エピローグ-1
「おはよう、ハルミさん。早いね」
足を止めればつまさきから凍っていってしまいそうなほど冷えた早朝の廊下で、ヒトセはばったりとライリーと鉢合わせた。
「あら、おはようライリー、今日の1限は何か運動をするの?」
ライリーは活動着の上に動きやすそうな上着を羽織り、靴も運動靴といった出で立ちである。
「ううん、朝の運動、だよ。兄さんに追いつきたいから」
ライリーはそう言ってキリリとしてみせた。ヒトセはああライリーはお兄さんのようになりたいのね、と微笑ましく思ったあと、まさか物理的に追いつく気なのかしら、とはたり、と思ったものだけれどそれには気づかなかったふりをした。ライリーがイキイキと楽しそうならそれでいいわね、と思いきったからである。
「素敵ね。寒いから身体を冷やさないようにね」
「うん、ありがとう。ハルミさんは……手紙を出しに行くところ?」
ヒトセの手元には鞄と、手紙と小包が1つずつ。ライリーの言った通り、ヒトセはこれらを配達に出しに行くところであった。
「ええ、叔父に近況報告をと思って。それとこっちの小包は、私、以前裏通りのゴースト……セスさんから手袋を、ほら、むしり取ってしまったでしょう?お返ししなくっちゃって、ねぇ今笑うところあった?」
ヒトセの口ぶりからライリーの頭の中ではあの美丈夫からヒトセがえんやこらと片手袋を剥ぎ取っている。普段のヒトセは決してしないだろう奇行がライリーの笑いのツボを刺激してしまったのだ。
「ああいや、フフ、ゴーストさん。捜査の人だった、んだよね?実践的な魔法を使うところなんて見る機会はそうないからさ、すごかったなあ」
そう言いながらライリーはセスがやっていたように手を振ってみせる。
するとぽろり、と何かが落ちた。
「あっ!」
ライリーが慌てて拾うのを覗き込めばチョコレートと飴である。
「へへ、お腹がすいたら食べようと思って袖に入れてたの忘れてた」
そう言ってライリーはそれらをもう一度袖に戻した。上着が少し大きめだからか、外からはまさかお菓子が入っているようには見えない。
「そういえばね、準備教室からアイビーがいなくなってしまったの」
第2魔法薬学準備教室。その教室の鍵をヒトセがもらったのはつい昨日のことであった。薬草園の薬草は一部こちらの教室に収納するようにしたらしく、その説明と共にヒトセが1番収穫するだろうから、と渡されたのだ。他の当番の生徒や先生も鍵を持っているそうだけれど、昨日は誰とも顔を合わせていない
。
そんなヒトセが準備教室に行って始めに気にしたのはアイビーのことであった。第3の勝負の後、コールを詰問していた際には端の方で踊っていたものだけれど、ややあって今どんな具合なのかしら、とアイビーのいた場所を見ればコールの操っていた掃除人形もアイビーもいなくなってしまっていたのだ。
決闘のために用意されてあったのならいなくなっていてもおかしくはないし、薬草などを置くために誰かが移動をしてしまったのかも知れないなあ、とどこか再会を楽しみにしていたヒトセは少し寂しく思った。
「ああ、アイビーたちは今研究会の方にいるんだ」
「そうだったの、じゃあまたいつか会えるかしら?」
「もちろん。今先輩たちが、総賭けクイズを作っているんだけど……」
「総賭けクイズ?」
ああヒトセは知らないのか、よし、説明をしようとライリーは頷きながら口を開こうとしたものだが、何から言えばいいのかと少し悩んでしまった。だけどもすぐに自分の聞いた説明をそのまま言えばいいことを思いついた。これは大発明である。
「クイズクラブってクラブ活動をしている人たちがいて、いつもクイズの問題を募集しているんだけど、その種類の1つが総賭けクイズなんだ。参加する人たちは決まった金額でその問題を買って、もし問題を解けたら問題を買った人たちの中で解けた人とクイズの売上を山分け出来る。この賭け、っていうのが、解けた!と思って答えを提出するとき、お金も出すと山分けのとき多めにもらえるから、なんだって」
ヒトセはへぇ、と興味を引かれた。ヒトセが興味を持ったのを見て話しながらライリーは少し嬉しそうな顔をする。
「それで、先輩たちはその逆。解ける問題だけど全員が解けなかった場合は、クイズの売上が総取り出来るのを狙って、この間の手紙の仕組みとか、カードの仕組みで問題を作れないかってやってるんだ。総取りできたら研究会の予算にするって言って」
問題は問題でも、魔法や魔術の問題なのか、とヒトセはなるほど、と思った。確かにそれならば買って解いてみようと思う人はいそうだし、何よりこの場合問題を作る側が本気であるから、余計に楽しんで解く人もいるだろう。
「でも、僕は難しくて分かんないからアイビーを見たいって言ったマルク先輩やナイセル先輩とアイビーの魔術式の改良をしてたんだ。兄さんの方の掃除人形も持ってきて、比較しながらさ」
「どんな風に改良したの?」
「昨日でフラダンスを踊れるようになったよ」
