月と学術書によって展開される恋と数式の解
1 月と学術書によって展開される恋と数式の解
〜Talking about Love Story and Numerical formula under the Moon and Learned Books〜
この地の夏は暑く、そして湿度が高い。今日はいつにも増して気温が高く、空調や扇風機が図書館の温度を下げようとしている。しかし、部屋の温度は高い。空調が仕事をさぼっているように感じる。それでも、外の気温と日差しを考えると、ここは天国に近いかも知れない。
「瑠依、この問題やけどさ、『サンゴとサンゴ礁の違い』ってやつ。何が違うかわかる?」
「少し考えたらわかるよ。」
「つれないなぁ。教えてくれてもいいやん。」
教養科目で出された課題を終わらせるために、飯沼周と犀場瑠依はR大学の図書館まで来ていた。二人はこの大学で理学部に所属する学部生である。
炎天下の暑い日にわざわざ大学の図書館まで足を運んだのは、一つは課題を終わらせる上でいくつか資料を調べないとわからないことがあったため。もう一つは単に空調の効いた場所で長時間勉強できるのが、大学近辺には他にないからだ。彼らは今年大学に入学した一年生のため、まだ車を持っていない。近くにファストフード店もない。そのため、彼らが勉強する場所は自ずと図書館になることが多かった。
「サンゴ礁は林とか森。サンゴは木。」
「え?なんかのなぞなぞ?」
しかし、周の質問には答えず、瑠依は図書館から借りた本を読み進める。彼の読んでいる本は古典力学の基礎的な理論が解説されている。瑠依はその本を読みながら、すでに手元の紙が真っ黒になるほど計算していた。
しかたなく周は自分の問題と向かい合う。そうだ、瑠依には瑠依の勉強があるように、自分には自分の勉強がある。そう考えて再び自分の問題に向き合った。これ以上話を続けるのは、図書館にいる他の学生に迷惑になるだろうと考えたためでもあった。
犀場瑠依は、入学当初から不思議な雰囲気を持つ男であった。その雰囲気は今でも変わっていない。いや、むしろ更に強めていると言っていい。入学時にすでにボサボサだった髪の毛はこの数ヶ月でさらに伸びている。話しかけても必要以上の会話はしないが、逆に必要最小限の会話をする。内容は的確で返答は早い。しかし、取っつきにくいかと言えばそうではなく、どちらかと言えば一緒にいても気疲れしないタイプの人間だと周は考えている。
突然、今まで読んでいた本を持って瑠依が立ち上がった。そのまま本棚の方へ向かっていく。しばらくすると、また違う本を持って席に着く。どうも今度は流体力学関連の本のようだ。今まで計算していた用紙を丸め新しい用紙を準備した後、再び紙を埋め尽くす勢いで計算を始める。
「なあ、物理の問題を解くのはいいけど、『サンゴ礁の科学』の課題、やらんで大丈夫なん?なんかよくわからん問題ばっかりやで?」
「もう終わってる。だから大丈夫。」
「マジ?それなら見せてくれへん?」
「別に見せても構わないけど、そんなに難しい問題はなかったと思う。それに、調べればわかる内容だったから、自分で調べた方がいいと思う。」
「まぁ、確かに『サンゴ礁に棲息するサンゴと宝石サンゴの違い』と『サンゴが白化する原因は何か』ってのは調べたらすぐ出てきたけどさ、『サンゴとサンゴ礁の違い』は調べても出てこうへんねんもん。」
「だからさっき教えただろ。サンゴは木、サンゴ礁は森とか林だって。」
そういって瑠依はにやりと笑う。
「どうせ研究を始めたらわからないことだらけなんだ。少しは推測してみたら?」
「そりゃそうかも知れんけど・・・」
周がつぶやく間に、瑠依はすでに問題を解き始めていた。導関数や微分方程式の羅列が紙を埋め尽くそうとしている。周は物理や数学といった、計算を必要とする科目が苦手だ。そのため、基礎物理学や微分積分学入門といった数式を使う一般教養の授業は、ことごとく残念な結果に終わっている。問題が解けないのが残念なのではない。すでに問題すら理解できないことが多い。残念なのはこのままでは単位が取れないことだ。
