私の新しいペット
十歳の誕生日プレゼントの「仔犬」は私が飽き飽きして退室する前に、ケージから顔を出した。這い出した仔犬を見て、私は眉を顰める。あろうことか、仔犬は裸の男の子だった。
私の顰め面を見て、親父はけらけらと笑った。
「好きなようにして良いぞ。ピカピカでもキラキラでも、フリフリでもヒラヒラでも、なんでも。ほら、あれなんかどうだ。 Dチャンネルのティーン向けドラマに出てくる女の子みたいな格好は? お前好みに着飾らせてやれば良い。なぁ、ミケイラ。お前、着せ替え遊びが好きだろう?」
私は親父を睨んだ。ティーン向けドラマはなんとなく観ていただけでそんなに好きじゃないし、着せ替え遊びはもう何年も前に卒業している。そもそも、可愛い衣装は女の子の為にあるもので、着せ替え人形は可愛い女の子だ。いくら綺麗な顔をしていても男の子なんかじゃダメ。でも、裸のままでいられるのは絶対に嫌。男の裸は醜くて気持ち悪くて、最低最悪なものだから。
私は親父を詰った。
「綺麗な仔犬をプレゼントしてくれるって約束したのに! 楽しみにしていたのに! 私が欲しいのはサモエドの仔犬なの。裸の男の子じゃなくて!」
親父は私に向かって片眉を上げて見せて、それから、私を見つめる仔犬を一瞥する。親父は大口を開けて笑った。
「綺麗じゃないか。目許は涼やかで、鼻筋はすっと通ってる。それよりもなによりも、このグリーンの瞳を見てみろ! こんなに綺麗なものが他にあるか? これに比べたら、宝石なんざただの石ころだぜ」
そう言って、親父はのしのしと仔犬に近寄って行った。仔犬の頭のてっぺんから爪先まで眺め回す。頑なに俯く仔犬の、白鳥みたいなうなじを見つめながら、しみじみとした口調で言った。
「綺麗だなぁ……本当に綺麗だ」
なんてこと。このバカ親父、あの仔犬に骨抜きにされちゃったみたい。親父は仔犬の美しさを褒め称え、惚れ惚れとその美しさに見とれている。私には見向きもしない。いつもは、お願いだからもうやめてと懇願しても私を放そうとしない癖に。
親父のことは大嫌いだけど、蔑ろにされるのは面白くない。私はむくれて、唇を尖らせた。
「でもサモエドじゃない。似ているのは毛色だけ。サモエドの方がもっと綺麗だ」
「いやいや、そんなまさか。俺の愛娘の目は、節穴じゃあない筈だぞ? ほら、もっと近くで見てみろ」
親父が調教師に目配せすると、調教師は仔犬の傍らに屈みこんだ。仔犬の耳元で何か囁く。すると仔犬はぱっと顔を上げた。
緑色の目をした仔犬が私を捉える。綺麗な瞳だ。親父は醜いけれど、親父の審美眼はかなりのものなんだよね。醜い癖に綺麗なものが大好きだから、目が肥えている。私は綺麗な宝石をたくさんもっているけれど、こんなに綺麗なグリーンは初めて見た。これはちょっと、欲しいかもしれない。
こいつの目玉を抉り出して、ホルマリン漬けの標本にして、部屋に飾るのはどう? お洒落なインテリアになるんじゃない?
まぁ、そんなことは親父が許さないだろうけど。この仔犬にばかにご執心みたいだから。ばかにね。
ぼんやりしていたら、仔犬が私の傍へ寄って来た。本物の犬みたいに四つん這いで。四つん這になった裸の男の子を立って見下ろす私。傍目から見るまでもなく悪趣味確定。
今のところ、男の子の恥ずかしいところはちょうど私の視界に入らないけど、それでも気分が悪い。私は舌打ちをして男の子に背を向ける。すたすたと部屋を横切った。仔犬は私の後を追いかけてくる。四つん這いで。やめてよ! これじゃあまるで、私が変態みたいじゃない!
かっとなった私に顔面を蹴飛ばされても、仔犬は抵抗どころか身動ぎもしない。けろっとしているみたい。なんだ、こいつ。痛覚が無いのか?
