09 伯爵家
私の家族は母親だけだった。面倒はみてくれなかったが飢えない程度には小遣いをもらっていた。男の人がいる時は私の存在を丸ごと忘れてしまうような駄目な母親。
あの時は母親に嫌われまいと必死だった。見捨てられたら生きていけない。
好きだったのかと聞かれれば返事に困る。
今は顔もぼんやりとしか思い出せない。
母よりもノーシャばぁばのほうがずっとずっと大好きだ。
私を拾ってくれたばぁばは孫娘としてとても可愛がってくれた。
でも、私自身がどうしても心を開ききれなかった。迷惑をかけたり困らせたりしたら追い出される。
最初の頃はそう思っていた。
良い子でなければ捨てられる。
途中からは『いつ捨てられても生きていけるように』と先の事を考えるようになった。
私には家族がいない。
ひどい家族と仲良くする必要はないと思う。
母親は…いなくなった私に何日も気づかず、捜しもしないと予想できるから、こっちだってもう一度、会いたいとは思わない。
でもフォードは違う。
愛してくれる家族がいるのなら仲良くしてほしい。
でもね、その家族の輪に私が入れるかと聞かれたら…とても厳しい。
お城だった。いや、王城は別にある。とても立派なシンデレラ城みたいなお城があり、そこで王様が暮らしている。
フォードの実家はそこまでは大きくないけど、建物はどう見ても『洒落た古城』だった。そして門から古城にたどり着くまでかなりの距離を馬車で走っている。街中からだともう一時間以上。
「うち、不便だろ。王都のはずれでさ。庭が広いんだよ、剣の鍛錬場とか乗馬場とかもあるからさ」
ファーナム伯爵家から馬車が迎えに来た時は『大袈裟な』と思ったが、これは馬車でないとツライ距離だった。せめて自転車が欲しい。この世界にはないけど。
フォードに言われて今日はお出かけ用の真っ白なワンピースに腰の辺りに大きなリボンがついた可愛らしいコートを羽織っていた。靴も冒険者用のショートブーツではなく人形が履くような丸いフォルムの厚底靴に足首で結ぶリボン付き。コートと靴はくすんだオレンジ色。
生まれて初めてリボンがついた服を着た。日本でも着た覚えがないが、伯爵家を訪問するのにいつものキュロット冒険者スタイルは駄目だろうということは理解できた。
フォードも王子様のような格好をしている。タキシードよりはちょっと派手で、フロックコートを羽織っている。色は黒でまとめられているので派手さはないが、存在が派手なのでとてもかっこいい。イケメンは何を着ても似合うが、普段の冒険者スタイルのほうがフォードらしくて好きだった。
馬車が停まると先にフォードが降りる。それから私に手を差し出した。
履きなれない靴で転ぶとみっともないので素直に手を借りて降りると、ひょいと抱えられた。もう何度もされた片腕での子供抱きである。
「あ、あの、屋敷の中に入るのに、これは…」
フォードは御者に荷物を頼み、スタスタと歩きだした。
玄関に近づくと内側からバーンッと勢いよく開いた。
ドレス姿の美しい女性が飛び出してきた。虎耳でなんだか迫力がある。フォードと同じ色の虎耳ということは…、お姉さん。確かお姉さんも一人いるって言ってたよね。
フォードに小さな声でささやく。
「お姉さんですか?」
「まぁ!」
フォードにだけ聞こえるように言ったつもりだが、本人にも聞こえてしまったようだ。
迫力美人は満面の笑みで言った。
「ヴィクトリアよ、お母様って呼んでね。さぁ、中に入って。疲れたでしょ?お部屋で休む?それともお茶にしましょうか?」
「ちょっと落ち着けよ、まだ紹介もしていないのに」
「アリーちゃんでしょ?リム君から聞いているわよ。我儘な末っ子を教育してくれているって」
フォードが小さく『リムゼン、殺す』と呟く。
「フォード、降ろしてください」
「嫌だ」
