精霊教会にて
現場から教会はほど近く、徒歩2分で辿り着けるほど近くにあった。
すぐに教会に着いたアイザ一行は両開きの大きな扉を開けて中へ入る。中は広々とした空間になっており、一番奥には精霊を模した球体に羽が生えたような像と精霊を祭る台座が見える。そして集会には多くの人々が集まるため長いベンチが幾つも置かれていた。
そして広間には背中まで伸ばしている長い白髪を持つ年老いた男性と年若いシスターがいた。
「失礼します、ヘルホップ司教」
「これはこれはアイザ様、如何なさいましたか?」
アイザがヘルホップと呼んだ老人はこのエレラ=シヴィアの街にある教会全域を管理する司教である。エレラ=シヴィアだけではなくライアンス侯爵家領にあるほとんどの教会を管理している。
「近所で邪神教団によると思われる殺人事件が起きたのはご存知ですね? その事に関してお聞きしたい事がありまして」
「…痛ましい事です。邪神教団によって敬虔な信者を失ってしまうとは。協力は惜しみません故、何でもお聞き下さい」
「では被害者であるオーランさんですが、家族の証言によると今日の集会に参加するため出かけていたと聞いていたのですが来ていましたか?」
ヘルホップは思い出すように目を閉じて数秒う~むと考え込んでいた。集会には多くの人が集まる上に最近記憶力が衰えているため、すぐに思い出すのがヘルホップには難しかったのだ。
だがそれも数秒。結果としてヘルホップは首を横に振った。
「集会ではオーランさんの姿は見ていなかったと思いますが…シスターアンジュは何か知っていますか?」
ヘルホップは自分の後ろに控えていたシスターに尋ねると、彼女はおどおどとした態度で口を開いた。
「えと、はい。確かその、オーランさんはいつも早めに教会に来られていました。今日も集会の30分以上前にその、1番に来られていたと記憶しています」
若干挙動不審気味にシスターが答えるが、これは彼女が犯行に加担している可能性があるかどうかという訳ではなく邪神教団による殺人事件に怯えているだけだろう。
その証拠に彼女の表情からは緊張よりも恐怖の色が濃く出ていた。
「集会には来ていたのに集会そのものには不参加…? ならその時間帯に犯行が行われた可能性がありますね」
アイザは1度ここまでの情報を整理する。
被害者オーランは午前中に教会の集会に行くために家を出て正午30分前、つまり11時半前に教会に到着し待機していたがその間に邪神教団に拉致され拷問を受けた後路地に置かれたという事になる。
確かに集会の時間に彼が人目につかない場所で拷問を受けていたと考えれば時間的辻褄は合う。
そして犯行はやはりこの教会周辺で行われたという事になるだろう。
「アイザ様、そろそろ日も暮れます。この事は我々で隊長に報告しておきますので、アイザ様はお帰りになられた方が良いのではないでしょうか」
アイザが頭の中で情報を整理していると後ろからアイザについてきていた兵士の1人―確か名前はフロッツだったか―がアイザに耳打ちする。
確かに外はもう日が落ちてきており街を紅く染めている。
そろそろ戻らないと日暮れまでには帰ると言った母に心配をかけてしまうと思ったアイザは兵士の言うとおり今日はここまでで切り上げることにした。
「そうですね。ヘルホップ司教、また犯行が起こる可能性もありますのでご注意を。フロッツさん、兄上には私から話を通しておきますので昼夜問わずこの辺りの警備を強化しておくように隊長に伝えておいて下さい」
「分かりました」
再犯の可能性を考慮して兵士による見回りを強化するように指示しておく。本来アイザに兵士を動かす権限は無いのだが街の警備に口出しするくらいはできる。カインに事後報告しておけば問題ない。
「ありがとうございますアイザ様」
「あ、ありがとうございます」
アイザの対応にヘルホップとシスターは深々と頭を下げた。
本来犯罪現場まで出てきて聞き込みや捜索をする貴族は少ない。
街に住む市民からすればアイザのように現場まで出てきて調べてくれるのは責任者が出てきてしっかり調べてくれているという安心感があるのだ。
