霜柱はどこへ消えた?
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
うはは〜、ドライアイス溶けるの、やっぱ楽しー!
このもわもわとした煙が湧いてくるの、たまらんな。初めて見た時には、なんかスターが舞台に登場する演出みたいで、かっこよさを感じたんだ。
それまでだと、固体は溶ける時に、いったんは液体になるものだとばかり思っていたから、それを経ずに気体になって姿を消す「昇華」の現象、知った時は衝撃だったな、
姿を消した誰かを追う。よく使われるストーリーラインのひとつだろ?
調査で見つかる様々な手掛かりから、多くのことを結び付けて、登場人物と一緒に俺たちも、あれこれ推理する。
追っているのがどのような人物なのか。どうして姿を消す必要があったのか。
捜査が進むにつれて明らかになっていく失踪の軌跡。氷解していく疑問。
お前はどんなことに疑問を持ったことがある? そこで結論に至るまで、投げ出さずに追いかけたことはあるか?
もしも途中で投げ出し、放っているものがあるのなら、今からする話。思うところがあるかもしれないぜ?
むかしむかし、ある殿様の領地で。
長年に渡る工事の末に、城と城下町が作られることになったんだ。殿様がおさめる領地の中では、交通の要衝にあたる場所。
鉱物に恵まれた山の近くということで、商いを活発にして、収入につなげようという魂胆があったと見られている。
街道は整備し直され、宿場町として機能させるために、周辺の木々は伐り出されて、多くの家屋が建てられた。必然、様々な仕事を営む人々、本来の意味での「百姓」たちが集まるようになる。
特に、温かめの地域からこちらへやってきた者の中には、寒い時期になって初めて目にするものに、とまどいを覚えることがあったという。
そのさきがけとなったのは、霜柱だった。
ある朝、いつものように皆と遊ぼうとすると、地面のところどころに凹凸ができていて、出っ張っている部分を踏むと、ザクリ、ザクリと音を立てる、妙な足ごたえ。
「畑にできたりすると、根っことかが持ち上がって大変なんだよ」
前々から暮らしている、地元の子が語る。放っておくと、被害が広がっていくかもしれないと教え込まれたこともあって、子供たちは大義ある遊びとして、片っ端から踏みしめていったらしい。
そのうち、水たまりには氷が張り、空からは雨の代わりに雪が降ってくるようになる。
彼らは子供たちの工夫と気持ちのままに、いっときの娯楽を提供する仕事を終えていく。
そんな中、子供たちの中でも一番年下の男の子が、不意に皆へ問いかけた。
「ねえねえ、霜柱とか、氷とか、雪ってさ。最後にはどこへいくの?」
まだその子は、「溶ける」という概念を、よく分かっていないようだった。
ややあって、子供たちの中でも一番年長のものが、「実際に見せた方が早い」と呼びかけ。自分の家に案内するかたわら、みんなにまだ残っている霜柱や氷を持ってくるように指示を出した。
招かれた玄関先。その脇にあるかまどを使いたい旨を親に話す、年長の子。
火を起こし土鍋が乗せられると、みんなが集めてきた霜柱たちが、ぽんぽん入れられる。
「今、鍋の中は、昼間に肌へ照り付ける日差しよりも、何倍も熱い。霜柱たちがどうなるか、よく見ておけ」
ほどなく、足元から大量に汗をかくようにして、見る間に水に変じていく一連のブツたち。年下の子も息を飲んだ。
変化はそれだけにとどまらない。水たちはやがて、わんさか湯気をたて始めると、みるみるうちにその「かさ」を減らしていき、ついにはなべ底に残ったわずかな水滴すらも消え失せてしまった。
「見たか。霜柱も氷も雪も、熱によっていずれは水へと変わり、その水すらも白い湯気と化して天へと昇っていくものなのだ。
実際はこれの何倍もの時間をかけて、ゆったりと同じ変化が訪れる。
彼らはどこへ消えるのか? その問いの答えは、天だ。天へと昇り、皆が見ることのできない、触ることのできないものへと変わるから、消えたように思えるのだ。そしてまた、何事もなかったように姿を現すのだ」
目の前で、変化の一部始終を見届けたことで、年下の子も納得がいったようだった。
以降、それまでにも増して、その子は外での遊びに熱中するようになる。
壊して姿を失ったとしても、いずれはまた形を取り戻して、生まれ変わってくるもの。取り返しが簡単にきくもの。
それが、この霜柱たちの理だと、彼は信じるようになったんだ。
それを裏付けるかのごとく、彼らが遊び回った後も、少し日を置けばまた彼らは姿を現し続け、子供たちを楽しませたんだ。
その日も年下の子は昼間、存分に遊び、家で寝入っていた。
かやぶきの屋根以外は、壁も床も、付近の山から伐り出された木で作られた家に住まう彼ら一家は、布団を持っていない。代わりにわら山へ潜っていた。
