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「緑の鳥」

 ノブに後ろから抱きかかえられたエリは、船外にぼんやりと目をさまよわせながら言った。

「緑の鳥なんているか?」

 エリの頭のてっぺんに顎をのせたたまま、ノブは聞いた。

 貧民窟で育ったノブは黒い鳥――カラスしか見たことがない。おそらくはエリも。

「いるでしょ。インコとかオウムとか」

「ああ、あのバカ高いヤツな」

 鳥を飼うなんて、一部の特権階級だけに許された贅沢だ。

 もしインコを買うならば、一番地味なものでもノブの年収くらいは必要だし、これがオウムとなれば、エリの分を足しても追いつかない。

「それよりノブ、次は『り』、だよ」

「……立派な朝」

「何それ、意味不明じゃん。だめだめ、ブー、アウト」

「んー、じゃあ、立派な傘」

「傘って何?」

「学校で習っただろ。昔、雨の日に使っていた道具」

「あー習ったかも」と、まったく思い出していない顔でエリが頷く。

「『さ』だぞ」とノブ。

「さ……さ……サルみたいなヤマモトさん」

 ノブは吹き出した。息を受け、エリの巻き毛が揺れる。

 この道三十年、ベテラン修理工のヤマモトは、原始の香りあふれる顔立ちをしている。

 機嫌を損ねて修理をしてもらえなくなるのは困るから、誰も面と向かっては言わないが、影では「ゴリ(ラ)」「ネアン(デルタール人)」「ペキン(原人)」と勝手な愛称で呼ばれている。

