍び扱いであり、帯剣はしているものの、出で立ちは一般に出回っている質素な麻の服に外套姿だ。


しかし、どうやらティアはそれを口実にして、半ば街歩きを楽しむ気でいる様子で、目抜き通りを進みながら、やれあそこの店のお茶菓子が上手いだの、その隣の装飾品店は腕が良いだの、嬉々として私に街のことを案内してくれている。

気を抜いているとは思わない。

この場にいるのは私達だけではなく、どうやら周囲を“夜鷹”と呼ばれる密偵部隊が固めてくれているらしい。

私にはどれがその密偵なのかの区別がつかないが、彼女の態度はそれもあってのものだろう。


「あ、そうそう!あそこの鍛冶屋、アタシの剣を良く頼んでるところなんだよ!ちょっと見て行こう、アレクに合うのがあるかも!」


不意にティアがそう言って、少し先にあった鍛冶屋の看板を指さして声をあげた。

前言撤回、やっぱり、少し気を抜いているのかもしれない。

まぁ…警護が付いている上に私とティアが揃っているのなら、そう簡単に後れを取るとは思わない。

だから…うん、多少は気楽に構えていても良いのかもしれない。

それに、ティアとのせっかくの街歩きだ。

楽しみたい気持ちがないと言うのは、嘘になる。

そんな私はティアに連れられて、鍛冶屋の軒先をくぐった。


「ゴラン、邪魔するよ」

「おっ、こりゃぁ、ティア様じゃねぇですか。どうしたんです、そんな恰好で?」


鍛冶屋の中には小さなカウンターがあり、その内側にいたガタイの良い男がティアにそう尋ねる。


「ちょっと仕事でね。それより、ちょっとモノを見せて貰って良いかな?」

「えぇ、えぇ、どんなものをお探しで?」

「細身のロングソードと、厚めのショートソードがあれば見せてくんないか?」

「なるほど…ロングソードはティア様がお使いで?」

「いや、彼女が」


ティアはそう言って、私の方を指さしてきた。


「え、私?」

「うん、そうそう」


戸惑う私に、彼女は嬉しそうな顔で頷いてみせる。

今腰に下げているのは、ずいぶん前に自分で手に入れた剣だ。

ノイマールの王都から流れて来た行商人が売り歩いていたものの内、手に馴染むものを選んで買い取った。

作りはしっかりしているし、特に不満があるわけではなかったのだけど…


そんなことを考えていると、ゴランと呼ばれていた店主がカウンターの奥から何本かのロングソードを抱えて戻って来た。


「ロングソードは、この辺りのもんでいかがでしょうかね?」

「うん、見させてもらおう」


ティアはそう言って、私に視線を送って来た。

私は相変わらず戸惑いつつも、カウンターの前まで近づいて剣を眺める。

並べられているのは、5本。

いずれも、ティアの部屋にあったものに良く似ていた。

華美な印象は受けない程度の装飾が施されていて、作りがしっかりとして見える。

その中でも私の目を引いたのは、バイルエイン伯爵家の鎧の色に良く似た青い鞘の一本だ。


それを手に取って、ゆっくりと引き抜いてみる。

その剣身に、私は目を瞠った。

話していた通り、通常のロングソードに比べると幾分か細身で重ねも薄目だ。

表面は鏡面ほど磨き上げられているほどではないものの、返って地金の質の良さが見て取れる。

研ぎ澄まされた刃に浮かぶ文様からは、それが何度も繰り返し鍛えられた鍛造であることが分かった。


「…すごいな」


思わず、溜息と共にそんな言葉が漏れた。


「だろう?」


ティアの得意げな声が聞こえる。


「奥で試されますかい?」

「あぁ、そうだな。アレク、試させてもらおう」

「え?あ、あぁ」


見事な作りに見惚れていた私はティアと鍛冶師ゴランに促されるがまま、店舗の奥にあった試技場へと足を向けた。

ゴランが手早く巻き藁を木製の支柱に突き立てる。


「ささ、御手前、拝見」


彼はそう言って、素早く試技場の隅へと身を寄せた。

チラっとティアに目を向けると、彼女も黙ってうなずいてみせた。

私は改めて剣を抜き、中段に構える。

小手先を動かして剣先を揺らし、重心と全体の重さを確かめた。

この剣は、軽い。

羽根のようだとは言えないまでも、これまで使っていたものに比べると格段に軽く感じられた。

重心の位置はやや手元に寄っているだろうか。

ちょうどハンドガードの位置程が中心になっているように感じる。


ふぅ、と息を吐いて、集中した。

無心になった瞬間、私は眼前の巻き藁を袈裟掛けに払い、返し刃で真横に薙いだ。


「おぉっ」

「これは見事なっ」


ティアとゴランの声が聞こえてから、藁巻きがズルりと地面に落ちた。

切れ味も、素晴らしい。

剣身が細身なので受け方には気を付けなければならないだろうが、それはむしろ三代剣聖流が特に意識するべき点でもあるので、特段これまでと変わることはない。


「これほどの剣は、初めてだ」


私は、剣を鞘に納めてから、ゴランにそう感想を伝える。

