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キク十三歳夏 初めての彼女

 


【キク十三歳夏 初めての彼女】




 長い人生には、人間だれもが三度だけモテ期があるという。俺にとってその一回目が小学生六年の夏だった。


 運動神経は決して悪くないが、本番にめっぽう弱い俺は、うちのチームじゃライトで打順八番のぎりぎり滑り込みレギュラーだった。公式戦でも良いところ無しの俺に転機が訪れたのは引退ぎりぎりの市総体決勝。


 九回表のランナー一二塁。どこかで見たシチュエーション。


 まずはバットに敬礼。風の強い日だった。


 緊張しながら立つ打席。暑さのせいだけじゃない額の汗。点差は2点。俺の一発が出れば逆転だ。


 一球目は外してくると読んだが、ど真ん中のストレート。真後ろでキャッチャーミットに景気の良い不愉快な音が鳴り響く。相手ピッチャーがへらへらと薄笑いを浮かべて見えるのは、俺の被害妄想なのであろう。


 そしてピッチャーが大きく振りかぶっての二球目。読み通りの内角ストレート。


 予感的中。なのに真っすぐの線が書けない不器用な俺は、真っすぐにバットを振ることもできなかった。


 背中から聴こえる音が鼓膜を揺らす。


 これで追い込まれたのだ。ツーストライク、ノーボール、追い込まれた三球目。


 やけくその俺は適当にバットを振り、適当にボールはバットに当たる。


 そして適当にふわふわとフライが上がり、それは追い風に乗り、適当にフェンスを越える。適当に言えばホームランってやつである。


 結局これが決勝点となり、守り抜いた俺たちは地区大会優勝。県大会へと駒を進める。






 小学生の思考なんて単純なもので俺はその日からヒーローだった。


 誰からもちやほやされて、天狗になり自惚れに自惚れ調子に乗った俺はある日タブーを犯してしまった。それは俺の学年全てを敵に廻すタブーだ。


 それをしてしまったがために、クラスメイト全員が俺とは、口を聞いてくれなくなった。サオリを除いて。


 何をしでかしてしまったのかと言えば、その日クラス全員の前で担任にサオリが受けている虐めの実態を、事細かに実名付きで打ち明けたのだ。


 ずっとそれを見続けながら、何もしない自分がもどかしくて、やるせなかったから。きっとこの時の俺は正義を振りかざし、自分が正義のヒーローとでも思っていたのであろう。


 結局、その件をあっさりと握り潰したクラス担任。


 小学生の話に耳を貸さない大人。そんな不自由が許せなくて、突発的衝動にかられた俺は、ホームランを打ったあの幸運の金属バットを握りしめる。


 バットを上手くボールに当てれない俺でも、担任の後頭部をかち割るのは簡単だった。


 鈍い音の後、瞬く間に広がる血の海。


 人生に三度しか訪れない貴重な一回は、こうして無残な形で幕を降ろした。







 その一件のほとぼりが覚めたのは、結局中学に上がる直前だった。


 家庭裁判所、保護観察処分、拘束される毎日、責め立てる社会と世論。子供一人の心根を腐乱させるには十分過ぎる期間だった。


ぴんぽーん

ぴんぽーん。


 中学に上がり義務教育にほとほと嫌気が差した反抗期真っ只中、俺んちのインターホンは、ニ度ベルを鳴らした。


「キクぅー、サオリちゃん迎えに来てるわよー」


 玄関から呼ぶ母親の声。


 あいつはいつもそうだ。アポ無しで人んちに面倒を運んでくる。


 頼んでもいないのに、最近毎朝迎えにきやがる。


「いちいち迎えに来るなよ」


「サオリが来なきゃ、キク学校行かないでしょ」


 登校拒否歴は、断然俺より長い自分を、完全に棚上げして、毎朝毎朝鬱陶しい。これで悪気なんてさらさらないのだから余計にタチが悪い。


 俺は諦め、ちょっと待ってろ……と乱暴に言って自室に戻り、学ランを着る。


 つい数ヶ月前まで新品の初々しい匂いがしていた学生服は、度重なる諸々の出来事で、すっかり年代物風味に色あせ変わり果てていた。


 着替えを終え玄関でリーガルのローファーを履いた俺は、駐輪場で当たり前のような顔で荷台に乗っているサオリの前、サオリの愛車、ママチャリのサドルに跨がる。


「ちゃんとつかまっとけよ」


「飛ばせ飛ばせ-」


 帰り道は、ちとしんどいが、行きはゆるい下り坂主体で風が心地いい。


 大きな雨池公園の外周をぐんぐんと加速するママチャリ。


 まだ鋭利な角度の熱すぎる夏の太陽が、雨池の鏡みたいな水面に乱暴に反射する眩しい視界。


