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柔らかな香りに

 差し込んで来る白い光が飛び散り、目を瞬かせた。

 慌てて目を閉じたが、それはなんだかとてもよく見慣れた光に思えた。

 ゆっくりと、瞼を上げると、それは蛍光灯の光だった。

 ベッドに横になって、自分の部屋の天井を見上げている。


(俺は……なにを?……)


 周りを見回してみたが、何の変哲もない、家具の少なく飾り気のない自分の部屋だ。窓から差し込む朝日の中で弱弱しく蛍光灯が光っている。当然、靴は履いていなかった。


(夢?……夢を見ていたのか?……)


 冷蔵庫から、買い置きしているペットボトルを取り出し、そのまま口を付けた。ふと、視線をテーブルの上に向けたが、そこに銃が置かれている筈もなかった。

 恥ずかしいような苦笑いが浮かんでくる。


(俺は何を考えているんだ、ただの夢だろう……)


 両足に残る疲労感が、夢をリアルに伝えてはいたが、ただ、それだけの事。

 明かりをつけたまま眠っていたから、疲れが取れなかった、だから、あんな夢を見た。それだけの事だと。

 他に納得のいく理由もなく、納得できない理由もなく、いつも通りに朝の支度を済ませ、学校へと向かった。



 校門に続く急な坂を上る、いつもの朝だった。

 ここ八津夢町やつめちょうは、駅前こそ高層のビルが並んだ繁華街になっているが、そこから離れると、急な坂の多い町並みが続く地方都市と言った風景が広がっていた。

 民家や畑の間に、観光客なら目を見張る古そうな作りの建物もあったが、学生たちはきつい坂を黙々と列をなして歩いていた。

 早朝から好き好んで、こんな坂を上る者も他にいないだろう。

 昨夜の疲労感から、普段より遅いペースで坂を上り切り、靴を履き替えようと下駄箱を開けると、そこに小さな封筒があった。

 何気なしに手に取ると、淡い良い香りが漂う。太陽の光を浴びた木々を、薄く薄く伸ばし折りたたんだような香りだった。


「おー、おはよう」


 欠伸まじりの挨拶に、思わず封筒をポケットに隠す。声の主はクラスメイトの宵待真よいまちまことだった。

 特にその封書を隠したかった訳でもなかったが、彼も気にした様子もないし、見せびらかすものでもない、と。

 曖昧な返事をしながら教室に向かった。

 だが、席に着くなり、


「誰からだよ?」


「え?」


「さっきの封筒だよ、下駄箱に入ってたんだろ?」


 ちゃっかり、気が付いていたようだ。誤魔化されないように教室に着くまで黙っている所も彼らしい。目を細めて、今かと待ち構えるその姿に、ここで中身を確かめねばならない様だと観念して、封筒を取り出した。表に丁寧な文字で、差出人の名前が書かれてある。覚えのない名前だった。


「……神納木こうのき牡丹、知ってるか?」


「んー、こうのき、こうのき……たしか、あのデカい家が神納木だったよな。俺の情報によると、一人娘がいるが、同じ学年じゃなかったと思うが……」


 なんで、人の家の家族構成まで知っている。お前は何者だと、突っ込みを入れたくもなったが、神納木家といえば、この辺りの名家の一つという事くらいは、一人暮らしをしてても聞いたことくらいある。実家がこの町にある彼なら、家族の話くらいは自然と耳に入るのであろう。

 自分の親友が、女子生徒の名前と住所を調べて回っている訳ではないと、信じている。

 だが、彼はそんな心配も他所に首を九十度曲げて、あらぬ方を向いていた。


「おーい、小日向こひなた、神納木牡丹って、知っているか?」


「牡丹ちゃん? 知ってるも何も、うちの部活の期待の新人よ」


 そう答えたのは、小日向ひな子、太陽のように明るい笑顔の彼女に相応しい名前でもあるが、感情の起伏が激しく、ころころとよく変わる表情は日和見ひな子の方があっている気もする。

 輝かしい笑顔を向けていたひな子は、相手の話は半分しか聞かず、会話を先回りして、急に降りだした夕立のように真を品定めする態度で目を細める。

 せっかくの美人が台無しであった。

 クラスでも人気は高かったが、この豹変する表情、顔の輪郭さえ変えるほどよく動く頬の筋肉を見ると、好意を寄せる男たちの誰もが二の足を踏んだ。


「ははーん、牡丹ちゃん可愛いからね……、あんたじゃどうかしらねー……」


「いっいや、俺じゃねーよ、嶺士がラブレターを貰ったんだ」


「えっ! 何よ、どういう事なのよ!」


(夕立に、雷も鳴ってるか……。また、面倒な相手に)


