24 マヨ、美味しいのに
マヨネーズの作り方。
卵黄、酢、塩、サラダ油…を混ぜるだけ。サラダ油と呼ばれるものはないが、植物性の油ならある。酢も近いものがある。あとは新鮮な卵。
サラダ油は少しずつ混ぜ合わせながら…で、材料さえわかればそこまで難しいものではなかった。
混ぜるの、疲れるし、練習が必要だったけど。
混ぜるだけなのでフォードに手伝ってもらおうかと思ったけど、かつてないほど不機嫌そうなので諦めた。
セブンとの事を怒っているのだろう。
フォードが嫌がるなら今後は極力、避けよう。フォードを怒らせてまで親しくする理由はない。それに…、偽名にしてもあんなふざけた名前をつけるような人だ。他人をからかうのが好きなのだろう。そういったタイプは私も苦手だ。
幼少期は人付き合いに乏しく、こちらの世界に来てからは『異世界人』として溶け込めずに生きてきた。
他人の言葉をそのまま受け取ってしまうことが多いし、即座に気の利いた返しもできない。慣れない相手との会話は正直、疲れる。
なんとかマヨネーズを作り、パンを焼く準備をする。マヨはソーセージパンにも合うはず。それからコーンパン。あとはハムエッグに…。
調理パンをいくつかオーブンの中に入れ、余ったマヨネーズはゆで卵と刻んだ玉ねぎをあわせてタルタルソースにした。
野菜につけて食べよう。
サラダとスープ、それに焼き立ての調理パン。
「なんか…、いつもの調理パンと違う……」
「マヨネーズを使いました」
「さっきの…、セブンの野郎に教わっていたアレか?」
「そうです。マヨネーズは魔法の調味料なのですが…、こちらの世界では見たことがなくて」
新鮮な卵を使うため、材料費がとんでもなく高くなる。たとえレシピを知っていたとしてもフォードがいなければ作ろうと思わなかった。
「調理パンにマヨネーズはとてもあいます。セブンさんのおかげで長年の夢が叶いました」
フォードは眉間の皺を濃くして。
「いらない」
吐き捨てるように言うと、キッチンを出ていってしまった。
久しぶりに食べたマヨネーズを使ったパンはたぶん美味しかった。
コーンパンをひとつ食べただけでお腹いっぱいになった気がして、残りは冷ましてからマジックボックスに入れた。
ここに入れておけばフォードも食べるだろうと思ったが、翌日になってもそのまま食べた形跡がない。
そもそも家にいない。
どこに行くのか、いつ帰ってくるのかも聞いていない。リムゼンが呼びに来て、ディアスも連れて出かけてしまった。リムゼンにしては珍しく真剣な表情だったので、何かトラブルでもあったのか。
おとなしく待っていたが、三人とも夜になっても帰ってこなかった。
リムゼンはいい。ここに住んでいない。ディアスも…、別にいなくても気にならない。でも、フォードがいないのは…、家主なのに。
大きなベッドで一人眠るのが嫌で、自室のソファで丸くなる。
リムゼンとディアスは自由に出入りできるようにと鍵を持たされていたが、私にはなかった。
私が勝手に屋敷の外に出ないように、今も鍵はないままだ。
でも…、外に出る方法がないわけじゃない。
魔法を使えば出られる。
想像をする。考えて、それを形にする。
結界に邪魔されないよう気配を消して、ほんの数メートル先に移動するだけ。
長距離の移動では魔力が枯渇したが、数メートルならばたぶん問題ない。
勝手に家を出たら怒るかもしれないが、家事で時間を潰すのにも限度がある。ファーナム家ならば立派な図書館があるが、ここには暇つぶしになるような物がない。
フォードが屋敷に帰らなくなって五日目の朝、私はもともとの自分の荷物だけをカバンに詰めて冒険者ギルドへと向かった。
コートなしで歩くのは少し寒かったが、昼間ならば問題ない。フォードに買ってもらった洋服や小物はすべて置いてきたし、持ち合わせの現金も少ない。
今後の生活を考えて慎重に荷物を揃えなければ。
五日間帰ってこなかっただけで判断するのは早計かもしれないが、フォードのいない家に一人でいるのは精神衛生上良くなかった。
ディアスは一度、帰ってきたけど。
『ちょっとトラブルがあった。アリーは家でおとなしくしててくれよ』
それだけ言うと、すぐに出かけてしまった。フォードとリムゼンの事を聞く暇はなかった。
もやもやして落ち着かない。
自室のソファで眠っても、眠りが浅くてすぐに目が覚めてしまう。かといって、フォードと使っていたベッドではもっと眠れなかった。
ギルドの粗末な部屋の固いベッドでも熟睡できていたのにいつの間にか贅沢になってしまったようだ。