他の家族が、一段高くなった床の上で眠る一方で、年下の子は、玄関を兼ねた土間で寝っ転がることが好きだったらしい。わら山の中ほどに入り込み、敷き布団と掛け布団を兼ねた格好となりつつ、うつらうつら。
普段なら、このまま朝までぐっすりと眠ってしまうところだけど、ふと夜中に目が覚めた。
ザクリ……ザクリ……ザクリ……。
誰かが家のすぐそばで、霜柱を踏んでいる。
そういえば、霜柱が溶けて湯気になってしまうところは見たけれども、霜柱が土を持ち上げて、姿を現す瞬間は見たことがない。
もしかすると、今、外を出歩いてる誰かのように、夜中に動くことで、初めて遭遇できるのかもしれなかった。
「さすがにこんな夜中に、ひとりで外を出歩くことは許してもらえないだろうなあ」と、つい軽く寝返りを打つ子。
すると、外の霜柱を踏みつける音が、ぴたりと止んだ。まるでこちらの動きを嗅ぎ取ったかのように。
年下の子の身体もまた、いっぺんにこわばる。誰に言われるでもなく、自然と音を消し、息を殺し、気配を絶とうとしてしまう。
次に響いてくる物音を聞き逃すまいと、神経が研ぎ澄まされてきた。
彼は固唾すら飲むことも自分に許さず、集中し続ける。けれども夜が明けるまで、とうとう新しい音はせずに終わった。
盗人の可能性を、彼は真っ先に考えた。
いずれ行動に移る際、滞りなく進められるように下見をしているんじゃないか、と。
用心に越したことはない。彼はいつも眠る時に使うわら山の中に小刀を隠す。もしも泥棒が入ってくることがあれば、不意を打ってやるつもりだった。
果たしてその晩も、霜柱を踏みしめる例の奴が現れる。
今度は初めから起きていて、極力、物音を立てないように気をつけ続けた子供。
だけど、ザクリ、ザクリと踏みしめる音は、その日も、あくまで近場を回るだけにとどまる。
次の晩も、その次の晩も、同じ。家まわりで、不用心に音を立てるだけ。中には踏み込んでこない。
こちらが少しでも大きな音を立てると完全に止まるあたり、気配を察するのに敏いのは確かそうだが、それだけ。
夜明けを迎えるたび、年下の子は、今日も小刀を振るう機会がないことに悶々とし、また安堵したという。
やがて立春が過ぎ、そろそろ霜柱や雪たちも、姿をほとんど見せなくなってきた。けれどもそれは、年下の子にとって、更に気を張らねばいけない時期の到来を告げるものでもある。
もう、霜柱の音に頼ることはできなくなっていくだろう。かすかな気配に対して敏感に反応し、そのくせ足元が不用心な、正体不明の盗人との対決は、更に心気を凝らすものになる予感があったんだ。
油断すると、出し抜かれる。
そう覚悟する年下の子だったけれど、決着の時はすぐさまやってきた。
その晩も、霜柱を踏む音を彼は聞く。
夜はまだ冷え込むことが多い。霜柱ができたはしから踏み砕かれていることはあり得た。
けれど、今回の音はこれまでよりも、ずっと近くで響いているような気がする。
それこそ壁を通り抜けたこちら側の屋内。土間から離れ、一段高くなった床の下あたりから……。
推測は間違っていなかった。
がたり、と家全体がひと揺れしたかと思うと、床を乗せた地面全体が、一斉に持ち上がったんだ。
持ち上がりの高さは、わずか三寸(約10センチ)ほどという小さいものだったが、持ち上げている張本人は、すでに少年が何度も目にしているもの。
霜柱。無数に、広大に敷き詰められたそれらが、一息に背を伸ばして床をせりあげている。更に少年の見ている前でじわじわと高さを増すそれらは、家の屋根に下側から圧力をかけ出した。床の上の家族は熟睡しているのか、まだ目を覚まさない。
諸所の柱の、地面に埋まっていた足の部分も取れかけていた。このまま屋根まで持ち上げられるたら、家は床と土間を境に、ぱっくりと割れてしまう。
少年が叫ぶ。意味を成さない声だったが、それで十分だった。
霜柱は現れた時と同じように、一斉に頭を地中へと引っ込めて、「ザクリ」と大きい音を立てる。ほどなく家族も次々に目を覚まし、辺りを見回した。
彼は今見た光景を伝えたが、すぐには信じてもらえない。
けれど、霜柱たちが持ち上げた後に残った地面の裂け目と、ややぐらつき気味になってしまった柱。そして、その足元にできた、抜き差ししなければ作れないであろう、やや大きめの穴を確認し、ようやく理解してもらえたとのことだ。
翌日。彼の家の裏手。あの床の延長線上には、霜柱が偏ってできていた。
もしも、あのまま床が裂かれ、分離していたのならば、それを乗せて運べそうなくらい広く、延々と続く柱の道。それは山の中へと続いている。
これは他の人々も知るところとなり、一部の者は、「家に使われた材木たちが家へ戻ろうとしたのだ。霜柱を地の下に蓄え、自らの足としようとしたのだ」と噂した。
踏まれ、砕かれた霜柱はどこに消えたのか。
それは溶けて天に昇ったばかりでなく、地に沈んで隠れたものもあったのだろう。
そこで、新しい役目を仰せつかるのを待ち受けていたのかもしれない、と彼は大きくなってから家族に語ったそうな。