ヒトセとイン先生
「ヒトセ!次の授業一緒に行かない!」
「何で来るのよ……」
昨日で惚れ薬なんて作れないと分かったでしょうに!とヒトセは明らかにうんざりした顔をした。
「よく考えたら授業で作るんだからそれを貰えばいいやって思って!何か欲しいものとかない?やって欲しいこととか!」
「そこまであからさまだといっそ好感が持てるわ」
「ありがとう」
「ほめてはないわよ」
クロエはご機嫌にヒトセの横を歩く。
「そういえば貴女、いつものお友だちはいいの?」
クロエがいつも人の輪の中心にいたことをヒトセはなんとなく記憶していた。
「なんかいつも誰かといるでしょう、その人たちはいいの」
「お友だちってそういうもんよ」
人形のように整えられたようなにっこりとした笑顔があまりに腹立たしくてヒトセはクロエの目の前でドアを閉めた。
「ひどい」
けらけらと笑いながらなんということもなくクロエはドアをあけてはいってくる。
「それに必要ならお友だちになってくれるわよ、皆」
そうつぶやいて少し目を細めたクロエの横顔や何もかもは彼女の心情なんて置いていったままにどこまでも綺麗で、ヒトセは絵画を眺めているような心地がした。その間にクロエはヒトセを追い抜いていつもヒトセの座っている席の横に座る。
ヒトセははあ、と思いながらその横に座った。
「お隣ね」
「そりゃあ、私の隣に貴女が座ったんじゃないの」
「え?でも今日は貴女がすすんで私の横に座ったわ」
「……」
確かに自由席だからいつもの席でない席でも座れるわけだし、固定の席が出来つつあるとはいえ今日クロエが動いたように一定数移動する生徒もいる。
「そんな真面目に感心って顔されると少し恥ずかしいんだけれど」
ふふ、と頬に手を当てクロエは貴婦人のような微笑みを浮かべた。
「隣が誰でもこの席が空いていたらここに座るから関係ないな、って結論が出たところよ」
ヒトセはノートで前回の復習を始める。
「うん、なんか急に目が冷たくなったと思った」
クロエは愉快そうにそんなヒトセを眺めていた。
「ヒトセさん、あっちでクロエが探してたよ」
普段話したこともない生徒に話しかけられることが増えてきたことにヒトセは目に見えてうんざりしていた。基本的にはクロエに関係することだったけれど、時折、授業の話などを聞かれることもあるから、一応は用件を聞くことにしているのだ。
「……ありがとう」
ヒトセはクロエが探している、という方向とは逆の方向に歩きだした。え、とかあれ?とかいう声は聞こえないふりをした。
広い校舎はこういうときくらいは役立ってくれなきゃ困る。
ヒトセはクロエのことが嫌いなわけではなく、クロエの何かのためにぶつかっていくその愚直さやそのために努力をしようとする強かさに尊敬の念すら持ちはじめていた。
「そんなに欲しいものかしら」
廊下の上を沢山の靴音と話し声はいくつかの群れを成して目的地に向かってぞろぞろと動いていく。そんな中ではヒトセの小さな呟きと靴音はすっかり埋もれてしまう。
ふと聞きなれた声が廊下の先からして顔を上げた。
跳ねるようなテノールの声。今日も寝癖のついた髪、タイがほんの少しだらしない。
「ヒトセ」
気づけばクロエが後ろに立っていた。そんなに長く惚けて見つめてなんかなかったから、いつの間にか現れたようなクロエにヒトセは分かりやすく驚いた。
「なに見てたの?」
「先生。今日の寝癖を見ていたの」
「寝癖で占いでも?」
「違うわよ」
クロエはすっかり慣れた様子でヒトセの隣を歩き、隣の席に座る。周りの生徒もこの光景に慣れたらしく、いつも通りだ、という具合だ。
「……ヒトセは惚れ薬、使わないの」
いつもより頼りない声にヒトセがノートから顔をあげるといつも通りのクロエと目が合う。
