デートしましょう
「魔法術師はね、割と最近確立された立場なんですよ」
小テストの答案を眺めつつ羽ペンについた赤インクをぷらぷらと空中で遊ばせているインは、ヒトセの一連の出来事を聞いて、話し出した。
「魔法渉者の方が実は歴史が古いんです」
「うーん」
ヒトセは、メルミの殻を実とわけながら、何故先生があの出来事に対してこの2つの事情を言い出したのか考えようとしたが、知識不足故に想像しか出来ないと悟り、お手上げだ、と嘆いた。
「じゃあ、魔法術師は何処から来たの…!」
「魔法渉者だって思われてたのよ」
長い足を組みながら妖精と戯れているクロエがなんてことはない、というように答える。
「ねえ、ヒトセ、私に聞いてもよかったんじゃあない?昼休み、一緒だったのに」
クロエのその様子を見てインは珍しい物を見つけたように目を丸くしたあと、微笑んだ。
「だって、魔法使いと魔法術師の事情なんて、失礼なことかも知れないじゃない……」
ヒトセはしょんぼりした様子のままメルミの実をすりつぶす。殻は近くの妖精に頼み魔法でチィナの油に溶かしてもらう。ぶくぶくと油に溶けていくメルミの殻を見てわあ、と顔が綻んだヒトセを見て妖精は機嫌よさそうに羽を動かした。
「ああ、なるほど……」
インは無知である故の失態をとやかく言うような狭量な質ではない。そこに多少の失礼な粗相があろうとも微笑んで諭すようなおおらかな魔法使いだ。ヒトセほど接する機会はないクロエもそんな彼の人柄についてくらいは聞き及んでいた。
あれだけコールに怒鳴られれば質問にも慎重になろう、とクロエは納得した。
「イン先生、今寿命が延びましたよ」
クロエは妖精を指でくるり、くるりとターンさせる手をとめることなく、インに視線を向けながら楽しそうに目を細める。
「女神の祝福だなんてありがたいことですね」
そう言ってインはわざとらしく肩をすくめた。
「ねえ、魔法術師は魔力があるのに、魔法渉者だったの?」
ヒトセは何やら教師役は2人になったらしい、と気付きこの際聞くだけ聞いていこう、という姿勢をとることにした。
「魔法術師は魔法使いと同じようには出来ないことが多いでしょう?魔術というものが完成される前、魔力はあるのに何も出来やしない、という扱いだった時代があったんですよ」
「でも魔術自体はあったのでしょう?だって、教科書では、かなり昔から魔術があったって書いてあったわ」
「魔術は、ヒトセでも魔力を持った媒体を使えば不可能ではないものもありますよね?」
「ああ……それで魔法渉者だと思われていたのね」
聞くに、魔法使いが唯一だった時代や、もしかしたらそれ以外へ差別やそういったことがあった時代もあったらしい。
「コップスの家は結構歴史の長い魔法使いの家なのよね」
クロエは本題はここだろう、という顔で話し出す。ヒトセはクロエが他人の家の事情を話すような質ではない、と思っていたから少し驚いた。けれど、もしかして自分が相手だからこうなのかしら、と瞬きの間考えて、私、すっかりクロエに似てきてないかしらと少し恥ずかしくなった。
「兄の方のコップスとは多少面識はあるけど、彼、2つ上だから私の兄とも学年が違うし詳しくは知らないのよね」
「2つ上……」
ふと、コールが自分のことを知っているようだったことを思い出したヒトセは、もしかすれば彼は自分と同じ授業をとっている科目があるのではないか?と気づく。ヒトセは通常3年生で受ける幾つかの授業を受けているからだ。
「長い歴史のあるところなんて大体『ほこり』あるものだから……」
魔法使いの魔法というものが彼にとっての誇りだったのなら、魔術と一緒くたにしたのはどれほど腹立たしいことだったのだろう。ヒトセはなんとなく合点がいった。
「つまり私、誇りを傷つけちゃったってわけね」
クロエはうーん、と唸る。
「魔法使いって面倒な性格してる人ばっかりなのよね……」
