願いの叶う薬の噂
随分冷え込むようになってきた。午前の授業が終わり移動する生徒たちで廊下は賑わっているが、生徒たちの隙間から吹き込む風はひどく冷たい。
クロエは抱えているそう多くない紙束が異常に重く感じられ、げんなりしていた。
「ハァイ、クロエ、聞いた?」
するり、と女子生徒が人の群れからクロエに寄ってくる。
「ハイ、アメリア、もしかして貴女たちが裏でリハーサルしている間を埋める栄誉が与えられたこと?」
「だからクリスマスソングの楽譜なんて持っていたわけね」
クリスマスの1週前にチャリティーイベントがあり、合唱部はそこで2曲歌を披露することになっている。クロエはその伴奏をする予定ではあったが、先ほど弾く曲目が増えたところだ。
「リロ先生は私のことが余程お好きなようね……見つけるのが上手いったら」
リロ・マルークは占い学などを担当している教師の1人だ。クロエが入る気も手伝う気もなかった合唱部で伴奏をする羽目になったのはひとえに彼女が『合唱部にふさわしいピアノを弾ける生徒』を魔法で探したりなんてなさったからである。
ああ!貴方、見つけたわ!なんて詰め寄られ、あれよあれよという間に音楽室に連れ込まれてしまえば殆んど負けてしまった様なもので、2時間にも渡る協議の末譲歩に譲歩を重ね、全員練習のときと本番のみ、という条件をもぎ取ったうえで参加することになったのだ。
……1時間45分程は菓子にお茶にと引き留められ駄々を捏ねられていた時間であったが。
クロエがピアノを引き受けなければ、歌を歌えずに自分がピアノを弾くことになるかもしれない、そう思ったクラブ生徒の増援という最強の伏兵を得て、リロ・マルーク先生は伴奏者クロエ・ホワードを獲得したのだった。
ヒトセであればきっぱりとやりません、と断ったであろうか。詰め寄られて首を縦に振るなんて魔法使い失格でしかなかったが、クロエを探しだした件の魔法についてそれとなく尋ねて、特別に教えましょう、とだなんて言われてしまったものだから思わずこくり、と頷いてしまったのだ。
またそれはそれで新たな面倒事の始まりになったものだが、ヒトセを探しだすのにこれ以上便利な魔法もなかったため、クロエはリロにはうんと感謝している。それに、渋った分だけ同情を買えたのか、ピアノの礼か、そもそもが優しい生徒たちなのか、クロエは合唱部の人たちとも仲良く出来ていた。
「クロエのスペシャルコンサートの話ではなくて、先輩よ、ナタリー先輩」
ナタリー先輩といえば、先日ヒトセたちに話した例の願いの叶う薬を使ったんじゃあないか、という噂のある先輩であった。クロエが何も言わないのを知らない、という意思表示と捉え、アメリアは話を続ける。
「倒れちゃって保健室に」
「風邪かしら?」
最近の冷え込みはあまりに急なものだから、体調を崩す人たちが後を立たないらしい。ヒトセが夢でだって薬草園に行って材料を植えて、処理して、混ぜて……本当に素敵な夢……私ったらなんて勤労な生徒なの……と力なく微笑んでいたことを思い出す。
「私たち皆もそう思ったんだけどさ。先輩、なんだか気分が優れない、とここしばらく言っていたでしょ、めまいがひどいんですって。魔力の調子もおかしいらしくって、先生が付きっきり」
「本番までによくなるといいわね」
「そうね……それに先輩だけでなく、他にも具合の悪い生徒がちらほら保健室に担ぎ込まれているらしいのよ。何か嫌な病気が流行っているんじゃないかって」
嫌な病気、とは穏やかではないな、とクロエは眉をひそめた。
「アメリア、ノート忘れてる!35点のテストも!」
遠くからアメリアを呼ぶ声が飛んできた。振り返ればひらひらとノートとテストを旗のように振っている彼女の友人が目に入る。