そう言ったライリーが真面目な顔でふわふわと横に手を揺らした。それが妙に上手なものだから余計におかしくってヒトセはくすくすと笑う。
「そういう方向の改良なのね」
「うん」
そうしてにこにことするライリーにヒトセはなんだか嬉しくなった。出会ってすぐの頃よりうんと楽しそうだ。
「あ、郵便室だ。じゃあ、またお昼に!」
そう言うとライリーは袖を押さえながら手を振りながら踵を返してぽよぽよと跳ねるように歩いていく。
「また、お昼に」
ヒトセも手を振ればライリーはそれを見てニカリと笑った。
郵便室の綺麗な模様の入ったガラス戸を勢いづけてぐいと引いて中に入る。様々な魔法や魔術が行き交っている場所から郵便物を送るのは至難の業らしく、郵便室はそれらの影響を受けない特別な作りになっているそうだ。
ヒトセはいつものように叔父の手紙を箱型の魔術具に入れた。叔父の家に置いてある魔術具に届くよう特別に作られた便箋は、少しすれば便箋がこの魔術具と反応しあい手紙を叔父の元へと運んでくれるのだ。箱の透けた部分を見ればチカチカと輝きだしていて、ヒトセは無事に届けてね、と箱の側面を撫ぜた。
さて、とヒトセは小包に向き直る。セスに手渡されたあの光る名刺にはご丁寧に自分の居場所を知らせる座標式までが書いてあった。もしかすればヒトセが手袋を返したいと思うだろうことを見越していたのかもしれない。昨晩どうにかこうにか書き上げた、この座標式を使った魔術式を小包に貼り付けて係の人に渡し、お金を払ってしまえば、手袋をはぎ取ったことは、もうなかったようなものである。
こんなに寒いのに片方をなくして困っているかもしれないわ、とヒトセは気にしていたのだ。
とてもすっきりした心地で郵便室を出て、機嫌よく中庭に向かう。授業の始まる前に当番の仕事をして、ソラローテスの様子を見るためであり、そして、アーレンフルイヤの世話をするためだ。
願いの叶う薬の一件で使われたアーレンフルイヤは入念に調査されたのち、きちんと処理をされ、巡り巡ってこの学校に寄贈されることになった。魔法生物を管理しているファル先生はランプフィルも酷く欲しがっていたけれど、今回は悪用されたものであるから、と却下されたそうだ。
アーレンフルイヤは珍しい花であることも間違いなく、なにより素材として優秀である。生息域の外の生育であるため半ば実験的にあれこれと試す必要はあるけれど、先生も生徒も新しい課題に心躍らせるように意欲的に取り組んでいる。
ヒトセは寄贈されたうちの一株を、実験とは関係なく個人的に育てて良いものだ、と植える場所として中庭の一角まで用意して貰い受け取った。それはそれは驚いて説明は分かったかと尋ねたインを前に、小躍りしたいのを堪えながら、声を出すことすら忘れブンブンと勢いよく頷いた。それを見て笑ったインがとても楽しそうで、それもまた嬉しくなった。
先程送ったセスへの小包には手紙も入れた。手袋をお返しすること、特異性魔法使いについて調べたこと、アーレンフルイヤの花を学校が育てることになったこと……それらをしたためた手紙である。
『フィローナさんの血を使わずとも育てる方法をきっと見つけてみせます。特別な誰かのものを奪わなくても大丈夫ように』
彼の調べるように言った言葉と答え合わせになるかは分からないけれど、そう締めくくった。
次に会う機会があればアーレンフルイヤの話がしたいな、とヒトセはその葉を撫でながら少し広角をあげる。
機嫌よく最近覚えたばかりの歌を口ずさめば妖精たちも愉快そうに羽を揺らす。その羽ばたきで葉は揺れ、小さな風が頬を撫で、朝が満ちていくようだ。
コツ、という足音がして座り込んでいたヒトセはひょいと音のした方へ顔を出した。朝方の中庭……特にアーレンフルイヤの辺りは立ち入り注意の立て看板があるために、人の出入りはないと言っていい。自分に用のある先生だろうか、と思ったのだ。
「おはようヒトセ」
そこにいたのは先生ではなく、少し眠そうにふわりと微笑むクロエであった。
「一体どうしたの?」
朝方にクロエを中庭で見たのは、以前願いの叶う薬について調べに出たとき以来である。何事だろうとヒトセが驚いた顔のまま頭を悩ませていると、クロエはふふ、と目を細めて笑った。
「早起きしたの。たまにはいいでしょう?」
クロエがそう言って、ヒトセの鞄の置いてある長椅子に腰掛けると気楽なように足を伸ばす。それを見て、そんなこともあるかしらとヒトセは作業を再開した。
「アーレンフルイヤはどう?育てられそう?」
「まだなんとも……少なくとも枯れそうではないみたいだけれど、きちんと根付くか心配ね」
そう自信なさげに言いながらもどこか楽しそうなヒトセの様子を見られただけで随分な満足を覚えながら、クロエは小さく伸びをした。
さわさわとした風の音のような妖精たちのささやき、どこかの葉から落ちる水音。緩やかな音で溢れていて、この間までの事件なんてなかったことのように感じるほど穏やかだ。




