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私の可愛いペット

 

 髪が真雪のように真っ白なので、名前はスノーウィにした。白雪姫の犬だしね。


 スノーウィは犬だけど、人間の男の子のかたちをしている。男の子の裸は嫌だから、服を着せることにした。なんの変哲もない白いシャツと黒いパンツだ。親父は面白がって、ドレスを着せろなんて言ったけれど、そんなの無視。スノーウィは私の犬だ。着せ替え人形じゃない。


 メイドに命じてスノーウィを着替えさせた時に気が付いたんだけど、スノーウィの体は傷だらけだ。親父いわく「出来る限り綺麗に治した」らしいから、これが現代医療の限界なんだろうな。


 着替えを中断させて、私は傍らにしゃがみこむ。スノーウィの傷痕を指先でなぞってみると、スノーウィは身を竦めた。あれ? 痛かった? 爪を立てた訳じゃないんだけど。まぁ、痛がっていたとしても、だからどうした? って思う。私がそうしたいんだから、スノーウィは我慢するべきよね。


 大小様々な傷痕が、スノーウィの体に根をはっている。なにをどうしたら、こんな体になるんだ? 犬奴隷の調教って、拷問のことなのか? 出荷するのが前提なんだから、「傷ひとつないまっさらな状態でお客様にご提供」するのが当然なんじゃないの?


「うーん……でも、まぁ……悪くない、かな。金継ぎみたいで……うん、気に入った」


 私はひとりごちた。金継ぎは、陶磁器の割れや欠け、ヒビなんかを漆で接着し、金粉で装飾して仕上げる修復技法のこと。親父が愛用しているライスボウルは、小さい私が癇癪を起こして、落として割っちゃったんだけど、この金継ぎで修復されて、元通りの姿より綺麗になって親父の手元に帰ってきた。


 親父が壊れても捨てずに、修復してまで手元に置いておく物はこのライスボウルくらいだ。

 親父のパパの形見で、元々は親父のママの形見だったらしい。親父のママは日本人だったんだって。二人とも親父が子供の頃に死んじゃったから、私は知らないけど。


 傷だらけのスノーウィは、親父のライスボウルに似ている。スノーウィもライスボウルも、親父の特別なんだろうな。


 肩越しに私を振り返ったスノーウィは、目を丸くして私を見つめている。びっくりして、固まっているみたい。よくわからないけれど、取り敢えず、頭を撫でておいた。スノーウィは目をぱちくりさせて、それから、うっとりと目を閉じた。


 メイドたちに服を着せられる間、スノーウィはなんとなく窮屈そうにしていたけれど、反抗したりしなかった。最初は、全然協力的じゃなくて、メイドたちがああしてこうしてと指図しても知らん顔をしていたんだけど、メイドたちの言う通りにしなさいと言う私の命令には素直に従った。

 スノーウィは従順なペットだ。私の命令には絶対服従するけど、私以外の人間の命令は歯牙にもかけない。


 スノーウィはよく躾けられている。



 排泄をしたい時は私に知らせる。一度でも垂れ流したら、私はスノーウィを捨てただろう。私はシモの世話なんて絶対にしたくないから、黒服に命じてトイレに連れて行かせる。私の命令で黒服に触れられる時は、スノーウィはちゃんと我慢する。 スノーウィは、トイレでちゃんと用を足せるらしい。


 スノーウィは顔や体が水に濡れるのを嫌がる。仔猫と一緒ね。違うところは、私が我慢しろと命令すれば、ちゃんと我慢するところ。メイドにお風呂に入れられるのも、体を拭かれるのも、髪を乾かされるのも、ちゃんと我慢する。


 一連の作業を終えたら、私に飛びついてくるのが鬱陶しいけれど、それくらい我慢してあげる。


 スノーウィが私の手を煩わせることは殆どない。私はスノーウィに食事を与え、気が向いたらボールやディスクで遊んでやるだけで良かった。


 スノーウィは私が餌皿に入れたものは何でも食べる。好き嫌いはないみたい。私が冷蔵庫を漁って、餌皿にぽいぽいと放り込む様々な食材をむしゃむしゃ食べる。それを見て、良いことを思い付いた。それから、食事の席にスノーウィを同席させることにした。スノーウィの席は私の足元。私は親父の目を盗んで、大嫌いなセロリやブロッコリーをスノーウィの餌皿に投げ入れる。スノーウィはきれいに平らげるから、証拠隠滅も完璧だ。


 作戦はうまくいった。三日目には親父にバレて、セロリとブロッコリーが山盛りになった皿が私の前に出されて、泣きながら食べる羽目になったけど。親父が私を泣かせたから、スノーウィは怒り狂って親父に飛びかかったんだけど、黒服のテイザー銃で返り討ちにあった。役立たずめ。


 ……でも、ほんのちょっとだけ、可哀想なことをしたような気がしないでもないから、スノーウィに私の好物をちょっとずつ分けてあげることにした。それで気が付いたんだけど、スノーウィは甘いものが好きみたい。キャンディーが好き。特にハードキャンディー、中でもドロップが一番のお気に入り。私はドロップをすぐに噛み砕いちゃうんだけど、スノーウィは口のなかでころころ転がして、少しずつ少しずつ、舐め溶かして、大事そうに食べていた。


 とっておきのご褒美はイチゴ味のドロップね!


