新しい家族との日常
時は少し遡る。
「アイザ様、本日も魔法の勉強を指導させて頂きます。お父上のご期待に応える為にも全力で取り組んで頂きたい」
「はい。本日もよろしくお願いしますピアーズ先生」
西洋風の大きな屋敷の庭において10歳ほどの緑色の瞳にくすんだ灰色の髪を短くした端整な顔立ちの少年と白髪混じりの黒髪の初老の男が向かい合い挨拶を交わしていた。
アイザと呼ばれた少年は少し大きめの灰色のローブを、ピアーズと呼ばれた初老の男は漆黒のローブを身に纏っており手には互いの身長に合わせた長杖を持っていた。
「それでは本日も攻撃の魔法を練習致しましょう。向こうの練習用の案山子に向けてファイアーボールを放ってみて下さい」
ピアーズが持っている長杖の先を指し示す先には木の棒と藁で作られた粗野な案山子が幾つも立てられていた。
だがアイザは案山子を一瞥するとピアーズの目を見て機嫌を伺うかのような表情で尋ねる。
「先生、召喚魔法を試してみたいのですが…駄目でしょうか?」
アイザのその言葉にピアーズはまたかと思い目を伏せて首を横に振った。
「アイザ様が召喚魔法に興味を持たれているのは存じております。しかしこのライアンス侯爵家に求められているのは代々攻撃を得意とする魔導士なのです。お父上のご期待に応える為にはまず攻撃魔法を極めねばなりませぬ」
もう何度目になるか。お決まりの台詞でアイザの要望を却下するピアーズは再び長杖の先を案山子に向ける。
「アイザ様、詠唱を」
アイザも駄目元だったのか苦笑を浮かべてピアーズに頭を下げた後、長杖を構えて目を閉じた。
「契約に応じ、我が敵を焼き払え! ファイアーボール!」
アイザがそう唱えると、アイザの持った長杖の先端に空気が急速に熱せられると直径30センチほどの火の玉が生成された。
そしてその火の玉は砲弾のように前方へ発射され案山子に直撃してボフゥ! と音を立てて小規模の爆発を巻き起こす。
木と藁でできた案山子が一気に燃え上がり、僅か10秒ほどで燃え尽きて崩れ落ちた。
「ふぅむ…やはり火力、燃焼効果は以前と変わりなしですな…」
「アハハ、すいません先生。自分なりに努力はしているつもりなのですが…」
乾いた笑いを浮かべるアイザをピアーズは哀れに思う。
アイザの魔法は決して悪くはない。この由緒正しい侯爵家の生まれでなければ、だ。
魔法を扱うのには研究や修行も重要ではあるのだが、やはり個人の素質も大きく関わってくる所がある。
ピアーズ自身、自分は魔法の素質がそれなりにある方だと思っているし、52歳まで生きて様々な経験をして魔導士として成長してきた。
そんなピアーズから見てアイザの魔法の素質は平凡だった。
正確に言えば中の下、と言ったところだろうか。
一般平民の家ならそれくらいでも大喜びされているだろうし、そこらの伯爵家以下の貴族の家だとしてもそう問題は無かっただろう。
「アイザ様、同じ魔法を何度も使う事で魔法が体に馴染み、威力や速度が増大するという研究報告もございます。今は繰り返し同じ魔法を使うことが重要ですぞ」
「はい。ではもう1度…」
案山子が燃え尽き、魔法で生み出された炎は既に鎮火している。
他の案山子に狙いを定めてアイザがもう1度詠唱を唱えようとしたその時だった。
「ファイアーボール!」
無詠唱化されたファイアーボールの魔法が横から放たれて案山子の群れの中心で爆発する。
先ほどのアイザのファイアーボールとは比較にならない爆炎が巻き起こり周囲にあった案山子を全て焼き尽くした。
塵も残さぬ勢いで燃えていく案山子たちを横目にピアーズは小さく溜息を吐いてファイアーボールを放った人物を見る。よく知る人物だ。
「ハハハハ! 平民どもに作らせた安っぽい案山子はよく燃えるな!」
「…カイン様、今は経済学のお勉強の時間の筈では?」
「俺を舐めるなよピアーズ。その程度もう終わらせた。持て余した時間で出来の悪い弟の様子を見に来てやっただけだ」
父親譲りの茶髪をオールバック風に整えた美しい顔立ちの、青年へと成長している少年。
カイン・ライアンス。
このライアンス侯爵家の長子であり4つ上のアイザの兄。様々な学問にも優れているとても優秀な人物である。
が、人格面において大きな問題を幾つも抱えている。
その問題の1つがこれ、弟であるアイザを虐める事である。
「兄上、おはようございます。相変わらず見事な魔法ですね」
「はっ、お前のしみったれた魔法に比べればな。俺がお前の年の頃にはもっとまともな魔法が使えたぞ」
明らかにアイザを見下す言動をするカインに対し、アイザは困ったような笑みを浮かべながらお辞儀をする。
「いやぁ悪いなアイザ。俺が先に生まれてしまい父上と母上の才能を全て持っていってしまってな…。さしずめお前が生まれる時は搾りかすしか残っていなかったのだろう!」
