冒険者の師
屋敷の門をくぐる時は勿論見張りがいるのだが、アイザは特に引き止められるような事もなく通り街に出る事ができた。
石畳で舗装された道の脇に木材と石材、粘土等でできた建築物が建てられており道には露店や多くの人々が行き来していた。
このライアンス侯爵家領の街、エレラ=シヴィアは国内でも有数の交易都市となっていた。
アイザは門をくぐるとすぐに駆け出しエレラ=シヴィアの街の大通りを駆け抜ける。
「おっ、アイザの坊っちゃん! 今日も冒険者ギルドかい?」
「はい、エドさん! その前に腹ごしらえですけど!」
「あらアイザ様、今日も元気だねぇ!」
「ミドナさん、今日もお綺麗ですね! そういえばこの前旦那さんが昼間から酒場で飲んでましたよ!」
「アイザ様ー! また遊んでー!」
「キーリ君、ちゃんと家の手伝いもしなきゃダメだよ!」
アイザが走っていると街行く人々から老若男女関係なく次々に声をかけられ、アイザもそれに対して元気よく返事をしていく。
本来平民と貴族はこれほど気軽に話せるものではなく、もっと厳格な言葉遣いをしなければならないのだが、アイザの境遇が特殊なため許されていた。
そうしてアイザが街を進んでいくと街の中心地で目的の建物へとたどり着いた。
大きな建物の入り口は両開きのスイングドアとなっており昼間だと言うのに賑やかな声が中から聞こえており多数の人の気配がしていた。
スイングドアを開けてアイザが建物に入ると、声や気配の通り中には多くの人々で溢れており食べ物や酒の臭いが充満していた。
「あ、アイザ様」
「こんにちはエリーゼさん。ユーリさんはどこですか?」
入り口すぐ近くのカウンターにいた制服姿の女性に声をかけられたアイザはある人物の居場所を尋ねた。
彼女は受付嬢としてこの場所で働いているエリーゼ。アイザとはそれなりに顔見知りの仲である。
「今日もユーリさんに指導を受けられるんですか?」
「まあそんな所ですね。あと昼食がまだなのでアドラ牛のステーキを1つお願いします」
「分かりました、すぐ持って行きますね。ユーリさんは2つ向こうの辺りですよ」
「ありがとうございます」
エリーゼに昼食の注文もしておき教えられた席へ向けて人垣を縫って歩き出し、たどり着いた席には1人の男が座っていた。
男は背中の半ばほどまで伸ばした藍色の髪を後頭部で纏めており、目元から口の横ほどまである傷跡が目立つ鋭い眼光をしている男だった。
「こんにちはユーリさん」
「おう来たかアイザ。今日も飯食ったらしごいてやるから覚悟しとけよ」
貴族であるアイザに対してこのように軽口を叩くのは本来無礼なのだが、アイザは特に気にした様子も無くユーリと呼ばれた男の向かいの椅子に座った。
「ユーリさん、先日領内の魔物退治をしてくれたそうですね。ありがとうございます」
「礼なんざいらねェよ。俺はただ冒険者として仕事を請けてその仕事を果たしただけだからな」
「それでも、ですよ。ユーリさんが退治してくれた魔物は近年家畜への被害を出していた魔物でしたから。ユーリさんのお陰で俺達貴族も心配事無く過ごせているんですから。冒険者様々ですよ」
そう、ここは冒険者が集う冒険者ギルド。
冒険者とは未知を知るため、また人類へ被害をもたらす魔物や悪人と戦うべくダンジョンの探索や依頼をこなす人々の総称である。
この男ユーリも冒険者の1人であり日頃から冒険者として魔物退治などで金銭を稼いで生活をしている。
「はぁ…お前は貴族とは思えねぇ性格してんなぁ。まぁ冒険者ギルドなんて出入りしてるガキって時点で普通じゃあねぇが」
「まあ俺に関しては父上にほとんど見捨てられてますからね。何をしてても興味が無いので好きにやらせている、という感じでしょうか」
ライアンス侯爵家にとっては魔法の実力が全てである。というのは少し大げさだがアイアの父である当主は魔法の実力や素質を基準に人間を判断していた。
そのため魔法の素質がいまいちなアイザの事を半分見限っており何をしても興味が無い素振りをしていた。
「お前がそれでいいならいいけどよ」
冒険者としては貴族の家のゴタゴタには興味も無ければ関わる気も無いため、本人が気にしていないのならユーリとしても何も言う事は無かった。
