私の運命の出会い
そしていよいよ、私は十歳の誕生日を迎えた。バースデーパーティーが盛大に催される。
私はピンク色のティアードフリルドレスを着せられて、髪をオモチャみたいにくるくるとカールされて、主賓席に座らされていた。
頭上から降ってくふ歪んだ笑顔。礼儀正しく振る舞うふりをしながら、どいつもこいつも、ショーケースに並んだアクセサリーを値踏みするような目で、私を見下ろす。
凍りついた水面みたいな感情の欠落が、私を、頭の先からつま先まで、のみこんでいた。
皆が皆、親父と私を、何度も何度も見比べる。ビスクドールみたいに飾り立てられた私と、凶悪なガマガエルみたいな親父は、似ても似つかない。この二人が実の親子だなんて信じられない。皆が皆、そう思っているんだろう。
華やかに飾り立てた嘘の言葉より、鳩が豆鉄砲を食らったような阿呆面が、私にとっては一番の賛辞だ。
私は親父とママに挟まれて、お行儀よく、大人たちが心にもないおべっかを言っては、くるくる入れ替わるのを眺めていた。頭がぼうっとする。
手慰みに、私はスノーウィの髪を撫でてやった。
スノーウィは私の太腿に頭をのせている。スノーウィの同伴は、大人の事情とやらでこのくだらないバースデーパーティーに参加させられた私が、親父に突きつけた、たったひとつの条件だった。親父は「良いだろう。スノーウィはお前の一番のお気に入りだからな」と笑って許可した。私にねだられるまでもなく、はじめからそのつもりだったのかもしれない。
「バースデーパーティーにはお前も連れて行くからね。パパは許してくれたわ。お前も道連れよ。物凄く退屈だから、覚悟しなさい」
二人のメイドにドレスを着付けられながら、スノーウィにそう告げた。スノーウィは人間のかたちをした犬だから、私の言葉を理解している。でも、あの時のスノーウィは、オーガンジーのティアードフリルに顔を埋めて、鼻先で掻き分けるおかしな遊びに夢中になっていたから、私の話を聞き流していたのかもしれない。うーん、生意気。後でお仕置き確定ね。
大勢の見知らぬ人間達が犇く会場に到着すると、スノーウィは興奮して、不機嫌になった。私に近付く人間を片っ端から威嚇した。
親父はスノーウィを落ち着かせるよう、私に命じた。私はスノーウィの頭を太腿にのせて、頭を撫でて、宥めてやりながら「良い子にしなさい。吠えちゃダメ。唸っちゃダメ。良い子にしなさい」って言い聞かせた。
そうしたら、スノーウィは落ち着きを取り戻した。今はもう、ちゃんと良い子にしている。私の太腿に頬擦りをしたり、掌に頭を押し付けたりして、甘えてくるだけ。私のペットはお利口さんだ。私はちょっぴり得意に感じた。
スノーウィの柔らかい髪をくしゃりと掴むと、スノーウィは私を見上げた。グリーンの双眸はいつにも増して、きらきら輝いているような気がする。シャンデリアの輝きを瞳にうつしているから? とっても綺麗。髪を撫でる手を止めて、ついつい、見蕩れちゃう。
スノーウィは首を巡らせて、私の掌をぺろりと舐めた。「もっと撫でて」って催促しているのかな? 私に指図するなんて生意気だし、舐められるのは気持ちが悪い。私はスノーウィの頬を張った。ちょうど私の前に立っていた大人がぎょっとしたみたいだけど
構うもんか。私は私のやりたいようにやるんだから。
掌を汚す涎をスノーウィの白い髪に擦り付けてから、顔をあげる。見知らぬ男が私の前に立っていた。
不格好な男だった。四角張った骨格にみっしりと肥え肉をのせていて、背が丸い。足が短いのは、肉の重さに押しつぶされたのかな? 顔立ちには青年の若々しさの名残があるようだけど、生え際は敗走寸前の小隊もかくやという風に、だいぶ後退している。
目は小さくしょぼしょぼしていて、大きな鼻はつぶれていて、唇は分厚く幅も広い。豚みたいな顔だ。