「お願いします。ご挨拶するのにこのままは嫌です」
「駄目だ」
「フォード」
いくら番(仮)だとしても、親族に挨拶するのに抱えられたままは恥ずかしい。
じっと目を見ると、諦めて床に降ろしてくれた。貴族の挨拶はわからないが精いっぱい、丁寧に頭を下げる。
「アリーです。しばらくお世話になります」
「そんなに畏まらなくてもいいのよ。ここはアリーちゃんの家でもあるのだから。まずはお部屋に案内するわね」
いつの間にかメイドさんが待機していた。たれ耳の茶系犬耳さんだ。
「フォード様のお部屋にご案内いたします」
フォードが私に言う。
「オレの部屋、そのまま残ってんだよ。ここは部屋数、多いからな」
確かに…、多そうだ。
「敷地内に従者の家や庭園もある。池は…、今の季節だと寒いな」
階段を昇って二階、フォードの部屋に到着した。私達の荷物も運びこまれている。
「アリー様のドレスはこちらにご用意しております」
メイドさんの言葉に首を傾げた。
「ドレス…ですか?」
「はい。年越しでパーティをいたしますので必要かと思いまして。イザベラ様が御幼少の頃に着用していたものの中から何点か」
イザベラ様…とはお姉さんだ。ずっと保管し続けてきたものなら大切な思い出の品ではないだろうか。
「イザベラ様は嫁がれる際にお気に入りを持って出ておりますので、残された衣装に関しましては奥様が一任されております」
小部屋の中にはドレスやワンピースが十着以上、用意されていた。
多く…ないか?
「当日までに試着をお願いいたしますね」
フォードに目線で助けを求めると。
「本当は買いたかったしオーダーメイドが良かったけど、アリーがもったいないって言うから。今回は内輪のパーティだけど、王城にあがる時は作ろうな」
ドレスを作ること以上に不穏な言葉を聞いた気がした。
「王城に…あがる?」
「時々、招待状が届くんだよ。いままで断ってきたけど、アリーが可愛く装うなら行ってもいいなと思って」
カンベンしてください。と、私の心の悲鳴にかぶせるようにメイドさんが力強く言う。
「お任せ下さい!私達、フォーナム家のメイドが全面サポートいたしますわ」
いえ…、そんなサポートはいりません。
「ソフィアさんから聞いてはおりましたが本当に美しい黒髪ですね。今から結いあげるのが楽しみです」
「な~、アリーの髪はさらさらなんだよ」
「ここまで黒い髪は珍しいですよね。まるでおとぎ話に出てくる迷い人のようです」
迷い人?
フォードが教えてくれる。
「たまに異界から人が渡ってくる…って話があるんだよ。この間行った菓子屋も噂じゃ迷い人の店だ……、って噂がある」
言われてみれば日本で見たお菓子に似ていた…。
え、他にもいるってこと?
軽くパニックになりそうだったが、そっと深呼吸をする。
私がこの世界の人間でないことは今まで誰にも言ったことはないし、今後も誰かに言うつもりがない。察していたばぁばは匂い袋をお守りとして持たせてくれた。
自分は間違いなく迷い人だが、ではその知識は?と聞かれると何もない。どんな扱いを受けるかわからないし、信じてもらえる気もしない。
黙って平穏な暮らしを続けたい。
「お菓子屋って…、もしかして『ガレット』ですか?」
「あぁ、手土産に買ってきたからメイド達で分けるといい」
「ありがとうございます」
話しているとソフィアもやってきた。
「お荷物、片付けますね。ホリー、アリー様の着替えをお願い」
「了解です!」
着替える必要があるのか?と思ったが、貴族令嬢の中には朝食、午前、昼食、午後のお茶、夕食…と着替える人もいるとか。
暇なのだろうか…。
「滞在は十日間の予定ですよね。普段着も小物もたくさん用意してありますからお洒落を楽しみましょうね」
ホリーは女性の身支度のお手伝いが得意だというので『お任せします』と考えることを放棄した。