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私の誕生日プレゼント

 

 ***


 私はとても恵まれた人間だ。


 身体は健康そのもの。見落としがちだけど、これが一番、大事なこと。親父の職業柄、人為的に「不健康」にされた人間を数え切れないくらい見てきた私が言うんだから、間違いない。


 外貌はどちらかと言うと美人の方に分類されるんじゃないかな。たっぷりとした黒髪とすべらかな白い肌、深紅の薔薇の蕾のような唇は、絵本から抜け出して来た白雪姫みたいだってよく言われる。


 ここでまず断っておきたいんだけど。私はちやほやされたりおだてられたりしたからって、いい気分になったりその気になったりしない。お世辞を真に受けて「私は白雪姫みたいな絶世の美少女だ」なんて、自惚れるとかバカみたい。私はそんな間抜けじゃない。周りの大人たちが、親父のご機嫌とりをしようとして、私を大袈裟に褒めそやしていることくらい、わかっている。


 実際、鏡に映る私には、硝子の棺で眠る白雪姫役より「鏡よ鏡よ鏡さん。この世界で一番美しいのはだぁれ?」と魔法の鏡に話しかけるお妃様役がお似合いだ。


 私の悪人面は親父譲り。顔の造作は似ても似つかないけど、表情の作り方が、似ているんだって。ママがそう言っていた。おどおど、びくびくしながら。そう言えば、親父にも似たようなことを、言われたことがあったっけ。


 あれは私が五歳……六歳? どっちにしろ、たいして変わらないか。だいたいそれくらいの年頃の話。私が部屋に閉じ籠り、飼い始めたばかりの仔猫で遊んでいたら、親父がふらっとやって来た。赤く染まった仔猫を見ると、親父は手を叩いて笑って、こう言った。


「お前はとっても可愛い女の子だから、いったいぜんたい、俺の遺伝子は何処にいっちまったんだって、疑問に思っていたんだが……その悪い面! お前は間違いなく俺の娘だぜ」


 私はむっとした。親父は不細工だ。腐臭を放つ沼地の汚泥に潜むカエルみたい。そんな親父に、表情や雰囲気だけだとしても、似ているなんて言われるのは不愉快だ。私は親父のつくりものの白い歯を睨みつける。


 私の手を引っ掻いた、バカな仔猫にお仕置きをしていたところだった。行儀の悪い前足をテグスでひとまとめにして、接着剤で固めてやった。

 いいところだったのに。クソ親父が横槍を入れるから、すっかり白けちゃった。


 親父は勝手にずかずかと、私が嫌な顔をしてもおかましなしに、私の部屋に上がり込む。私はそれが嫌で嫌で堪らない。夜、眠っている時に入って来られるのが一番嫌だけど、日が高いうちでも嫌だ。お化けヒトデみたいな手で触られたくない。気持ち悪い。


 親父がそばへ寄って来るより先に、私はすっくと立ち上がる。棚に飾られた人魚のブロンズ像を手で払い落して、その場を離れた。背後で子猫が潰れる音と親父のけたたましい笑い声がした。


 私は親父が嫌いだ。どうしようもなく醜くて、笑い方が下品で、ダミ声が耳障りで、禿げ頭が脂ぎっていて、体臭がきつい。特に脇臭が最悪。汗をかくと、鼻が曲がりそうなくらい臭う。窓を一日中開けっ放しにして換気してもまだ臭うの。


 親父なんか大嫌いだ。でも、この親父の一人娘として生まれた私は、とても恵まれている。


 私は親父の金と権力を、そっくりそのまま受け継ぐ権利を持ち合わせている。たとえば、資金源。マイアミのカジノと麻薬、フォーチュン500に載っているような大企業のみかじめ料。たとえば、人脈。政界や財界、警察とのパイプ。


 普通の人間なら戦って勝ちとらなきゃならないものを、私は生まれながらに約束されている。必死になって努力する必要なんてない。私は硝子ケースに収められたビスク・ドールみたいに、ただそこにあるだけで完璧だった。


