第一の勝負
カラン、カラン、と何処からともなくベルの音が鳴る。
ヒトセは思わず弾かれたように驚いて、教室内を見渡した。壁際に備え付けられたベルがゆらゆらと揺れている。
昼休みなら終わりに近づくくらいの時間が経ち、そろそろ掃除をする場所を探さなくてはならないほどに教室内は綺麗になっていた。
声を発することもなく、全員がクロエの方に視線を向ける
クロエもすぐにカードに目を落とした。
「第1の勝負の結果は……」
じりじりと焦らすように文字が浮き出てくるカードを読みながら、クロエは心臓がどきどきとしているのを感じた。そしてそれはここにいる誰もがそうなのだろう。クロエの浴びる視線は皆一様に真剣であった。
「……コール・コップスの勝利」
コールは、は、と小さく息を吐いた。それはまるで嘲笑のようでも、ため息のようでもあった。そうして息をしたら、ヒトセが一、二度の瞬きをするうちに普段の剣幕になった。
「負けちゃった……」
ライリーがぽつりと呟く。
ヒトセから見てコールの掃除人形とアイビーの働きぶりはそう変わらなかったように思えたものだから、どういった基準で負けてしまったのかしら、とヒトセは首を捻った。
そうこうしていると、また文字が変わったのか、クロエは再びカードに目を落とす。
「……ここはステージではありません」
ヒトセもクロエもライリーもアイビーの方を見た。アイビーは掃く先を失ったほうきをステッキのように振り回しながら、華麗にターンを決めている。
「ああ……」
アイビーは確実に掃除はしていた。ホコリを余計に舞わせることもなく。
ただ、アイビーはほぼ常に踊っていて……もしかしなくとも、一踊りの間にもう少し掃除は出来たろう。
ライリーは先程まで人生で初めて感じていた、負けたことを悔しく思う気持ち、がまたたく間に消え失せていくのを感じた。それと同時にいやに清々しい気分になった。それはライリーが悔いるのにも頭を使うものだから、早々に悔やむのをやめてさあ、次を頑張ろう、と思ったからであった。ライリーはとりあえず置いておくのがとても得意なのだ。
「それで、次は?」
コールは腕を組んだまま横柄な態度でクロエにそう尋ねた。
不思議とコールは勝ったことに対して何か言うこともなければ、自慢げにすることもなく、だからといって勝ったことは当然のことである、といった様子でもない。クロエがカードをかえして文字の面を見せながら、今まさに文字が出てきている、と主張すれば、コールはああ、と納得したように首を振りこれ以上何かを言うこともない、と口を引き結んだ。
クロエから見て、先程の勝負の際のコールはライリーが掃除人形をゴーレム化させたことに少しも驚いているように見えなかった。ゴーレム化はおよそ一般的でもなければ、そう簡単なことでもないというのに。実際にクロエはゴーレム化なんて手を思い付かずに、ライリーとヒトセではコールと勝負にならないとさえ思った。
クロエはコールが勝てる勝負だからと手を抜くような質でなかったにしても、ライリーであればそうするだろう、と分かっていて動いていたようにも感じていた。
心の中でどんな風に思っているにしろ、コールはライリーをずいぶん買っている。それは確かだろうな、とクロエはカードを見つめながら思う。
「第2の勝負は、クルービアの妖精の朝露薬を作れ……ですって」
「クルービアの妖精の朝露薬って?」
ライリーがヒトセの方を向いてそう尋ねると、ヒトセは目をキラリと輝かせる。
「クルービアの妖精の朝露薬は主に酔い醒ましとして有名な薬よ。クルービア地方はグラメイアっていう果物の木の群生地で、グラメイアは熟すととても強いアルコール成分が含まれるようになるのだけれど、それをクルービアの妖精たちは好んで飲んでいるそうなの。このお酒の席のために妖精たちは持ち寄った実や植物とグラメイアの木を使って酔い醒ましを作るんですって。グラメイアの木の朝露に残っていた薬効に驚いた人がそれを再現しようとして作られたのが、この朝露薬よ」
あまりにヒトセがキラキラと楽しそうにして話すものだから、ここにいる全員が眩しそうに目を細めた。
「ちなみに妖精の朝露薬、というのは何種類もあって、それぞれが作られた経緯も様々なの。気になったのならファメル・ターク氏の『植生と妖精』をおすすめするわ。真ん中辺りからその話が始まるけれど、1番分かりやすいから!」
そう一区切りついたところでヒトセはは、とした表情になり、顔を赤らめてうつむいた。
「ご、ごめんなさい、尋ねられたのが嬉しくって話し過ぎてしまったわ……え、と……妖精さんたちが作った酔い醒ましよ」
クロエは、もごもご、とああ、こんなに短く言えたのにどうして、とか喋りすぎよ、とか言いながら小さくなっていくヒトセの手を握る。