仔犬の様子を見守っていた親父は、顎から垂れ下がる肉のひだを擦りながら「良い仕事をした」と調教師を褒めた。調教師は畏まってこたえる。
「お褒めに預かり光栄です」
ハッ! 白々しい。良い仕事をするしかないでしょうが。もしも、仔犬が私に牙を剥くようなことがあれば、仔犬だけじゃなくて、調教師の命も無いんだから。
確かに、仔犬はよく調教されている。すくなくとも、これまでのバカなペットたちよりはマシかも。でも、こいつの飼い主になるのは嫌。物凄く嫌。
私は男が大嫌い。親父の世界は男社会で、親父のファミリーは男所帯だから、ゆくゆくは男に囲まれて暮らさなきゃいけないってわかっている。だけど、今はまだその時じゃないから、私は出来る限り男と関わらないようにしている。そうしていられるのも今のうちだけだから。
男の子を私のペットにする? 冗談じゃない。今は綺麗な男の子だけど、成長すれば他の男どもみたいになる。もしかしたら、親父みたいになるかもしれない。
私の心を読んだみたいな絶妙なタイミングで、調教師が口を挟んだ。
「お嬢様のお気に召さない場合は、御手数をおかけしてしまい申し訳御座いませんが、ご連絡を頂けますでしょうか。当方で引き取らせて頂きます」
私は調教師を振り返る。なんだって? 引き取るって?
「なぁに、それ。私が捨てたら、この仔犬は他の飼い主のところにやられるの?」
調教師は間髪入れずにノーと答えた。
「いいえ、お嬢様。当方の犬奴隷はオーダーメイドです。特別な調教を施すことで、ご主人様だけにお楽しみ頂ける犬を育成します。ご主人様に見限られた駄犬は殺処分の対象になります」
殺処分? つまり、私に捨てられた仔犬を回収して殺すってこと? そんなの二度手間じゃない。気に入らなきゃ、こっちで勝手に処分すれば良いだけの話。違う?
調教師は口を開きかけたけど、小首を傾げる私から、私の背後に立つ親父に視線をうつし、口をつぐんだ。親父がペラペラ喋り出す。
「こいつはお前の為に生れた、特別な犬なんだ。可愛いだけが取り柄の愛玩犬でもなけりゃ、人間様の為にせっせと働く使役犬でもねぇ。番犬だが、そんじょそこらの番犬なんぞ、こいつの足下にも及ばんよ。こいつはお前を守る狼だ。お前の命令には絶対服従するが、お前以外の人間には見向きもしない。なにをどうしたってお前を嫌ったり、見捨てたりしない。お前だけを愛している。こいつにとってはお前が全てだ。どうだ? 理想のペットだろう? お前にぴったりじゃねぇか」
私はふーんとうなずいて、鼻の根に皺を寄せた。
私のペットなんだから、それくらい、当然だよね。これまでのペットは、それが出来ない出来損ないばかりだったんだけど。親父がこのレオニダスもどきに騙されていないなら、こいつはこれまでのどのペットより、ちゃんとしたペットなのかもしれない。
でも所詮は男の子だ。それに、愛しているってなに? 初対面の男の子が私を愛している? なにそれ、 気持ち悪い。サモエドの仔犬に愛されるっていうなら、満更でもないんだけどな。あーあ。こいつが本物のサモエドの仔犬だったら良かったのに。
私は調教師を睨み付けて、言い捨てた。
「いちいち、あんたに連絡するなんて面倒くさい。いつも通り、いらなくなったら私が殺すわ」
「もちろん。お嬢様さえよろしければ、お手をかけてやってください。仔犬も喜びます」
私は思いっきり顔をしかめた。こいつ、甚振られて殺されて喜ぶの? なぁにそれ、気持ち悪い。
調教師はただし、と前置きして、もったいぶった口調で言った。
「決して外には捨てないで下さい。この仔犬は特に猛犬ですから、野良犬になってしまいますと厄介です」
私は『猛犬』をちらっと見た。私をじっと見つめている。その様子は猛犬と言うより、盲導犬とか聴導犬とか、そういう感じ。むしろ、ぬいぐるみかな? 大人しすぎて、生き物じゃないみたい。