 生まれてくる性別さえ間違わなければ、本当の本当に、完璧だったのに。


 親父のファミリーは親父を筆頭に、名誉あるクソッタレ野郎の集合体だ。男って奴は、女は綺麗に磨かれた革靴または種を撒く畑、どちらかだと思い込んでいる。そして、男って奴は皆、女は男を気持ちよくする為に存在するんだって信じている。


 親父は一人娘の私にファミリーを継がせると決めている。野心家どもは親子ほど歳の離れた私に取り入って、あわよくば婿入りして、親父の権力を掌握しようと躍起になっている。


「実に可愛いらしいお嬢さんですな」

「奥様にそっくりですな」

「数年後が楽しみですな」


 男どもはいやらしい目が小さな私を値踏みする。頭の中では自分好みに成長させた私を、もしくは小さなままの私を、最低最悪のやり方で辱めているんだって、私は知っている。


 私はそういう、品性下劣な男どもに取り巻かれて育った。物心つく頃にはもううんざりしていた。


 男なんか大嫌いだ。薄っぺらな笑顔と下心見え見えの優しさで、私を懐柔出来ると思いあがっている屑野郎ども。男って奴はおぞましい化け物だって、私は親父から教わった。この世界の半分が、私に苦痛を与える化け物で埋め尽くされているなんて、考えただけで虫唾がはしる。一人残らず死んじゃえば良いのに。


 男って奴はどいつもこいつも、私をママみたいにしたいんだ。従順で身綺麗で、連れ歩くと自慢になる可愛い女。男のちっぽけな自尊心と肥大した欲望を満足させる無力な女。


 私はそうはならない。男に商品される消耗品にはならない。私は支配者だ。誰も、私の上には立たせない。親父だってそうだ。今に見ていろ。いずれ玉座から蹴り落としてやる。簒奪の時まで精々、私の為に王座を守れば良いんだ。


 そうして、私の十歳の誕生日のちょうど一月前のこと。真夜中に私の寝台に潜り込んだ親父は私をぎゅっと抱きしめて、こう言った。


「ミケイラ。世界で一番美しい、俺の白雪姫。お前にぴったりのプレゼントを用意したんだ」


 その日の正午、親父は私を応接室に呼び出した。そこに、誕生日プレゼントの「仔犬」が運び込まれて来た。


 大きなケージを台車に載せて運んで来たのは仔犬の調教師だった。レオニダス率いるスパルタ軍の仲間入りが出来そうな、完成した肉体の持ち主だ。顎髭を蓄えている。男臭い。私は髭面のタフガイを睨み付けて、近寄るなと牽制した。男臭いのは大嫌いだ。


 それはさておき。その光景を目の当たりにして、私は首を傾げた。


 私が親父におねだりしたサモエドの仔犬なら、小さなバスケットにおさまる筈。どうして、こんなに大きなケージに閉じ込めているんだろう。母犬と一緒に連れてきたのかな。


 調教師は巨体を窮屈そう屈めると、恭しくケージの扉を開けた。仔犬を中から引っ張り出すのかと思って身構えた私の予想はハズレ。調教師はさっとわきに退けた。なに? なんだ? どういうこと? 親父を見上げる私の顔には、そんな疑問がでかでかと書いてあったのかもしれない。親父はにやりとして、顎をしゃくった。


 自分の目で確かめてみろ、だって。つまり、危険はないってこと。


 親父に促されて、私はケージに近付いた。ケージの中を覗き込む。私はびっくり仰天した。


 ケージの奥で縮こまっているのは、犬じゃなかった。私と同じ年頃の、つまり十歳そこそこの、人間の子どもだった。顔はよく見えないけど、たぶん男の子だと思う。骨格がそんな感じだ。