ユーリはテーブルの上に置かれていたパンをスープに浸して口へ運んだ。硬いパンだがスープに浸したお陰で多少は柔らかくなり味も良くなっている。
そこへ先ほどアイザが注文したアドラ牛のステーキが運ばれてきたのでナイフとフォークを使って肉を切り分けアイザも 腹を満たしていく。
「そういえばユーリさん、この街に来て2年になりますけどいつ頃までここに居るんですか?」
「なんだ、藪から棒に」
「最近うちの領内で大きな仕事は少なくなってきてますし、ユーリさんのように優秀な冒険者なら他所に移るんじゃないかと思いまして」
「…さっさと食っちまえ。お前の相手をするのも仕事の内だからな」
アイザの質問に答えることはせずに自分の分の食事を終えたユーリに急かされたアイザは手早くステーキを食べていき10分ほどで食べ終えた。
その後10分ほど食休みを取った後ユーリはアイザを連れて冒険者ギルドの裏にある空き地にやって来た。
「それじゃ今日もやるか。手合わせすんのは久々だが自主練サボってなかったよな?」
「ご心配なく、毎日やってますよ。今日こそユーリさんから1本取ってみせます!」
2人は向かい合うとアイザは自分の持っていた木製の長杖を両手で構え、ユーリは自分の武器である鋼鉄製の槍を手に自然体で構えた。
数秒の沈黙の後、アイザが動いた。
ユーリの顔に向けて正面から突き出すような形で長杖の一撃を繰り出すアイザの動きは10歳児とは思えぬほど鮮麗されていた。
だがユーリも冷静に槍を使い長杖を横から払い軌道を逸らす。そして綺麗な流れでアイザの横っ腹を狙って槍を―無論切っ先が当たらぬように―払う。
反撃を見てアイザも咄嗟に突き出していた長杖を引き戻し、払われる槍を受け止める。
ガキッと木と鋼鉄がぶつかる鈍い音が聞こえ、アイザが衝撃を殺すため1メートルほど後ずさる。
「ハッ、今のを防ぐとは多少は成長してるみたいだな」
「自主練、してましたから!」
体勢を整えたアイザは身を低くして駆け出し下段攻めを繰り出す。膝や足を狙って長杖を突いたり払ったりと操るもユーリの体捌きにより1つも命中しない。
「俺の足の動きに集中し過ぎだ」
「っ!」
そう言うと同時にユーリは再び槍を操り大上段からがら空きの頭部目掛けて槍を振り下ろす。
ユーリの言葉に反応して上段からの攻撃に気がついたアイザは地面を蹴って転がるように横に回避する。
だが地面を転がったせいで体勢を崩してしまい立ち上がるのに時間がかかってしまう。
その隙を狙いユーリは槍の刃が付いていない方の先でアイザの腹部を突いた。
「かふっ…!」
腹から空気が漏れるような声を出して思い切り突き飛ばされたアイザは地面に倒れて両手で腹部をおさえた。
「おーい、生きてるか?」
「げほっ、ごほっ! 何とか、生きて、ます」
「今生きてても、これが実戦だったら死んでるからな。相手の一部だけじゃなくて全体の動きを把握しとけよ。それと腹突かれても咳き込んでる暇があったら立ち上がれ」
倒れてるアイザの顔を覗き込むようにユーリが近づくと厳しい言葉をかける。
だがユーリの言うことは全て事実である。今の戦いが実戦であれば今の時点で死んでいたのは間違いない。
「そうです、ねっ!」
起き上がるかと思ったアイザは、倒れた姿勢のまま長杖を振るってユーリの足を払おうとするが、それに気がついたユーリは素早く後ろに下がって回避した。
「おっと、危ねぇな!」
「まだ、これからですよっ!」
距離が取られた隙を見て立ち上がったアイザは、再びユーリに向かって勢いよく駆け出した。
数分後、地面には槍で滅多打ちにされたアイザが横たわっていた。
「おーい、生きてるか?」
先ほどと全く同じように仰向けに倒れているアイザの顔を覗き込んでくるユーリに対してアイザは大きな溜息を吐いた。
「まだ1本取れませんか……今回は自信があったんですが」
「ま、俺もちょっと焦ったよ。そのせいでいつもより強くブチのめしちまったからな。それじゃあ先に今日の分貰っとくぜ」
「はい、どうぞ…」
ユーリは倒れているアイザに向けて手を差し出すとアイザは懐からジャラリと音のする袋を取り出すとユーリに手渡した。