「まだ、ラブレターと決まった訳でも無いし、校舎裏の桜の木のとこに来てくれと、書いているだけだしな」


「それが、ラブレターって言うんだ!」

「それが、ラブレターって言うのよ!」


 普段は、意見が合わなさそうな二人であるが、こういう時には、なぜかぴったりとシンクロする。


「それで! どうするのよ! なんて答えるのよ!」


「そうだぞ! うまく行けば逆玉だが、お嬢様と言うのは案外性格に問題があったりしてだな、のこのこと出て行くと……『おーっほっほ、ひざまずいて、足の裏をなめなさい』とか、言われるかもしれん」


「それだと俺は、何のために呼び出されるんだ……」


「牡丹ちゃんは性格もいい子よ! そんな事はしないわ!」


 人を呼び出してそんな事を言う奴はいないと思うが、目の前で首を絞められている真の顔色が青くなっているのは、少し気の毒になって来た。

 が、彼は最後の力を振り絞り、親指を立てた。


「……ぐっ……はっ……。やったな、付き合えば逆玉だぞ……、がくっ。」


 お前の最後の言葉はそれでいいのかー! と、絶叫したい気分であったが、目の前にはつむじ風に乗ったひな子が迫っていた。


「つっ、つっ、付き合うの?! どう、するのよ!」


 暴風雨の中で荒ぶる風神が、天を裂き地を焦がす雷神が、互いに、獲物をどちらが手に掛けるか、せめぎ合う姿がそこに見えた。

 この空模様、一歩間違えれば、真と同じ道を歩むことになる。

 冷や汗を拭いながら、慎重に言葉を選び出した。


「まだ会った事も無いし、とりあえず、何の話か聞いてみないと……」


 俺の答えはあっているのか、間違えたのか、裁きの審判が下されるのを待つ気分であった。その割には、我ながら平凡な答えをしたものだ。


「……そう、待ち合わせ場所には……、行くのね」


 ひな子は静かに答えると、自分の席へと戻って行った。

 静かにどんよりと曇った空、いや、それは立ち込める暗雲の中に身を潜める龍の気配を感じさせる静けさだった。

 雲の切れ間から時折鋭い視線が発せられ、その度に背筋に寒い物が走り、刻々と流れる時間がとても長く感じられた一日を過ごす事になった。



 授業が終わるチャイムが鳴り、やっと解放されるとため息をついたが、気付いた時には、あれ程手紙を気にしていた、真とひな子の二人は、いなくなっていた。

 あれだけ興味を持っていたのに、のど元過ぎれば何とやらか……二人とも部活にでも行ったのだろうと、ゆっくり荷物を纏めていたが、不意に嫌な予感が走った。


(まさか、二人で先に待ち合わせ場所に向かったのか?)


 俺は走った。

 大股で、全速力で、走った。

 廊下を走り抜け、階段を飛び降りて、校舎裏へと。


(いや、二人が先に行って何が出来るというのだ?)


 そんな疑問が頭をよぎった。

 それに、手紙を貰ったからといって、息を切らして待ち合わせ場所に走って行くのは、どうなのだろうか?