態々周囲に聞こえるように張りのある大きな声でそう言うカインにピアーズは悟られぬ程度に眉を顰めた。
今のカインの声は少し離れた場所で作業をしていた庭師やメイドにも聞こえたようである。
庭師は哀れむような視線を隠そうともせず、メイドたちはこそこそと話しながらクスクスと嗤っていた。
この年頃の少年が自尊心をズタズタにされるような言動を周囲の人物たちにされて大丈夫だろうかという心配と、まだ幼い少年を蔑み、哀れみ自らの自尊心を満たす大人たちへの嫌悪感が胸の内に湧き出るものの冷静を装って抑える。
ピアーズは雇われの身であるため、雇い主の息子たるカインの機嫌を損ねれば首を切られる可能性があるのだ。
だが自らの保身のために幼い少年を見捨ててしまう自分へも、嫌悪感が湧き出てしまう。
「ああ、しかしクエルクとクエリアが成長してお前よりも優れていたらどうだろうな? 才能の搾りかすではなく、神に見捨てられたとでも言った方がいいか?」
クエルクとクエリアというのはアイザの7つ、カインの11下の双子の兄妹である。
二卵性の男女の双子ではあるが2人ともよく似ており可愛らしく、今はアイザとカインの母親、つまりライアンス侯爵夫人が面倒を見ている。
まだ舌足らずな言葉しか喋る事のできない弟妹を比較に出してまでアイザを馬鹿にするカインだがアイザはいつもと同じ困ったような笑みを浮かべて対応する。
「きっとクエルクもクエリアも兄上までとは言いませんが優秀な魔導士となるでしょう。今日も魔法の修行の後母上のところへ様子を見に行く予定なのですがよろしければ兄上も一緒に如何ですか?」
「……チッ、貴様1人で行け。俺は忙しいのだ。今とて折角開いた時間を貴様程度の搾りかすのために使ってしまったのだからな」
「分かりました。兄上の分もクエルク、クエリアの相手をしてきます」
アイザがそう言うと、思ったより反抗しないアイザに対し何か物足りないのかカインは舌打ちをしながら去っていった。
未だにゴウゴウと燃え上がっている案山子を横目に、ピアーズもアイザの大人な対応にホッと胸を撫で下ろす。
ここで魔法を使った喧嘩など起ころうものなら実力的にアイザが大怪我をしてしまう可能性もあったが、アイザが温厚な子で本当に助かったとピアーズは心の底から思った。
「案山子が全て燃えてしまったのではやむを得ません。アイザ様、本日の魔法の修行はここまでにしましょう。後は自習と致しましょう」
「分かりました先生。では失礼します」
こうして屋敷の方へと向かうアイザの背中を見送りピアーズは小さく溜息を吐いた。
これから明日の魔法の修行のために内容を練り、準備をしておかなくてはならない。
この家で魔法修行の家庭教師をするのは給金も高く充実しているとも思うのだがそれ相応に気苦労も多く、少し転職した方がいいのではないかと思うピアーズであった。
一方で魔法の修行が中断されてしまったため予定が開いてしまったアイザは一旦自室に戻り、ある本を持って屋敷内を移動していた。
大きな屋敷である我が家の中でも最上階の3階にやって来ると3つの部屋がある。
1つはライアンス家当主である父の部屋、1つは母の部屋、そしてもう1つは書斎となっている。
その中でアイザは母の部屋の扉をノックする。
「母上、アイザです。入ってもよろしいですか?」
「アイザ? ええ、いらっしゃい」
扉越しに入室の許可を貰うとアイザは部屋へと入る。
部屋の中は大貴族の侯爵家らしく豪華な家具装飾品が並んでおり、アイザの母親は大きなベッドで横になっていた。
アイザに似た白髪を腰まで伸ばしている若く美しい母親、イリー・ライアンスである。
しかしイリーの頬は少しだけこけておりどこか元気が無い印象があった。
「アイザ、今の時間は魔法の修行じゃなかったの?」
「実は兄上が少し横入りして練習用の案山子が無くなってしまいまして…。後は自習という事なので後で自主練習をしておきます」
「そうだったの。カインにも困ったものね…」
カインがアイザを虐めているのはイリーも知るところではあるが、カインも可愛い自分の息子であり、何よりカインの事は当主たる夫が強く認めているため強く言えないのが現状だった。
「あーにーさま」
「あーにーさま」
イリーと話しているアイザに近寄ってくる小さな2人。
この2人がアイザの弟と妹であるクエルクとクエリアである。
2人ともアイザと同じくすんだ灰色の髪をしていて幼くもよく似ており、あーにーさま呼びよく遊んでくれるアイザによく懐いていた。
「クエルク、クエリア、こっちにおいで」
「あーにーさまお本もってるー」
「あーにーさまお本よんでー」
懐いている兄のアイザがやって来ればすぐ遊ぶようにねだり、それぞれアイザの右手と左手を引っ張る。
「おっとっと! そんなに引っ張ったら転んじゃうよ」
「ごめんなさいあーにーさま」
「ごめんなさい」