中身は言わずもがな。あえて言うならこの大陸で通貨として利用できる大陸銀貨が入っている。
ユーリはこうしてアイザと接近戦の相手をする条件として金銭を要求しているのだ。
云わば槍術、棒術の稽古である。
何も知らない人が傍から見れば人相の悪い男が身なりの良い少年を痛めつけて金銭を奪う強盗行動にしか見えないのが悲しい所だ。
2年ほど前、最初は接近戦の心得や基本的な型、武器の扱い方を伝授してもらっていたのだが最近ではもう模擬線という形でこうして戦っているのだ。
だが模擬戦形式で訓練を始めてから既に半年が経過しているがアイザは未だにユーリにまともな攻撃1本命中させれていなかった。
「俺、ちゃんと強くなれてますかね…?」
「ふーむ、素質がない訳じゃあねぇんだがな。つか多分、魔法よりはセンスあると思うぞ? 一見卑怯とも思える相手への不意打ちも実戦じゃ使えるし、反応速度も悪くない。棒術を使う筋力と器用さもあるしな」
そう、ユーリから見てアイザの接近戦の素質はそれなりだ。最初の頃は攻撃に怯えて目を瞑るということもあったが今ではそれも克服しているし、ユーリがそれなりに本気を出しても多少はついてこれている。
もう十年単位で接近戦闘を実戦混じりに鍛え上げていけばユーリと同等になるだろう。
「魔法じゃなくて、棒術や槍術を極めた方がいいんじゃねぇか」
とは提案するものの、アイザにとってそれが難しいのも分かってはいた。
「流石にそれはちょっと…」
「…ま、そうだよなぁ。この国随一の魔法の使い手にして、代々優秀な魔導士を輩出したライアンス家に生まれちゃ、魔法を捨てろなんて無理な話か」
ライアンス侯爵家が所属する国、ジオンダル王国。その国の永き歴史の中でもライアンス侯爵家は優秀な素質を持った魔導士を代々輩出し、国に貢献してきていた。
ある時は魔法の研究にて優れた結果を出し、魔法の発展に貢献した。またある時は隣国との戦争にて多くの敵兵を屠り国を守ってきた。
国に尽くし、国の重鎮とも言えるライアンス侯爵家に生まれて魔法を捨てるなどあり得ない事だった。
「お貴族様の事情に関わる気は無いが…アイザ、無理はすんじゃねぇぞ。人生色んな道があんだからよ」
「ご心配どうも、ユーリさん。でも俺は大丈夫です…きっといつか仲間に会えるって信じてますから」
「仲間…?」
胸を張って他人に誇れるような人生を送ってきたわけではないが、大人の1人としてユーリはアイザに忠告をする。
だが当のアイザ本人は地面に大の字で倒れながらも陰りのない表情をしていた。
そしてアイザが口にした仲間という言葉にユーリは首を傾げた。
「仲間って誰の事だ? まだ見ぬ仲間って事か?」
「…ちょっと縁がありまして。自分でも何でかは分からないんですけど、いつかその縁を手繰り寄せれそうな気がするんです」
「直感ってやつか」
戦士として生きているユーリには分かるのだが、戦いの最中や物事の重要な選択において、俗に直感や勘と呼ばれる物は馬鹿にならない。
瞬時に物事を判断しなければならない状況や、先を見据えた選択肢を選ぶ時など、時には命すらも助ける事がある。
アイザも棒術を学んで2年以上の時が経つ。戦士としての勘が育てられてきたのだろう。
ユーリはそう結論付けると、槍で軽くアイザの体を叩いた。
「おい、そろそろ続きやるぞ」
「はぁ…もうちょっと休憩できませんか? 体のあちこち痛いんですけど」
「実戦の時、それで敵が待ってくれるといいな!」
ユーリはアイザの胸目掛けて槍の切っ先を向けて突きを放った。本気の一撃だ。アイザがこのまま地面に転がったままならば確実に殺してしまえるような攻撃を放ったのだ。
だがアイザも即座に両足で地面を蹴り、勢いをつけて後転しユーリの一撃をかわし、そのまま立ち上がった。
「おっかないですよユーリさん!」
「こと実戦前提の稽古では手ェ抜かないタチでな。お前もそれを希望してんだろうが!」
「そりゃそうですけど、ちょっと大人気ないですよ!」
「うっせ!」
生意気な口を叩く依頼主兼生徒に対し、ユーリは加減はしつつも容赦はせずに槍を振るった。
2人の稽古は、日が暮れるまで続いた。