 足を止めて呼吸が落ち着くまで、静かに空を見上げた。

 呼吸が落ち着くと同時に、煮立っていた頭も次第に冷めて来る。

 この手紙自体、真のいたずらの可能性もある。

 そうだ、まずは落ち着いて、何事にも動じぬように。そう、心の中で言い聞かすと、俺は、ゆっくりと校舎裏に歩き出した。

 だが、決意など、

 硬く固めれば固める程、脆くも崩れ去ってしまう事を思い知らされた。

 濃い緑色が映える植木を背に少女が一人立っていた。

 奇麗に揃えられた長い黒髪が、柔らかく風に揺れている。

 ただそれだけの事で、黒髪は弾かれた弦のように、澄んだ音色を風に乗せて、彼女の周りで鳥たちが華麗に歌い上げる、そんな錯覚にとらわれていた。

 清楚、清廉、清潔――そんな言葉がピッタリと当てはまる少女だった。


 青く澄んだ、柔らかい木の香りに魅かれて、ゆっくりと、足を進めていた。

 近づくほどに、完璧なまでの造形は、精巧に作られた人形を思わせたが、足音に気が付き振り返った彼女は、つぼみが開くように頬を赤らめた。

 細い指が所在なさそうに長い髪に触れた。

 何気ない仕草さえ、可憐な上品さを醸し出し、その彼女が制服を着ている事が違和感を覚える程であった。


「あの……、こんな所に、お呼び立てしてしまって申し訳ありません……あの……その……」


 風鈴の音色のような澄んだ声。

 たどたどしく歯切れの悪い言葉でさえ、柔らかそうな唇から発せられると官能的なまでに美しく魅力的に聞こえて来る。

 涼やかな風の奏でる音色に聞き惚れていると、どこからともなく、不協和音が混ざって来る。

 微かな話声に耳をそばだててみると、ガサガサと植え込みを揺らしている二人の女の子の姿があった。


「牡丹~頑張れ~」


(彼女の友達が、隠れて応援しているのか……でも、それはかえってプレッシャーになるんじゃないのか?)


 だが、反対側の植え込みには、もっと無遠慮うに、クマでも出てきそうな勢いで植木を揺らす二人組がいた。ひな子と真だ……。


(あいつら、あんな所に居たのか)


「あー、もう、じれったい! どうするのよ!」


「やめてくれ、苦しい……、俺の、せいじゃない……」


 植え込みに隠れているつもりなのか、しゃがんだ真は、後ろから首を絞められて、顔に押し付けられた枝がメキメキと音を立てていた。


「牡丹、あなたの想いをぶちまけるのよ! 練習通りに愛の詰まった言葉を並べるのよ!」


「夜も眠れない程あなたの事を思っている! あなたの事を想う度にこの体が燃えてしまいそう!」


 彼女たちも興奮気味に段々声を抑える遠慮が無くなって来る。


(練習してたのか……)


「夜に何をしたって? 何で燃えるのよ!」


「やめてくれ……、俺はもう、ぶちまけそうだ……」


 こっちの二人は隠れるという配慮もないのか、真は激しく頭を揺さぶられて青い顔をしていた。


「さぁ、牡丹、告白するのよ!」


「こっ、告白ってどういう事よ!」


「苦しい……、そのために、呼び出されたんだろ……」


「牡丹、止めを刺すのよ!」


「どうするのよ、なんて答えるのよ!」


(止めを刺されそうなのは、真だ……)


 本人たちをそっちのけで、応援合戦をしている彼女たちに気を取られていたが、目の前の神納木牡丹に視線を戻すと、耳まで真っ赤になっていた。


「あの……すいません……」


 恥ずかしさからか、真っ赤になった彼女は泣き出しそうな表情になっている。

 もう、彼女の言いたい事も十分伝わった。彼女の口からではなかったが。

 後は俺が答えるだけだ。

 考えるまでもなく……断る理由など何も無かった。


「いや……、俺でよければ……」


 その瞬間、向けられた彼女の瞳は、満天の星空を思わせるほど輝いていた。

 だが、その先の言葉を続ける間もなく、彼女の友達二人が植え込みから飛び出してきて、牡丹に抱きつき、何度も「おめでとう」と言いながら、喜びを分かち合う。

 はた目には、微笑ましくもあるが、その傍らに立っているのはあまりにも所在なく、ひな子たちを探して植え込みに目をやったが、彼女たちの姿はどこにも見当たらなかった。


(あいつら、肝心な時にはいないんだな……)


 そう思いつつも、少し落ち着いた彼女たちとぎこちない会話を交わして、家路についた。


 慌ただしかった一日も終わり、帰りがけに買った夕食代わりの弁当を食べ、部屋で一人くつろいでいると、とたんに、胸が熱くなるほどの興奮が沸き上がった。

 あれ程の美少女に告白されたのだ。今まで冷静でいられた事の方が不思議だった。

 いや、冷静だったのか?……。


(ひな子たちに気を取られ、辺りをきょろきょろと見回すおかしな態度を取っていなかっただろうか?)

(どうして俺なんかに告白を?)

(彼女になんて返事したんだ?)

(俺は、彼女と、まともな会話が出来てたのか?)

(やっぱり変な奴とか思われたんじゃ?……)


 支離滅裂な思考が頭に浮かんでくる。

 幾ら頭から振り払っても、考えるのをやめられずに、それは、いざ寝ようとした時でさえ、頭の中をぐるぐると回っていた。

 なかなか寝付けず、何度も寝返りを打つ。

 何度目の寝返りを打ったときだろうか、ふと、違和感を感じた。

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