月が優しく煌めく宵闇
11.月が優しく煌めく宵闇 ~the moon shines in the mid night~
深夜12時過ぎ、周は大学近くにある第二のバイト先、『Bar Ten Dollars』で店じまいの準備をしていた。
いくら大学が夏休みとはいえ、平日ではあまり来客もない。
閉店は深夜2時だったが、これ以上客も来ないだろうと言うことで、早めに『Closed』の看板がドアにかけられた。
「おつかれ、周。今日もしんどかったなぁ・・・」
「それでも今日は店じまい早いじゃないっすか。早めに寝れるじゃないっすか。」
「まぁなー」
このバーを取り仕切っているのは、関西出身の神足健人。彼は、大学時代に沖縄で生活をし、沖縄に惹かれ、ここに根を下ろした一人だった。大学を卒業してすでに10年になろうか、というほどになるが、関西弁はほとんど脱けていない。
以前、周がここに初めて一人で飲みに来たときに、親身になって相談になってくれ、また年の差はあれどやたらと気の合うところがあった。
基本的に一人で切り盛りしていたのだが、そんな経緯もあり、周に頼み込まれ、夏休みの間だけということでアルバイトとして雇っている。
「そーいうたら、バイクの免許取りにいっとーんやろ。どんな具合なんよ。」
「明日卒検です。一発で受かってきますよ。」
「へー、言うやんか。」
神足は、ショットグラスを磨きながら笑いかける。
「気ー付けーよ。沖縄のアスファルトは滑るからなぁ。急制動ですっころんで、一発アウトなんかになるなよー。」
「うっ、分かってますよ・・・。」
「ははは。」
ショットグラスを全て磨き終わり、神足はおもむろにタンブラーを二つ取り出した。
シェイカーを片手に持ちながら、ベースになるリカーを選ぶ。
「ま、そしたら周の免許取得の前祝いや。一杯おごったろ」
「え、いいんですか。そもそもオレ未成年ですけど」
「一杯だけならな。二杯目以降は金取るからな」
「ちぇ・・・」
テーブルの掃除を終わらせた周は、カウンターテーブルに腰掛ける。
神足はアガイティーダを取り出し、フレッシュレモンジュースとガムシロップをシェイカーに入れ軽くシェイクする。
シェイクされたものをタンブラーに注ぎ、おもむろにオリオンビールを取り出した。
「え、店長・・・。オリオンビールをいれるんですか」
「あぁ。オレも作るん初めてなんやけど、アリビラのバーテンが作ったオリジナルカクテルらしいんや」
ゆっくりとビールが注がれる。ぱっと見は普通のビールのように見える。
「ベースはアガイティーダっちゅうシークァサーのリキュール。ちょいとパンチ足すためにフレッシュレモンを入れて、甘みを足すのにシロップを少々。あとはシェイクしたあとに『おじ-自慢のオリオンビール♪』ってわけ。名前は『オキナワンスター』っちゅうらしいわ。」
「店長、飲んだことあるんですか」
「『初めて作った』って言うたやろ。もちろん、うちん店ではおまえが飲むんが初めてや。旨かったらそのまま使うかもしれんけど」
「・・・毒味ってわけですね」
「ま、有り体に言えばな」
一口飲んでみる。確かに、シークァサーやレモンなどの、さわやかな柑橘系の香りがする。だが・・・
「店長・・・これシロップ入れ過ぎじゃないですか。『香りのいいビール』から『香りのいい甘苦いビール』になってますよ。」
「ありゃ、ほんまか。20mlやったらちょっと多かったんかなぁ。」
「ん~。まぁ、飲めなくはないですけどね。人によってはちょうど良いかもですし」
そっか、と言いながら、神足は煙草に火を付ける。天井に白いもやが波を作る。
煙草を咥えながら、残ったオリオンビールとトマトジュースをタンブラーに注ぎ、軽くステアする。
健康的なカクテル、と言っていいのか分からないが、レッドアイだ。
神足は、煙草の灰をシンクに落とし、ニヤニヤしながら周の向かいに腰掛けた。
「んで、オレにはいつになったら関西弁で話してくれるんかなぁ」
「敬語使ってるときは、ほとんど出ないですよ、関西弁なんて」
「ふーん、前に酔っ払ってたときは『親しい人としか関西弁で話しません』とか何とか言うてたけど?」
「う・・・」
「それに、昼間行ってるバイトの娘ーがかわいいなぁとか何とか言うてたやん」
「店長・・・絶対楽しんでるでしょ」
「当たり前やん。若人が悩み、苦しみ、のたうち回るのを笑ってみるのがオレの楽しみやもん」
(まったく・・・この人は)
そう思って、オキナワンスターを一気に半分くらい煽る。
思ったより度数が高いのか、軽くのどが焼けるような感じがする。
しかし、改めてであったときのことを思うと、前からこうだったな、とも思う。
この人は、あり得ないくらい、心の中にずかずかと入ってくる。