 人間の体って、こんなにコンパクトに折りたためるんだ。と的外れなことで感心して現実逃避をする私を、親父が呼び戻す。私は素直に従う。

 親父の言いなりになるのは癪だけど、闇雲に反抗するのは賢いやり方じゃない。それくらい、十歳の小娘にだってわかる。


「綺麗だな」


 親父は笑った。親父はいつだって上機嫌でニヤニヤしているけれど、今日はなんだか特別みたい。

 くるくる巻いてサイドテールに結わえた私の髪を芋虫みたいな指に巻き付けて弄りながら、私を見下ろして、言った。


「綺麗な仔犬だろ? お前の為に育てさせた。ちょっと早いがパパからの誕生日プレゼントだ。どうだ、気に入ったか? ええ?」


 耳を疑いたくなるような親父の発言が、これは何かの手違いなんじゃないかって、私の淡い期待を粉々に打ち砕く。

 私の誕生日プレゼントはサモエドの仔犬じゃなくて、あの男の子なんだって。しかも、ずっと前から決まっていたことなんだって。


 私は失望をこめて「パパ」と親父を呼んだ。


 パパ。私はペットが欲しかったの。あのバカ猫のかわりに私を喜ばせてくれる、可愛い仔犬がね。あれはなに? 人間の男の子だよね? ねぇ、パパ。その目玉は濁った硝子玉なの? 私がスプーンで抉り出してあげるから、もっとマシなものに付け替えようよ。


 私の表情から、親父は私の言いたいことを正確に読み取ったはずだ。それが親父の特技だから。気味が悪いけど、こう言うときは便利。それなのき、クソ親父はニヤニヤ笑っている。チェシャ猫みたいに。何が面白いんだ? クソッタレ。


 私は舌打ちをして、臭い息を吐きかける親父の顔を押し退ける。応接室を見回した。あの「仔犬」に固い物を投げつけてやりたい。私にとって手頃な大きさ、重さの物は何かないかな。


 調教師は私と親父をちらっと見たかと思うと、思い切りケージを蹴った。鞭声みたいに鋭い声が仔犬に命令する。


「出て来い。ご主人様にご挨拶をしろ」


 ところが仔犬はケージから出て来ない。鼻をすんすんと鳴らして尻ごみしている。慣れない環境に警戒しているのかな。ふと、ある言葉を思い出す。


『ハムスターはとてもデリケートな生き物です。お嬢様にお目にかかるのは初めてですから、緊張していますし、警戒しています。人間もハムスターも、他の生き物も皆、同じなのです。新しい環境に慣れるまでそっとしておいてあげてくださいね。焦らずに、少しずつ仲良くなりましょう』


 七歳の誕生日にハムスターを飼った。これはその時の、ブリーダーの忠告の言葉。


 あれはジャンガリアンハムスターの子どもだった。私の小さな親指と人さし指でも摘まめるくらい小さくて軽い、可愛い生き物。雪みたいに真っ白で、この毛色のハムスターはスノーホワイトっね呼ばれるんだって、ブリーダーが言ってた。親父は一目見てそれを気に入った。


 私も雪玉みたいに可愛いハムスターがとても気に入った。今すぐ可愛がりたい。ハムスターが慣れるまでなんて、とてもじゃないけど待ちきれない。ブリーダーの忠告? そんなの知ったことか。私は親父以外の誰の指図も受けない。私は私のやりたいようにやる。


 そうして私は、ハムスターが連れられて来たその日のうちに、夢中になってハムスターを構い倒した。


 そうしたら翌朝、ハムスターは私の指を噛んだ。小さな歯が皮膚を食い破った。私の白い指先にぷっくりと血の玉が浮かんだ。私は腹を立てた。


 あんなに可愛がってやったのに、ハムスターは巣箱の中で怯えて縮こまって、ぢぢぢ、と鳴いて私を威嚇している。私はこいつの飼い主なのに。こいつは私のペットなのに。


 ペットは飼い主を喜ばせるものなんでしょ? 私が怖い? あら、そう。いいよ、別に。怖がられるのは慣れっこだから。メイドも家庭教師も、ママだって、私のことを怖がるし。

 それならそれで、構わないから。せめて、平気なふりをしなさいよ。どんなに怖くても、我慢しなさいよ。私の為に。私はいつもそうしているんだから。我慢ばっかりしているんだから。


 どうして私のペットは私の為に我慢出来ないの? お前は私を満足させる為に生かされているんだ。それがわからないのか?


 赦せない。


 私はハムスターをケージごと窓から放り捨てた。ハムスターがどうなったか、私は知らない。興味ない。私を喜ばせないペットなんか、いらないもの。


 私のペットは、バカなペットばかりだった。ハムスターもインコもウサギも子猫も、みんなバカ。バカばっかり。だからみんな捨てちゃった。

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