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キク十六歳春 ヒーローはインターホンの向こう側に【前編】

 



 まだ少しだけ肌寒い季節の夕暮れ、コンビニのガラスウィンドウ越しに、肉まんを食べながら中を物色する郷田。


「おっ、あのサラリーマン、ATMから結構札出してたぞ」


 咀嚼しながら喋る郷田の喋り声は、聞き取り辛かったが、いつもポケットに忍ばせたバールに手をやることから、明確に何をしようとしているのかが、分かった。


「おいおい、俺保護観察中なんだけどさ、勘弁してくれないかなー」


「かー、お前いつからそんなに日和ひよたんだよ。トモヤやる時は、すっげぇ怖かったお前がさ」


 まあ、お陰様で俺もコウちゃんと同学年・・・で、高校ってやつに入学することになったわけであるが。空白の一年は本当に不自由で、手に入れた大空を手放し、鳥籠の中へ閉じ込められていた。


 それでも両親が多額の示談金を払ってくれたことと、少年法のお陰でなんとかかんとか、鑑別所で済んだのは僥倖である。もう一生分味わった親の泣く顔なんて、見たくないものだ。


「そろそろ帰るよ。今日は家でゆっくり巨人戦でも観るさね」


 あれからトモヤはまるでガラ躱すように、引っ越した。風の噂じゃ両親が離婚し、母親と共に東京へ行ったらしい。あいつなら、きっとどこへ行っても上手くやれる。


 溜まり場のロータリー付近から、愛車のジョルノに股がる。十六の誕生日の少し後、檻から出て五十CCの免許を取得し、売るほど時間が余った俺は、アルバイトをして原動機付自転車を新車で買ったのだ。喜びの少ない生活をしていた俺には、このピカピカの小さな小さなバイクが宝物であった。


 きちんと半帽タイプのヘルメットを被り、セルモーターでエンジンを掛け、アクセスを開け軽く吹かせてから発進させる。






 網の目のような帰路を辿って到着する自宅、駐輪場でU字ロックを掛け、丁寧にシートを被せる。集合市営住宅の郵便受けを開け、まだ母親が帰ってきていないことを確認し、ため息を一つ。階段を登り玄関の鍵を開ける。


 自室で着慣れないブレザーとズボンを乱雑に脱ぎ、テレビを付け、リモコンで中京テレビにチャンネルを変えると、緊迫する絶好の場面だった。


 にっくき巨人の先発の変化球を、ジャストで合わせた呼吸とバットで打ち返す中日の三番。弾丸ライナーはフェンスに直撃し、見事なツーベースヒットとなる。


 少し興奮した俺は、ボクサーパンツのまま、冷蔵庫から紙パックの牛乳を取り出し、ガラスのコップに注ぎ、それを飲みながら手に汗握る試合の行方を見守るその時、俺んちのインターホンは二度ベルを鳴らした。


 ぴんぽーん。

 ぴんぽーん。


 こんな時、基本俺は居留守を使う。突然の来客など、百害あって一利ないからである。まあ、電気が点いてるので、バレバレではあるが。


 中から応答が無いと、インターホンを鳴らした主は鍵を掛けていない、俺んちへ扉を開けて勝手に上がりこんで来る。それにびっくりした俺は噎せて咳き込んだ。思わず鼻から飲んでいた牛乳が噴き出し、俺はチーンとティッシュを使い鼻かみ屑篭に捨てる。


「キクー。いるんでしょ?」


 無遠慮に俺の部屋の襖を開けたのは、予想を裏切ることなくサオリである。相変わらず短いスカートと最近染めたピンクアッシュの髪の毛。ド派手な足音の持ち主は、ド派手な姿とメイクの持ち主でもあった。


 サオリはいつもそうだ。アポなしで俺んちに面倒を運んでくる。


 素行の悪いサオリは、父親から携帯電話を取り上げられているのだから、仕方がないと言えば仕方がないが。


 なんともバツが悪いことに俺はボクサーパンツ姿。そんな俺を見たサオリは言葉を失い、キョロキョロと辺りを見回し、俺の部屋の屑篭を物色し、先ほど鼻をかんだティッシュを取り出し、くしゃくしゃのティッシュを開く。そして「あ、ごめん」と、一言俺に詫びた。


 いや、違うんだ。それはそういうのじゃないんだ。牛乳なんだ。などと言い訳したくなったが、サオリはそれ以降そのことに一切触れなかった。なんだか凄く複雑な気持ちになったが、俺もそのまま流すことにした。


「何か用かよ?」


「用がなくちゃ来ちゃいけないの?」 


 人様の彼女、それも広田の彼女が俺の家にいるだけで、とてつもなく厄介である。そこの所をこの女は解っちゃいないのだ。


「あのさ、相談なんだけどさ、最近あっくんが変なんだ。なんか会話が噛み合わないというか」


 そんなこと俺に言われても、どうしようもない。クラブで仕入れた大麻ガンジャでもクってるか、いよいよシャブにでも手を出して、脳みそ腐っちまったか。正直関わりたくない。やはり面倒を運んでくることに掛けては、サオリの右に出る者はいないだろう。