「いえ、まぁ自分にできることをやっているだけですから。調べた事も兄上に報告して情報を共有しておきます。それでは失礼します」
最後に挨拶をしておき、アイザは兵士を連れて教会から出て行こうとした。だが丁度扉に手をかける時に反対側から扉が開けられ、白いローブを着た司祭が入ってきた。
「おや、アイザ様ではありませんか。どうなさいましたか」
「どうもゴメリー司祭。実は教会付近でオーランさんが殺されていましてヘルホップ司教から聞き込みをしていたのです」
「おぉ、なんと痛ましい…敬虔な信徒であるオーラン氏を殺すとは罰当たりな邪神教団め…」
「ゴメリー司祭は今日も患者を診てきたのですか?」
「はい、今日はもう終わりですが。また後日イリー様の検診にも行かせて頂きますな」
ゴメリー司祭はこの教会で司祭をやっている男で、年齢は30代後半で司祭の他にも医者としての免許も持っている。そのためこの街では強い発言権を持っている。
そして10年前からライアンス家の掛かりつけ医師となっており、イリーの治療も担当している。
「ありがとうございます。ゴメリー司祭、母上の調子は悪くなる一方です…どうか母上を助けて下さい」
「確約はできませぬが…最善を尽くすと約束しましょう」
日に日に弱っていく母を見るのはアイザも心に来るものがあり、可能であればすぐにでも直してあげたいと思っている。
回復の魔法を得意とするサモモンの仲間を召喚した方がいいと考えた事もあったが、素人の考えな上に根本の解決にはならないと思い留まっていた。
何より使い魔召喚で出てくる仲間の幻獣は何が出てくるか分からないため、アイザは前世のようにガチャをしているような気分になっていた。
「ではまた屋敷でお会いしましょう。失礼します」
「はい、お気をつけて」
こうしてアイザは教会から立ち去った。だが今の一連の会話に妙な違和感を感じていた。
何が、とは具体的には言えないが妙な気持ち悪さを感じていたのだ。
「…事件が早期解決されるといいんだけどな」
この世界ではアイザの前世に比べて人の命が軽く扱われている。それでもアイザはやはり人の死というものに慣れていなかった。慣れたいとも思っていなかった。
だが結果から言えばアイザの願いは叶わなかった。
あの犯行から3日後、第2の犠牲者が出てしまった。
またしても西区の教会近くで逆十字架に精霊教の教徒が貼り付けられていたのだ。
この件に関してはカインも重く受け止めたらしく、西区を中心に町中の警備を強化し、街への出入りも厳しくなった。
そしてその日から更に3日後に第3、第4の犠牲者が出るようになった。
日に日に増える犠牲者に、街の人々は恐れてしまい外出を控えるようになっていた。そのせいで街は以前より圧倒的に人通りが減っていた。
アイザも流石に外出を控えるようになり、屋敷の中でナナと戯れたり、カインの仕事の手伝いをしたり、勉強をしたり、棒術の自主練をしたりしていた。
「しかしこんな連続殺人事件が起こるとは…異世界も大変なんだな」
「かう」
アイザは今自由時間であるため、庭の木陰にナナと一緒に座っていた。
ただ座っているのではなく、羊皮紙でできた書類に目を通している。この羊皮紙にはここ最近の邪神教団による殺人事件の情報が纏められていた。
被害者の情報に現場の位置、犯行の予想時刻など多岐にわたる情報にアイザは目を通していた。
「被害者現在4人で男女問わず年齢もバラバラ。でも共通しているのが精霊教の信徒で西区の教会の集会に参加していた事と、その時間帯に行方不明になっている事か」
こう見るとどう考えても教会が怪しく見えるため、この後カインが教会を捜査する事になっていた…のだが。
「こんな所に居たのかアイザ。全く、こんな所で呑気に何をしている」
呆れたと言わんばかりの表情で庭で座っていたアイザの元へとカインがやって来た。時間的にはそろそろ教会へ向かう筈のカインがやって来た事でアイザも少々驚く。
「どうしたんですか兄上。もうそろそろ教会に行く筈では?」
