弾丸の行方
飛び上がる程勢いよく立ち上がると、ガチャリと小さな音を立てて腰の銃がはねた。
胸が小刻みに震えているのが分かる程心臓が脈打っている。
(今、マコトの声が……)
事態を把握できなかった頭が、次第に靄が晴れれてくると、自分の立っている場所を理解する。
普段通りの自分の部屋、そこにマコトはいない。声など聞こえなかった。
(夢だ、俺は眠ってしまったのか……。)
そして、再び悪夢の世界に居る事に。
「どうして、俺が、どうして、俺なんだ……」
この悪夢の世界に、悪態をつき、あらん限りの呪詛の言葉を吐き出したかったが、それさえも、型を成せずに霧散していく。
纏まらない思いに足がふらつき、テーブルについた手で体を支えると、ジャケットの内側並んだポケットに収められている弾丸の重さが伝わってくるようであった。
そこに、名前の書かれた弾丸が収められている。刻まれた名前と命が。
直ぐにでも取り出して、そこに書かれている名前を確認しなければ、と、ジャケットを開いて弾丸に手を伸ばしたが、それに触れる事さえ体が拒んでいた。
取り出した弾丸に、よく知った名前が書かれていたとしたら、それを知ってしまったら……。
彼らの名前が無い事を確認しなければ、いや、そこから引き抜く事で、彼らの名前が書かれてしまうのであれば……。
とくとくと流れ出す疑念は、最悪の結果に向かう予感をさせ、弾丸に手を触れる事を躊躇わせた。代わりに、縋りつく手を、差し伸べられる手を、求めていた。その先に、彼女の姿を思い描いたのは当然の事だった。
(マユ……。彼女に会わなければ……)
彼女ならば、答えをくれると、望む答えを差し伸べてくれると、そう、信じて、ドアに手を掛けた。
むっとする湿気の多い空気が、顔に吹きつけ、日差しの弱い不快な暑さが体を包み込んだ。相変わらずの曇った空に、静まり返った街で、この世界は出来ている。
足早に歩きながら、素早く路地に目を配り、彼女の姿を探した。
静まり返った街は、生き物の気配すらなく、自分の足音だけが、いつまでも響いているような気がした。それでも、いつも不意に現れる彼女に驚かされる。彼女が路地から姿を現す事を心待ちにしながら、空き地や公園を順番に回って行ったが、、どこにも彼女の姿は無かった。
速めた歩く速度は、駈け出す程になり、心臓の鼓動が静まり返った街に鳴り響く。
もし、彼女に会えなければ……。
この街に、ただ一人取り残されたとしたら……。
湧き上がる不安は、さらに心臓を脈打たせ、耳を覆わんばかりに高鳴らせていく。その合間に、微かな人の声が聞こえた。
奥まった集合住宅の中庭から、聞こえる声。良く通る澄んだ声、それが、マユの声だと、すぐに聞き分けれた。
植木と柵を回りこんで、中庭に入ると、初めに見えたのはベンチに座っている男だった。
サイトウだ。彼は、両手で頭を抱え込んでいる。
彼の前に立ち、話しかけていたマユは、近づいてくる足音に驚いて振り返ったが、安心したように、小さなため息をついた。
「レイジ、あなただったのね、よかった。迎えに行こうと思っていたのだけれど……」
彼女は、申し訳なさそうに、伏目がちな視線をサイトウに向ける。
「ほっといてくれないか……、俺は……、こんな所で、何をしているんだ……」
両手に顔を埋めたまま答えたサイトウの声は、昨日聞いた人当たりの好さそうな声では無かった。ずっと低く、吐き出される息に押し出されて転げ落ちるような声だった。
「サイトウさん、何があったのですか?」
何が起これば、人懐っこい笑顔を見せていた男がこれほど落ち込めるのだろうか。その質問には、そんな興味本位な感情も含まれていた。少し気を回せさえすれば、後ろめたい気持ちにならずに済んだというのに。
「妻が死んだ」
端的な一言は、体を凍りつかせるのに十分だった。
痺れたように動けなくなったレイジとは対照的に、サイトウは溜め込んでいたいた言葉を堪え切れないように吐き出していた。
「大通りであった事故に巻き込まれたんだ……、妻の乗った車は、後ろから大型トラックに追突されて、元の形も分からなかった……。普段なら、あんな時間に車に乗っている筈が無いんだ、それなのに……、どうして……」
突然痺れから解放された。彼の妻の死、その原因に思い当たったからだ。彼が百足に向けて引いた引き鉄、見事に足を止める事に成功した弾丸に、彼の妻の名前が書かれていたのではないのか?
しかし、彼にそれを訪ねるのは、打ちのめされている彼に追い打ちをかけるのはあまりにも辛く、代わりに、隣りにいるマユに、言葉を向けた。
「マユ……、君は、知っていたのか?」
彼女は、驚いた風に目を見開いた。
それは、突然向けられた質問に?
