03 お風呂、嬉しい
自分としてはかなり食べたつもりだが、フォードにかなり心配されてしまった。
体調が悪いのか、緊張しているのか、挙句、毒を盛られたのではないのかと。
いや…、パン一個とサラダ、スープ、ステーキで十分だ。ステーキ、たぶん200gはあった。お腹いっぱいだ。
お腹いっぱいだったけどデザートのアップルパイまで食べてしまった。
動くのが苦しい。
「しばらく…、動けません」
「そうか。帰るぞ」
動けないと言ってるだろうが。
言葉にする前にひょいと抱えられた。
「アリーは本当に軽いな」
「………貴方ならばもっとこう…美人でばーん、ぼーんっとしたスタイルの女性を選び放題なのでは?」
少し考えて。
「いや、育てるのも悪くない」
「これ以上、育ちません」
「気にするほど小さくもないだろう」
どこが?とは聞かなかった。体型からすればこの胸の大きさは平均的なはず。
「ところでどこに連れて行く気ですか?」
「オレの家だ」
「まさかと思いますが伯爵邸ではありませんよね?」
「この近くに小さな家を借りている」
その返事に正直ホッとした。大邸宅は足を踏み入れたこともないので落ち着かない。
ばぁばの家は2DKくらいの木造平屋。小さな畑と井戸があった。
日本での暮らしは1DKの木造アパート。今ならわかる。母が男を連れ込むのに、私がいたら邪魔だ。追い出されていた時はみじめで寂しくて辛かったが、家に残されても困る。母親の情事見学などトラウマ確定案件。ぼっちと空腹のほうがまだ耐えられる。
日本で豊かな暮らしをしていたら、この世界の不便さに精神をやられていたかもしれない。電気の代わりに薪やろうそく、水道の代わりに井戸。王都は魔法のおかげでもう少し便利だが、田舎はまだ人力に頼っている。
現在はギルド横の共同宿舎で部屋の広さは三畳程度。ベッドと小さな棚しかない部屋だが、寝に帰るだけなので困ることはない。
荷物は増やさないようにしていた。
いつどうなるかわからない暮らしだ。無駄な物品より現金で残しておきたい。
「大きな家のほうが良ければ引っ越す」
「いや、いらないです。掃除が大変です」
「メイドを雇えば良い」
「落ち着きません」
「着いたぞ」
案内された家には門があった。がっしりとした鉄の門と高い壁。門は自動で開き、自動で閉まった。
そして目の前に豪邸。一階建ではあるが横幅も奥行きもありそうな美しい洋館だ。
これのどこが小さな家なのか。
「立派なお屋敷ですね」
「オレの一人暮らしだから狭いぞ」
「寝室はいくつですか?」
「さぁ…、四つ?五つかな。使っている寝室はひとつだけだ。おまえも同じ部屋でいいよな」
「よくありません。個室を希望します」
「客間は準備していない」
玄関のドアも自動で開いた。
「鍵は…、魔法錠ですか?」
「あぁ。オレの魔力を流しこむと開く」
すとん…と床に降ろされた。
「オレの魔力でしか開かない」
「………そう、ですか」
「逃げようと思うなよ。無理に開けようとすれば弾き飛ばされて怪我をする。オレが許可しない限り、誰も入って来ないし、出ていけない」
監禁宣言ではないか。
「これから恋愛結婚をしよう。と、思う相手に言う言葉ではありませんね」
「これから恋愛結婚をするのに他のオスが必要か?」
限定一名様相手では恋愛結婚とは言わないが、不毛な押し問答に疲れてきた。
お腹も満たされているしもう眠りたい。
「………眠いです」
「寝室はこっちだ」
広い玄関は二十畳くらいあって、花瓶やら彫刻やらが飾られていた。この世界基準だということを差し引いても天井がかなり高い。日本でなら二階建ての高さだ。
玄関から幅広の廊下を歩いたつきあたりに寝室があった。
予想はしていた。寝室も広かった。そしてベッドは正方形だ。私サイズなら五人は眠れる。
「風呂、入るか?」
「え?入れるのですか?」
「やっと嬉しそうな顔をしたな……」
ついて行くと立派なお風呂があった。ちゃんと湯船もある。石鹸もシャンプーらしきボトルも。