彼は嬉しそうな笑顔を浮かべて


「光栄でございますな」


と頬を掻いた。


「ティア様、ショートソードもお持ちしました」


不意にそう声が聞こえた。

視線を向けると、店舗の方から若い男がやってきて、別の剣を4本、腕に抱えている。

それを見たティアは、私に視線を送って来た。


「アレク、こっちも選んでくれ」


彼女の言葉に、私はふと、不安を覚える。


「…ティア、まさか私に買い与えるつもりなのか?」

「そうだけど?」


彼女は顔色一つ変えずに応えた。

その反応に、私は胸に何かが詰まるのを感じる。

この剣は、その辺りの兵士なんかに持たせるような数打ちの廉価品などではない。

おそらく、相当の値段になるだろう。

さらにもう一本、私用のものを買おうとしているのだ。

いくらなんでも…


「いくらなんでも、それは行き過ぎだ」

「いや、必要経費だから」


私の言葉に、ティアは言った。

冗談めかしているわけではない。

真剣な顔をしていた。


「武具なら私兵団のためのものもあるだろう?予備というなら、それで十分だ」

「あるにはあるけど、アレクにはちゃんとしたものを持っておいて欲しい」

「気持ちはありがたいが…だからといって、こんなのは行き過ぎている」

「行き過ぎてなんかない」


私の言葉に、ティアは語気を強めた。

突然のことに、私は寸瞬、あっけにとられてしまう。

そんな私を知ってか知らずか、微かに目を伏せた彼女は、打って変わって消え入りそうな声色で言った。


「…アタシが居ない間に何かあったら困るから…準備は万全にしておきたいんだ」


……あぁ、そうか。

彼女の言葉に、私は一気に腑に落ちてしまった。

彼女は不安だったのだ。

私を残して、前線への補給任務に就くことが。

もし彼女がいない間に何かが起こっても、私が不測の事態に陥らないようにと、そう考えたんだろう。

だとしても、剣を買って与えるなんて、行き過ぎだ。

行き過ぎだけど…私は、彼女のその想いが嬉しかった。


「…分かった」


私が答えると、彼女はパッと顔をあげた。

ちょっと驚いているような顔つきに、私は思わず笑ってしまう。


「それでティアが安心して任地に赴けるのなら、ありがたく受け取るよ」

「…うん、そうして欲しい」


私の言葉に、彼女はコクっと頷いてくれた。


「え、えぇと…ショートソードの方は、どうしやす?」


不意に、ゴランが気まずそうにそう口を開いた。


「あぁ、妙な感じにしてしまってすまない。見せて頂けるか?できれば、柄が長いものが良いな…このロングソードと同じ感覚で握れるようなものがあれば良いんだが」

「なるほど、長い柄のものですな…丁度良い物がありますんで、少々お待ちを」


ゴランはそう言うと、若い職人を連れて奥へと引っ込んで行った。

試技場には、私とティアが残される。


「…ごめん、押し付けだよな」

「いや、そんなことはない…普段はさんざん安心させてもらっているくせに、ティアの不安には寄り添えていなかった私に非がある」


私はそう彼女に伝えて、剣を両腕でギュッと抱えた。


「この剣があれば、不測の事態があってもきっと切り抜けられる。ありがとう」


不測の事態なんて起きては欲しくないけど、それは嘘偽りのない私の気持ちだった。


「うん」


私の言葉に、ティアはそうとだけ返事をして、ホッと表情を緩めてくれた。




*   *   *




結局私は、ティアに勧められるままに、試し斬りをしたロングソードと、柄が眺めのショートソードを受け取って鍛冶屋を出た。

今歩いている領都の大通りのような開けた場所ならロングソードでも良いだろうけど、伯爵邸の中で振り回すには長すぎる。

そのことを意識して、ショートソードも選ばせたのだろう。

今の私達は、どこで襲われるか分からないのだから。

もちろん、料金はティアが支払った。

ちょっとびっくりするくらいの額で、正直、申し訳なさが先に立つ。

それでもティアは満足したのか、普段通りの明るい様子に戻っていた。


購入した二本の剣は、すでに腰に下げている。

二本差していることもあってやや重さは感じるものの、思いのほかおさまりが良い。

無意識に、私はロングソードの柄頭に手を当ててしまっていた。


鍛冶屋から出てしばらく歩いたところで、ティアが不意に足を止めた。


「ここだ」


そう言った彼女が指さしたのは、大衆酒場のようだった。

押戸を開けて中に入ると、そこには昼間だというのに、結構な賑わいを見せていた。

皆酒を飲んでいると言うより、早めの昼食を取っているようだ。

そんな客たちを見渡したティアが、


「あぁ、いたいた」


と言って歩き出す。

彼女の向かった先には、私も良く見慣れた顔の男性、ノーフォート私兵団の百人隊長を任せているエリク・ノーフォートと、中年の男が席に座って食事を摂っているところだった。