それでも、なぜか憎めないし、頭にこない。
なんというか、他人のパーソナルスペースのギリギリまで、あっという間に近づいてくるのだ。
しかし、それ以上は絶対に近づかない。
だからもし、周が拒めば、これ以上は話を続けないだろう。
「しょうがないでしょ。実際に敬語の時は関西弁は出にくいし、周りも標準語が多いから自然とそうなったし。それに、バイトの娘のことは、どうしようもないですよ。実際ラブラブなんですし。」
「ほんまなぁ。なんつうか、なぁ・・・。もったいないなぁ」
そう言って、煙草の煙を天井に向かって吹き上げる。
神足もレッドアイを半分くらいまで空け、煙草に口をつける。
しばらくの無言。
席を立とうにも、まだタンブラーには半分くらい残っている。
やはり、こう言うとき年長者には勝てない。
たまらず周は口を開いた。
「そりゃ、自分だってどうにかしたいなぁ、って思いますよ。でも、そうはうまく行かないでしょう。関西弁はともかくとして、好きになった娘に彼氏がいたんじゃぁ、しかもその彼氏がオレとも知り合いだ、ってんですよ。手出しはできないですよ。」
「いや、オレが言いたいのはそっちと違うて、関西弁のほうなんやけどな。」
神足は、最後に一吸いして、煙草をシンクに投げ捨てる。
シンクの水たまりに火種があたり、かすかな音を立てる。
「おまえがバイトしてるときも見てて思ったんやけどな、なんつうか遠慮がちなんよ。グラスが空になったお客さんがおっても、お客さんが話してたら聞きにいかへんやろ。お客さんが楽しそうに声かけてきても、どっかびびったような当たり障りのない受け答えする。悪いわけちゃうんやけど、人の目ぇ気にしすぎなんちゃうか」
「・・・それが、何か」
知らず知らず、口調がきつくなっていた。自分の口から出たとは思えない。
周は残ったオキナワンスターを一息に空ける。
強い酒を一気に煽ったので、一瞬頭の血が下がるような気がした。
「・・・すみません。言い過ぎました」
「ん・・いや、こっちも出過ぎた事を言うたかもしれん。すまん」
言いながら神足は、周のタンブラーを引き上げ、シンクに置く。
蛇口から水が流れる音が、店内に響く。
気づけば、少し目が回ってきている。
一気に飲みすぎたのだろうか。
「わかってるんですよ、自分が引っ込み思案だってことは」
ぽつりと周がこぼす。
「オレ、小学校時代に大阪から埼玉に転校したんすけど、その時派手にイジメ食らいましてね。1年くらいでまた京都に引っ越しになったんですけど、その時にはもうこうなってたんすよ。なんというか、処世術じゃないですけど、こうしておけば嫌われる事はないって」
酔っ払っている。そう頭では分かっているが、なぜか口は止まらなかった。
「嫌われたくない、嫌われるのが怖い、いじめられたくない。そんなのが染みついちゃったんですよ。今もそうですよ。お客さんに悪く思われたらどうしよう、とか思ったら・・・」
「そうか、すまんかった。」
神足はそう言って、いつの間にかグラスに注がれたウーロン茶を周に渡す。
「自分で、それが分かってんねやったら大丈夫や。そこまで冷静に客観視できてるんやったら問題ない。それをどう克服するかはお前次第やけどな」
残ったレッドアイを飲み干し、タンブラーに水を入れる。水で薄まった赤色が、どことなく寂しげに見えた。
神足は煙草に火を付け、続けた。
「オレも似たような経験があってな。中学時代は登校拒否。高校は行かずじまいやった。大学も、大学入学資格検定ってのをうけて入ったくらいや。そやから、オレも引っ込み思案っちゅうか、人の目を気にしまくるところがある。実際今でもおっかなびっくりやってる所はある。ほんでもな、顔色探ってご機嫌取って、そんなことばっかりしてる間に、なんとなくその人がどこまで許してくれるか、ってのが分かるようになってきたんや」
「店長が、ですか」
「笑えるやろ。そんなやつが今や客商売やってんねんから。人生どうなるかわからんって。周もそのうち、自分なりの克服方法を見つけられるやろ。」
神足はにっこり笑って煙草を燻らす。
中途半端な赤色になっている水を飲み干し、煙草を咥えながらタンブラーを洗い始める。
「さぁ、そのウーロン茶飲んだら、さっさと帰って寝る。明日卒検やったらなおのこと。ええな」
「・・・はい」
神足は、洗い物をはじめる。
周の顔を見ないように。
さて、オキナワンスターですが、ホテル日航アリビラのバーテンさんが作った、ホントにあるオリジナルカクテルです。
残念ながら、私は飲んだことないですが・・・。
ちなみに、神足店長が言っている大学入学資格検定は、平成17年に高等学校卒業程度認定試験(長・・・)に変わってます。彼が受験したのは17年以前という事で、旧名称を使っております。