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キク十四歳秋 安全地帯



 二年へ上がった俺たちは、次々と天崎小から来た腕利きたちを、トイレに呼び出しては、ボコボコにして締め上げていった。


 トモヤを中心に、狼の群れの如く校内をねり歩く。金が無くなれば他人から奪い、気に入らなければ全員で殴り、上級生さえも恐れるほど、俺たちは人数を増やしていく。


 俺はこの大きな勢力の中、自分は無敵なのだと思った。俺がふん反り返りながら廊下を歩けば、雑魚どもがを道を開ける。


 そんな二年の二学期、俺はコウちゃんとすれ違った。かれこれ何年も口を聞いていない。目を逸らすコウちゃん。俺にしたって彼に掛けられる言葉を持ち合わさない。


 昔は親友だった。コウちゃんはちょっと面倒見がよくて、物知りで、絵が上手いのだ。





 なんとなくコウちゃんを見たら、絵が描きたくなって、家に帰ってからノートに、昔よく描いたアニメのキャラをあれこれ思い出しながら殴り描く。アニメや漫画のキラキラした瞳の描き方は、コウちゃんが教えてくたんだ。


 俺もまだまだ捨てた物ではない。我ながら中々の出来だ。ぶきっちょだった利き手は、まだコウちゃんと過ごした時間を覚えているのだ。


ぴんぽーん

ぴんぽーん。


 一心不乱にペンを握り、キラキラした目んたまのキャラクターに、命を吹き込む十六時、俺んちのインターホンは、二度ベルを鳴らした。


「キクぅー、サオリちゃん来てるわよー」


 一階玄関から呼ぶ母親の声。その声にビクッと驚く俺。傑作の予感が過ぎっていた一枚は、無残に失敗。屑籠に捨てる。


 あいつはいつもそうだ。アポ無しで人んちに面倒を運んでくる。


 俺には、彼女の村上がいる。そしてサオリは村上の親友だ。なのに親友の男の家に平気で遊びにくるサオリ。このチグハグな気まずさが、あいつはわかっちゃいない。


 俺の母親に通されると、いつも通り勝手に入って、勝手に部屋の襖を開け、勝手に俺のベッドに腰掛ける。


「もう、信じられない」


 不機嫌に頬を膨らますサオリ。信じられないのは、あなたですよ-。


 キャミソールの上にカットソーを羽織った水商売風味な出で立ちが、年齢を不詳にさせる。無論同じ中学生である。


 玩具みたいな、ちゃちなデザインのサングラスを外し、溜め息を一つ。眉間にしわを寄せたまま、やはり勝手に俺のゲームラックを漁りだす。


「パワプロなら、ゲーム機に入ったままだよ」


「喉渇いた。フルーツオレある?」


「ねぇよ」


 俺の声が聞こえているのか、いないのか無言でゲーム機の電源を入れるサオリ。対戦するのかと思えば、勝手に一人でペナントレースに挑みだす。


「ねぇ、キク。聞いてよ」


「やだね」


「パパが酷いんだよ」


「嫌だって言ってるだろ」


 ああもう……鬱陶しい。テレビ画面では野球を、全くわかっちゃいないサオリの操る中日が、憎っくき巨人に早くもランナーを許している。俺が言うのもなんだが、彼女に勝負事のセンスはない。


「ぜったいあんな家出てってやるんだから」


 俺が話を聞いていないにも関わらず、一人でぶつぶつと喋り続けるサオリ。そしてふと何か思い出したかのように俺の顔を見る。


「そういえばちづちゃんが、キク全然連絡してくれないって言ってたよ。ちづちゃんはいい子だから大事にしなきゃだめだよ」


 お前には関係ないだろ? 口で言ったのか、目で言ったのかは自分でもよくわからない。


 サオリには、言わなくても伝わるものがある。きっと村上とも、これくらいわかり合えれば、声や言葉にならない機微な気持ちまで、伝わるのであろう。俺と村上には、埋めることのできない溝がある。そもそも棲み分けが違うのだ。


「ちづちゃん泣かしたら許さないからね。ちづちゃんがいなくなったら、サオリまた一人ぼっちだよ」






 次の日の放課後、男子便所の窓から、俺は外を見ていた。空は晴れていた。運動部の生徒たちが走り回るグラウンド。砂埃が舞っている。


 テニス部の村上は、いつだって一生懸命にボールを追う。俺がトモヤたちとシンナーを吸っている時に。


「おいキク、今日俺んちに来いよ」


 瞳孔が開きっぱなしの血走った目でトモヤは言った。俺は適当に相槌を打ちながらも、ずっと村上を見ていた。俺はこんな夢現ゆめうつつな状況下でも、やっぱり村上のことが好きだった。


「先に帰るからな。絶対来いよ」


「ああ」


 トモヤが取り巻きを連れて外へでる。一人取り残された俺は村上を見ていた。それでも空がくすんだ青を見せた時、ふらつきながらも立ち上がる。そこら中の景色の色が鮮明で綺麗だった。


 皆、トモヤと行ってしまった。皆は俺と一緒にいたいんじゃなくて、トモヤと一緒にいたいんだ。そんな物思いに耽る下校時間。


 校門で俺を待っていたのは、仲間でも村上でもなく、卒業生の広田だ。数人の仲間を連れている。


「ようキク。ちょっとツラ貸せよ」


 きっとこの後の展開は、シンプル過ぎて想像する気にもなれない。よくある話である。





 鳥が飛んでいた。空から無様な俺を見くだす気分がどんなだか、知りたかった。冷たいアスファルトの上で寝転がる俺。鼻血を流して、唇なんかはズタズタで、あちこち痛い。グラウンドに目を向ければ、コートに立つ村上がぼやけて見えた。