「悪い、待たせたか?」


ティアがそう声を掛けると、エリクが腰を上げかけたところを、ティアが素早く手のひらで制してイスに腰掛けた。

周囲に監視がいないとも限らないからだろう。

ティアに続いて私も席に着いた。


「いえ、それほどでも」

「なら良かった。アレク、紹介しておく。こっちの男は、うちの私兵団の百人隊長でジョエルってんだ」

「ジョエルと申します。お嬢様から、話は伺っております」


ジョエルは小さな声でそう言うと、小さく目礼する。


「痛み入る。迷惑を掛けてすまないと思うが、良しなに頼みたい」


私も、なるべく短く彼に伝えて礼を返した。


「それにしても…アレクシ…あぁいや、お嬢様、お元気そうで何よりです」

「エリクも、元気そうで良かった。営舎の生活はどうなのだ?」

「手厚く迎えて頂けています…ですので、今回の件に関しては、私も少々気になっておりました」


どうやら、エリクにも多少事情が伝わっているらしい。


「それで、営舎の中ではどういう動きがあるんだ?」


ティアが声を潜めて聞くと、エリクはコクっと頷いて口を開いた。


「基本的にはお嬢様達が邸宅に置いて、軟禁状態にあるようだ、という噂が根底にあります。それに対しての不信感や不満、ご一家を心配するような声が聞こえてきているという状況です」

「…それは、うん、なんというか、複雑だな…」


軟禁されているという話自体は事実無根なのだが、心配してもらえているというのは、嬉しい。

しかし、それが無用な火種になり得ることも確かなのだ。


「見ての通り、軟禁などはされていない。むしろ、あれこれとご配慮いただいて…正直に言って、快適に過ごしているよ」

「その様で、安心いたしました。そもそも、我々がこちらに逃れてこれたのも、伯爵様の支援のお陰ですし、そのような噂を信じる方がどうかしていると思うのですが…」

「その噂、出所ははっきりしているのか?」

「今調べているところですが、はっきりとしない可能性もあります…私の方でも避難民全員を把握できているわけではありませんので、王国の暗部がいるとしても、どこに入り込んでいるかは何とも特定しかねます」

「…避難民の一覧にもう一度目を通す必要があるかもしれないな…そこから怪しい人間に当てを付けて、監視するなり呼び出すなりする必要がある、か…」

「お嬢様に一度営舎にお越し頂いて、全員にご一家が安心して過ごされている旨をお話頂くことは叶いませんか?それがあれば、扇動もかなり抑えられるのではないかと思いますが…」

「それも一考の余地があるな…ティア、どう思う?」


私はティアにそう話を振る。

彼女は腕組みをして、うーんと唸った。


「警備を万全にすれば、それもアリだとは思うけど…」


と黙り込んでしまう。


「何か気になるか?」

「あぁ、うん……暗殺を狙っているとして、扇動を起こす目的は何なんだろうな、って。アレクの一家を呼び寄せたいのか、バラけさせて隙を突くつもりなのか、あるいは、もっと別の意図があるのか…」


そう言って宙に視線を泳がせながら、ティアは話を続ける。


「扇動を押さえるだけなら、誰かが営舎に出向かなくても、例えばエリクさんに屋敷でアレク達の生活を見てもらって『大丈夫そうだった』って言ってもらえれば、それで良いんじゃないかとも思うんだ」

「まぁ、それは確かにそうだが…」

「何となくしっくりこないのは…扇動の仕方が中途半端な気がするんだ。もし、内側から掻き回したいんなら、もっと派手なやり方のほうが良いんじゃないかって気がする」

「派手なやり方?」

「例えば…こっちの兵士に化けて避難民を暴行するか、殺したりする、とか。そっちの方が、よっぽど扇動するには効果的だろう?」

「それはそうかもしれませんが…そこまでの動きをしたら、露見する危険があると考えているのでは?」


ティアの言葉に、エリクがそう意見する。

しかし、ティアは


「…目的が暗殺で、暗殺のための隙を作ることが目的の扇動なら、別に露見しようがしまいが、こっちが絶対に対応しなきゃならないようなくらいの騒ぎを起こすことの方が大事なんじゃないかな?」


と首を傾げた。

確かに、ティアの言うことは一理ある。

私達がぞんざいな扱いを受けているらしい、という噂を流したところで、それがたいした騒ぎになるとは思えない。

それこそティアの言った通り、私達の誰かが営舎に出向かなくても、エリクや他の信頼できるものに代弁を頼むだけで収集が付けられそうな気がする。

伯爵家による警護や、私達一家を分散させることが目的だとするなら、あまり確実な方法ではないだろう。


「…それなら、今回のこの噂というのはいったいどういう目的があるというんだ?」

私は、彼女にそう尋ねてみる。


すると彼女は、眉間に深い皺を寄せて


「うーん…………なんの根拠もないんだけど…」


と断りを入れてから


「…なんか、釣られてるような気がするんだよなぁ」


と、曖昧な様子で言った。


「釣られている?」

「うん…今回のことって、言っちゃなんだけど、些細なことだろう?放っておいてもそうそう大事にはなりづらい気がするし、そもそも注意してなけりゃ、気に掛けないような内容だと思うんだ。でも、暗殺の可能性があることを警戒してたアタシらはそれに反応した…あえて小さくて見逃しそうな騒ぎを起こすことで、返って反応させられたんじゃないかなって気がして…」