 スノーウィは本物の犬みたいに、鼻が利くし耳も良い。身軽で素早くて、強くて賢い。

 虫やネズミをとらせたら、右に出るものはいないんじゃないかな。そんじょそこらの猫なんか、スノーウィの敵じゃない。スノーウィの顎は頑丈で力強くて、とってくるネズミの頭はペンチで潰したみたいにぺしゃんこになっていた。


 スノーウィは私の役に立つ。私を守る「強い狼」は私の敵には容赦しない。


 私はヴァイオリンを習っている。大人になって金持ちになったら、こどもにお金のかかる習い事をさせるのが、親父の子供の頃からの夢だったんだって。私自身は楽器演奏はおろか、そもそも音楽そのものに興味はないんだけど。親父の趣味に付き合わされているってわけ。


 私の家庭教師は、親父が大枚をはたいて雇ったヴァイオリニスト。チャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で入賞経験のある実力者らしい。やけに甲高い声で、ラッパみたいに高らかに話す中年男だ。きんきん声が物凄く耳障りで、私は大嫌い。遠回しに、私は練習不足だって、ねちねち嫌味を言ってくる。親父に金で雇われている癖に、私を嫌な気持ちにさせるなんて、何様のつもり?


 スノーウィを飼い始めてから、私は何処へ行くにもスノーウィを連れて行くことにしていた。当然、ヴァイオリンのレッスンをする防音室にもスノーウィを連れて行ったんだけど、スノーウィを見るやいなや、家庭教師はとんでもないと目を三角にした。


「レッスンの間、そのおかしな子供は部屋の外で待たせておきなさい」


 と私に指図した。


 とうとう、私の堪忍袋の緒が切れた。家庭教師如きがこの私に指図するなんて!


 私がそっぽを向いて無視を決め込んでいると、愚かな家庭教師は、自力でスノーウィを防音室から追い出そうとした。


 私の顔色をうかがっていた賢いスノーウィは、この家庭教師は私の敵だって理解した。だからスノーウィは遠慮なく、家庭教師の棒きれみたいな足に噛みついた。情けない悲鳴を上げて抵抗する家庭教師を引き倒し、頭をぶんぶんと振って、肉を噛み千切った。家庭教師は絶叫して悶絶した。その有り様があまりきも無様だったから、私は腹を抱えて大笑いした。


 家庭教師が床を這って逃げ出した後、スノーウィは私のそばに寄ってきた。御行儀よく並んだ真珠色の歯は、血塗れの布切れを張り付けた肉片を咥えている。


「汚いからぺっしなさい。ぺっ、ぺっ!」


 と命じると、スノーウィは肉片を床に落とした。スノーウィの髪を撫でて、お利口さんと誉めてやる。返り血を浴びて真っ赤に染まった顔の中で、緑色の瞳がきらきら光った。


 家庭教師は二度と来なかった。後任のヴァイオリニストは大人しい女のひとで、私のやることに文句をつけないから、私は満足。

 ヴァイオリンの演奏技術はめきめき上達した。はじめの頃、スノーウィはヴァイオリンの音色に馴染めなかったみたいで、私の演奏が始まるとぷるぷる震えていたんだけど、近頃はそんなことはなくて、私の足元にうずくまり、私の演奏にじっと耳を傾けるようになった。


 私の演奏を聞いた親父はとても喜んで、私の努力を褒め称えた。「スノーウィのお手柄だ」と言って、ご褒美としてスノーウィの餌皿に分厚いステーキを放り込んだ。


 それを傍観するママは青白い顔をして俯いている。スノーウィが私のペットになってから、ママはずっとこの調子だ。これまでだって、溌剌としていた訳じゃないけど、それにしても元気がない。


 ママの様子をうかがっていたら、スノーウィに食べてよし、と言ってやるのをうっかり忘れていた。スノーウィの涎がお気に入りのエナメルの靴を汚したので、私は餌皿を蹴飛ばし、ステーキ肉を踏みにじった。


 ちょっと頭にくることはあったけれど、スノーウィはよくやった。だから部屋に戻った後、私はスノーウィを褒めてやった。


「スノーウィ、よくやった。良い子、良い子」


 スノーウィは嬉しそうにしている。無表情だけど、なんとなくわかる。だって、スノーウィは私のペットだから。ぴったりと私に寄り添って、大きなあくびをするスノーウィ。私の傍でゆったりと寛いでいる。スノーウィは、私を怖がらない。


 スノーウィのことは、結構、気に入っている。けれど、いくら犬でも、男の子のかたちをした犬にべたべたされるのは、やっぱり嫌だ。スノーウィの体が私にちょっとでも触れたら、顔面に蹴りをいれた。食事中に足に擦り寄られた時は全身に鳥肌が立った。うっかり、手にしたフォークでスノーウィの目を刺してしまうところだった。


 私の手許が狂ったお陰で、スノーウィの目は無事だった。頬に三本の爪痕を刻んだだけだった。


 目を刺されそうになっても、スノーウィは抵抗しなかった。たとえば、私が綺麗な緑色の目玉を穿り出しても、スノーウィはきっと、大人しく待っているんだ。私が「よし」って言うまで。


 そういうところが可愛いんだよね。粗相をしたスノーウィにお仕置きをしていても、ついつい、甘やかしちゃう。ふと気がつくと、擦り寄って来る悪癖にも、目を瞑ってやった。


 だって、スノーウィは人のかたちをした犬だから。いちいち目くじらをたてることはないんだ。そう、自分に言い聞かせて。

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