 それでも俺は立ち上がり、ズボンの砂を掃い、煙草に火を点けトモヤの家へ向かう。


 広田たちが、まだどこかにいるかもしれない。びくびくと怯えながら、わざわざ遠回りな裏道を選んで歩く。俺は自分が臆病者だったことを思い出した。やわで薄っぺらな自尊心の膜に、たった人差し指一つ分の穴でも開けてしまえば、俺なんてこんな物だ。


 煙草の煙は、心と空を曇らしていく。鳥はもう飛んでいない。俺はトモヤんちのインターホンを鳴らす。


ぴんぽーん、

ぴんぽーん。


 



「どうした。その顔」


 屋敷と言っても過言ではないトモヤの家に着いた俺。シャワーとバスタオルを借りる。


「広田にやられた」


「広田くんが? まあずっとキクのこと気に入らないって言ってたもんな」


 同情の一つもせず、他人事みたくトモヤはいう。シャワーから出た俺は、トモヤんちの離れに通された。トモヤはボンボンで、その家の敷地内に離れが幾つか存在する。


 なんとなくコウちゃんと遊んだ、コウちゃんちの離れを思い出す。中にいたのは、トモヤの取り巻きではなく、同じ学年の女が二人。トモヤの彼女と、もう一人は顔しか知らない女だ。


「いやいや、クミの友達がさ、キクを紹介しろって煩いからさ」


 俺は名前も知らないその女に尋ねた。


「俺がさ、テニス部の村上と付き合ってんの知ってるよな」


 女はニッコリ頷く。不細工ではない。サオリに負けず劣らず派手なメイクだが、その分厚い唇が魅力的だった。


「知ってるよ。あのガリ勉、キクくんと付き合うために、ばいきん女に近付いて。やること汚いよねー」


 ばいきん女ってのはサオリのことであろうか。


 



 村上やサオリのことを、ぼろっかすに言うこの女が気に入らなかった。なのに気がつけば、トモヤんちの離れで、俺はこの名前も知らない女の胸とか揉んでいた。そして気がつけば抱いていた。


 不思議なことに、村上の顔は脳裏に浮かばない。ことが終わり、すっかり興が冷める俺。


「帰るわ」


 トモヤに一言告げて離れを出る俺。


「することして、やった後は冷たいんだな。キクは」


 けらけら笑いおどけるトモヤをぶん殴ってしまいたかった。大丈夫、切れた唇が痛いからキスだけはしていない。……何が大丈夫な物か。


 これが村上に対する裏切りなんだってわかっている。あの飛翔する鳥みたくし自由に飛んだつもりが、ただただ流されただけだった。村上の顔は浮かばなかった。浮かんだのはサオリ顔だった。

  



 帰り道、網の目の避難経路を辿って、逃げ込んだ木枯らし吹き荒れる冷たい路地裏。裏道で辿る家路。ふと立ち止まり、俺はインターホンを鳴らす。


ぴんぽーん、

ぴんぽーん。


 自販機で買った缶のコ-ンポタージュを手土産に、アポ無しで訪れた、数年ぶりのコウちゃんの家。何年も話していないから、携帯電話の番号さえもわからない。


「はい」


 スピーカーから女性の声で応答がある。おばさんだ。コウちゃんの母親。


「夜分すいません。本田です。コウイチくん見えますか?」


「あらやだ。キクくん? 本当に久しぶりねぇ。随分派手になったわね。ちょっと待ってて」


 しばらく待つと、玄関を開けて、中からコウちゃんが出てきた。


「……何かよう?」


 浮かない表情だ。わからないわけでもない。


「久しぶりに会いたかった」


 可能な限り昔と同じ表情を作りながら、俺は手にもったコーンポタージュを手渡す。


「ありがとう」


 コウちゃんはそう言いつつも、離れの鍵を開けて俺を中に通す。古い木造建築特有の匂いが懐かしい。


「ごめん。学校でずっとキクのこと避けていた」


「いやいいよ。喋りかけ辛いだろ? いや避けていたのは俺も同じだよ。悪かった」


 そう、俺はずっとクラスの中でも日陰者のコウちゃんと、一緒にいるのが恥ずかしかった。


 数年ぶりのコウちゃんちの離れは、前と少し変わっていて、それでも変わらない柔らかな時間が流れている。


 この空間はなぜだか妙に落ち着く。なあ、コウちゃん? 今の俺を見てどう思う? そんな口にできない疑問を、知ってか知らずかコウちゃんは、言葉を選び、ゆっくりと核心に迫る。


「無理しているでしょ」


 わかっていた。親友を捨ててまで手にした新しい空は、決して穏やかな物なんかじゃないって。自由を渇望して、またそれに縛られる。度々突風に吹き飛ばされ、知らなきゃよかったことを知り、そしていつしかそれを受け入れてしまう。


「まあな」 


 コウちゃんは、今更後戻りはできないんでしょ? と付け加え、それに俺は、どうかな? と応じる。


「たまには会いに来てよ」


「いやちょくちょく来るって」


「待ってるからさ」


 ずっと俺のことを見ていたコウちゃん。なのに薄情な俺は忘れていた。いったい俺は何になりたくて、今に至るのであろうか? 気がつけば、辺りは先の見えない暗闇ばかり。


 缶に残ったコーンを振って口に入れ、俺は立ち上がる。


「また、来いよな」


 俺の方を見ずコウちゃんは寂しそうに呟いた。コウちゃんのコーンポタージュはまだ残っているようだ。だけれども一度行き急いでしまった俺は、何度もコウちゃんを置いていく。


「サンキュな」


 俺は彼に背を向けてこの安全地帯をあとにする。






 


  




 




 

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