兄の婚約者
アイザが屋敷に戻ると屋敷の前に豪華な馬車が止められていた。
あれは恐らく、教会に出発する前にカインから聞いていた来客という事で間違いないだろう。
屋敷に入りカインを探す。教会の捜査で分かった事と次の行動を進言しなければならない。
ひとまず通りかかったメイドを呼び止める。
「すいません、兄上はどちらにいらっしゃるか分かりますか?」
「…カイン様は来客対応のために応接室にいらっしゃいます」
それだけ告げるとメイドはさっさと行ってしまった。相変わらず舐められているなぁと感じながらもアイザは仕事を果たすためにも応接室に向かった。
応接室からは扉越しに少しだが声が聞こえる。
扉をノックしてから、アイザですと告げると中からカインが入れと入室の許可を貰い応接室に入る。
応接室には少々げんなりした顔のカインと、ソファに座る青髪のストレートヘアを背中まで伸ばし、少々簡素ながらも立派なドレスを着た美しい女性がいた。
「お久しぶりですね。お元気ですかアイザ君」
「はい、お久しぶりですジンベルック伯爵令嬢」
この女性こそウルティア・ジンベルック伯爵令嬢。カインの婚約者にして領地経営の敏腕秘書であり未来のアイザの義姉になる人物である。
「もう、義姉と言ってくれてもいいんですよアイザ君」
「確かに兄上との結婚も間近と聞いてはいますが、それまでは失礼に当たりますので…」
「アイザ君は真面目ですね。ナナちゃん、こっちにおいで」
「かう!」
このようにアイザに対しても分け隔てなく接してくれる数少ない人物である。そのためアイザもウルティアに対しては好感を持って接する事ができていた。
ナナもウルティアによく懐いており呼ばれるとウルティアの手の中へ収まり撫でられて嬉しそうにしていた。
「それでアイザ、戻ったという事は進展があったのか?」
「はい。教会の信徒に聴取と、教会内の捜査をしたところ犯行時間帯にアリバイの無いゴメリー司祭が怪しいと判断しました。またいつもならば戻る時間帯だと言うのに本日は戻ってこないという事で、捜査に感づいて戻らなかったという線も見られます」
「ゴメリー司祭がだと…?」
「はい。また、教会内の人目につかぬ位置に隠し通路も発見され下水道に通じていました。邪神教団の潜伏先候補として後日下水道を捜索する必要があると思います」
下水道という汚い場所が生理的に受け付けられないのだろう、聞いた瞬間カインはあからさまに顔を顰めた。
「チッ、薄汚い邪神教団が! 俺はそんな所へ行くのは真っ平ごめんだぞ!」
怒りと嫌悪感に駆られて大声で叫ぶカインに、アイザはやっぱりかという視線を向け、ウルティアは苦笑を浮かべていた。
そんな不機嫌なカインだが、ウルティアは物怖じせずに口を開く。
「しかしカイン様、そうなっては下水道の捜索は必須。カイン様が行かずとも代理の責任者を立てて捜索隊を編成して送り込んだ方がよろしいかと」
ウルティアは男性を立てる理想の女性ではあるが、領地経営の秘書としても優秀なため言わなければならない事は遠慮なく口にする。
昔からカインが不機嫌な時に上手く誘導して感情を収めるのを得意としていた。
「それは分かっている……そうだアイザ、お前が行ってこい! どうせ今日の教会の捜査も担当したのだ。最後まで担当しておけ」
「兄上が言うなら拒否はしませんが…」
領主代理のカインの命令ならアイザに拒否権は無いし、アイザも早期に事件解決をしたいとは思っている。
だが下水道という場所に行きたいかと言われるとそうではないし、最悪邪神教団との戦闘も想定されるため若干腰が引けてしまっているのも事実だった。
何とも言えない表情をするアイザに助け舟を出したのは、やはりウルティアだった。
「カイン様、捜索隊の責任者という事は最悪邪神教団との戦闘も予想されます。アイザ君をそのような場所に行かせるのは、不安が残ると思います」
「む…まぁ確かにアイザ程度の魔導士では手も足も出ない相手がいるかもしれんな。そうなって逃がしてしまえば恥にもなるか」
ウルティアが言ったのは単にアイザの身を案じての事なのだが、カインはアイザが敵わない相手がいることを予想しての発言になっていた。
無論アイザの実力では邪神教団の幹部や、腕利きの用心棒などがいた場合カインの言う通りアイザでは十中八九勝てないだろうが。
どこかズレた会話にアイザとウルティアはまた苦笑を浮かべる羽目になってしまった。
「仕方がない、捜索隊の責任者はピアーズに任せるとしよう。アイザ、後で今日の捜査内容を書類で纏めて持って来い。それも参考に捜索隊を編成する」
「分かりました」
「とは言え、一先ずは夕食としよう。ウルティアが来ると分かって急遽用意させたがそろそろできた頃合だろう。アイザ、どうせなら貴様も来い」
「よろしいのですか?」
婚約者同士水入らずの食事にもできると言うのに、態々嫌っているアイザを誘うとは予想外でアイザも思わずそう尋ねる。
だがカインはフンと鼻を鳴らすとウルティアをエスコートするために手を差し出した。
同時にウルティアも嬉しそうに手を取って立ち上がり、撫でていたナナを座っていたソファの上に優しく降ろした。
「構わん。今日の仕事の報酬とでも思っておけ。ただし汚い下水道に入った服は着替えてから来ることだ」
「ではアイザ君、お待ちしていますね」
「分かりました。では後ほど」
「かう」
カインはウルティアを連れて食堂へ向かったため、アイザはナナを回収して1度自室へ戻る。言われた通り服を着替えるためだ。