「ティア様、具体的に、例えばそれにどういう意味が?」


これまで黙っていたジョエルが、ティアに尋ねる。

するとティアはうーん、と唸ってから


「例えば、今回の騒ぎがあったから、アタシらは今、密偵のようなヤツが営舎にいると思ってて、営舎の出来事を中心においてあれこれ考えてるわけだけど…そう考えるように誘導されてるとか…なんか、そういう、こっちの反応を引き出したり操ったりすることが目的だったような気がするんだよなぁ」


と応えた。


「だが…そう思う根拠はないんだろう?」

「うん、勘だな…」


私の問いに、ティアは苦笑いを浮かべて言った。

そんな彼女の反応に、私達は寸瞬、黙り込んでしまう。

ティアの言わんとしていることは、分からないでもない。

少なくとも、掻き乱すことが目的ならやり方が中途半端であるように感じるというのは、納得できる話だ。

しかし、それ以上のことについては何とも言い難い。

仮にティアが言うようにこれが何かの布石だったとしても、今のところその目的を推測するには情報がなさ過ぎた。


「ティアの勘については一応頭の片隅に置いておく、ということで良いか?」

「うん…なんの根拠もないからな」


私の言葉に、ティアはコクっと頷いた。

彼女の意見を蔑ろにするわけではないが、今はとにかく現実的な対応を検討することの方が重要だろう。


「ひとまず、差し当たっての対応を決めておこう。先ほど話にもあったが、エリクに屋敷に来てもらい、私達の様子を確認して営舎で報告してもらうということで騒動の鎮静化を図るという対応が良いと思うが」

「うん、アタシもそれについては賛成だ。放っておくよりはずっと良いと思う」

「承知しました。時期に関しては今回と同じようにジョエル隊長経由でご連絡を頂ければと思います」

「えぇ、そうですね。それが確実かと思います」


私の提案にティアが同意してくれて、エリクとジョエルも応じてくれる。


「あと、これも一応なんだけど、エリクとジョエルで、営舎の中の噂に関わってるかもしれない人間の特定に務めて欲しい。ノーフォートからの避難民だけじゃなく、ウチの私兵団の人間についても、だ」

「はい、承知しました」

「お任せください」


ティアの依頼に、二人は再度頷いて見せる。

おおまかな対応としてできるのはその程度だろう。

はっきりとしないことが多くて、胸の中のモヤが晴れないような、そんな心持ちだった。

先ほどまでの街歩きでの楽しい気分はどこへやらで、ティアの表情は曇ったままだ。

それでも私達は話し合いを終え、酒場を後にして屋敷へと足を向けた。




*   *   *




「こちらが、この建物の大まかな見取り図になります」

「ありがとうございます…しかし、よろしいのでしょうか?」

「はい。エルデール様にお許しを頂いておりますので、お気になさいませんよう」


屋敷に戻った私とティアは、三階へと上がってベアトリスと合流し警備状況を確認していた。

貸していただいているこの一番大きな客間には、寝室が二箇所と居間、湯浴み場に厠も備えられている。

これまでみた他の部屋に比べると、内装はやや華美な雰囲気を感じる。

おそらく、高位な方をお迎えするための部屋なのだろう。

そんな部屋をお借りして良いのか…と思ってしまうのは今更か。


そんな部屋の片隅に運び込まれた小さなテーブルで、弟のデレクが壮年の警護役の一人に、屋敷の絵図面を見せてもらっていた。

母上は部屋のカウチに腰かけて、遠巻きにそんな様子を眺めているだけだ。

どうやら、先日ティアに相談した件がすでに伝達されているらしい。

彼は「ノーフォート家の代表として、警備体制についての確認を一緒に行ってほしい」と言葉巧みにデレクを誘い、兵法を教授しようとしてくれているようだった。


彼は私兵団の中でも、元々は千人隊を率いる隊長格だった士官で名をローエンという。

そんな役割の者に警護や指導などを任せて良いのかと思うのだが、ティアの話ではそろそろ退役を考えているようで、千人隊長の座はすでに後進に譲り、今は常駐する屋敷の警護隊の管理をしているだけらしく手が空いているのだという。

