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柘榴の一枝が闇をはらう話

作者: 瓶八

 周公は両手に掲げていた黒い布を愛する女の枕元に置いた。

 布の上には枝が一本乗っている。

 今朝見つけて自ら手折ったものだ。

 枝には柘榴の実が一つ。

 その外皮は三つに裂け、中から覗いた紅い実が怪物の口内のように輝いている。


 床に伏せていた女——小苑(しょうえん)は体を起こしながら柘榴を一瞥し、そのあと呆れた眼差しを周公に向けたが、周公は怒られた気がしない。

 ため息をついた女は、諦めて柘榴の枝を手に取ると、注意深く調べ始める。

 やがて頷いて、周公の方へ居直った。

 どうやらお眼鏡に叶うものだったらしい。

 「影を取らせましょう」

 小苑が呼びかけると、奥の部屋から下女が出てきて準備をはじめた。


 あっという間に小苑の寝台は、白無地の衝立で三方を取り囲まれた。

 その間、小苑は慣れた手つきで愛用の燭台に灯を点した。

 周公が下女を手伝って中庭に面した雨戸を閉めると、部屋は闇に包まれ、衝立には小苑と柘榴の枝の影が映った。


 小苑は少し変わった女だった。

 鏡に映った自分の姿を見て喜びを覚える人間は世に多いだろうが、彼女は自分の姿を影に映して眺めることを無上の楽しみと感じるのだった。

 草花を愛でるのも同じ調子で、気に入ったものがあれば、何としてでも影に映して、細々と角度を調整し、その姿の最も美しい佇まいを求めようとした。

 そして()い影が得られれば、自分も影となってその世界に入り、草花との取り合わせを楽しむのだった。

 周公の正妻は小苑の影好きを薄気味悪いと毛嫌いしているが、周公は心ある趣味だと思っていた。


 「大変ようございますね」

 興に入った様子で衝立に映る影に向かいながら、柘榴の向きを変えたり、立ったり座ったりしてあれこれ試す小苑を、周公と下女は眺めていた。

 彼女は二月前とは見違えるほどに痩せてしまっていた。

 前から煩っていた病がいよいよ酷くなり、伏せる時間が日に日に伸びて、今では周公が訪れる時くらいしか体を起こさないということだ。

 しかし今、影に遊ぶ彼女は、そのような境遇から自由となり、夢中になっている。

 ふてぶてしい割れ柘榴を備えた静かな枯枝は、病に衰えた女の居姿と衝立の上によく調和して、しみじみとした淡い景色を作っている。

 その(おもむ)きをこの女は面白がっているのだ。

 十日ほど前に見事な菊の一枝を持参した時には、ここまで嬉しそうではなかった。

 「花はよくできているんだが、人間の方がこんなに痩せちまって」そう言うなり、小苑の影は肩を落として、早々に灯火を吹き消してしまった。


 その吐息が周公の心の火もかき消してしまい、この十日というもの、暗闇の中にいたようであった。

薄田泣菫の随筆のひとつ『影』の中に明末の貴公子・冒巣民と愛妾・小宛の逸話がある。気に入った話だったので泣菫のフレーズを拝借しつつ、自分の勝手な妄想を付け加えたものを書いたことがあった。その後、機会があって原典である、冒襄『影梅庵憶語』を読む機会があった。事実は自分の想像した話とは違い、小宛はより重厚な人格を持ち冒巣民の正妻からも可愛がられていた。彼女を失った冒巣民の想いの深さ、二人を結びつける数々の逸話、それらを書き尽くす冒氏の筆力は、ただ事ではない。

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