夜8時頃、瑠依がペンを片付けだす。その音に気づいて周は頭を上げる。二十枚ほどあった計算用紙は、いつの間にかどれも両面とも真っ黒になっている。周が見ている限りで、シャープペンシルの芯が二回ほど変わっているはずだ。芯と紙の無駄遣いではないかとも思うが、あのあと何冊か参考書を調べてみたが結局わからず、いつの間にか眠っていた自分は、時間の無駄遣いをしている気がする。
周も資料や参考書を閉じ、ノートとペンを片付ける。周は参考書を、瑠依は解析学の教科書、いつの間にか (と言っても周が寝ている間に他ならないが) 解析学の勉強をしていたらしい、を元の棚に戻し、図書館を後にする。
日が落ちてもこの地は蒸し暑い。湿気の固まりが体にまとわりつくようなこの暑さは、しかし周の故郷の夏の夜に似ているため心地よかった。
「日が落ちてもやっぱ暑いなぁ・・・」
「それは仕方ないさ、地球温暖化が進んでるから。」
「でも、あんまり関係ないんちゃうの?地球温暖化とは。」
「うん。気温は十年で一度くらいしか上がっていないよ。」
すこし瑠依を睨めつけてやる。こいつはさらっともっともらしいことを言うから、気づかない間にいろいろだまされていそうだ。
「そういえば、わかったの?サンゴとサンゴ礁の違い。」
「いーや。お前の訳わからんナゾナゾのせいで余計わからんようになった。」
「そうか、それはすまない。」
ったくコイツは・・・。まったく心がこもらない調子で謝られても納得いかない。謝るくらいなら答えを教えて欲しいものだ。
「お前こそどうなんよ、物理の問題ばっかりやってたみたいやけど。」
「うん、まあまあかな。理屈自体は高校物理の延長だし、理解はできるんだけどね。導関数とか微分方程式が混ざってくるから、なかなか進まないかな。数学が物理から派生してきたことがよくわかるよ。」
「・・・あっそ。」
ドーカンスーってなんだよ。微分の方程式ってなに?とはさすがに聞けない。というよりは聞いたところでちんぷんかんぷんになることは目に見えている。
「周こそ、微積入門は必須科目だろう?ちょっとは勉強しないとまずいんじゃないか?」
そう、確かに問題はある。しかし、テストが出来なくても『レポート』という名の救済措置もあるので、周はあまり心配していない。そもそも、そういった計算は今ではコンピュータがしてくれる。公式を覚えてうだうだ計算するよりも、計算方法を調べて、それをプログラムして打ち込んだほうが確実ではないかと、常々周は考えている。
「それはさておきさ」
この話題で行けば、明らかに瑠依のほうが有利だ。別に勉強の話題に有利不利などないといえばそれまでだが、先手を取られ続けるのはなんとなく頂けない。そう思って、くだらない話題に切り替えようと考えたのだ。
「瑠依って、恋愛経験とかあんの?」
「…えらくまた話が変わるなぁ。なんでそんなことを聞くんだい?」
「いやぁ、純粋な興味っていうの?オレ自身はそれなりにあったほうやから、瑠依にも会ったのかなって思ってさ。」
周は、おそらく瑠依はこういった経験は皆無だろうと考えたのだ。見るからに身だしなみに気をつけない、他人との距離を取ろうとしている男に、恋愛経験が豊富だったら、という仮定がどうしても考えられないからだ。
「…。なるほどね。」
「え?」
「大方、勉強の話題を変えたいと思って、無理矢理話題を変えにかかったんだろう?」
「い、いやそんなつもりは…」
「いいよ、だったらオレが愛するアインシュタインと、彼が考え出した相対性理論を、君が嫌になるくらい語ってあげるよ」
そういって瑠依はニヤリと嗤った。
物語冒頭で出てきたクイズ
「サンゴとサンゴ礁の違いとは?」
途中でヒントも出てきましたが、いったい違いは何なのでしょうか?
結構あやふやなまま使っている方は多いと思いますが、二つには明確な違いがあります。
地質学や地理をやっていた方には簡単かもしれませんが・・・
正解は次回の後書きで・・・