ティア自身も彼のような老練な者の補佐が欲しかった、という本音があるようだったけど。


「もし方々の襲撃を企図した場合、三階へと続くこの唯一の階段を死守することが肝要となります」

「なるほど…ここで敵を食い止めつつ、外部からの援軍を待つということですね」

「はい、おっしゃる通りです」

「…しかし、この階段に釘付けにされた場合、こちらにも逃げ手がなくなってしまうのでは?」

「ほう、これはこれはご聡明な。実はまさに、我々が一番警戒している点がそこになります」


「この屋敷を襲撃するような愚か者がいるとしても、おそらくその者は莫迦ではありますまい。襲撃に当たってはこの屋敷の構造をある程度は把握したうえで作戦を立ててくることを想定せねばなりません。さて、若様であれば、まずは何を警戒されますかな?」

「…内通、でしょうか…警護や身辺係に裏切り者がいることが最も恐ろしいと思います」


デレクがとんでもないことを言い出した。

伯爵家の、ティアが選定した者達の中にそんなものがいるはずがない。

私が叱責の声を上げようとしたその時、気配を察したかのようにティアが私の腕を捕まえた。

彼女は無言で、私にかぶりを振って見せる。


「その通りですな。階段に気取られている隙に、背後で方々を襲うものがあれば対処が遅れることになるでしょう。そうならぬよう、人選には念を入れております」

「…あっ、も、申し訳ありません、他意はないのです!皆さまを疑っているわけでは…」

「お気になさいませぬよう。今まさに依るべき身内である国主から命を狙われていらっしゃいますから、そのように感じられることも無理はございません。それに、我々もそれは警戒しておりますからな。ここに集められたのは警護も身辺係も皆、由緒明らかで信のおける者達のみですが、若様や方々には、我ら以外でお傍に侍ろうとする者が居れば警戒して頂きたいくらいです」

「そのような者がいると?」

「人の心は分りませんし、例えば家族を人質に取られるといった形で内通を強要される、といったことも考えられます。何か怪しいと感じた際には、どんな些細なことでもご報告いただけますよう」

「…心得ました」


ローエンの言葉に、デレクが神妙な面持ちでうなずいた。

失言は後で咎めなければならないが、すぐに気づいて謝意を示せたのは良かったし、ローエン殿もうまい言い方で話を纏めてくれた。

私はホッと胸を撫でおろす。

そんな様子を見て、ティアとベアトリスがクスクスと笑い声を漏らした。


「さて、他にはどのような点を警戒すべきでしょうか?」

「他に、ですか…そうですね…裏切りや内通がないとしても、やはり背後は気がかりです」

「ふむ。それはどのような?」

「例えば…屋根からバルコニーに降りてくる、とか…」

「ほう、屋根からと」

「はい。私はノーフォート領都で、バイルエイン家の“夜鷹”の方々のお世話になっております。あの方々なら、そのくらいのことはできるのではないでしょうか?」

「なるほど、おそらくできるでしょうな」

「私は存じませんが、おそらくノイマールにも近いことを任務としている兵士がいるとは思います」


その言葉に、ローエン殿は腕組みをして感心したようにうなずいた。

私もその存在を確かに知っているわけではないが、ノイマール王は直属の暗部と呼ぶべき部隊を持っている、という噂は聞いたことがある。

実際に“夜鷹”の活動を目にしたデレクには、「そのようなことができる者がいる」ことが想像しやすいのだろう。


「なるほど、そのご指摘は非常に的を得ていらっしゃるかと思います。どこの国にも、そうした仕事をする間諜のような者がいても不思議ではありません。バルコニーからの襲撃を警戒するなら、若様はいかがされますかな?」


