街へ
「離れるなよ。街までもう少しかかるが、後ろに荷物が乗っているから戻って合わせてやれやしないからな」
コールの声が前から飛んでくる。クロエはそれに分かったわ、と真剣な様子で返した。
「ヒトセ、しっかり掴まっていて」
「うん」
視界一面の空。
ヒトセは空の景色に心奪われて杖の上でゆるりと緩みだしていた手を慌てて教わった位置に戻した。
「こんなにスピードが出ていなければ例えヒトセが杖の上に立ったって絶対に落とさない自信があるのだけれど……」
「頼まれたって立たないわよ」
遠くで日が登り始めて闇が光に飲み込まれて散っていく。ヒトセたち一行は、そんな時間に空を飛んでいた。
「空を飛んで行こうと思うのだけれど」
昨日のランチ時、偽物のルイ・シューマに会いに行こう、と口にしたクロエが最初に説明をしだしたのは、どうやって、の部分であった。
ヒトセがやっと自然な様子でくぐれるようになった街へと行ける枠は、早朝は特別な許可を取った生徒しか利用が出来ないらしい。話をするのに狙うは彼がまじない薬を作るのを手伝いに出るらしい早朝の時間だというクロエは、校則を守ったうえで事を成すのに『飛行クラブの先輩に引率してもらう早朝飛行』という方法を選んだのだ。
「ヒトセの話から考えると、学校の先生方も今日の朝方に事の収束に動くでしょう。その前に私達で出来ることはやってしまいたいの。生徒に被害者ばかりがいたなんてそんな話にまとめられたくないもの」
コールはクロエが口を開く度、後ろめたさと後悔でどんどんと卑屈な気分になっていったが、クロエが自分を呼んだのは『引率してくれる飛行クラブの先輩』としてであることに気づくと、具体的なお願いをされる前に卑屈な気分はどこへやらと飛んでいってしまった。たったの半日ほどであちこち駆けずり回って飛行の準備を整えろ、と言うことであったからだ。頭の中は今から駆けていく先のことでいっぱいである。
そうしてコールは想像通り頼まれたその為に、半日であちこちから許可を取って回って、備品を借りて、なんとか準備を整える羽目になり、今はといえば道を先導しながら弟たちの風よけになっているという有様である。
後ろめたさで身体は動いているのに、気分そのものは悪くない。コールはそれがクロエ・ホワードのおかげであることが何より情けなく思えた。だけれどあの格別なようにしている特待生を連れるのに自分を頼った、ということがどこまでも慰めてくれ、自分を高揚させていた。クロエ・ホワードは格別に傷跡を許すほど寛大ではないのだから。
端から見ている分には分からなかったが、誇り高く、汚れなんて知らないような顔をしているというのにその実クロエは泥臭い。堅実に確実に駒を進める。コールはまさに今、『駒』になっているからこそ、彼女は持ち駒を1つも取られまいと、こぼすまいとしていることだけは分かった。一生頭が上がらなかったらどうしようか、と少しだけ間の抜けたことが頭をよぎっていた。
「おい、勝負のあとすっ飛んでいったお前の靴のようになりたくなければ杖に冗談のような量の魔力を注ぐな、操作しづらい!」
「ごめん。頑張れ兄さん」
「お前が調整するんだよ!なあ、魔力操作そのものは的確なのに量の調整が絶望的に粗雑なのが、魔力量に胡座をかいてきた結果だろうと思うと腹立たしくて、お前を降ろせば街まで俺の魔力で足りるのにな、なんて思ってしまう兄をどう思う?」
「僕の兄さんは優しくてかっこいいんだ。そんなことはしないよ。誰のお兄さんの話なんだろうね」
「降りたら覚えてろよ」
前方から依然としてコールの荒らげた声が不定期にヒトセの耳に届く。
すっかり仲良しだと言うには互いに思うところが多すぎるのか、ぎくしゃくする瞬間はある。しかし生来相性はいいのだろう、ライリーとコールは随分と距離が近づいているようだった。
「2人乗り用の箒……じゃあなかった、えっと、飛行杖なんてものもあるなんて知らなかったわ」
「地域によって呼び方が違うから箒と言っている地域もあるのよ、箒でも伝わるわよ。これは競技用のものだから飛行杖って呼ばれているだけ」
クロエにそう返されて、ヒトセはなるほど、と関心した。
飛行杖は遠目から見れば箒のように見えなくもないがヒトセのよく知る竹箒とは随分と違い、柄の部分はところどころ波打っており持ちやすく座りやすいように工夫されていて、穂先の部分は柔らかな木材で巻き貝のような形に作られている。金色で刻まれている複雑な術式もとても綺麗で1つの芸術品のようだ。
「この杖は2人で障害物を避けながら進む競技で主に使われているのだけれど、今のライリーたちのようにどう協力するかが鍵になっていて、見ていてとても面白いのよ」
ヒトセはクロエの言葉からはそれが具体的にどのような競技なのかを思い浮かべることは出来なかったけれど、声色から察したきっと目を細めて楽しそうに話しているのだろうクロエの口ぶりはヒトセが興味を誘うには十二分なことだった。
「魔法のあるここならではの競技ね。見応えがあって楽しそう……」
「ヒトセ?」
「貴女が物好きでよかった……」
クロエはそう言うヒトセの言葉と同時にコツリ、と背中に衝撃を感じて、ああこれはヒトセの額か、と気づくまでに少しの間が開いた。
なにせヒトセは手を差し出せばやっと悩まずに繋いでくれるようにはなったものの、めったに自分からはくっついては来ないのである。そのヒトセが背に額を寄せている。今日は額寄せ記念日だ。クロエはそこまで浮ついてから、気を引き締め直してヒトセの声に耳をすませた。
「貴女が酔狂で、あたたかい人でよかった……貴女とでなければ、私はきっとこれからも空を飛ぶことなんてなかったし、これまでだって街に出掛けることはおろか、テラスにだって行ったかわからないわ。勇気があって、優しくって。貴女が貴女でいてくれて、よかった……」
「ヒトセ、貴女まさかとは思うけれど私が手を離せなくって絶対に顔を見られないからって好き勝手に言っていない?」
「……フフッ」
「もう!」
クスクスと自分の背で笑うヒトセに、クロエは随分と心を許してくれるようになったのだなあとしみじみと思った。