「誰に使うのよ、野良猫とか?……猫に利くのかしら」
「猫に惚れられてどうするのよ」
「使い魔にでもなってもらおうかしら……」
魔法渉者は使い魔としっかりとした魔法での契約が難しい分、使い魔らしい使い魔と契約は難しい、と先週習ったばかりだ。惚れた弱みに漬け込んで猫を使い魔にするのも悪くない気がする、とヒトセは思ったのだ。
「猫を連れた魔法使いって格好いいじゃない」
まさに魔法使いって感じで、とヒトセは猫を連れた自分を想像してみる。猫には嫌われがちだから、なんだかとても楽しく思えた。
「ヒトセは魔法使いじゃないじゃないの」
「夢くらい見てもいいでしょう」
そう言うヒトセにクロエはけらけらと楽しそうに笑った。
「ヒトセ、最近友達が出来たんだって?」
魔法薬学の教室で後片付けをしているヒトセにからかうようなテノールが跳ねてくる。
「出来ていませんよ」
トン、トン、と材料を刻みながらヒトセは返事した。
「あまりにも熱のない返答にちょっと吃驚しちゃったけど、先生見ちゃったぞ、クロエ・ホワードさんと一緒にお昼食べているところ」
きゃ~っと恋話でもしているかのように楽しそうにはしゃいでいるインをヒトセは安定した温度で見つめ返す。
「先生、クメナスの泡は医務室でいいの」
授業で余った材料を使える素材にするのは、ヒトセの仕事の一つだ。
「あ、え、はい。楽しそうに見えたんだけど、まさかいじめられてました?」
そう言いながらインは目に見えて分かるようにおろおろとし出した。
「いいえ、あの子はいじめなんて自主的にする子じゃないわ」
そう言いながらヒトセは妖精に魔法で材料をばらすようにお願いしながら、まだ新鮮さのある材料になっていた薬草のいくつかを土に埋め戻す。
「はあ、いつ見てもすごいですね、ヒトセの、それ」
インはじっとヒトセの手元を見つめた。ヒトセがそっと土に埋めてやり、茎を撫で、水をかけてやった薬草は、しゃんとして伸び伸びと元からそこに生えていたかのようにそこで落ち着いている。
ヒトセが縁も縁もないこの学校に通えている理由はこの植物を育てるのに長けた面と、薬を作ることに長けた面をもってインが校長に直談判してくれたからだった。
「私は折角学校に入ったのだからヒトセにもっと学生らしく楽しく過ごして欲しいんですよ」
「私は今すごく楽しいですよ。こんなに興味深い勉強が出来るなんて思ってもなかった!」
「ああ、うん確かにとっても楽しそうですね……」
医務室の薬棚に素材を綺麗にしまうのも、妖精と一緒に何かをするのも、薬草園の植物の様子を見るのも、ヒトセはとても好きだった。それに、インが1つ、2つとくだらない話をしてくれるのだ。だから放課後のこの時間が好きだった。
「放課後の手伝いだってね、そこそこにしたっていいんですよ」
インはひょい、とヒトセがかき混ぜていた乳鉢を手に取る。
「そういえばイン先生も食堂のお弁当を食べているんですよね?」
ヒトセは妖精が終わったよ、と持ってきてくれた素材を瓶に詰めながら妖精の頭を撫でた。にこりとして他には?という顔をするから他の材料を手渡し説明をする。薬学室の妖精はいつも親切でとても優しい。
「うん、だってあれは私が掛け合って作ってもらったんですもん」
「えっ」
ごりごり、と先生の手元で硬い鉱物がヒトセがやるよりうんと早く粉になっていく。
「私も出身は東の方ですからね……ここの先生になって数年は耐えたんですけど、いやもう米も味噌も食べたくて駄々をこねにこねて、ことあるごとにシェフに美味しいお弁当をお土産に帰ってね!決め手は牛丼弁当でしたね」
ふふふ、と誇らしげに話すインがすっかり粉になったそれを器用にガラス瓶に放り込んで呪文を唱えれば幾つかの材料がどんどんと混ざっていく。
魔法って便利だ。
「……先生、質問があるのですが」