その質問の意味に?
その答えに?
「なるほど、あれだけの威力、余程の絆だとは思っていたが、妻だったのか。それならば、納得がいく」
マユの代わりに堪えた声は、シュヴァルツヴァルトのリーダー格の男・ティーガだった。
知らぬ間に中庭に入ってきた彼は、あの時の女性を側に連れて、当然のごとく会話に加わり、サイトウの様子をしげしげと眺めていた。
マユは、彼らを警戒してか少し後ずさった。代わりに同じ質問を彼らに投げかけた。
「貴方は、知っていたのですか?」
「彼女は、アリエテ、向こうに居るのは、ルクレール」
彼が親指を向けた入り口に、男が見張りをするように背を向けて立っていた。
「今日は、アリエテを救ってくれた礼を述べに来たんだがな」
「あれくらい、私一人でも避けられたさ……」
アリエテと紹介された女性は、視線を外したままボソリと呟いた。しかし、ティーガは、彼女には目もくれず真直ぐに向けられたレイジの視線を面白そうに見返していた。
「知っていたか……。弾丸に名前が書かれている事をか? それとも、撃てば、その名前の人物が死ぬことをか?」
「どういう事だ!」
先に答えたのは、サイトウだった。詳しい説明を聞こうと叫び声に近い返事をして、会話に加わった彼だったが、その目は、死刑の宣告を受けるような絶望の色を湛えていた。
その答えを、自分自身の引いた引き鉄の重さを、彼は既に理解していた。
「弾丸には、絆を結んだ相手の名前が書かれている、その相手との繋がりが深ければ深いほど、弾丸の威力も増す。そういう仕組みだ。君の撃った弾丸は、君の妻の命だったという事だ」
「それでは、俺が……」
ベンチに崩れるように腰を下ろしたサイトウに気を配る余裕は無く、当たり前のルールであるかのように話す彼に恐れさえ感じていた。
「貴方は、それを知って、いて……」
「俺たちは、それを知った上でナイトメアと戦っている。仲間を守るためにな」
目の前で襲われている誰かを救うためには、戦わなければならない、しかし、そのために、家族や友人、掛け替えの無い人を犠牲にするのか?
それを知りながら、ためらいなく引き鉄を引ける彼らは、この戦いにどんな決着をつけるつもりなのだ?
「誰かを守るために、誰かを犠牲にする。人は生きている間に、そんな選択を無意識で選んでいる。この銃は、それを自分の意思で選ぶだけだ」
何度もその問いに向き合ったのだろう。彼の出した答えは、揺るぎない信念を感じさせた。
(だが……、そんなに簡単に割り切れるものなのか?……)
不確かな想いが彼の言葉を拒絶していたが、反論する言葉は出てこなかった。自らの手で犠牲を選ぶ嫌悪感が湧いてくるも、それが正しいのではないかと考えていたからだ。
守らねばならない相手が目の前で襲われていたら……。
俺は、引き鉄を引けるのか?
「そこでだ、君にも俺たちと一緒に戦ってほしい」
考えがまとまらないところに、突然の勧誘は、頭の中が真っ白になるほど驚かされたが、彼の仲間のアリエテも信じられないと言った表情を彼に向けていた。
訳が分からぬまま、答えてしまうのを防いでくれたのは、腕を握り締めてくれたマユの手の感触だった。
「この世界から出るには、ナイトメアを全て倒さねばならない、俺たちは協力して、奴等を殲滅し、生き残る道を探さねばならないんだ」
マユの手のひらから、警戒を込めた感情が伝わり、少しは冷静になれた。熱く語りかける彼の言葉に流されず、彼らと共に戦う、それがどういう事なのか、慎重に考えねばならない。
だが、その時、低く鈍い衝撃音が建物の間を木霊した。
全員に緊張が走る。
――ナイトメアだ!
素早く銃を構えると、入口へと向かうティーガ達。遠ざかる足音の代わりに空を切る飛来音が聞こえて来る。しかし、その音は中庭の外からではない、真上から聞こえていた。
次第に地面に大きくなる黒い影、それに気が付いた時はすでに遅く、隣にいるマユに手を伸ばすのが精一杯だった。
まるで、ミサイルでも降って来たかのような衝撃に吹き飛ばされる。落ちて来たのは、弾頭のようなナイトメア・釣り鐘だった。
地面にめり込むほどの勢いで降ってきたナイトメアは、ギチギチと軋んだ音を立てながらゆっくり起き上がろうとしている。
それがどこから降って来たのか分からずとも、今は、ナイトメアが起き上がる前に逃げなければ。
マユの手を取り、直ぐにでも走りだそうとすると、倒れているサイトウが目に入った。
座ったままの態勢で吹き飛ばされた彼は、圧し折れたベンチの板が太腿に突き刺さっている。
一人では起き上がれそうもないのは明らかだった。彼に肩を貸して立ち上がらせると、急いで中庭の出口に向かう。入り口で銃を構えたティーガは、仲間を守るリーダーのように、「先に行け」と言ったが、横を通り過ぎる時、彼がサイトウの傷に向けた冷淡な視線は、寒気を感じる程嫌な予感を募らせた。
肩を貸したサイトウを引きずるようにして急がし、出来る限りの速度で通りを走っていた。
どこに向かうか考える余裕もなく、少しでも距離を取る為に走っていたが、いつまでもこのまま走れる訳でも無く、サイトウの傷も気にはなっていた。どこかで、手当てしなければ、と。
しかし、先に根を上げたのは、サイトウだった。
「まってくれ、止まってくれ……」
「サイトウさん、今は堪えて、もう少し先まで」
「いや、そこに車が」
(そうか、車を使って逃げれば……、いや、エンドウが車等の乗り物は使えないと言っていなかったか?)
