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エリとノブは、船乗り養成所の同期生だ。
上流階級や金持ちが行く宇宙航空大学とは違い、養成所は貧しい者たちが流れ着く場所で、卒業後は危険の多い未開域調査や辺境開拓の仕事に就く。
大学を出ても養成所を出ても、「SP」の称号は等しく与えられる。
SPは、「Space Pilot」の略だ。
しかし、養成所出身者は、自分たちを、「Sacrificed Piece」、もしくは「Sacrificial Pawn」のSPと自嘲する。どちらにしても、捨て駒の意だ。
世間では、大学出を「S」、養成所出身者を「P」と簡潔に呼び分けている。
そこに悪意はないのだろうが、たった二文字の言葉すら分けてしまう行為が、この世は完全なる格差社会であるという事実を明確に伝えている。
底辺の仕事。先の見えた人生。
養成所には、諦観や鬱屈といった、負の空気が漂っていた。
そんな中でも腐ることなく明るい瞳を空に向けるエリと、腐ることもできないほど冷めているノブは、よく言い合いをした。
しかし、大きな喧嘩にはならなかった。自分にはない考えが返ってくるのを、お互いに楽しんでいるところがあった。
エリは、「Pはやりがいのある仕事」だと言う。
「『pioneer(開拓者)』のPでもあるわけじゃん。未開の星に誰よりも先に接触するんだからさ。それってすっごいことじゃんよ」
「それを言うなら、『prey(犠牲)』のPだろ。開拓した星の数より、事故で死んだPの方が多い」
冷水を浴びせるノブに、エリは大きなため息を返す。
「ノブは悪い方にばっか考えるよね。いっつも後ろ向きで夢がない!」
「エリは現実を見ていない。前向いてても目隠ししてたら意味がない」
*
二年間、形ばかりの教育を終えた二人は、同じ企業に雇われた。
見習いとして中型船にぶち込まれたノブは、ベテランたちと一緒にあちこちの星へと飛んだ。
先輩船乗りたちからの暴力は、日常だった。
息をつく間もなく、あっちへ行け、こっちへ来いと走らされる。些細なことで横っ面を張られ、一瞬の遅れに尻を蹴り上げられた。
休めるのは睡眠の時だけ。
疲れ切った体を、壁に固定した寝袋に押し込むたび、新旧入り混じった傷が悲鳴を上げた。次に基地へ帰還するまでに死ぬんじゃないかと、かすかな不安も感じた。
耐えるしかなかった。他に就ける仕事はないし、宇宙では逃げ場もない。
一年経つ頃には仕事にも慣れ、二年経つ頃には殴られることもなくなった。
先輩たちは横暴だが、仕事に関しては間違ったことを言わないし、経験に裏打ちされた教えは役に立つ。
結局、Pの仕事は、体に叩き込んで覚えないと駄目なのだ。
宇宙の神は容赦がない。新人もベテランも関係ない。一瞬でも隙を見せれば、確実に命を奪っていく。
三年目からは、エリと同じ船に乗り合わせることもあった。
丸刈りに近かったエリの髪は、肩まで伸びていた。
艶やかに渦を巻く赤毛に、しばし見とれたノブは、「バネみたいな頭だな」と感想を漏らし、エリに蹴られた。
丸三年の見習い期間が明ければ、配属先を選ぶことになる。
ほとんどの者が、旨みの多い大型船を希望する。
国や研究機関が主導する大規模プロジェクトに同行するため、最先端の技術や設備に触れることができる。
向かう先はPが調査を終えた星なので危険も少ない。
大体が長期滞在となるため、頻繁な気圧の変化を受けて体を壊すこともない。
Sや科学者たちに、いいように使われるのは面白くないが、それで安全が得られるなら安いものだ。
中型船も人気がある。ルート航行の仕事が多いので、スケジュールを立てやすく、家族持ちには最適だ。
固定メンバーで操る小型船は、仲間意識が生まれやすく、家族同然となることも多い。
ノブには、求めるものがなかった。
科学者と一緒に人類の未来を築きたいとは思わないし、自分の家族も疑似家族も欲していない。
流されるように生きていき、棒杭にひっかかることがあれば、そのつど適当に対処すればいいというのが、貧民窟に生まれついたノブの人生観だ。
がらんとした会議室の中、ひとつだけ置かれたパイプ椅子に座ったノブは、だからこそ大型船を希望しようと思っていた。
何も求めないなら、少しでも楽な川の方がいい。