とは言ってもアイザの持っている服はそれほど多くはない。似たような魔導士用の服とローブと、貴族用の多少豪華な服がそれぞれ数着程度だ。
なのでさっと着替えてすぐにカイン達の元へ向かう事にした。
数分で用意を済ませて食堂に向かうと、食堂が近づくにつれて良い臭いが鼻を擽る。
食堂の扉を開ければ、大きな長机に豪華な食事が並べられており、1番上座にカインが座り、その近くにウルティアが座っていた。
「お待たせしました兄上、ジンベルック伯爵令嬢」
「適当に席に着け。すぐにクエルクとクエリアも来る」
「はい」
どうやらクエルクとクエリアにも声をかけてあったらしく、アイザも2人を待つため失礼に当たらないよう程よい席に座る。
数分待っているとクエルクとクエリアがやってきた。扉を開けてウルティアを見ると笑顔を浮かべ、少々ぎこちないながらも貴族らしくお辞儀をした。
「ウルティア義姉さま、お久しぶりです」
「お会いできて嬉しいです」
「クエルク君、クエリアちゃん、2人ともお久しぶりです」
「来たか。では食事にするとしよう」
クエルクとクエリアも席に着くと皆がナイフとフォークを手にとって食事にありつく。
アイザも目の前にある魚の姿焼きを切り分けて口に運んでいく。脂と旨みが口の中を満たす。ライアンス家は雇っている料理人も一流となっている。
「とても美味です。カイン様、良い料理人をお持ちなのですね」
「フ、お前のために良い物を作らせたからな。急な話ではあったが俺の手腕においてこの程度は容易だ」
「急に押しかけてしまい申し訳ありません。そしてありがとうございますカイン様。これほどのもてなし、感謝してもしきれません」
食事を進める中でカインとウルティアが言葉を交わすと、デザートも食べていないのになんとなく口の中が甘酸っぱく感じてしまうのは気のせいだろうか。
そうして話をしている内に、今度はクエルクが口を開いた。
「ねぇカイン兄様、邪神教団っていうのはまだ捕まえられてないの?」
「…忌々しいことにな。昼間アイザに教会を調べさせたが、どうやら奴らは下水道に潜んでいるらしい。数日内に捜索隊を編成して奴らを捕らえて駆逐してやる」
「カイン兄様、その隊って俺も入っちゃダメかな?」
クエルクがあまりにも突拍子も無いことを言ったため、アイザだけではなくカインとウルティアも目を見開いて驚いていた。唯一クエリアだけは平然としていた。
「クエルク、何を言うんだ? 直接薄汚い邪神教団の相手をするなど時間の無駄だ。それに一応命の危険もある…お前はアイザと違って魔法の才もあるから、危険に晒せん」
自分ならいいのか、と思いつつアイザは頭の中ではカインに同意していた。
カインの言うとおり命の危険がある戦いの場にまだ幼いクエルクが行くのは誰もが反対するだろう。
昼間のアイザがカインの仕事を手伝うために捜査に行ったのはアイザがこの世界での成人年齢である15歳を直前にしているからという事と、捜査だけであり護衛も付いているという2点があったから手伝いを許されたのだ。
そしてカインの言うとおりクエルクは未来明るい子供である。万が一にも命の危険には晒すことはできないし、後遺症の残る怪我が残る可能性等もある以上捜索隊への編成などどうあっても不可能だ。
「邪神教団なんて俺は怖くないよ! 邪神教団を倒して俺の魔法の才能を磨くんだ!」
どうやらクエルクは自分の魔法の腕試しとして邪神教団を相手にしたいらしい。
だがそんな理由では戦闘への参加はできないのは明白。カインは首を横に振りながら食事の手を進める。
「…駄目だクエルク、万が一にもお前を危険に晒せん。クエリア、お前からも止めてやれ」
「私は別に構いません。私とクエルクの魔法があればそこらの邪神教団など相手になりませんから」
諌めるカインはクエリアに助けを求めるも、まさかのクエリアもクエルクと同じで邪神教団の相手に乗り気だった。
言葉から見えるのは明らかな驕り。アイザもクエルクとクエリアの態度から少々将来が心配になってしまう。2人からすれば余計なお世話であろうが…。
「クエルク君、クエリアちゃん、戦いに行くには2人ともまだ若すぎると思うわ…。カイン様も2人を想っているから駄目だと仰っているの」
ウルティアも2人を諭そうとするがクエルクはあからさまに不貞腐れた顔をし、クエリアは無表情に食事を続けていた。
その後は諦めたのかクエルクは不貞腐れたまま黙って食事を続け、クエリアも時折ウルティアと話をする程度にしか口を開かなかった。
カインは領地経営の愚痴を溢し、ウルティアはカインの愚痴相手になりながらクエルクとクエリアとも他愛のない話をしていた。
アイザはというと、時折カインから仕事の話を振られるのはそれに答えながら食事をするだけである。
「かう」
ウルティアからも声をかけられなかったが、ウルティアは3人の相手で忙しく自分に構っている余裕などないため大変だなぁと、餌であるポッククの実を齧るナナの頭を擽るように撫でて癒されながら他人事のように考えていた。
その後会話が特に盛り上がるような事もなく食事は何事もなく終了してしまう。
アイザも我が家の家族関係ならこんなものだろうと特に気にした様子もなくカインやウルティアに就寝の挨拶をして部屋に戻りカインから言われた通り今日の捜査を羊皮紙に纏める事にした。
翌日、ライアンス家を揺るがす、ひいてはアイザにとっても大きな事件が起きるなどとは夢にも思わずに…。