でも…、一人に戻ればすぐに元の生活を思い出す。
元々、分不相応な生活だったのだ。
フォードがいない間だけでも、元の落ち着いた暮らしに戻りたい。
狭い部屋。最低限の食事。仕事。
贅沢を言わなければきっと生きていける。
「アリーちゃん?」
ぼんやりと歩いていたらセブンに声をかけられた。いつの間にか繁華街まで来ていたようだ。
「どうしたの?今日はあのイケメンと一緒じゃないの?」
フォードをイケメンと言うが、セブンもよくよく見れば整った顔をしていた。金髪碧眼というだけでも王子様っぽい。
「おはようございます」
挨拶をすると笑われた。
「律義だね。おはよう。朝食はもう食べた?」
「いえ、まだ……、あまり食欲がなくて」
調理はしていたが、それを食べる気は起きなかった。一人で食べても美味しくない。
「そう?じゃ、ちょっとおいで。一緒に朝ご飯、食べよう」
少し考えた後、首を横に振った。
「いえ、用があるので失礼します」
セブンは苦手だ。行くアテなどないのに走り出した。
迷った末に向かった先は冒険者ギルドだった。その横にある食堂はかつての職場だ。
ランチ営業前の時間で、まだ仕込みも始まっていない。そっと覗くと茶猫のマギーが一人で掃除をしていた。
「あら、珍しい」
「おはよう」
「何しに来たの?ここはアリーのように恵まれた子が来るような場所じゃないわよ」
そんな事はない。いや…、恵まれていた、のか?
「なによ、その顔は。ほんと、何しに来たのよ」
「………フォードが、五日前から帰ってこなくて」
「あぁ、あのAランク冒険者で伯爵家の三男で超イケメンな、あんたを見つけてくれた番様ね」
マギーが棘を隠さずにハンッと鼻で笑う。
「なに、捨てられたの?」
「………わからない」
「わからないって、どうして?五日も放っておかれているんでしょ?番ならたった一日でも離れて暮らすのは苦痛って聞くわよ。何も言われてないの?」
「………些細な事で気まずくはなったけど、特に何か言われてはいない」
でも、フォードが家にいない事に耐え切れず逃げ出してしまった。
マギーが呆れたようにため息をつく。
「うっそ、信じられない。なんで黙って家を出てきたのよ。そこはギリギリまで居座んなさいよ」
えぇ…、そんな厚かましいこと…?
困惑顔になったであろう私にマギーが言う。
「向こうが『番だ』って言うから、アリーも従ったんでしょ?じゃ、責任はあっち。アリーが番の恩恵を受けるのに問題ないじゃない。まさかと思うけど、放っておかれて手ぶらですごすご逃げ出したわけじゃないでしょうね?」
いや、手ぶらだ。服や小物をあげるとは言われたが、結婚もしないのに受け取れない。
マギーが『バカじゃないの』と。
「それじゃ、あんた、振り回されただけじゃない」
「そう…かもしれないけど、別に、そこまで迷惑はかけられていないし」
「本当に?まぁ、いいけどぉ。それでここに顔を出したってことは、戻ってくる気なの?」
「また雇ってくれるかな?」
「私は歓迎するけど…、あと一時間もすれば店長が来るでしょ。ま、雇ってくれるとは思うわよ。だってライマの代わりはいても、アリーの代わりはなかなか見つからないもの」
マギーの言葉に少し驚いた。
「で、でも、ライマはすごく可愛くて…」
「腹立つほど可愛かったけど、酒で酔っ払った男にはすごく可愛いも、私程度のそこそこ可愛いも大差ないわよ。でも、アリーみたくみんなが嫌がる地味な掃除や準備を黙々とやってくれる子は少ないのよ」
掃除、片付け、野菜の下ごしらえ、調理の手伝い。一つずつはたいした仕事ではないが、地味に面倒で毎日…はきつい。
「朝の掃除はみんなで押し付け合いよ。今日は私の当番」
「そう、なんだ。私は…、接客のほうが苦手だから掃除のほうが好きだな」
「ほんと、変わった子ね。可愛いのに」
「え?」
「地味な黒髪に黒目だけど、従順そうで肉食系の男には人気、あんのよ。ここで働いていた時はライマがかばっていたからわかんなかったかもしれないわね」
喋っているだけだと仕事の邪魔かと思い、掃除を手伝う。机の上を拭いていると店のドアが開いた。
「まだ開店前……、ッ!」
マギーが突然、崩れ落ちた。
「マギーッ!?」
駆け寄ろうとした私の右手にカチャッと何か巻き付いた。
「何…?」
振り返るとなんとなく見覚えのある男が三人いた。平民と変わらない服装だが…、どこかで見た記憶がある。
「誰……?」
返事はなく、顔に布を当てられ…、逃走する間もなく意識を失った。




