02 恋愛とは
職場放棄したまま消えるわけにもいかず、食堂に戻って店長に事情を説明した。
男が。
そういえば名前…なんだっけ。フォーだかファーだか…。
「アリーがフォード様の番ですか?」
フォードか。
「だからここには置いていけない。ギルドに違約金を払ったが、それ以外にも改めて詫びを用意しよう」
フォードが店長と話している間に自分の部屋に荷物を取りに行く。ライマとも話したかったが、彼女はすでに接客に追われて忙しそうにしていた。
ちなみに『幼馴染のライマを一人残していくのは心配。だからこの職場に残りたい』というお願いは却下されている。
本当に心配なのに。
「アリー」
フォードに呼ばれて側に行く。
「ここで辛いことはなかったか?」
即座に『ない』と答えた。
「皆さん、良くしてくださいました。とても良い職場です」
そうか…と頷いて、店長に金貨を数枚渡した。
「アリーの幼馴染に新しい服や小物を用意してやってくれ。急に一人になったら心細いだろう。あんた達が気にかけてくれたらアリーも安心できる」
店長は『お任せ下さい』と胸を張った。
こうして私はフォードに拉致された。
私の荷物は小さなカバンひとつにおさまった。
「そんな薄着で寒くないのか?」
「夏に上京したばかりでまだコートを買っていないのです」
田舎から王都クロンまで馬車を乗りついで十日の旅だ。歩けば一ヶ月はかかる。歩くのはよほど腕に自信のあるものだけで、普通は乗合馬車を使う。
荷物は最小限にしておかないと、窮屈だし他の客の迷惑にもなる。何より大きな荷物は有料だ。
本当は田舎でずっと暮らしたかったが、ライマの両親に頼まれて一緒に上京した。ライマの両親も良い人達で『一人でも上京する!』と言い張るライマをとても心配していた。
上京で心配なのは道中だ。王都に着けば治安が安定するが、馬車での移動中は何が起きるかわからない。
私にライマを守るだけの力はないが、ライマよりは冷静で落ち着いている。消極的な性格は慎重で落ち着いているとも言える。一人よりは二人のほうがとおじさん達を説得した。
今後のために現金も欲しかった。田舎ならば自給自足で暮らせるが、一人暮らしをする予定ならば少しは貯えがあったほうが良い。病気や怪我をした時に必要となる。
旅費を考えても王都で稼ぐほうが効率的だ。
さらに『せっかくこっちの世界に来たのだから、ちょっと観光気分で』というのもあった。
豊かな日本で生まれたのに、千葉県に住んでいたのに、某夢の王国にさえ行ったことがないのだ、遠足も家庭の事情で欠席。
だから、これが人生はじめての旅行で冒険だった。
「先に服を買うか」
「………いえ、お気になさらずに」
「オレが気になる。適当に買っていいな」
高級店は敷居が高いため、露天商で買ってもらった。上着だけでなく他にもいろいろと買われたが、金銭感覚が異なるのだ。それに文句を言っても断っても、この人は買う。
困ったな。男女の関係にうとい私だが、このまま男についていったらどうなるか…はなんとなくわかる。
「食べたいものはあるか?」
「特には」
「好き嫌いは?」
「なんでも食べます」
幼少期の食生活がひどかったせいで、食べられないものがない。
料理をまったくしない母親で、男と会う時は私の存在ごと忘れる特技の持ち主だ。
千円札一枚を置いて一週間、帰って来ない時もあれば、アパートから追い出されて公園で生活したことも。
小学校に入学するまでが本当に大変で、小学生になって少しましになった。
学校給食は神の恵みだ。同じ年頃の子供より小さかった私がなんとか生きてこられたのは給食のおかげだろう。
こちらに来てからはばぁばの手料理で、愛情いっぱいでとても美味しかった。
男はひょいと私を抱きあげた。片腕で子供抱きである。
「自分で歩けます」
「このほうが早い」
「貴方の歩調に合わせます」
「足の長さが違いすぎる」
「背が低いことは認めます。不本意ですが、背に対して足も短いと思われます。これは種族的な問題です」
「食べても大きくはならないのか?」
「私は16歳です。伸びても数センチでしょう」
「小さいままか…」
いや、決して小さくはない。日本人女性としても少し小さいが、心配されるほどではない。
大体、この世界の人達が大きすぎるのだ。
「私は150センチくらいです。貴方は…」
「フォードだ、名前で呼べ」
「フォード様の身長は?」
「様はいらない。…200はないな。年は24歳。ファーナム伯爵家の三男で、冒険者をしている。そのうち家族にも会わせよう」
結構です。と、断る。
「貴族様に会うとか、無理です、平民を殺す気ですか」
「心配しなくてもオレが守る」
「そういった問題ではありません」
「着いたぞ」
私を抱いたままだというのに洒落たレストランの中に入っていく。
若い店員は少し驚いた顔をしたが、すぐに営業スマイルを浮かべた。
「いらっしゃいませ、フォード様」
「静かな席を頼む」
「個室をご用意いたします」
案内された席は六畳くらいの部屋でソファ席だった。
「果実水とワインを。料理は適当に」
雑な注文だが慣れているのか店員は一分も待たないうちに飲み物を運んできた。
果実水は柑橘系でほのかに甘い。美味しい。
「で、恋愛とはどうすれば良いんだ?」
「え、知りませんよ」
「知らないのに恋愛結婚したいって言ってるのか?」
「とりあえず、出会った当日に結婚を決めるとか、あり得ないって話です。何度か会って、デートして、少しずつ気持ちが盛り上がって」
「一緒に暮らすから毎日会うな。デートは…、一緒に出掛ければいいんだろう。気持ちはいつでも準備できている」
すごく嫌そうな顔になってしまった…と思う。
そうじゃない、そういったことではないのだと、説明するのが難しい。
「いえ、恋愛ってたぶんもっとトキメキとか…」
「それはなんだ?」
「………わかりません」
男性にトキメイたことがない。まず背の高さのせいで顔をまともに見られない。身長差で胸元を見ることになる。私が男性で相手が女性ならばセクハラ案件だが、別の意味でトキメイただろう。この国の女性は胸がとても大きいので。
いや、恋愛するのなら性格が大事。なんだけど、田舎の男性にはあまりトキメク要素がない。会えば収穫や天気の話であとは健康について。
育った村はうさぎ獣人が多く可愛らしい子が多かったので、黒髪でチビな私はそういった誘いを受けたこともない。
あの村にいればいずれ誰かと結婚していたかもしれないが、理由はトキメキではなく『この人となら家族になれる』的なもの。いい年してひとり者同士だから、結婚しとくか。みたいな?
幼い頃にテレビで見た男女のあれこれはまったく理解できなかったが、なんとなくキラキラしていた気がする。今もその程度の認識だ。おそらく私は恋愛に向いていないし、男女の付き合いに関しては『ろくでもない母親』というトラウマもある。
おそらく恋というものはとんでもなく難しい。
いっそ獣人ならば運命の波に勢いで乗れた…かもしれないのに。
「わからないものをオレに求めているのか?」
「求めていません」
「恋愛結婚が良いんだろう?」
「はい」
「では、オレにもわかるようにそれを教えろ」
「教えて理解できるものではないというか……」
困っているところに料理が運ばれてきた。彩り豊かなサラダにハムやチーズ。美味しそうだ。
「料理はまだくる。とりあえず食べたいものを好きなだけ食べろ」
お腹が空いていたので、その言葉には従った。