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最終章 ヒーローはインターホンの向こう側に【後編】

 



 日曜の昼下がり、駅前の公園にあるベンチは、やや散りかけの小規模な藤棚が日陰になっていた。そこで俺は小説を読んで時間を潰す。昼はやや暖かく、夜は肌寒い季節なので服装に迷う。所々若葉が見え出した、だらし無くぶら下がったの花の一房から、花弁がヒラヒラと舞とまっている。


 待ち人が来たのは、随分遅かった。斜陽の角度が随分鋭利になってからである。


「悪い、待たせたな」


 郷田は申し訳なさそうに俺に詫びた。彼は高校に行かずに、現場仕事をしながら一人暮らしをしている。元から大きかった身体は、太陽と労働により洗練され引き締まっていた。きっと中一のころみたいに、一対一でケンカしても俺には到底勝てないだろうなって思う。今日は週に一度の休みに出向いてもらって、俺は申し訳ない気持ちになった。


「いいよ。面白いとこだったし」


「本とか読むようになったんだ」


「お前も読むか? 暇つぶしくらいにはなるぞ」


 郷田は軽く首を横に振り、俺の横に腰掛けた。


「広田くん、会うだろ? 最近どうよ」


 なんとなしに聞いてみる。郷田の頭に花弁が落ちる。


「あー、広田くんか。これキクだから話すんだけど、もうだれも着いて行けない。昔から金ずっと俺たちから集めてきただろ。その為にさ、カツアゲしたり、窃盗したりしてきたわけだ」


 まあ、俺は逃げ続けてきたわけだけれども、それでもトモヤの時は、サオリを引き合わせると同時に、搔き集めた金を随分渡した。


「こうやって朝から晩まで働いてみて、金って大事じゃんって思うわけよ。だから払わなるやつが沢山でてくるわけだ」


 こいつこの間、コンビニから出てくるサラリーマン襲おうとしていたくせに、よく言った物だ。


「それで払わなくなったやつは、何人も刺されたね。ぐさっと見せしめに。あの人もさ、だいぶ変わったよ。威厳みたいなのが無くなった代わりに、気が狂っちまった。あれじゃまるで……」


 そこまで言って暫し郷田は躊躇い、しかし数秒だけ間を空けて、「ジャンキーだ」と続けた。


「そうかそうか。それで、ますます金を?」


「ありゃ金食い虫だからな。虚ろな目でミネラルウォーター持ったまま、パチンコ屋のトイレに入ったきり出てきやしない」


 サオリの身が心配であったが、広田に近づかねば。


「なあ、郷田。仕事がんばれよ」


「今日は休みだっつうの」


「そういう意味じゃねーよ」


 そして俺はそこでやっと本題に入る。その頃には夕日が藤棚を染めていた。


「広田くんに会いたいんだ。どうすればいい?」







 広田の消息は郷田に聞いてすぐに掴めた。行きつけのパチンコ屋に居たのだ。広田は笑顔で「おお、キク。鑑別所カンカンから出てきたなら、一言言えよ」なんて、馴れ馴れしく話しかけてきた。頬はやせこけて、目は血走っているが、随分穏やかである。