男は腰を曲げて、私の顔を覗き込んだ。不細工。だけど、つぶらな瞳は澄んでいた。見つめていたら、吸い込まれちゃいそう。
でも、それだけだ。男が何事もなく立ち去ったなら、私はその男のことを数分後には忘れたと思う。そうはならなかったんだけど。
男が何か言いかけたとき、親父が私の肩に手を置いた。ママが息をのむ。
私が振り返ると、男が悲鳴をあげる。見かけ通りに豚みたいな悲鳴だ。男は親父の部下の屈強な黒服達に取り押さえられていた。
ママが弾かれたように席を立つ。親父は前のめりになるママの細い肩を、いななく馬をなだめるみたいに撫でた。ママが着席すると、親父は鼻先で笑い、椅子の背もたれに深くもたれた。
「やあ、はじめまして、シンクレア警部補。「悪霊の巣」に単身乗り込んでいらっしゃった、勇敢なる殉教者に敬意を表して、ご要望を承ろう。さあ、どうやって殺されたい?」
またはじまった。親父を「愛さない」奴が親父の邪魔をすれば、親父が仕返しをするのは当然のことで、それがどのような結果をもたらすか、私に見物させる行為を親父は教育と呼ぶ。
シンクレア警部補とやらは平伏して命乞いをした。
「ま、まって。まって。助けてください。ここで見たこと、聞いたこと、誰にも漏らしません。お願いします、助けて。どうか」
翅を千切られたトンボみたいに、のたうち回る男を眺めながら、私は鼻白む。刑事なんてタフな職業についている癖に骨のない男だ。
筋骨隆々のタフガイでも、徹底的に殴り、蹴り、取り返しの付かない損傷を刻み付け、致命傷を負わせる寸前まで痛めつけたら、泣き叫び、命乞いをしても、不思議じゃないけど。刑事がまだ爪の一枚も剥がされていないうちから命乞いをするなんて、がっかりだ。
親父は足を軽く上げて、革靴の光り具合を点検した。微笑みを絶やすことなく、ゆっくりと頭を振る。
「残念だが、シンクレア警部補。私が君に意見を求めるのは、君の処刑方法に限ったことだ。君が決められないなら、私が決めることになる」
シンクレアのあおっちゃけた丸顔から、みるみるうちに生気が抜けていく。
シンクレアは拉げ、床に投げ出した四肢を痙攣させた。絶望のどん底で悶え苦しみ、喘いでいる。親父は靴の角度を変えながら、光り具合をまた確認した。
黒服がアタッシュケースを携えやってくる。わざとシンクレアの目に入りやすいところでアタッシュケースを開いた。器具の正確な用途は、シンクレアにはわからなかったかもしれない。しかしその禍々しさは伝わったんだろう。シンクレアは瘧にかかったみたいにがくがく震える。目はこぼれんばかりに見開かれ、唇はわななき、歯と歯がぶつかり合って、がちがちと音をたてている。
私からは、アタッシュケースの中身が見えない。興味をそそられて、私は席を立った。ママの手がこわばり、私の肩に重くのしかかる。訝しく思って振り返ると、いつもに輪をかけて怯えた表情をしているママの手に、親父がソフトに触れた。ママに微笑みかけ、親父は顎をしゃくって私を促す。
私はアタッシュケースを開く黒服の隣に立ち、器具を見せるように命じた。黒服は恭しくアタッシュケースを差し出した。私が中身をのぞこうとしたとき、鋭い声が鞭のように私を打った。
「望みならある!」
不覚にも、私は竦み上がってしまった。声の主はシンクレアだ。黒服たちに押さえつけられたシンクレアが、昂然と頭をもたげていた。
その顔は土気色で、唇は鬱血して紫色に変色している。けれど、さっきまでとは別人みたいだった。怯えて狼狽え、鈍くなっていた瞳が輝きを取り戻している。シンクレアは私を見た。透明な空と同じ色をした目が、私を憐れんでいた。
『なんて、かわいそうな娘だろう』
私はショックを受けた。この私が、屠殺寸前の豚に憐れまれるなんて!