寝室にいくつもドアがあって、そのうちの一つが水回り。洗面所と最新式の水洗トイレまで。
「ここに魔力を通すと湯が出る。ぬるくなったらもう一度、魔力を通す」
蛇口の横に丸い石がはめ込まれている。
「私、魔力がないのですが」
「………いや、あるだろ」
「魔力を感じたことがないので、使い方もわかりません」
私の手を握った。
「なるほど、眠っているみたいだな。慣れるまではオレの魔力を分けてやる」
「分けられるものなのですか?」
「番は体質的にあらゆる波長が合う。魔力の共有だってできる。知らないのか?」
頷く。
「ところで風呂は一緒でいいな」
「別々で」
「一緒に入れば一度で済む」
「恋愛結婚するのに、初日から一緒に風呂なんて、絶対にないです、お断りです」
フォードは舌打ちしたが、引いてくれた。
ゆっくりとお風呂に入った。こんなにゆっくりとお風呂に入ったことは日本でもない。というほど、ものすごく堪能した。だってしばらく…いや、二度と入れないかもしれない。
田舎のお風呂は水汲みが大変で、たっぷりのお湯を用意できない。王都には共同浴場もあるが、一回の料金が高くかなりの贅沢となる。そして日本ではシャワーしかついてない部屋だった。
お風呂から出て買ったばかりの下着と寝間着を身に付ける。薄い夜着ではなく、丈の長いシャツだ。
ほこほこしながらお風呂を出ると『遅い』と文句を言われた。
「のぼせて倒れてんじゃねぇかと思ったぞ」
側に来て身をかがめる。たぶん匂いを嗅いでいる。
「まぁ、きれいにはなったみたいだな」
「そんなに臭かったですか?」
「混ざった匂いがしていただけだ。今はおまえの匂いしかしねぇ」
先に寝てて良いと言われて布団の中に潜り込む。
今夜で処女喪失だろうか。
フォードは私を逃がす気がなさそうだが、それはいつまでだろうか。番の拘束力はどこまで強力なものなのか。番ではない夫婦もたくさんいる。
明日から何をして生きていけば良いのか…。
「なんでそんな隅で寝ているんだ?」
フォードが上半身裸で、髪をがしがしとタオルで拭きながらベッドの端に座った。
「髪も乾かしてねぇな。ほら、一度、起きろ」
フォードが私の頭を包みこむ。うおっ、これはドライヤーか?魔法でドライヤーの代わりもできるのか?
「フォードは魔力が高そうですね」
「まぁ、そうだな」
「冒険者ランクを伺っても?」
「A5だ」
数字は登録している全登録者のうち、何番目かを意味している。ちなみにA5ならばAランクの五位…。
「え、五位ですかっ?」
「今はな。依頼によって多少、前後する」
具体的な番号の表示は99位までで、以降は100単位、1,000単位…となる。私はG100,000。この国の冒険者登録数は10数万人だから10万アンダーと呼ばれる最底辺の一人。
Aの上にSがいるが、そちらは王室公認の『勇者様』扱いなのでランクはつかない。噂によるとSの中にはAよりも弱い人もいるとか。王室公認を嫌う冒険者も多く、逆に王室公認になりたがる人もいる。
「フォードは神様に愛されていますね」
「今日、初めてそう思った」
機嫌良く言う。
「番を見つけた」
「そんなことより、伯爵家に生まれて、Aランク冒険者になる才能があり、恵まれた容姿であることを感謝したほうが良いかと」
呆れたようにため息をつく。
「番と出会うことのほうが大切だ」
手を握られた。
「ちょっと魔力を通すぞ」
じんわりと手が暖かくなってきた。
「毎日、少しずつ通せば感覚が掴めるようになる。体内でうまく保管できなければ魔石を使えばいいが…、アリーの魔力量なら一週間くらいで風呂を沸かせるようになるぞ」
これが魔力…。あったかくて気持ちいい。
「ほら、髪も乾いた。寝ろ」
シーツの上に倒れ込んだ。横にフォードも潜り込む。
「なぁ、恋愛ってこれであっているか?」
「………出会った初日で一緒の布団では寝ないものです」
「使える寝室はここだけだ」
なら、仕方ないか。
ぽかぽかと全身が暖かくなってきてそのまま眠りについた。