「ちょっとなんでそれ掲げるのよ!クロエ、じゃあまたクラブでね!」
そういうとアメリアは旗に向かって一目散にかけていった。
音楽室に引き込まれていた分、少し時間をとられてしまった。ヒトセもライリーもどちらかといえばゆっくり食べる方なので、歩いていっても間に合うだろう、とクロエは少しだけ急ぎ足になりながら廊下を進んでいく。
「ねえ、知ってる?願いの叶う薬の話」
「なになに?」
女の子たちの声だ。賑やかな声に阻まれて誰なのか、何人組なのか、までは分からない。ただ、声だけは妙にはっきり聞こえた。
「手紙が届くんだって。何も書かれていない手紙が」
「悪戯でしょ」
「違うのよ、手紙ごしでカードを見ると文字が見えるんですって」
「カード?」
「作ったでしょう?会員……」
「おい!お前おかしいって!」
バツン、とラジオを切り替えたように彼女たちの声は聞こえなくなり、かなりの大声が耳に入ってくる。
「俺がどうだっていうお前の様子は可笑しいだろうがな」
「そりゃ成績の調子はいいかもしれないけど、頭の調子はよくなさそうだろ」
ふ、と空気が動いた気がして、クロエは思わずその風の流れを追う。周囲の生徒も同様にそうだったらしく、肩を掴んでいる男子生徒を不機嫌そうな顔で見つめるコールに視線が集まっていた。
「やっぱり具合が悪いんじゃないか。なあ、相手は特待生だろ、誰もお前を……」
「余計なお世話だ」
コールは神経質そうな様子で、肩に乗った手を叩き落としそのまま何処かに歩いて行く。
野次馬がわく前にかたがつき、すぐに周囲の意識も散っていった。
「ヒトセ!」
「な、なに?遅かったわね、昼休み終わっちゃうわよ」
クロエ遅いね、なんて言いながら昼食をほとんど終えヒトセがライリーと談笑していると髪を乱したクロエが息せききって飛び込んできた。
「無事!」
「貴方の方がよっぽど無事ではなさそうなのだけれど?」
「私ほど無事な魔法使いはいないって巷で話題なのよ、知らないの?」
「フェイクニュースじゃない?」
そう言いながらヒトセがコップに注いだ水を差し出せば、クロエはこくこく、と勢いよく飲み干した。
「今日の昼前って魔法薬学だったわよね?」
「そうよ」
「なにか、なにかあった?なにもない?」
落ち着いて来るとヒトセはあまりにいつも通りであることが分かり、もしかしてコールと何かあったんじゃあないか、というクロエの懸念は心臓がいつも通りの速度になるのと一緒に少しずつ晴れていく。
「そう言われると何だか何かあって欲しかったのかしら、と思ってしまうわね?何もなかったわよ。喜んで良いわ。今日は虹吐き薬を作ったの。これはもらえたけれど、飲む?」
ヒトセがポケットから小瓶を取り出して傾けると茶色い液体がちゃぷ、と揺れた。
「ジョークグッズじゃない、飲まないわよ」
飲んだら飲んだ分量分だけ、息が虹色になって口から飛び出す逸品である。
「結構自信作よ、妖精たちがかなり真剣に打ち込んでくれたの。あの子達が飲みたかっただけみたいだけど。完成品をわけてあげたら皆で虹を吐いてケラケラしていたわ」
「いい出来?」
「そうね」
この様子であれば何かされたわけでもないらしい。いい出来と言っていたから成績もよかったのだろう。とすればヒトセの出来が1番よかったものだからやっかまれたというところか、とクロエはおよそ見当をつけ、ふうと息をはいた。
「早く何かご飯買ってらっしゃい」
どうしたのだろうかと思いつつも食べそびれるのが最も堪えそうだ、と思ったヒトセがそう言って急かせば、クロエははっとしたように売り場へ歩いていく。
そんな様子のクロエを見て、ヒトセとライリーは顔を見合わせた。