ドアが開き、面接官が入って来た。三十代半ばくらいで、銀縁眼鏡をかけている。
医療が発達した現代では、眼鏡はただの装飾品だ。
エリートぶってんのか、チャラついてんだか知らないが、いけすかねえヤツ。
ノブは立ち上がることもせず、上目遣いに男を眺めた。
柔らかなカーブを描く椅子に身を沈めた男は、手元のパネルをしばらく見つめてから、顔を上げた。
「タカノブ・ヒショウ・ヤスダさん」
フルネームで呼ばれ、思わず舌打ちしそうになる。
ノブは、自分の名前が好きではない。ミドルネームを付けるのは、ノブが生まれた頃の流行りだった。学のない両親が、いかにも好みそうなことだ。
しかも「飛翔」と来た。
この悲惨な場所から飛び立って欲しいという願いを込めたのかもしれないが、使い捨て宇宙飛行士のPとなり、宇宙に飛ばされている現状は、何とも皮肉だ。
*
ノブが十一歳の時、母親が死んだ。
その一年後、貧民窟を回って来た船乗り養成所のスカウターに、父親はノブを売った。
貧民窟では、毎年たくさんの子供が生まれ、生まれた先から消えていく。母親の胎内にいる時から、生薬や臓器移植用として、値がつけられる胎児もいる。
会ったことのないノブの弟妹たちも、おそらく同じ道を辿ったのだろう。
だから、売られること自体は不思議ではなかった。
ただ、自分は親の面倒を見るために、一人手元に残されていると思っていた。
売るのなら、もっと早く売れば良かったのだ。モノを食う生き物は、いない方がいい。
しかも、父親がノブに付けた値は安かった。十二年も育てた稼ぎ手を売るなら、ゼロがひとつ足りない。
いくら吹っ掛けたって良かったのだ。その分、ノブの背負う借金が増えるだけなのだから。
「本当に、そんな額でいいのか?」
念押しをするスカウターに、貰った煙草をくわえた父親は、乾いた目で頷いた。
別れを告げる間も与えられず、その場でスカウターに連れ出されたノブは、なぜ父親が十二歳まで育てた自分を売る気になったのか、なぜもっと高く売らなかったのか、その理由を知らない。
あれこれ想像してみたし、それらしい理屈もいくつか思いついたが、本当のことは判らない。だからノブは、考えるのをやめた。
どんな理由であれ、父親がノブを貧民窟から出してくれたことには変わりがない。
格安の売値を思い出せば、こっぱずかしいミドルネームも許せる……気がする。
「配属先について希望を伺う前に、お伝えすることがあります」
銀縁眼鏡を中指で支えながら、男が言う。
「エステル・ティケ。ご存知ですね?」
当たり前だボケ。つか、眼鏡が邪魔なら外せよ。
胸の内で毒付きながら、ノブは無表情で頷く。
エステルはエリのファーストネームだ。周囲からは愛称の「エリ」で呼ばれており、本人もエステルと名乗ることは滅多にない。
「彼女からパートナーの希望が出ています。搭乗船は、ツイン」
「はあ?」
思わず頓狂な声が出た。パイプ椅子が、がたっと音を立てる。
二人乗りの小型船「ツイン」は、最小のユニットだ。
宇宙開発における先兵のようなもので、前人未到の宙域や星の調査に当たるため、危険が高い。短期間の飛行を繰り返すので、体にも負担がかかる。
比較的給与は高いが、リスクを考えれば安すぎるくらいで、希望するものはほとんどいない。協調性のない者や、腕の悪い者など、いわゆる厄介者が選択の余地なく回される場所だ。
「なぜツイン?」
ノブの呟きに、男は両手を広げ肩をすくめた。
コイツの顔から眼鏡を奪い取って、柄を反対側に折り曲げて、鼻の穴に突っ込んでやったら、スッキリするだろうなとノブは思う。
*
面接を終え、一階ロビーに降りると、うろうろと歩きまわっているエリの姿があった。
ノブに気付いて駆け寄ってきたエリは、白い肌が上気して、そばかすがいつも以上に目立って見えた。
「ノブ、ツインの話、聞いた?」
大股で外へと向かいながら、ノブは頷いた。後ろからエリが小走りで追って来る。
建物を出たとたん、強い日差しに目が眩み、ノブは思わず足を止めた。
見上げると、大気汚染に悩まされてる星とは思えないほど、澄んだ青空が広がっていた。
追いついたエリが、ノブの腕を掴んで揺さぶる。
「で、返事は?」
「――どうして俺を指名したんだ?」
空に顔を向けたまま聞くと、「腕利きだから」と即答された。
たしかに、ノブの腕は悪くない。