「それ違反だろ。『何々みたいな』、がOKになったら、勝負がつかなくなる」

 一時間前から暇潰しに始めた「形容詞+名詞」しりとり。

「それに、エリ。オマエ間違ってる」

「え?」

「ヤマモトさんはな、サルみたいじゃなく、サルだ」

 ノブの言葉に、今度はエリが吹き出す。

 二人で声をそろえて笑ったあと、ノブは言った。

「『ん』で終わってるぞ」

「ん?」

「『ヤマモトさん』じゃ終わっちまう」

「あ、そっか。ワンモアチャンス。OK?」

「OK」

「ありがと。『さ』だね、『さ』……」

 抱き合った二人は、船内の無重力空間で、ゆっくりと回転を続けていた。

 その周りを衛星のように、ペンやカップなどの日用品と、機器の破片や切れたワイヤーといった、日用品ではないものが漂っている。

 静寂を埋めるように、キキキ……という耳障りな音が響いた。

 根元から折れ、ケーブルのみで繋がっている右翼が、時々寄って来て体をこすりつけるのだ。

「――さっぱり来ない救援」

 呟くように言ったエリの声には、感情の色がなかった。

 一拍置いて、フッと短く息を吐く。

「あ、これも最後が『ん』か。あー、あたしの負け。負け負け負け!」

 ノブの腕の中で、エリがじたばたと暴れる。

 エリの放った「負け」という言葉は、意外な強さでノブの胸を打った。誰よりも負けず嫌いで往生際の悪いエリには、似合わない言葉だ。

 それだけ、今の状況が絶望的ということか。

 ノブは、エリを抱く腕に力を込めた。


 +++


 当たりどころが悪かった。

 レーダーでは感知できないほど小さな宇宙ゴミ(デプリ)が、宇宙船の基幹部分を貫いた。

 惑星開発企業の調査員で、「P」と呼ばれる宇宙飛行士であるノブとエリは、まだ誰も足を踏み入れたことのない惑星・ベレシトへと向かっていた。

 中継基地から十日がかりで到達し、侵入体勢に入る直前の事故だった。

 緊急時に稼働するライフセーブシステムにより、空気の流出は最小限で済んだし、火災も発生しなかった。酸素生成システムも無事だった。

 だが、燃料のほとんどと、酸素タンクが失われた。これがないと、エンジン点火や姿勢制御など、航行に欠かせない機能が大きく制限される。

 二人を乗せた船は、二四時間前からなすすべもなく、ベレシトを周回し続けている。


「あークソ。目的地は目の前だってのによ」

 左舷に見える赤茶けた星を見ながら、ノブが恨めしげに息を吐く。その息は、たちまち白く結晶し、まつ毛に張り付いて視界を塞いだ。

 ベレシトは、地球よりも一回り小さな星で、厚いガスに覆われている。雲を抜けた先に待ち受けるのは、ハリケーン並みの風と、高い気圧の世界だ。

 仕事以外では来たくもない星だが、事前調査では小さいながらも海のようなものが確認され、原生生物の存在が期待されている。

 ノブが船を中空で停止させ、姿勢制御を続ける間に、エリがロボットアームを操作し、砂などのサンプルを採取する手筈となっていた。

 嵐の中では姿勢を保つだけでも一苦労だ。

 滞在時間(ステイ)は十五分を予定していた。それ以上は、燃料も船も、ノブの集中力も持たない。


「ねえ、ノブ」

 頭をのけぞらせたエリが、大きな青い目を、ノブにひたと合わせる。

「救援が来るまで、持つと思う?」

 その計算は、何度も頭の中で繰り返してきた。

 事故発生直後、位置情報を乗せた遭難ブイを、通信可能区域に向け飛ばした。

 順調にいけば、三時間後には、ブイからの信号が中継基地に届いたはずだ。

 すぐに離陸できる救難艇があったとしても、ここまで到達するのに一週間はかかるので、まずは救急ボッドが放たれる。無人だから高速で飛ばせるが、それでも三日は必要だ。

 つまり、あと二日は、ここでこうして待たなくてはいけない。

 しかし、おそらくそこまで燃料が持たない。燃料が尽きれば、酸素も止まる。

 必要最低限の機能を残し、電源はすべて切った。これ以上、削れる箇所はない。

 中は霜が降りるほど寒い。

 二人を包む断熱シートも、あまり役にはたっておらず、ノブが両手両足で抱きかかえているエリの体は、小刻みに震え続けていた。

 ノブは、尽きかけている燃料より、応答がないことのほうが気になっていた。

 船の受信機が壊れたのか。中継基地に信号が届いていないのか。それとも……。

「辺境で事故んなよ。会社は助けちゃくれねえぞ。遭難艇救護(サルベージ)より、新しいPを雇った方が安いからな」

 昔聞いた、先輩のジョークが頭をよぎる。


 無言のノブに、エリは続けて言った。

「あたしの計算では、持たないんだけど」

「なんだよ。判ってんなら聞くなよ」

 呆れ顔で返したノブに、エリはいたずらっ子のような笑みを見せた。

「だからさ、降りちゃわない?」

「降りるって、どこに」

「この星。ベレシトにさ」

 着陸許可の出ていない星に降りることは固く禁じられているが、命に関わるほどの緊急時は、特例として許される。

 ただし、無条件ではなく、他に助かる手段がない場合に限られる。

 今のノブたちに当てはめるなら、命に関わる緊急時ではあるが、ベレシトには燃料も酸素もないので、降りても助からない。だから、着陸できない。

 もし降りたとすれば、着陸と同時に燃料が尽き、まもなく酸素も止まる。死が早まるだけだ。

 それが、エリに判らないはずはない。

 なぜ、そんなことを?

 問おうとしたノブの言葉が、きらきらと光るエリの目を見て、喉につかえた。

「まさか――」

 そのまま、絶句する。


 この星に、船と骨を(うず)めよう。 

 エリの目は、そう伝えていた。


 底辺の船乗りであるノブたち「P」が絶対にやってはいけないことのひとつに、星への干渉がある。

 許可がなければ、着陸はもちろん、小石ひとつ持ち帰ることもできない。

 なにより許されないのは、何かを置いてくることだ。

 その星に存在しない元素が加わることで、進化や生態環境が変わってしまう危険が生じる。

 ノブにとってはどうでもいいことに思えるが、科学者たちは、それを強く恐れている。

 コップ一杯分の液体宇宙食を捨てた船乗りは、五年経つ今も、刑務所の中だ。


 それなのに、船ひとつ落とそうというのか。


 輝く青い目。そばかすの浮いた鼻。大きくカールした赤毛。

 エリをまじまじと見つめたあと、ノブはゆっくり首を横に振った。

「いやあ。滅茶苦茶なヤツだとは思っていたが、ここまでとは思わなかった」

 エリは、はじけるように笑った。

 その明るさは、二人が初めて会った十三歳の夏を思い出させた。

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