「悪いけど、他人の彼氏の心配までする程、お人好しじゃない」


「キクのけちんぼ。ばーかばーか」


 そう言っては、俺のベッドにダイブして、勝手に横になる。短いスカートが捲れて、細い足の付け根まで見えてしまい、俺は目を逸らす。


「あー、なんか枕臭いよ。ちゃんとカバー洗ってる?」


「うるせぇよ。勝手にベッドに上がるなって」


「ああ、久しぶりのキクの匂い。くっさいけど、サオリ好きだよ。落ち着くし、おネムになる」


 暫くして寝息を立て始めるサオリに、仕方ないから毛布を掛けてやる。とても綺麗な寝顔だ。これが広田の物だなんて、凄く寂しい気持ちになる。時間に鍵を掛けて、このままサオリを閉じ込めてしまいたくなる。


 玄関から物音が聴こえる。ああ、母親が帰って来たようだ。サオリが来て夕食を作るのを忘れていた。うちの母親は腹が減ると機嫌が悪い。さてさて、サオリが俺のベッドで寝ているこの状況、どうやって説明したものか。







 翌週のことである。その日の三限目、理科1の授業で教師は、生物の基礎について退屈な熱弁を振るう。哺乳類が交尾をして子孫を残すことぐらいは知っているが、高校がこんなにも退屈な場所だなんていうことは知らなかった。


 学生の内から窓際族な俺は、ぼけっと窓の外をみやっていた。暫くして不意に聴こえた唸るような低いバイクのマフラー音。サオリを後ろに乗せた広田のドラッグスターが、駐輪場に停車する。サオリは今日も重役出勤で、来年は同じ学年になれそうな気がしてきた。


 送ってくれた広田に、愛想を振りまくサオリが面白くなくて、俺は机に突っ伏して見ないようにした。視界に映らないようにした。なぜだか凄く眠たい。


 俺たち十代のクソガキ共は皆、弱い者は淘汰される弱肉強食の荒野で生きている。その酷く狭い世界に君臨する、食物連鎖の頂点である広田を、『あっくん』などと呼べてしまうサオリとは、もう関わるべきではないのかもしれない。もう住む世界が違うのだから。







 もう寝てしまおうと思ったその数分後、俺は別の世界で目を覚ます。


 有り体に言うと夢を観ていた。まだ俺もサオリも幼い頃の夢。そうこれは夢のワンシーン。


 懐かしくも胸糞の悪いいつかの教室、そうこれは小学生の時の記憶。俺はサオリをイジメから救いたくて、その実態を担任に告げ口したんだ。ばいきんと呼ばれていること、教科書を焼却炉に捨てられたこと、トイレに呼出せれてホースで頭から水を掛けられたこと、みんなから無視されていること、数人に囲まれ大事にしていた髪の毛をハサミでめちゃくちゃにされたこと。


 そこでパッと場面は切り替わり、俺の手には血濡れた金属バットがあった。足元には血を流し、痙攣しながら倒れこんだ担任がいる。


 俺は正義の味方でヒーローなのに、皆俺に怯え非難する。


「ただサオリを救いたかったんだ」


 クラスの皆は俺を化け物を見るような目で視る。良いことをしたはずなのに。悪いのは担任なのに。


「違うよ」


 突如……まるで最初から側にいたかのように現れた、大きく真っ赤なリボンを付けた少女は俺にこう言った。


「キクはサオリを救いたかったんじゃなくてね、傷ついてボロボロのサオリを手に入れたかったんだよ」


 俺はサオリが好きだった。イジメられて、嫌われて、傷ついて、ボロボロのサオリが好きだった。欲しいと思ったんだ。


「本当は解ってるんでしょう? あの男がサオリをボロボロにすること。なんであんな男にサオリを紹介したの? ねえ、そんなにボロボロなサオリをみたいわけ?」


 俺は返す言葉さえなかった。


「お願いだよ。今度はちゃんとヒーローになってね」


 ぴんぽーん。

 ぴんぽーん。


 ヒーローはもういない。ヒーローは居留守を使っている。


 





 サオリが家に帰らなくなったのは、俺の誕生日を一か月後に控えた五月のことであった。


「品川さんのところのサオリちゃん、二週間家に帰って来てないらしくてね、昨日捜索願いが出されたみたいよ」


 俺の作ったハヤシライスを、スプーンで食べながら言った母親の言葉に、ずっと懸念していた心配事が過ぎった。


 家に帰らないことも、家出をすることも日常茶飯事なサオリではあるが、あの広田と一緒にいるのだ。無事なわけがない。


 しかし、俺は動くのか? 広田とまた関わるのか? 目の前の、女手一つで育ててくれた母親をまた悲しませるのか?


「あんた、サオリちゃんと仲がいいでしょ。ちょっと心当たりがあったら、見つけてあげてよ」


「心当たりなんてねぇよ」


 俺は自分の食べ終わった食器を片付け、母親に背を向け、乱暴に襖を閉めて部屋に閉じこもった。



 そのあくる日からだ。サオリの行方を巡る、俺の探偵ごっこは始まったのは。





 




 

 

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