ローエン殿の指摘に、デレクは腕組みをして絵図面を睨み付ける。

そしてとある一角を指さして


「この部屋になら、立てこもることができるのではないでしょうか?」


とローエン殿の意見をうかがうようにして聞いた。

彼が指さしたのは、三階の一角。隅になっている部屋だ。

そこは現在、エルデール様とジル姉様が執務を取っている部屋だった。

あの部屋にはバルコニーはなく、窓はあるものの、洒落た意匠の鉄製の格子がはまっていて侵入には適さない。

思い返してみると、確かに外からの侵入に対しての防御策を講じた部屋として設計されているようにも思える。

ローエン殿がおっしゃる通り、かなり入念に対策をしておれられるようだ。


デレクの指摘に、ローエン殿は頷いた。


「ご指摘の通りです。万が一、この三階で急襲を受けた場合には、その部屋に避難することが最善の選択と言えるでしょう」

「なるほど…」

「まずは私ともう一人の若様の警護担当者が道を切り開きます。若様と奥様は我らに続いてください。背後は、奥様の警護に当たっている二人が対応いたしましょう」

「4人で切り抜けられましょうか?」

「そこは、この屋敷内ですからな。我らだけではなく、そのときには身辺係も方々の盾となる所存でおりますから、切り抜けることは難しいとは思いません」


ローエン殿は、ごくごく真剣な表情でそう言った。

彼の言う通り、伯爵家の方々なら本当にそこまでして私達の身を守ってくれそうな気がする。

この上なくありがたく、そして頼もしいと思う。

しかし、正直なところ、それを心苦しいと思う自分もいた。


「我々は捨て駒、ということでございますか」


不意にそう声がしたので顔を上げると、いつの間にかデレク付きの身辺係に任命されているミーアが私達のすぐそばにいた。


唐突に会話に首を突っ込んだ彼女に、ローエン殿が顔をしかめた。


「ミーア殿、何か御用か?」

「お夕食の準備が整いましたが、いかがいたしますか?」


そんなローエン殿の様子にも、ミーアはすまし顔で応じる。

そのミーアの様子を見てなのか、ティアとベアトリスがまたクスクスっと笑った。


「むぅ、もうそんな刻限か」

「ローエン殿、ありがとうございます。様々に考える機会を頂けました」

「滅相もございません。若様がいずれ領主となれば、剣を振って戦うことよりも、先々を見通して人を動かすことが肝要となりましょう。その礎になれば幸いでございます」

「はい、必ずや。またお時間を頂くことは叶いますか?」

「某は警護としておおむねお傍に侍っておりますれば、何時でもお声かけください」


デレクの言葉に、ローエン殿は恭しく礼をした。

お世話になっているだけではなく、こうした教育も施していただけるとは、まったく、ティアや伯爵家の方々には頭があがらない。


そんなことを思っていたら、不意にドアをノックする音が聞こえた。

ティアがカウチに腰かけていた母上に断りを入れてドアを開けさせると、そこには昼食が載っているらしいワゴンを押して入ってくる妙齢のご婦人が一人。


ティアの母上、レニエール様だった。


「レニエール様!?」

「母上、なにやってんだよ?」


私とティアの言葉が重なる。

レニエール様はそれが可笑しかったらしく、クスクスと上品に笑い声をあげた。

突然のことに、私の母上もカウチから飛び上がるようにして立ち上がっている。


「皆さんと一緒にお昼食を頂こうかと思いまして」

「だからって自分で運んでくることないだろう?仕事を取られた侍女が不安がる」

「あら、そんなことありませんよ?きちんと説明をしましたし」


レニエール様はティアにしたり顔でそう言い返してから、いつの間にかカウチから腰をあげていた母上に視線を向けた。


「というわけで、お夕食いかがでしょう?」

「喜んで賜りますわ、奥様。わたくしも給仕をいたしましょう。心得がございますのよ」


そう返した母上も、どこか楽しそうな表情を浮かべている。

そういえば、レニエール様はエルデール様に頼まれて何度か母上と話す機会があったはずだ。

いつの間にか、気心を通わせていたらしい。

レニエール様が母上のやんちゃなところに合わせて、こんないたずらのようなことをしようと思われたのかもしれないな。


そんな二人の様子を見て、ティアがはぁっとため息を吐いた。


「くれぐれも、火傷なんかをしないでくれよ」

「わかってます。ミーア、手配りを教えてくださいますね?」

「かしこまりました、奥様」


そういうが早いか、ミーアがレニエール様の傍に寄ってあれこれと給仕の作法の説明を始める。

さらにそこに母上が加わって、会話の花が咲いた。


ローエン殿にしても、レニエール様にしても、私達が余計な気を使わなくても良いように配慮し、過度に緊張せずにいられるように取り計らってくれているのだ。


「ありがたいことだ」


そう表現する他に、今の私の気持ちを言い表す言葉はないだろう。


「返って気を使わせてなきゃいいけど…」


そんな私の言葉に、ティアがそう声を漏らせた。

それは、こちらの様子をうかがっているのではなく、特にレニエール様の調子外れの振る舞いに向けられているようだ。

しかし、そんな彼女の発言に私は思わず笑ってしまった。

レニエール様以上に、返ってこちらが気にかけてしまいそうなくらいの手当てをした女性を私は知っている。


「母娘であることを実感するな。剣を買ってもらう際には、私も過分に過ぎると思ったものだ」


私が言うと、ティアはちょっとだけ不満そうな表情を見せて


「なぁんにも言い返せないな」


と肩をすくませる。

私とベアトリスは、そんなティアを見て思わず笑い声をあげてしまっていた。


そうこうしていると、レニエール様の後ろについて入ってきた侍女の一人が、音もなく傍に寄ってきた。


「ティアニーダ様。エルデール様がお呼びです」

「あぁ、承知した。すぐに行く」


侍女の言葉に、ティアはすぐさま態度を改めて返事をする。

屋敷に戻った際に、エルデール様の空き時間を尋ねるよう人を使わしていたのを思い出した。