突然引っ張られて少し体勢を崩してよたついてしまったアイザだったが、クエルクとクエリアにそう注意すると2人はすぐに引っ張る力を弱めた。
素直な2人にアイザは自然と笑顔になり、しょんぼりとしてしまう2人に優しく声をかける。
「いいや、大丈夫だよ。ちゃんと謝れて2人とも偉いね。母上、クエルクとクエリアは私が面倒を見ますので少し休んでいて下さい。また体調が悪くなっていると聞いています」
「そうね、お願いするわアイザ」
イリーはクエルクとクエリアを産んでからしばらくして体調を崩してしまったのだ。
原因はハッキリとしないが医者が言うには双子を産んで体力が落ちてしまったのだろうと言われたが、回復する気配は無く少しずつ体が弱っていっていた。
そのため最近はクエルクとクエリアの面倒を見るのも大変になっていたのだが、こうしてアイザが手助けに来てくれるため大いに助かっていた。
「あーにーさまお本ー」
「よんでよんでー」
「分かったよ。それじゃあお座りしようね」
2人に急かされてアイザはまた笑いながら2人の手を引くと壁際にもたれてカーペットの上に腰を降ろし、アイザの左右にクエルクとクエリアが座る。
アイザは手に持っていた本を2人に見えるように開いた。
本にタイトルは無く、羊皮紙に文字と簡単な絵が書かれており紐で簡単に纏められているだけのお粗末な本だった。
「今日もある魔法使いの冒険のお話だよ。この前の続きのね」
「クエルクまほーつかいのおはなしすきー」
「クエリアもすきー」
「また続きを書いたのねアイザ。私も一緒に聞いてて楽しんでいるわ」
そう、この本はアイザがクエルクとクエリア用に書き上げた御伽噺なのだ。
以前から幾つか書き上げておりその度にこうして紐で纏めて2人に読み聞かせているのだ。
「それじゃあ…昔々あるところに―」
アイザが作った御伽噺は子供向けに書き上げただけあってそれなりに単純な物になっている。
世界を旅するとある魔法使いが盗賊や悪の魔法使い、悪政を敷く王を倒していくという英雄冒険譚である。
ただ魔法使いは1人ではなく、戦いのたびに召喚獣を呼び出して仲間と共に戦うのだ。
今回のお話は人を食べてしまう9つの頭を持つ大蛇を仲間のドラゴンと共に退治するというものだった。
「―そしてなんと蛇の頭の1つに魔法使いは飲み込まれてしまいました」
物語が大詰めになってきたところで緊張のためかクエルクとクエリアは不安そうな表情になりアイザの服を掴んでギュッと握る。
「しかし魔法使いは飲み込まれている途中で風の魔法を使って大蛇の首を切り裂き脱出したのです。そして仲間のドラゴンが口から火を吹き、大蛇の首を焼き尽くしました」
「魔法使いすごーい!」
「ドラゴンもすごーい!」
話が進む毎に一喜一憂するクエルクとクエリアに対し、見守るイリーは心が温かくなり笑顔が毀れる。
アイザも自分が書き上げた物語で弟と妹があまりにも喜んでくれるため読み上げる声にも熱が篭る。
「そして風の魔法で他の首も切り裂き、ドラゴンが炎を吐き大蛇の体を焼き尽くしました。今まで幾人もの人々を食べてきた凶悪な大蛇を、魔法使いとドラゴンは倒すことができたのです」
クエルクもクエリアも瞳をキラキラさせていた。
そして物語は大蛇を倒した後、人々は無事に暮らせるようになり、魔法使いは別の場所へと旅立ちハッピーエンドで物語は終わった。
「おしまい、と。どうだった2人とも?」
「おもしろかったー! クエルクもいつか魔法使いみたいになるー!」
「たのしかったー! クエリアもいつかドラゴンといっしょにたたかうー!」
どうやら2人とも大満足だったらしく立ち上がってぴょんぴょんと部屋を中を跳びまわっていた。
「今回のお話もとっても面白かったわアイザ。きちんと出版すればいい作品になりそうだし、将来は作家活動をするというのも良いかもしれないわね」
イリーもベッドで休みながらも思わず話に聞き入ってしまいアイザの作品への評価を大人としても評価していた。
「ありがとうございます、母上。…あっと、もうこんな時間だ。そろそろ約束があって行かなければならないので失礼します」
部屋の時計を見れば時刻は既に昼を過ぎており食事時である。
そろそろ使用人がイリーとクエルクとクエリアの食事を持ってくる頃であろうし、今頃カインやアイザの父も昼食中だろう。
「あら、お昼はどうするの? ここで食べていってもいいのよ?」
「あーにーさま行っちゃうの?」
「いっしょにご飯食べようよー」
「すいません母上、クエルク、クエリア。悪いけど昼食も約束してあるから、また今度誘って下さい。では失礼します」
昼食に誘われたもののアイザは先約があったようで丁寧に断りを入れると不満そうにする弟と妹を軽くあやしつつ退室した。
アイザは退室すると足早に階段を下っていき正面玄関から屋敷を出て行った。