ライリーとコール
「お前みたいなのが弟だなんてな」
コールは声を張り上げ、ライリーをなじった。ライリーは困った顔をしながら、なんとかコールをなだめすかそうとしていたが、2つ上の兄が弟の言うことなど聞くわけもなかった。
コールはイライラした様子でライリーが自分に渡そうとしていたものを掴みとると地面に放った。
「ああっ!」
「身の程を知らなさも遺伝したのか?恥ずかしいと思わないのか?ぶくぶく太りやがって!」
コールはそれでは満足しなかったのか、ライリーを蹴り飛ばした。そのままライリーはバランスを崩して後ろの水場に落ちる。
「きゃあ!」
じろり、と声がした方を睨み付けようと顔を向けたコールの目の前を少女が割り込んで駆けてくる。振り向こうとした先には、ぽかんとした顔の少女が立っていた。
「早く出て!!」
ヒトセは慌てた様子でバランスを崩した姿勢のままのライリーの腕を引っ張った。
勿論ライリーの体躯はヒトセの細腕にどうにか出来るものでもなく、ライリーは自力でなんとか水場から這い出たわけだけれど、無事にライリーは水場から抜け出ることが出来た。
「あ、あの…」
状況が飲み込めないままに、少なくとも自分を助けてくれようとしたようなヒトセにお礼を言おうとライリーはおどおどと声をかけようとしたが、ヒトセは池の水を覗き込むような姿勢で懸命に何かを確認したあとコールに向き直り、きっと睨んだ。
「よりにもよってこの池に魔法使いを落とすだなんて!貴方のその顔についてる緑のガラス玉ったら!博物館で展示でもしたらどう!」
コールは腕を組みながらヒトセを一瞥すると、吐き捨てるように言葉を返した。
「ハァ、魔法渉者はこれだからいけないな。何一つ分かっていない、何でこんなやつらが同じ学校にいるんだか…」
コールは弟との対話を他人に見られたことも不愉快であったし、『有名人』様に指図されることなどもっての他だった。奥歯を噛みしめながらヒトセに何をどう言ったものかと口をへの字にする。
「不勉強者にだけは言われたくないわ!」
ヒトセはヒトセで売り言葉に買い言葉だ。
「なに!」
「何ヵ所か廊下に張り紙だってしてあるけれど、海の石とレネンジスと砂で簡易海砂漠のビオトープを作って、校長先生の誕生日までにソラローテスの実を結実させようとしてるの!外敵のアシントカゲに魔力があるから、魔力を感じると成長に影響があるのよ!教科書にも載っている内容だわ!」
水場を背にしながらヒトセはまくしたてる。ヒトセは植物や薬学に関することとなると何も我慢がきかないらしかった。
「勉強はしているらしいけど、常識はないんだな、そこにまだ転がっているふとっちょのグズは魔法術師だ、魔法使いなんかじゃない」
コールは先ほど自分が地面に放った包みの中を確認しているずぶ濡れのライリーを指差しながら馬鹿にしたような顔をした。フン、とこの中の誰よりも高い背丈でヒトセを見下ろす。
「でも魔力はあるわ!」
「ハ」
「私からしたら魔法使いも魔法術師も出来ることややり方が違うだけで皆魔法使いだわ!」
ヒトセからすれば魔法使いが火を出すことも、魔法術師が石や杖や術式の力を借りて火を出すこともそう変わりはない。マッチや化学を介さない不思議なもの。どちらにしても自分には出来ないすごいことだ。
「ふざけるな!」
コールは今日一番の怒号を響かせた。中庭のガラスすらビリビリと揺れた気がした。ヒトセは目を丸くしてコールを見つめる。年下の女の子にここまで怒鳴った自分に自分ですら驚いたのかコールは進路にいたクロエを押し退け廊下へ駆けていった。
ヒトセはやっと足元で丸まっているライリーに視線を落とす。ライリーはというと、包みを抱き締めながらあそこまで怒鳴るコールを見たのは初めてであったため、いつもの怒りようより上があったことに感心していた。
「ねえ、貴方」
「ひゃい!?」
「へたりこむから裾が汚れそうよ」
「あ、ああ」
やっとよろよろと立ち上がったライリーはヒトセと向かい合った。
大きくはないヒトセよりもまた一つ背が低い。制服の胸あたりに赤のピンが1つついているからヒトセたちと同じ1年生である。