私は調教師の不可解な警告に嫌気がさして、応接室を飛び出した。調教師はもちろん、親父も追いかけて来なかった。でも、仔犬は私を追いかけて来た。そのまま部屋まで付いてきた。さも当たり前みたいな顔をして、私の部屋にあがりこもうとしたからかっとなって、仔犬の顎を蹴り上げた。仔犬は緑色の目で私を見つめる。痛がったり怯えたり怒ったりせず、ただ私を見つめている。気味が悪い。私は仔犬を廊下に追い立て、扉を閉めて鍵をかけた。
もしも、仔犬が甘ったれた鳴き声をだしたり、扉をカリカリ引っ掻いたりして私に憐れみを乞うような真似をすれば、私は手にしたハサミで仔犬をめった刺しにした。でも、仔犬は何もしなかった。私の怒りは宙ぶらりんのまま放置されてしまった。
いつのことだったか、ちゃんと覚えてはいないけど。親父に誕生日プレゼントは何が欲しいと訊かれて、私はペットが良いと答えた。そうしたら、親父はしたり顔でこう言った。
「それなら犬はどうだ? 犬はいいぞ。健気で賢くて、人の役に立つ。『犬は人類の最良の友』って言うんだぜ。なぁ? お前に必要なのは、まさにそれだろう?」
そうだね、とは意地でも言うまいと、あの時の私は心に誓った。親父は私の心が読めるのかもしれないって、想像するだけでぞっとした。
あれから、色々なペットを試してみた。どいつもこいつもまるで駄目だった。だから私は、とうとう犬に手を出したんだ。親父は私の心を読めるんだって認めてでも、私は私のペットが欲しくて。
その覚悟も、あのクソ親父が台無しにしやがったんだ。
ベッドの傍には柔らかいクッションを敷きつめた籠が置いてある。仔犬の寝床だ。本物のサモエドの仔犬を、この居心地の良い籠に入れてやるつもりだったのに。
私は籠を蹴飛ばした。ハサミを振りかざし、クッションをめった刺しにした。
突き刺し、引きぬく。何度も何度も。綿が舞う。ふわふわ、ピオニースノーみたい。
繰り返すうちに少しずつ、怒りの波がひいていって、冷静な私が顔をだす。そして考える。
親父はどこか狂っているけど、だてや酔狂で一人娘に犬奴隷なんかをプレゼントしたりしないと思う。ひとりの人生を奪って壊して滅茶苦茶にするんだ。安い買い物じゃなかったはず。
頭を冷やして考えてみた。なんとなく、わかる気がする。
親父は私を親父の後継者にするつもりだ。私の次は私の子どもを。その野望の第一歩として、まずは私が婿をとらなきゃいけない。私の男嫌いなんとかしなきゃいけない。それで、あの仔犬が用意されたんだ。
真っ白で綺麗な男の子。まだこどもだからかもしれないけど、なんとなく中性的って言うか、男臭さはあまり感じさせない。それに、まるで本物の犬みたいだ。人間の男みたいな生臭さを感じさせない。すくなくとも、いまのところは。
まずはこれくらいからはじめて徐徐に慣れさせようって、親父の魂胆なんだろう。さしずめ、あの仔犬は初心者向け。次のステップに進むための踏み台ってところかな。なるほどね。そういうことなら、尚更だ。あんなもの、私は要らない。
翌朝、寝ぼけ眼を擦りながら部屋を出ようとして、私は驚いた。仔犬が扉の前でお座りをして、私を待っていたんだ。仔犬の緑色の目は、私を見上げると、星が瞬く見たいに光る。仔犬は無表情で、でも嬉しそうに、私の足元に纏わりつく。ありもしない尻尾をぶんぶんと振っているような気がした。
足蹴にしても踏みつけても、仔犬はちっとも懲りないで、私について来る。あまりにも鬱陶しいから、私は階段の踊り場で立ち止まる。仔犬を振り返って、待てと怒鳴り付けた。
すると、仔犬はぺたんとしゃがみこんだ。私が背を向けて歩き出しても、仔犬は動かない。階段をおりた先で、一度だけ振り返る。仔犬は行儀よくお座りをして私を見つめていた。
夜がふけて、私は自室に引き取ろうと階段を登る。階段の踊り場でおすわりをしたまま、私を待っていた。仔犬の横を素通りしても、仔犬は私を見つめるだけで、追いかけては来なかった。
試しにそのまま放置してみた。次の日も、仔犬は同じ場所で同じ姿勢で、私を待っていた。