「いいのよヒトセ、私は朝までだって聞いていたいわ」
クロエは満面の笑みを浮かべていた。気がかりなことが多すぎて少し滅入っていたところに、同じように不安そうだったヒトセが楽しそうな様子になるのを見て元気が出てきたのだ。
「ヒトセ、カードが……」
『ヒトセ・ハルミへカードを』
クロエの手からそう書かれたカードが手渡される。
ヒトセは何だろう、と思いながらも、カードを受け取った。すると、じわりと文字が歪んで、新たに浮かび上がってくる。
「奥から2つ目のカーテンを開き、ドアを開けろ」
ヒトセはそう読み上げてから、言われたとおりに奥から2つ目のカーテンを開けた。すると、凝った細工のされた木製のドアが顔をのぞかせる。
アイビーたちが掃除をしている際にちらりと目には入ったが、ああドアがある、とだけ思っただけで済ませてしまった。いざ目の前にすると何処か見覚えがあるような気がしてどこだったかしら、と思いながらヒトセは細工の凝った金属のドアノブに手をかけた。
「うっ……」
想像以上にドアが重たく、しばらくの格闘の末、ヒトセはほとんどすべての体重をかけてドアを押した。
すると、隙間が開いてすぐほどから教室内の空気が我先へと外へ外へと向かい、ヒトセの背を押した。ヒトセはその勢いでよろよろとドアの外へ押し出される。
「ヒトセ!」
クロエは慌ててヒトセを追いかけるようにドアから出た。少し遅れてライリーも顔を出す。
「私は大丈夫よ……あら?」
ヒトセはあまりに見覚えのある風景に目を丸くした。
ヒトセが押し出された先に広がっていたのはここのところ通い詰めの薬草園であったからだ。そして、出てきたドアこそ、ヒトセが普段作業をする際に見ていたドアであった。見覚えがあるはずである。
以前、このドアに興味を引かれたヒトセが、インにあのドアは何か、と尋ねた際には、今は開かないドアだ、という返答をもらった。今は、という言葉に引っかかりつつも、魔法のある暮らしになれていなかった入学当初はとにかく何が安全で何が危ないかも分からないために余計なことはするまいと、そういう飾りである、と思うことにして、先程までもそう思っていたのだ。
昨日まではドアしかなかったはずの場所に窓が並んでいる。それも、大きな違和感も感じさせずに、はじめからここにいたかのような顔をして。
とても素晴らしく素敵な魔法のはずなのに、ヒトセはなぜだかどうしてもこれらがひどく恐ろしいものに感じて、ほんの少しの息を乱した。
「あら」
乱れた息を押さえつけるように息を深く吸っていると、普段作業台にしている机の上に、魔法薬学などで材料を並べておくのに使う籠皿と、何かのメモ書きが置いてあるのがヒトセの目に入った。
ある時、たまたま患者に追われていた保険医がその日の当番であったヒトセに欲しい材料の書き置きを残したことが事の始まりで、インや数人の先生たちは時折こうして書き置きを残すことがあった。勤労奨学生としての作業としてやっていいという話もされたためいい休憩になるうえ、材料を持っていくとお菓子や飴や余った材料やらを頂くこともあって、ヒトセにとってとてもお得な作業であった。
ほどほどに材料が乗っている様子を見て、誰か採取の途中だったのかしら、と辺りを見渡すが視界に入るぶんには自分たち以外の人の気配はない。
どうしたものかしら、と紙とそれらをのぞきこめば、まさにクルービアの妖精の朝露薬の作成に使うようなものばかりである。まさかと思いカードを確認すればいつの間にか変わった文字が『残りの材料を集めろ』、とヒトセに次の指示をしていた。
よく見れば籠皿は2つ。それぞれちょうどおなじくらいの量ずつ材料がはいっている。そして、足りない材料が少しずつ。これらを集めてこい、ということだろう。
「まさか指示が読めないのか?ホワード、可哀想な魔法渉者の面倒はきちんと見てやれよ」
ヒトセがきょろきょろとしたり、考え込んだりするものだから、状況が分からずしばらくは辛抱していたものの、しびれを切らしたコールはドアから長い足を出して地面に足を降ろしながらヒトセに棘のあるような声をかけた。
クロエは露骨に腹立たしいという気持ちを存分に表現した表情をしながら、ヒトセとコールの視線の交わる間に体を滑らせてコールを睨む。
「あら、今から私がこの勝負の面倒を見るのよ?」
ヒトセはすい、と足を進めてコールのそばまで行くと、カードを見せびらかすようにしてひらりとさせてコールに渡す。
ヒトセは、確かに材料を集めるように書いてあるカードに気をとられたコールが口を開くより早く、コールの傍から離れた。
「材料を集めるように言われたの。少し待っていて」
クロエとライリーに視線を送ってから、そう言い残すと慣れた仕草で採取に使う道具を抱えて採取に向かった。