 その日、金をせびられるどころか、パチスロで勝った広田は、俺に出所祝いと称して晩メシを奢ってくれた。


 見た目以外に可笑しい様子はなく、強いて言えばやけに饒舌であった。俺はカマをかけるつもりで、「サオリは元気っすか?」と、恐る恐る尋ねてみる。


「ああ、あいつか……あいつはさ、俺の部屋にいるよ。同棲してるんだ」


「久々に会いたいっすね」


「ついて来いよ」


 案内されること十分程、広田は川向こうに新しく出来たオートロックのマンションに住んでいた。


 可もなく不可もない、そう悪くも無さそうな綺麗な作りである。エントランスを潜り、階段を登る。


 広田のあまりに普通な対応に、ただ二人して幸せな同棲生活を送っているだけなのではないか。この時、俺はそう思った。思いたかった。だがやはりその見通しは甘かった。


 部屋の鍵を開ける広田。中は薄暗く、生臭い臭いが立ち込めている。嫌な予感はずっとしていた。


 1LDKの寝室には、笑い声を上げる数人の男と、全裸で横たわるサオリ。それに跨る豚みたいな男がいた。


 地獄絵図である。声ひとつ上げない、虚ろな目をしたサオリに、携帯で動画を撮る男たち。汚い。汚い。汚い。予想し得たはずなのに、こんなに汚いものを見たくなんてなかったんだ。俺は。俺はなんてことをしてしまったのか。全部俺の所為だ。俺が広田なんかに引き合わせなけりゃ、サオリは。


「サオリはいい金ヅルだ。キク。本当にお前には感謝してる。どうだ? お前も抱いてくか? タダでいいぞ」


 俺の膝は震えている。相手は全部で五人。勝ち目はない。豚が果てるまで待つか。でもダメだ。身体が言うことを訊かない。それは怒り。怒りが恐怖でガクガク震えた膝を動かす。


 豚野郎の頭を俺の蹴りが吹き飛ばす。


「キク……? どうしてここへ?」


 涙が枯れ果てたのか、目ヤニのついたままのサオリは俺を認識する。よく見れば、身体中アザだらけだ。


「迎えにきた。大丈夫か? 早く服を着ろよ」


「全然大丈夫じゃない」


 サオリに手を差し伸べる俺。直様、広田の取り巻きが手に持つジーマの瓶で、パーンと俺の頭は、鉢割られる。


 俺は広田たちにぼこぼこにされた。袋叩きである。


 朦朧とする意識の中、ぴんぽーん。ぴんぽーんと、広田んちのインターホンは二度ベルを鳴らした。


 俺への暴行を一旦止め、息を潜めそれを無視する広田たち。


 インターホンは鳴り止み、次にノックの嵐が扉を叩く。


「警察だ」


 扉の向こうから声がする。俺は大声を上げた。怯む広田たち。全ての力を使って起き上がり、下着だけ付けていたサオリに上着を掛け、手を引き扉へ走る。ドアを開けると、そこには大人がいて、「殺されそうなんです。助けてください」と情けなく縋り付く。


 幸いにして近所の住人が通報し、警官が訪れたようだ。警察と広田たちが押し問答をしている間に、隙を突いて、サオリを連れて逃げ出した。





「あいつらタダじゃおかねぇ」


 サオリを連れて歩く夜の街。この街も随分変わった。田んぼだった土地にはマンションが建ち、こじんまりとした飲食店は、新しく出来たマクドナルドに客を取られるようになった。


