中庭とコール
来たとき同様に枠をくぐり、ヒトセたちは中庭に向かった。ジュースを飲みながら作業するのも悪くないな、とヒトセは、ジュースを半分ほど残しておいている。
「まじない屋、ヒトセは好きかもね」
「どうして?」
「壁が医務室の薬棚みたいなの。いろんなまじない薬がびっしりあって……ヒトセ、医務室の薬棚を見てうっとりしていたでしょう」
ヒトセは思ってもないところからつつかれてひきつった。さっき一緒に行った時に見られていたらしいな、と思いながらそんなにあからさまな顔をしていたのかと恥ずかしくて仕方がなくなった。
「だって、素敵じゃない……貴重な素材とかもあるもの」
「……あ、はじっこのほうにあったらきらきらしたやつなら分かるかも。綺麗だったもの」
「はじっこ……ああ、入り口あたりの棚ね。魔法鉱石が入っているのよ、素材によっては決まった鉱石でないと処理できないから……」
魔法鉱石は内側に魔力が『灯っている』ため、キラキラとしている。イン先生曰く、魔法使いによっては自身の魔力と灯った魔力の相性次第でもっとキラキラして見えるらしい。
ヒトセはふとクロエの綺麗な空色の瞳を通した世界はどのようなものなのだろう……と思った。
「ヒトセ」
曲がり角を曲がれば中庭である、という場所で、クロエは静止するようヒトセに短く声をかけた。ヒトセはもた、と驚いて身動ぎしたが、なんとか角を飛び出さずに止まることに成功した。
「どうしたの?」
「兄の方のコップスがいるの」
クロエはヒトセにそっと耳打ちする。
2人で角からそっと覗き込むと、コールがびしょ濡れで中庭から出てきたところであった。
「どうして濡れてるのかしら」
クロエはいぶかしげな表情で濡れた服からぱたぱたと滴を散らすコールの姿を見つめている。
「スプリンクラーだわ……手前の方の植物用に設置しているの」
顔を寄せひそひそとしていた2人の鼻先を風がふ、とかすめた。コールが呪文を唱え、暖かな風が彼を中心に渦巻く。
それを見つめながらおかしい、とヒトセは眉根にしわを寄せた。スプリンクラーは機械的に稼働するため、時間通りに稼働する。しかし、中庭に生徒が入ってくることもあるために、夕方頃中庭に集まっている妖精たちは、差し入れのおやつを条件にして生徒を誘導したり、スプリンクラーを一時的に停止するような約束をしているらしい。勿論、どうしても間に合わなかったり生徒に気づかなかったりで事故は起きることはあるのだそうだが、現にヒトセは3度ほど妖精たちにスプリンクラーから救われていた。
風が渦巻くのを眺めているうち、ヒトセはコールの腕や首元に赤い斑点を見つけた。もしや何かの植物にまけたのかしら、と中庭にある肌がまけそうな植物を思い浮かべる。
次第に風はふ、と止まり、コールは2、3度ふるふると頭を振るったあとその場をそそくさと後にした。
コールの魔法はあの怒鳴り声からは想像できないほど丁寧で優しい物に見えた。
コールの背中がすっかり見えなくなってから、ヒトセは中庭に飛び込んだ。
「なんてこと……」
見れば台風でもやってきたかのように、草木がなでつけられ、鉢植えも転がっている。
よろよろと数人の妖精が木々の隙間から這い出てくるのが見え、慌てて駆け寄る。ヒトセとクロエの駆ける足音を合図にするように、姿の見えなかった妖精たちが次々と顔を覗かせた。
ぽてん、とヒトセの手のひらに落ちたちいさな妖精は罰の悪そうな顔をしていた。
そもそもコールが中庭に来た時点で、先日の騒動を知っていた妖精たちは戦々恐々としており、スプリンクラーのことなど頭から抜けてとにかく彼の視界に入らないように、入らないように、と避けたらしい。
それでもあの時中庭にいなかった妖精たちはいつものように身振り手振りでスプリンクラーが稼動する旨を伝えようとした。しかしコールは虫でも払うような様子で彼らを押し退け、無視して行こうとしたため、しかたなしに彼が濡れない位置に移動するか、出ていくか、それまでスプリンクラーを止めておこう、とスプリンクラー近くの妖精に合図をしたという。
しかし、スプリンクラーは時間通りに稼働した。
スプリンクラー近くの妖精は、コールに『きづかなかった』ために、妖精の合図にも『きづかなかった』からだ。
当然コールは水を被り、驚いた様子を見せた。風で水を払おうとしてすぐにスプリンクラーからの水だと気づいたためその下を抜け出たらしいが、それでも廊下で見たような濡れ鼠になってしまったのだ。
そんなコールを見て数人の妖精が思わず笑ってしまったらしい。
コールは生粋の、そのうえ格式高い魔法使いであり、妖精が生来いたずらを好むことを知っていたし、この中庭が彼らのテリトリーなのであろうことにも察しがついた。コールは目に見えて激昂した様子で笑った妖精に向かって魔法を放ち、中庭を後にしていった。
というのが事の次第であった。