目的は、午前中に行った酒場での情報収集の報告だ。


「アタシ達の夕飯は後回しだ、行こう」

ティアの言葉に私は頷いて、ベアトリスと三人で連れ立って部屋を出た。




*   *   *




三人でエルデール様の部屋に向かうと、そこにはエルデール様とベル姉様が居り、二人は執務机に向かい合って座り、書類に目を落としていた。

部屋の中と外は、姉様の警護とエルデール様の直衛が3名の合計5人で固められている。


「あぁ、ティアにベアトリス。それに、アレクシア様も」


部屋に入ると、エルデール様がこちらに声を掛けてくれた。


「次の兄上、どうかな。問題はなさそうか?」

「あぁ、今のところは」


ティアの問いに、エルデール様は肩を竦めてそう言って見せる。

昨日と比べて、少し表情に生気を取り戻しているように見えた。


「そうか。無理はしないでくれよ?」

「あぁ、分かってる。ジルベール様のおかげで、だいぶ楽になってるよ」

エルデール様がそう言って、ジル姉様に視線を向ける。


姉様が


「お役に立てているのでしたら、幸いです」


と柔らかい笑みを浮かべて応じた。

ノーフォート家と伯爵家とでは、扱うものごとの規模は比べるべくもない。

しかし、姉様ならそんな違いにもなんとか対応できるだろう。

エルデール様の様子を見るに、お世辞ではなくそれなりのお力にはなれているようだった。


「営舎の件の報告しに来たんだが、いいかな?」

「あぁ、頼む」


ティアの言葉を聞いてエルデール様がうなずいた。

姉上も手にしていたペンを置いて、ティアに視線を向ける。

ティアは先ほど街で話し合った内容についてをつまびらかにエルデール様に報告する。


「扇動をあおっているやつの特定は、今のところ難しそうだ。だが、近々ノーフォート家の家臣を呼び出してアレクシア達の様子を確認してもらうことにした。そいつを報告してもらえりゃ、多少は抑えになるだろう」

「そうか。こっちも、内密に人を入れた。直に内情はあがってくると思う。両面からの情報が出そろったところで、状況を推し量るとするか」


ティアの言葉に、エルデール様は頷いて見せつつ、腕を組んで椅子の背もたれに寄り掛かった。

ジル姉様は、どこか不安そうな表情をしている。

状況が不透明過ぎるから、無理もない。


なんというか、見たことのない武器を持った相手と立ち合っているような、そんな心持ちだ。

相手の出方を見る他にないが、先に動かれてしまえばそれが致命の一撃になりかねない。

不安と恐怖と緊張にジワジワと絡め取られてしまうような、そんな感覚がある。


「次の兄上…実は今回のことで、根拠がないっていうか、タシの予想…や、勘みたいなところで気になることがあるんだけど」」


不意に、ティアが口を開いた。

自信なさげに口ごもりながらそう伝えた彼女に反して、エルデール様は居住まいを直した。


「どんなことだ?」

「なんとなく釣られてる感じがする」

「釣られている…?」

「うん。何か、こっちの対応を引き出されたみたいな…剣術で相手の誘いに反応しちゃったみたいな、嫌な感じがするんだよ」


ティアの言葉に、エルデール様は腕を組み、ふーむ、と唸り声をあげた。

彼はティアの言葉をことのほか真剣に受け止めているように見える。


「何かを探られている、とか、そういった手合いか?」

「そうかもしれないし、すでに相手の術中にハマっているような気もするんだ」

「ふむ…陽動の一種だと?」

「うん。今回のことは、言っちゃえば些細なことだろう?暴動に繋がる可能性がないとは言えないけど、差し迫ってその危険があるとは言えない。でも、アタシ達はそれに気付いて、小さな出来事だけど違和感があるから、なにかあるんじゃないのかって注目してる。それが逆に視野を狭められてるような、そんな気がするんだ」


ティアの言葉に、エルデール様は黙り込んだ。

その表情は、真剣だ。

決して彼女の発言をいぶかし気に思っているのではないのだろう。


「あの、一つおうかがいしてもよろしいでしょうか?」


沈黙を破ったのは、エルデール様の向いに座るジル姉様だった。


「ええ、もちろん」


エルデール様の返答を聞いた姉様は、眉間に皺を寄せながら


「皆さまは、今回の騒ぎをどのような経緯から察知されたのでしょうか?」


と尋ねた。

そう言えば、その辺りの話は聞いたことがなかった。

営舎に詰める衛兵からでも報告が上がって来ているのだろうとは思っていたのだが。

しかし、エルデール様は宙を見据えた。

私達の視線が注がれる中、険しい顔をした彼は低い声で言う。


「出入りの商人から、でしたね…」

「パムス商会の?」


エルデールの言葉に反応したのはティアだった。


「あぁ、そうだ。避難民の受け入れに伴って、至急糧食を追加で用意しなければならなくなった関係でパムスと直接話をした。その折り、会長のパムスから『営舎で不満が出ているそうで苦労されているのでは』と話があったんだ。急ぎ営舎に使いを出して調べさせたところで、現状の認識をした」

「…パムスはどこでその話を仕入れたんだ?」

「もともとパムス商会は営舎の食堂に食材を卸ろしている。運搬も任せているから、そのときに聞いたんだろうとは思っていたが…」

「待てよ兄上。それだと、営舎で避難民が不満を訴えてるってのに、兄上にその報告が上がらなかったってことになるぞ?」

「あぁ、そうだ。普通ならあり得ないことだろう」


そう言って、エルデール様は黙り込んだ。

そんなエルデール様に、姉様が


「報告が遅れた、という可能性は?」


と尋ねると、彼は首を横に振った。


「営舎の管理を任せているのは我が家に長く勤めている者で、手抜かりのない仕事ができる優秀な家臣です。確認が必要ですが、遅れたという可能性はないでしょう」

「でもそれだと気付かなかったってことにならないか?避難民から不満があがっているのに兄上からの指示で調べるまで、ダルトンがそれに気づかないなんてこと絶対にないだろう?」