「それだが、急に来客の予定が入った。俺は対応の準備をせねばならんから代わりに貴様が行って来い」
「来客? こんな時期に一体どなたが?」
「……ウルティアだ」
ウルティア・ジンベルック伯爵令嬢。
カインの婚約者であり近い将来の結婚が決まっている。後2、3年もすれば2人は結婚して世継ぎを作る事になると予想されていた。
つまりアイザにとってはいずれ義理の姉になる人ということになる。
しかしこのように街で殺人事件が起きているというのに別の領の伯爵令嬢がやって来る意図がアイザには読めなかった。
「ジンベルック令嬢が? なぜこのタイミングで…」
「…先日事件の事を手紙に書いたらすぐに出発したらしい。先ほど早馬で連絡が来た」
「兄上が心配なんですね」
「黙ってろ!」
カインとウルティア・ジンベルック伯爵令嬢の仲は非常に良い。
カインは少々人を見下すような言動はあるが、それは平民だったり貴族として能力が足りていない者に発せられる。つまり貴族として能力が備わっている者に対しては普通に接するのだ。
ウルティア・ジンベルック伯爵令嬢は見た目美しく、領地経営の秘書を務めているらしく優秀な人物らしい。いつもはカインを立て、お淑やかに振舞う正に理想の女性像なのだが…。
「俺に関する時だけ妙に押しが強くなるからな、アイツは」
婚約者に心配されて嬉しさと気恥ずかしさがあるのだろうカインの頬はうっすらと赤くなっていた。
そんな兄が妙に微笑ましく、アイザも頬が緩みそうになるが、そんな事をしてはカインが怒りそうなので必死に表情を抑えた。
「とにかく、教会に件はお前に一任する。これは領主代理としての正式な命令だ」
「分かりました。謹んでお受けします」
こうしてカインの代わりに教会への捜査を行う事になったアイザはすぐに支度を整えて屋敷の正門へと向かった。
正門には10人もの武装した兵士が居た。全員ライアンス家お抱えの正式な兵士である。
「兄上から聞いていると思うけど今回捜査を代理で行う事になりました。最近起こっている連続殺人事件の手がかりを探しに西区の教会に向かいます。捜査、及び私の護衛をよろしくお願いします」
口頭で今回の捜査の目的と自身の護衛も伝えるとアイザは兵士を引き連れて街を歩き西区の教会へと向かう。
街を歩いていて思うのが、以前のエレラ=シヴィアとは比べ物にならないくらい活気の無くなった人々だった。
「やっぱり最近は街の人達の活気が無くなっていますね」
「殺人事件が起きてから外出を控えるようになっています。特に精霊教の人々は」
「街への出入りも厳しくなって、このまま噂が広まれば旅人や商人も領地に近寄らなくなってしまうかもしれませんね」
人の出入りが少なくなればその地域は徐々にだが衰退していくだろう。優秀な冒険者や商人などがこの地を離れてしまえばそれは大きな損失となる。
そうならないためにも、連続殺人事件の早期解決が求められていた。
物々しい雰囲気の兵士と、それに囲まれるアイザを見てちらほら見える街行く人々は道を譲るように避けていく。連続殺人事件関連だと知っており、それとはできるだけ関わりたくないと思っているからである。
そうして市民に避けられつつも教会にアイザ達はたどり着いた。今日も集会がある日となっており、教会にはそれなりに人が集まっている。
今日は云わば抜き打ちの捜査なので教会に集まる信徒や教会関係者はアイザ達の来訪を知らないので驚かせてしまうだろうが、その辺りもアイザが対応、説明する必要があった。
「それでは行きます。もし教会周囲で怪しい人物を見かけた場合は各自の判断で身柄を確保して下さい。逃走した場合などは可能な限り死なせぬように拘束するように」
「はっ。では予定通り正面と裏口にそれぞれ2名兵を配置。残りは教会内へ」
教会の正面と裏口に兵士を配置して怪しい人物がいないか、または逃走しないかを確認すると共に教会周囲の捜査を行う事になっていたため、アイザと隊長の指揮の下兵士4人が教会外で待機する事になる。
配置が終わると、アイザは教会の扉を開けて中へ入るのだった。