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カエル

井戸の端で女が三人姦しく話している。なになに、旦那がカエルが帰るなんてつまらない冗句で大笑い?それで年を感じたって?いやいや、そもそもカエルだってお家に帰るだろう。心外だぞ。それが冗句扱いされるならおれはなんと言えばいいのだ。


おれが井戸に落ちてからどれくらい経ったか知らん。おれはもともとここいらの水辺を渡り歩いたものだった。あたりの虫を食らいつくすもんだから、虫どもはおれを恐れてここいらの水辺からはいなくなってしまった。

食いはぐれてはさすがのおれも生きられんので、そろそろこのあたりからはおさらばかと思っていた矢先に井戸に落ちた。これがまあなんとも難儀な井戸で、妙にツルツルして登れん。

どうにもならんので、おれは井戸に座して虫の落ちてくるのをじっと待つのだ。

井戸端で話していた女どもが消え、いくらか経った。昼間は一筋の光が刺さん事もなくはないくらいのこの井戸だが、夜はもうなーんにも見えん。

耳を澄まして何か落ちてこないかとじっと待つ。

そういえば昼間の女どもはなにやら井戸の周りで皿を数える女がどうのと噂していた。なんと迷惑な。井戸に住むやつだっているのだから、夜中にいちいちそんなことをするなというのだ。カエルたるこのおれでさえ、ゲコゲコ鳴くのは女のためだと決めているに。


待てど暮らせど落ちるものはなし。そうか、おれは今井の中の蛙なのだな。文字通りに井の中の蛙だというに、井の中の蛙大海を知らずなどという言葉のせいでなにやら無知蒙昧で傲慢なものであるかのようではないか。なんと失礼な言葉なのだ。


しかしまあ、そうか。多分おれはここで死ぬのだな。


意識が霞む。孵ったころを思い出す。おれがカエルでなくオタマジャクシだったころ。おれは一生オタマジャクシなのだと思っていた。黒いフォルムに長い尻尾、あたりには兄弟どもがうじゃうじゃだ。

それが気づけば脚が生え、生まれ親しんだ尻尾はどこへやら、兄弟どももみなどこぞへ消えた。

オタマジャクシであったころの記憶は出会いと別れでは別れの方が多かったな。釣り合いが取れなくて不思議だが。

そうしてオタマジャクシを終えて、最後までこのあたりで生き残ったカエルはおれだけかもわからん。

そのおれも井の中の蛙として死ぬのだが。


そしておれは大海を知らぬ。おれが知るのはあたりの水辺だけだ。とはいえそれも仕方あるまい。おれは蛙。そう遠くまでは行けん。この命使い果たすまで歩いたとて、きっと辿り着けないだろう。

海は大きな水辺らしい。虫も多くいるのだろう。飢えもなく、水の枯れる心配もなく、なんと恵まれているのか。羨ましいものだ。

おれも生まれ変わったら、海のカエルに生まれたいものだな。


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