「ダルトンとは?」


声を押さえながらベアトリスに聞くと、彼女は私の耳元に口を寄せて


「営舎の管理をしている伯爵家の家令の一人よ」


と説明してくれる。


「あぁ、そうだ、騒ぎが起きていたのなら気付かないはずがない。だが実際、俺はパムスから話を聞いた後で、営舎での避難民の様子を調べるように伝えた際には驚いていたようだし、俺も含めてその調査の結果を確認して初めて不満があることに気付いた…それくらい、些細なものだったのかもしれないし、もしかすると不満が囁かれ始めたのと、パムスが俺に話をしたのとでは、ほとんど同時だったという可能性もある」


「なるほど…営舎の中でどの時期からどの程度の不満が出ているのか確認が必要ではありますが、ティアニーダ様がおっしゃるようにそのパムスの言があったためにこちらが“動かされた”というのは…」

「ええ、的を得ている可能性は高そうです」


エルデール様とジル姉さまがそう言葉を交わして頷きあった。

パムスという商人がどのような人物かは分からないが、話から推察すると伯爵家とは以前から繋がりのある者のようだ。

そのパムスが、エルデール様に営舎のことを報告した。

ティアの言うように、こちらを“釣る”ことが目的なら、確かに有用な立場であるような気がする。


そして、営舎を管理する人間が察知できないよう避難民の不満を、商人が知っているということの不自然さがある。

もしこの騒動に黒幕がいるとして、そいつは営舎で騒動を起こすのと同時に、それがエルデール様に伝わるよう細工をした可能性があるというのもうなずけた。

あるいはそこから、黒幕の意図を読むことができるかもしれないが…


「…やはり、もう幾らか情報が欲しいな」


エルデール様が、呟くように言った。


「そうですね。営舎の中で、いつごろからどのようにして不満が囁かれ始めたのかと、パムスという商人や商会の背後関係は明らかにしておく必要があると思います」


「は。或いは、パムスの情報の出どころから、敵を辿れる可能性もありますね」


エルデール様の言葉にジル姉様が同意したうえでそう提案を添え、エルデール様はそれも受け入れられた。

すぐさまエルデール様はペンを手に何かの書類を書き上げると、屋の出入り口に立っていた侍女に


「すまないが、“ヤツ”にこれを」


と声を掛けた。

すると侍女は、黙ったまま頭を下げてエルデール様から手紙を受け取り、部屋を出て行った。


「悪いな、心配事を増やすようなこと言って」


侍女が部屋から出ていくのを見送って、ティアがエルデール様にそう声を掛ける。

しかし、エルデール様は首を横に振った。


「いや、お前の勘…何かを肌で感じる力は信用できる。おかげで気付いたこともあったし、うまく運ぶかもしれん。感謝するよ」

「そう言ってくれるんなら、良かった」


エルデール様の言葉に、ティアはホッと胸をなでおろす。

そういえば、以前もミーアがティアの勘についての話をしていたっけ。

ティアの“鼻”はそれなりに信頼されているのだろう。


「これ以降は、営舎の件は俺とジルベール様で引き継ぐ。ティアは今後、例の物資の運搬の件に対応して欲しい」

「あぁ、そうか。そうだな、そっちを勧めないと」


エルデール様の言葉に、ティアはその表情を引き締めた。


「状況はどうなんだ?」

「ジルベール様のご助力で、想定していたよりも早く準備が整いそうなんだ。お前の方で人員を確認でき次第出立して欲しいんだが、どうだ?」


分かっていたことだが、ティアの出立が決まりそうなようだった。

私がティアに視線を向けると、ティアも私にジッと視線を送っている。

大丈夫だ、という意思を込めて頷くと、彼女は目を伏せて何かを思い切るように息を吐く。


「承知した。一覧さえもらえれば、これから人員の確認をして過不足の調整をするよ。明日には積み込みをして、明後日には出られると思う」

「警備の方も、一通り引継ぎを受けました。ノーフォートの方々にも信を頂けていると思っております」


ティアの言葉に、ベアトリスが続ける。


「はい。ベアトリスなら、ティアの代役をしっかりとこなしてくれると思っています」


私も、ベアトリスの言葉に同意した。

私達の話を聞いたエルデール様は頷く。


「感謝する」

「まぁ、任せておけよ」


エルデール様の言葉に、ティアは満面の笑みでそう答える。

そんな彼女を見て、私は、と言えば、心の奥底に自分自身ではなく彼女に対する心配が湧き上がっていることに、そのときには気付かなかった。




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