ヤスダさんは全体的にスキルが高いですね。操船技術が特に優れているとの報告も上がっていますと、眼鏡男も言っていた。
「あと、信用できるから」と、エリは続けた。
「悲観的なことばっか言うけど、一度始めたら最後まで逃げないのがノブ。それにね、あたしはノブが好きだから。どうせなら、好きな人と星を回りたいじゃない」
爆弾発言に、ノブが慌てて顔を戻す。
「いきなり愛の告白かよ」
「愛ってほどじゃないかな。恋、くらい?」
親指と人差し指の間を一センチほど開けて、エリがいたずらっぽく笑う。
「なんでツインなんだ?」
「自由でいたいから」
エリはきっぱりと言った。
「Sの下で働くなんて、絶対に嫌。決められたルートしか飛べない中型船は退屈だよ。あたしは、pioneerのPでいたい。たくさんの星を見たいし、自分の判断を信じて飛びたいし、信用できる相手と組みたい。だから、ツイン。だから、ノブ。二人っきりになれるしさ」
「愛、じゃないんだよな?」
「うん、恋に毛が生えたくらい」
「毛ェ? どんな毛だよ。つか、恋って毛が生えるモノかよ」
呆れ顔のノブを見て、エリは子供のように大口を開けて笑った。晴れた空に、屈託のない笑い声がよく似合った。
エリが両腕を広げる。
「ノブ、あたしと組もうよ。それでさ、たくさん星を見て回ろう。百も! 千も!」
「二十も見る頃には、命を落としていると思うぞ」
ぼそっとノブが返す。それほど、ツインの死亡率は高い。
「落とさなければいいじゃない」
「落としたくなくても落とすんだよ」
「大丈夫よ。だってあたしは、強運の女神だもん。名字もティケだし」
腰に手を当てて胸を張るエリに、「またそれかよ」とノブが顔をしかめる。
七歳の時、エリは売られた。
どこかへ運ばれていく途中、たまたま逃げ出すことができ、たまたま善人に保護されて、たまたま空きのあった育児院に入ることができた自分を、「強運の女神」だとエリは言う。
ことあるごとに、相手構わず語るので、この話には皆がウンザリしている。
「エリ、何度も言うが、オマエ間違っている。ティケは、強運の女神じゃなく、幸運の女神、な」
「強運の方が、強そうでいいじゃない」と、エリが唇を尖らせる。
「ノブはホント細かいよね」
「エリが大雑把すぎんだよ」
「で、返事は?」
「はい」
「いや、はいじゃなくてさ、何て返事したのって聞いてんの」
「だから、はい。はいって言った」
希望が出ているからには一応お聞きますが、エステル・ティケと組みますか?
眼鏡男の問いに、ノブは、「はい」と答えた。
男は、目の玉が飛び出そうな顔をした。「ツインですよ?」と重ねて聞くのに、再び「はい」と返すと、口をぽかんと開けたまま固まった。
「え、ホントに? やった!」
エリがぴょんぴょん跳びはねる。赤い巻き毛が、動きに合わせ楽しげに揺れる。
「受けてくれたらいいなって思ってたけど、そうなるとは思わなかった」
「なんだよ、それ」
渋面を作るノブに、エリは輝くような笑顔を向けた。
「ツインって、みんな嫌がるじゃん。ノブも希望は別だったでしょ?」
そういえばそうだ。なんで俺、この話を受けたんだろうと、今さらながら考える。
そこまでして、眼鏡男のスカした顔を崩してやりたかったのか?
いやいや、俺はそんなにバカじゃない……と言いたいところだが、ツインを選んだ時点でバカ決定だ。
やれやれ。
ノブは、がりがりと頭を掻いた。髪が指に絡む。そろそろ切りにいかないと。
「しかし、恋に毛が生えた相手を危険なツインに誘うって、オマエやっぱり普通じゃない」
「誘いを受けたノブは、もっと普通じゃない。いいじゃん、楽しい日々が待ってるよ」
「楽しいもんか。ツインは一番キツい」
「一番自由に飛べるのもツインでしょ」
「まったくエリは、能天気だな」
「ノブは相変わらず、悲観的ね」
三年後、エリはノブの子を身ごもった。
管理局で婚姻手続きを済ませたノブは、
「仕事だけじゃなく、人生のパートナーにもなっちまったなあ」
としみじみ思い、その陳腐な思いつきに、一人赤面した。
産まれて来たのは、母親そっくりの女の子。黒い髪だけは父親譲りだ。
「ヤマモトさんに似なくて良かった」
ノブの冗談に、エリはたった今出産を終えたばかりとは思えないほどの大声で笑った。
産まれたばかりの赤ん坊は、ぴくりと体を震わせ、見えないはずの目で母親を見て、父親を見た。