「車はダメだ、サイトウさん」
しかし、彼は静止も聞かずによろよろと車に向かうと、銃のグリップで窓ガラスを叩き割った。反動でふらついた体を車にもたれかかせながら座席へと潜りこむ。
「車は動かないんだ、早く逃げないと……」
「これでいい、俺は、ここで身を潜めてやり過ごす。君たち二人なら、もっと早く逃げられるだろう?」
「しかし……、」
「いいから、早く行け!」
車の座席で握りしめた銃に額をつけたサイトウが叫んだ。
懇願するような、断末魔のような、どんな言葉も聞き入れない強い拒絶を含んだ声だった。
彼を連れて走って逃げるよりは、ここに隠れていた方が、助かる可能性があるのかもしれない。そう考えたのは、彼を置いて行くことに後ろめたさを感じていたからか?
少しでも、そこに望みがあると思いたかった。
残してきたのは希望だと自分に言い聞かせて、マユと二人で走り出す。一度サイトウの乗った車を振り返ったが、後は黙ったまま先を急いだ。
(急げばまだ間に合うはず、彼らと合流できれば、サイトウを助けに戻る事も……)
それは、言い訳にしか過ぎなかった。彼らが引き返してくれる保証もない。エンドウに運よく医術の心得があったとしても、サイトウの足の傷、出血からして、彼にどれくらいの時間が残されているのだろうか。
それでも、見捨てた、とは思いたくはなかったのだ。
入り組んだ民家の間の角を曲がって、大通りに差し掛かろうとした頃、エンドウの姿を見つけた。
彼の姿を見つけた時、心底ほっとした。
何かが解決したわけではなかったが、ただ、話を聞いてもらえる、そう思えるだけで、迷子の子供が親を見つけた時のようにほっとしていた。
だが、彼に話しかけようとした時、安心感を突き破って爆発音が上がった。
背後から、走って来た方向から聞こえた、煙を立ち昇らせた音に、吐き気がする程の寒気が走った。
サイトウの元にナイトメアが追い付き、彼が応戦したとも考えられる、だが、思い浮かんだ彼の姿、最後に振り返って見た彼は、自分に銃口を向けていたのだった。
(まさか、彼が……)
「ほう、あれは、凄い爆発だね。恋人、家族……、なんにしろ余程の相手じゃないと、あれだけの爆発力にはならないな」
立ち昇る煙を眺めるエンドウは、冷静にそれを分析しているかのようであった。
やはり、この男も知っていた。
この銃と弾丸の仕組みについて、この世界の仕組みについて……。
(サイトウを助けに戻らなければ……)
義務感、責任感、そんな言葉はどうでもよかった。ただ、そうすべきだと、頭のどこかで囁く声が聞こえていた。
「どこへ行く気なんだい? あれだけの威力の弾の引き鉄を引いたのだよ、彼は生きてはいまい。たとえ生きていても、帰る場所など無いだろうけどね」
エンドウの言葉は、残酷にも的を射ていた。
彼は、知らぬ間に自分の妻の弾丸を使ってしまい、あれほど後悔していたのだ。しかし、それを知った上で、次の引き鉄を引いた。妻と変わらないほどの絆を持った相手を弾として。
その弾で、自分自身を撃ったのだろう……。彼の表情、言葉、それらすべてがそう告げていた様な気がした。
「誰でもとっておきの弾を一つや二つは持っている物だけど、それを使ってしまえば、生き残れはしない」
「それを知っていて、シュヴァルツヴァルトに戦わせているのですか?……」
……自分は戦わずに。しかし、それは俺も同じだ。
ナイトメアに銃を向ける代わりに、サイトウを連れて逃げる事を選んだ。
彼を肩に担いでいたために、銃を使えなかった。そう言い訳するために。
「君も、彼らに誘われただろう? 一緒に戦おうと……、弾数は多いほうがいいからね。それに、彼らのやり方は少し違う。絆というのはね、何もプラスの繋がりだけではないのだよ。妬み、恨み、嫉妬、人はいくらでも深い繋がりを生み出せる、何のためらいもなく使える絆をね」