妖精たちによる実演が終わり、恭しく礼をした妖精たちにヒトセとクロエは拍手を贈る。
魔力のある魔法使いにとって、高度な魔法を使えるわけでも強い生命力を持つわけでもない多くの妖精は、それこそ道で咲く花、くらいの『物』である。だから、コールの態度はあり得るものであり、妖精たちも重々理解している。
そのため、ヒトセの手のひらの上で丸まっている『きづかなかった』妖精は罰の悪そうにしているのだった。
仲間を無視して押し退けたコールに腹が立ったのかもしれないし、ただいたずら心でそうしてやろうとおもっただけかもしれない。なんにせよ、どちらも気分悪く終わったという事実だけが残ったわけだ。
話を聞いている間に妖精たちは時折ヒトセに指示をあおぎながら中庭をあらかた片付けそのほとんどは日常にすっかり戻っていったようだ。
「この子たちったら遊んでて植木をひっくり返したりすることもあるから、片付けには慣れっこなのよ」
ね、とヒトセは手のひらの上の妖精をつつく。妖精はまだまだ項垂れている様子で頭をぐらぐらとさせていた。
反省と後悔をしているところに自分のやったことを客観視出来る寸劇を見せられたのだ。項垂れている頭はきっと簡単には上がらないほどに複雑な気持ちで重くなっているのだろう。
「でも兄の方のコップスが仕返してくれてよかったわね」
クロエはそんな頭を慰めるように撫でる。
「やりっぱなしで怒られもしないよりうんとましだもの」
妖精はふ、と顔をあげクロエの顔を見て困ったような顔で笑った。慰められた、ということらしい。まだまだ頭は重そうではあるが、他の妖精と同様に普段の暮らしに戻っていった。
「ヒトセは妖精の扱いが……いえ、妖精との対話がとても円滑なように見えるのだけど、ヒトセは、その、妖精の言葉が分かるの……?」
クロエはヒトセが妖精に実演を促したり、的確に片付けの指示を出したりした様子から、どうしてもそうとしか思えなかった。
妖精たちの声はどんなに耳がいい魔法使いでも聞き取ることは難しい。時折笑い声や歌声が風にのることはあっても、基本的に妖精という生物は風が吹く音より物静かである。
「どちらかといえば言葉が分かるのは妖精の方だわ」
ヒトセは話をしながらソラローテスの植わっているビオトープの水を5つの小瓶に汲み取り、それぞれに違った薬品をいれていく。クロエはそれを眺めながら少し離れた位置の長椅子に腰かけている。
「私たちの言っていることを分かってくれるでしょう?」
「それはそうなのだけれど……」
なんといえば伝わるのだろう、とヒトセは頭を傾げる。
「言葉が通じると思っていないの」
「え?」
「言葉が通じるとおもっていないから気持ちを伝えようと思っているの」
「ああ」
なるほど、とクロエは思った。確かに妖精と接するヒトセはひどく素直だ。まっすぐに物事を伝える。
「……私のことも妖精と思ってくれていいのよ、ヒトセ」
クロエは小休憩にジュースを飲みに花壇まで来たヒトセにジュースを手渡しながらとびきりかわいい顔を向けた。
「素直じゃあないのは貴女もでしょう、クロエ・ホワード」
ヒトセがふん、とした顔を返す。気づけば2人は笑い出して、中庭を楽しげな声が転がっていった。
「それにしてもどうして兄の方のコップスは中庭になんて来たのかしら」
クロエは怪訝そうな顔で寮に向かう2人ぶんの伸びた影にむかって呟く。
ヒトセはいくらかその理由を考えてはみたものの、スプリンクラーで彼が退散してくれたことを幸いと思ってしまうような物ばかりであった。
「しばらくは中庭には来ないでしょうけど……」
そういってクロエは不安そうなヒトセの手を取った。
やり返したからこそ、妖精と敵対したように思っているだろうコールが敵陣にのこのこやってくるとも思えないし、少なくとも損得勘定が出来ればしばらくは様子を伺うに違いない。
「ソラローテスが魔力でどうにかなってしまわないのなら、魔法でどうにでも出来るのに」
「……あ」
「どうしたの、ヒトセ」
「いえ、中庭の入り口にハーブで寄せ植えでもしようかなって」
「魔除けじゃん……」
ハーブでの魔除けや呪い避けは魔術や呪いの分野でも一般的なものである。薬学分野でばかり活躍するように思えて、魔法や魔術を使う際にも使われることが多い。
「一昨日習ったでしょう?配置式まじない術」
「本気で魔除ける気だ……」
「出来ることからコツコツと、というでしょう?」
「出来る最高の妨害を、だと思うわ、これは」
魔法植物と魔法薬学に明るいヒトセによるハーブでのまじないだ。効果が全くないなんてことはないだろう。
クロエはふとヒトセと決定的に仲違いしてしまったら、ということが頭をよぎり、たちまち恐ろしくなって、手をほどき腕にしがみつく。
「ちょっと!歩きにくいわ」
「そういいながら振りほどかないのね」
「貴女拗ねるじゃないの!」
「そんなことしないわよ」