 俺はパチンコ店の駐輪場に停めていたジョルノに跨り、後ろにサオリを乗せる。


 サオリの躰は未だ震えている。力一杯、俺の身体に両腕を食い込ませる。エンジンを掛ければ、ショボい五〇CCの音と、排気ガスの匂い。


 アクセルを開け景色は流れ出す。


「ねぇ、キク。このままどこかに逃げちゃおうよ。どっか遠くで一緒に暮らそうよ」


「それもいいかもな。これで俺は広田たちに指名手配だからな」


 街の明かりがキラキラ光る流星みたいで、あまりに綺麗で、願い事を込める。


「うん。それで結婚して、エッチもいっぱいして、子供沢山作って賑やかな家庭にするの」


 賑やかな家庭か。俺もサオリも一人っ子だから、そういうのに本当に憧れる。


 やっとのことで住宅に辿り着く。これでゴールじゃない。今頃、血眼になって広田は俺たちを探していることであろう。


 自分ちの扉の前。介護をやっている母親は夜勤で現在不在である。俺は誰もいない自分ちのインターホンを鳴らす。


ぴんぽーん。

ぴんぽーん。


 なあ、ヒーロー。居留守を使ってないで、出て来いよ。扉を開けると、中から奥歯をガクガク言わせながら、震えるヒーローさまが出てきた。この俺である。


「なあ、もう一回だけ、力貸せよ」


 俺と対峙する俺自身は、震えながら頷き、消える。


「なあ、サオリ。母ちゃんに手紙書いておくから、落ち着くまでこの部屋にいろよ」


「……ねぇ、キクは?」


 右手で傘立てに差してあった、あの日ホームランを打った金属バットを抜く。担任の頭をかち割った曰くつきのバットでもある。そして反対の左手で、サオリの頭を撫でる。


「やられたら、やりかえさなきゃな。こう見えて俺、昔、地区大会の決勝でホームラン打ったんだぜ」






 結果だけ話せば、この後のことはよく覚えていない。しかしながら事実だけを振り返れば、金属バット一本で広田たちに挑み、あっさりと返り討ちにあったようである。


 しこたま殴られた後、腹を二、三箇所刺され、集中治療室に運ばれ一週間、やっとのことで面会謝絶が解かれた。


「ほんとさ、男ってばかだよね」


 面会にきたサオリは他人事みたいに言った。返す言葉もない。


「引っ越すんだって?」


「うん。パパのコネで遠くのお嬢様学校行くんだ。もうここにはいられないんだって」


 広田たちは殺人未遂で逮捕。暫く出てくることもないであろう。結局最後に解決したのは警察だった。最後にことを収めたのは大人たちであった。


 俺たち子供は、自由に飛んでいるつもりでも、結局は大人たちの手の上でしか羽ばたけていないのだ。


 見上げる病室の四角い天井。俺はこんなものを空だと思っていた。


「サオリ。もうさ、会うこともないな」


 俺の言葉にサオリはため息をひとつ、ベッドに寝たきりの俺に、そっと顔を寄せ口づけた。


ぴんぽーん。

ぴんぽーん。


 サオリはいつもそうだ。アポなしで俺の心に入り込んでくる。土足で踏み込んでくる。


 痺れた口に熱いキス。時が止まる。息ができない。やがてキスは止み、うっとりした顔のサオリはこう続けた。


「あれー? サオリ、あの時プロポーズしたつもりなんだけど、もう忘れちゃった? 返事はさ、次に会った時でいいよ」


 彼女はくるっとスカートを翻し、病室を後にする。俺は手を伸ばし、何かを言いかけて、我に返りそれを止めた。


 



【エピローグ キク二十四歳】





 週末、一人暮らしを始めた俺は、仕事終わり、一人自室でテレビを観る。


 白熱する九回裏、ランナーは一、二塁、一打逆転のチャンス。


 いつしか空は、遥か遠くになった。ナイター中継をツマミにビールを呷る俺は、自由なのであろうか? 上手く飛べているであろうか?


 ピッチャーが大きく振りかぶったところで、俺の携帯電話はショートメールを受信する。母親からである。機械音痴故、苦労して教え、最近になってやっとメールの使い方を覚えたばかりだ。


『キク。元気にしてるかい? たまには帰ってきなよ。ああそうだ、品川さんちのサオリちゃん覚えているかい? 先週、訪ねてきてね、あんたの住所教えておいたよ』


 息子の個人情報をあっさり教えてしまう両親が、いつか振り込め詐欺とかに、引っかかってしまうのではないかと、一抹の不安を覚えると、共にサオリに無性に会いたくなった。


 テレビの中、中日の四番が外角高めのストレートを打ち上げ、平凡なフライに見えたそれは、伸びに伸び逆転のスリーランとなった

ところで、俺んちのインターホンは二度ベルを鳴らした。


ぴんぽーん。

ぴんぽーん。


 あいつはいつもそうだ。


 アポなしでやってくる。





fin


 

 

お付き合い、ありがとうございした。

これでこの話は完結です。

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