「コップスのところに弟なんていたのね」
そう言いながらクロエがヒトセの腕にする、としがみつく。
「ちょっと」
「だって怒鳴り声がして怖かったんだもん」
うるうるとした表情をするクロエに怒鳴り声の原因の一端は自分であると自覚があるヒトセは仕方がない、と手を貸した。
「…そう」
「ヒトセってときどき心配になるわね!」
にっこりとしたクロエに、ヒトセ はやられた、ととたんにクロエを引き剥がす。
「貴方も、急がないと次の授業に遅刻するわよ!今なら中庭を突っ切れるわ、こっちよ」
ヒトセはのんびりした顔のライリーに声をかけ、なおも腕に未練がある様子のクロエを引きずるようにしながらずんずん進んでいく。ライリーは素直に言うことを聞くことだけが取り柄だというような仕草で2人のあとをひょこひょことついてきた。
「ヒトセがいろんな植物を世話しているのは知っていたけど、もしかしてソラ…?ソレル?」
「ソラローテス」
「そうそれ。それってつまりヒトセが世話をしているってことよね。魔法渉者の勤労奨学生、ヒトセだけでしょう?」
クロエは名推理でしょ、と誇らしげだ。
「植物に関することをしているのは確かに私だけ……かしら、全員は把握してないわ、ねえ、貴女…何か乾かせたりする魔法知らない?」
ヒトセは通り抜けた中庭の鍵を施錠しながらちゃっかり腕にくっついているクロエに目を向け尋ねる。この様子だとライリーも授業を取っている。室内であるからそう寒くもないとはいえ濡れたまま授業を受けるというのも可哀想に思えたのだ。
「だ、大丈夫」
ライリーは小さく挙手をしながら話し出す。
「制服、おまじないがかかってるんだ。だから……」
ライリーが制服の左胸のあたりで拳を作る。すると、そこを中心に繊維が煌めくように波打ち、そして端まで波が到達する頃にはすっかり制服が乾いていた。
「す、すごい」
ヒトセがあまりに目を輝かした物だからクロエは少しむっとした。それに気づいたのかライリーは汗をかきながら首を横に振った。
「あは、これ、僕の魔術じゃないから、全然、すごくない、魔力籠めただけだ。だから、違うんだよ」
「そう、なの…?」
ヒトセは先程コールに怒鳴られたばかりで何を褒めてよくて何を褒めてはいけないのか、自分は解っていないことを思いだす。
「そうなんだ」
ライリーはうんうん、と頷いた。これであっていたのかしら?と思いながらヒトセは自分の教室にたどり着いた。
「貴女は隣の隣でしょう。もう時間、ギリギリよ」
ヒトセは教室の前についてもべったりしているクロエに教室へ行くように促す。ふぅ、と小さく吐息をもらしたクロエはそっとヒトセから離れながら絵になるその容姿と仕草で微笑む。
「…クロエ」
「へ?」
「忘れちゃったの?『貴女』じゃないわ、クロエ。でしょう?」
クロエはそのままくるり、と綺麗なターンを決め、隣の隣へかけていく。クロエがいた片腕から消えた温度はヒトセの頬に移ったようだった。
すっかり人で埋まった教室にそろそろと入る。普段ヒトセの座っている前列の席は空いていて、ほっと胸をなでおろした。
「ホワードさんと仲がいいんだね」
ヒトセの後ろをついて来たままにライリーはヒトセの横の席に座る。
「仲なん……いえ、ええ、ああ、もうそうね、と、友達よ……」
頬をおさえながら、ヒトセはふう、と息をつく。ライリーは小さく微笑みながら小声で言った。
「さっきは……コップス先輩がごめんね。僕に怒鳴る気はあったんだろうけど、君にはなかった筈だから、巻き込んでごめんよ」
「私が自ら渦中に首を突っ込んでいったの、見なかったのかしら?気にしないで」
ライリーは苦笑した。ヒトセは私ったら何でどうしてこういう言い方をしてしまうのかしら、としかめっ面になる。
「今度食堂のお菓子でも奢る、よ」
「貴方の気の済むように」
「あは、ありがと」
教室に先生が入ってくる。
ヒトセは授業を聞きながらライリーの横顔を盗み見、あれだけ怒鳴られてケロッとしているのはいつも怒鳴られていたとしてもいっそ豪胆なのではないか?と思った。