ヒトセはそれは貴女も……と思ったものの、片付いた薬品や材料をしまったり、運んだりすることで飲み込んだ。
「ヒトセ、終わったのならデートしましょう!」
今日の最後の授業であった魔法生物学で一緒だったため、流れるように魔法薬学教室へついてきたクロエをすっかり当たり前の存在のように感じていたが、そういえばここまで一緒に来たのは初めてであったし、用があると思うのが妥当であった。
「このあと中庭に行くのよ、私」
「休憩よ休憩!学校からちょっと出たところのお店のジュースが美味しいのよ、ね、すぐ戻って来れるわ」
そういえば入学以来、学校の敷地内におおよそ何でもあり、必要であれば注文も出来たために敷地内から出たことがないことに気づいたヒトセは、少しそのお店が、というよりは外、に興味がわいた。
「ふふ」
「なによ」
クロエはヒトセが少しそわ、とした様子をしたのが可愛くて、頬が緩んだ。最近のヒトセはクロエの目には随分と分かりやすいのだ。
「片付け、私も手伝うから。そしたらその時間は節約出来るわ、ね?いいでしょう?」
「……うん」
そんな2人の様子を横目で眺めながらインは柔らかく目を細めていた。
「ヒトセ、こっちよ」
クロエに手をとられながらヒトセは廊下を歩く。外門とは違う方に歩き出したクロエにヒトセは驚いた。
「私、こっちに来たことないわ」
「あら、それは光栄ね」
同じ方向へ向かう学生も多く、進む度人が増えていく。
「この人たちも、おでかけかしら?」
「クラブ棟に行く人もいるわよ、ほら、曲がっていったでしょう」
校内見取り図は見ていたはずなのだけれど、使うだろう教室や図書館や、世話をする植物のある庭の位置はばっちり記憶しているのに対し、他はかなりあやふやだ。そもそもこの広い学校すべての地理を把握しようとすれば、きっとかなりの時間がかかるだろう。
そのままするすると人の間を抜けていけば綺麗な細工が施された枠が見えた。もしも何億もの価値のある美術品であると言われてもああ成る程、と納得してしまうだろう。その枠の中にはテレビのような具合で町の風景が写し出されている。
「ヒトセ、行きましょう」
クロエに手をひかれ、ヒトセはそのまま枠の方へ進んでいく。見ればドアを開けて部屋に入るよりも気安く人が枠に入っては枠の中の住人になっていくではないか。
「……私だけ枠の中に入れなかったりしない?」
思わず不安をこぼしたヒトセにクロエは驚いた猫のような顔をしたあとゆるゆると笑顔になる。
「……なによ」
「かわいいなあ、って思って」
「仕方ないでしょう、魔法と馴染みのないところから来たのだから!」
クロエは少し不安そうなヒトセの手をするする、と繋ぎなおす。
「手を握っているからヒトセだけ枠の中に入れなかったら私の手も一緒に残るわね…」
「こわいこと言わないで!」
ぐい、と繋いだ手をひきながらクロエが勢いよく枠内に飛び込み、そのままヒトセもほぼ同時に飛び込む形となる。
飛び込めば柔らかなベールにぶつかったような感触のあと、するり、とそれらが散り散りにわかれ、ヒトセの頬を撫でて消えていき、先程まで枠の中に見えていた景色がゆっくりとキャンバスに描かれていくように目の前に確かなものとなっていく。なんだか心地よくもあり、とにかく、不思議な何もかもに、ヒトセはほう、とため息をついた。
「さて、ヒトセ、感動するのはまだ早いわ!美味しいジュース屋さんに行くのだから!ほんとはもっと案内したいところもあるのだけれど!」
クロエは浮き足たっているのか、ヒトセがそうも暇ではないことを理解していたためか、普段よりは早足で進んでいく。クロエの綺麗な長髪が、ヒトセの知らない不思議な物で溢れた景色の中で踊るように舞い、とてもきらきらして見えた。ヒトセはきっとこの景色をずっと忘れないだろうな、とひとりごちた。
人々の往来でヒトセの小さな呟きはかき消された。