シンクレアは亀のように首を伸ばして、親父を見上げる。歯を食い縛り、掠れた声で言った。
「その子たちを部屋に帰してくれ。あんたらが仕出かそうとしていることは、いたいけなこどもの目に入れちゃいかんことだ」
親父が身を乗り出す。歯を剥いて笑った。
「それでいいのかい? この娘が見ていなければ、どんなに惨い殺し方でも構わない?」
親父はシンクレアを戯れに揶揄って面白がっている。悪魔に捕らわれたシンクレアは項垂れる。沈黙の間、シンクレアが知る限り、最も恐ろしい拷問と処刑、それによる苦痛の想像が、シンクレアを苛んだ筈だ。実際、シンクレアの身に降りかかる災難は、それを遥かに凌駕する苦痛に満ちているんだろう。
シンクレアは項垂れた。床に額をこすりつけている。弱々しく頭をふり、それでも、軽口を叩く気概を見せた。
「最も非道な殺され方は、回避させてもらったさ。ご親切にどうも」
「なに、礼には及ばんよ。君にはこれから、たっぷり愉しませて貰うからね」
親父はにやりと笑った。親父が目顔で指図すると、黒服たちは虚脱状態のシンクレアを引きずって行った。閉じたアタッシュケースを抱えた黒服が後に続く。居心地悪そうに押し黙る来客たちに一礼して、黒服は大広間の扉を閉めた。
親父は上機嫌だった。シンクレアの拷問と処刑は、親父自らプロデュースすることになるんだろうな。親父はあの気の毒な豚を気に入ったみたい。
シンクレアが退場させられた後、どんよりと重苦しい雰囲気のまま、バースデーパーティーはお開きになった。
私は寝支度を整えて自室のベッドに横たわる。誕生日の夜だけ、ママは就寝前に私の部屋を訪れ、私の額はなおやすみのキスをする。そうして、そそくさと私の部屋を後にする。
それはいつも通りだけど、この日のママは、なんだかちょっぴり、おかしかった。シンクレア騒動の後、私が話しかけても、ママは上の空だった。なにか、とてつもない衝撃の旋風に揉みくちゃにされているみたいに。どうしたんだろう。ママの前で拷問が始まった訳でもないのに。あれくらいの暴力は日常茶飯事だ。いくらママが小心者でも、そろそろ、慣れてもいい頃なのに。
ママの足音が聞こえなくなって、暫く経ってから、私はベッドから抜け出し、部屋からも抜け出した。ベッドの傍らの寝床で丸くなっていたスノーウィは、当然のように四つん這いで私の後についてくる。
放っておいたら、スノーウィはどこまでも私の後についてくる。待てと命じれば、スノーウィはいつまでも待っている。
私はスノーウィを連れて行くことにした。
親父は就寝中も、枕の下に拳銃を隠しておく。この屋敷も安全地帯じゃない。黒服たちが味方だとは、言い切れないからだ。
親父には敵が多い。今のところ、親父がファミリーの王様として君臨していられるのは、親父の後釜を狙う連中よりと、親父が強くて賢いから。そのパワーバランスが、いつまでも崩れない保証はどこにもない。
「俺たちは綱渡りをしている。ここが細い一本のロープの上だってことを忘れるな。少しでもバランスを崩せば、ワニが大口開けて待ち構えている川にドボン。おしまいだ」
と、寝物語に言い聞かされてきた。
スノーウィはいざって時に役に立つ。スノーウィは私のペット。私を守る狼だ。一ダースの黒服より、スノーウィの方が頼りになる。
シンクレアのことが気になっていた。シンクレアは地下牢に放り込まれたんだと思う。私は親父から地下牢の鍵を預かっている。いつでも好きなときに、憐れな愚か者どもの末路を見物出来る。大人に付き添って貰わなきゃ、どうしてまだ生きているのか不思議なくらいぼろぼろになった人間の展示を眺められないような、なよなよしたこどもではないことが、親父と私自身の自慢だ。
様子がおかしいママのことも、ちょっぴり気になる。でも、ママは私を怖がるから、会いに行かない方がいい。ひとりになってぐっすり眠れば、多少は気分が良くなるでしょ。
だから、私の目的地は地下室、それ一択だ。