その次の日。いつもの気鬱で寝込んでいたママが二日ぶりに部屋から出てきた。階段の踊り場で仔犬と出くわしたママは真っ青になって、悲鳴を上げて、失神した。ママはそのまま寝台に逆戻り。尋常じゃないママの恐慌を目の当たりにして私は面食らったけれど、パパは気にすることはないって言って笑っていた。感じやすいママには、人間の形をした犬は刺激が強すぎたみたい。
そんなことがあっても、仔犬はまったく動じなかった。耳が聞こえていない訳じゃなさそうなんだけど。耳許でショットガンをぶっぱなしても平然としていそうだ。仔犬は私を待ち続けている。
見兼ねたメイドがこっそりと仔犬に餌をやろうとしていた。でも、仔犬は口をつけようとしない。掃除の邪魔になった仔犬を退かせようとしたメイドは噛みつかれ、人さし指と中指を骨折する大怪我をした。
この仔犬は、私の命令には絶対服従するけど、私以外の人間には見向きもしない。親父は本当のことを言っていた。
私は仔犬に餌をやることにした。人のかたちをした仔犬って、何を食べるんだろう? ドックフード? キッチンへ足を運び、メイドに訊いてみた。メイドはおろおろして、蚊の鳴くような声で「ふつうの人間と同じような食事でよろしいかと」って答えた。ふーん、なるほどね。
私は餌皿にパンをちぎって放り込み、そこにミルクを注いだ。うんうん、良い感じ。犬の餌っぽい。メイドは目を丸くして私の手元を凝視している。なに? これじゃダメなの? と小首を傾げると、メイドは狼狽えて吃りながら「滅相もないことで御座います」と答えた。なんなの。私がちょっと憮然としたら、メイドは床に手をついて何度も何度も謝っていた。なんなの、本当。そんなに私が怖いなら、ここで働くのは辞めたほうが良いんじゃない? 私はうんざりして、餌皿を持ってキッチンを後にした。
こぼさないように慎重に運ぶ。よたよたと階段を登る私を、仔犬は階段の踊り場から見下ろしている。無表情だけど、なんとなく、そわそわしているみたい。ずっと、じっとしていたのに、ここにきて身動ぎしている。なぁに、もしかして、私のこと心配してる? 私、そんなに危なっかしい? でも、縄を打たれたみたいに動けないでいるのは、私の「待て」がとけていないから?
踊り場にたどり着いた私は、仔犬の前に餌皿を置いた。
お腹はぺこぺこだろうに、仔犬は私が「良し」というまで、口をつけなかった。
賢い仔犬だ。そこらへんの大口を開けて笑っている男どもなんかより、綺麗な緑色の目には知性の煌めきがある。
涎をだらだらと垂らしながら私のを許し待ち続ける仔犬と、そんな仔犬の様子を観察する私。そこに親父がやって来た。
「そいつはどうだ、ミケイラ。気に入ったか? ええ?」
親父が私の頭を撫でた。脇臭が臭って、反射的に体が強張る。やだ、これじゃあ、私がびくびくしているみたい。私はくしゃりと顔をしかめる。そんな私を見つめる仔犬が目を見開いた。仔犬は目の色を変えた。
次の瞬間、仔犬は親父に躍りかかった。
親父は俊敏なガマガエルみたいに身を翻し、さっと避ける。仔犬は深追いはしなかった。私を背に庇い、歯を剥いて唸り、親父を威嚇する。親父の目が爛々と輝く。
「いいな、こいつ! 愛情をかけてやれば、犬はひとを神だと信じ込み、猫は己が神だと信じ込むと言うが、まさにそれだ! 良い買い物をしたな、うん。いいか、ミケイラ。こいつはうんと可愛がってやれ。莫大な金をつぎこんだところで、人は神にはなれねぇ。ふつうはな。だが、お前はこいつの女神様だ。これはなかなか、すごいことだぜ」
そう嘯いて、親父は立ち去った。
たいていの場合、親父は悪魔みたいな嘘つきだ。でも、この仔犬が私を神様みたいに崇めているってことは、たぶん、嘘じゃない。
私の周りには、私の命令に絶対服従するメイドや、私を守る黒服たちが大勢いる。親父が怖いから、親父の言い為りになるような連中だ。腹の中では、どんなに無礼な言葉で私を罵っているかわかったものじゃない。もしも、親父の権威が失墜するようなことがあれば、掌を返すに決まっている。
だけど、この仔犬はそんな連中とは違うかもしれない。私が嫌がっている、それだけのことで、親父を攻撃した。私を守る為に、絶対の支配者に反逆した。
こいつは面白い。飼ってやっても良いわ。