「夏休み入る前にさ花火しようよ。ちづちゃんたちとさ」


「んあ? 風でよく聞こえない」


「だーかーら、花火!」


 耳元で叫ぶサオリの声。若干鼓膜越しに脳を揺さぶられる。


 雨池公園を越え、住宅街を抜け、見えてくる我らが名古屋市立森本中学校。


 無駄にぶっ飛ばして来たので、珍しく遅刻ではなかった。


 自転車での通学は原則では認められていないが、広い学区内、不審者による被害が後を絶たないご時世、市内じゃ田舎な我が学校で厳しく咎められることはない。


 駐輪場にサオリのママチャリをビップに停車。暗黙の了解なのか俺もサオリもお互いがお互い学校じゃあまり干渉しない。


 弱すぎる俺は、以前俺がやった担任を金属バットで殴ってしまった事実を、どこかでアケミのせいにしていた。


『お前のせいで取り返しの付かないことをしてしまった』


 まだお互いそのことを気にしているのかもしれない。


 渡り廊下でクラスメイトのトモヤとすれ違う。


「おおっ、キクが遅刻しないなんて珍しいじゃん」


 小学校では誰も口を聞いてくれなくなったが、幸いにして中学では新たな仲間ができた。悪い仲間たちが。


 我らが森本中の学区は広く、俺の行っていた森本小、山の手にある森本北小、そして庄内川を主流とし枝分かれした住桶川を挟んで南にある天崎小、以上三校の学区を呑み込む大きな中学だ。


 学童保育が盛んで市営団地の多い川向こうにある天崎小の悪ガキどもは、我々森本小の児童にとって驚異で、いつも『川の向こうには行ってはいけない』と担任に言われていた。


 以前にも話したが人生にはモテ期が3回あるという。


 そのニ回目がこの中学時代だ。


 入学初日、天崎小の暴君、郷田なんちゃら、通称天崎ギャングスターにいきなり絡まれる俺。


 だが小学生時代の事件で荒んだ俺は、郷田ジャイアンをパイプ椅子で一蹴。最後はニ階から突き落とそうとしたら泣いて謝ってきた。


 生活指導室から生還した俺は、一躍ヒーローに返り咲く。


 トモヤとは、このころからの付き合いで、彼は俺に様々な新しい生き方を教えてくれた。


 トモヤと俺は一限目をふけて、体育館の裏で煙草を吸う。母親からくすねたマイルドセブンメビウスは、ちっともマイルドではなく、その喉にくる刺激が、鋭く尖って咽せそうになる。森本北小出身のトモヤは、相変わらず煙草を吸って咽せそうになる俺を笑う。


 彼は俺に煙草の吸い方、バイクの盗み方、女の抱き方、その他全てを教えてくれた。


「三年の広田くんが怒ってたぜ。キク金集めてないっしょ」


 俺とトモヤ他数人は、他の一年男子から金を半強制的に集金をして、三年の幅利かした連中に上納しなくてはならない理不尽で不愉快なルール。


「面倒臭いよ。俺たちは自由なんだ」


 自分が吸った煙草の煙りは、雲一無い晴れ渡った空の真下で溶けた。


 飛行する鳥たちが、自由に見えてなんだか羨ましかった。






 新しい社会を手に入れたのは、俺だけではない。


 一限目が終わり、休み時間に教室へ行くと、サオリが他の女子と机を寄せ合って話している。村上チヅル。成績優秀で面倒見も良いクラス指折りの美人だ。


 小学生の時から女子全員に拒絶されたサオリにも、ようやく友人ができたことにほっとする俺は、いったいサオリの何にあたるのであろうか。余計な世話である。


 それにしても素行の悪いサオリと優等生の村上チヅル。一体二人を何が繋いでいるのかは、さっぱりわからない。


「あっキクくんおはよう」


 二限目からの重役出勤、ふいに村上チヅルから声をかけられる。


 クラスの誰にだって優しい村上チヅルは、俺みたいな屑にだって優しい。だからきっと分け隔てなく優しい村上チヅルにサオリが甘えているに違いない。そんな村上と俺はの間に割り込んでくるサオリ。


「今朝花火する約束したもんね。ちづちゃんテニス部の練習朝からあるから、明後日の土曜日にしよう」


 俺の予定なんて聞くつもりない相変わらずなサオリ。勝手に約束したことにされた俺は黙ってしまう。


「えっと……俺も誰か誘えばいいのか? トモヤとか」


「だめ。ちづちゃんがトモヤくん怖いって」


「じゃあ三人?」


「おうよ」


 偉そうに胸を叩きながら、スカートの裾を翻すサオリ。隣でにこにこ頷く村上。俺にサオリに優等生の村上チヅル。


 得体のしれない顔合わせに、不安を隠せない俺。


 昔から人付き合いが下手くそだった。今や虚勢を張って、なんとか毎日をやり過ごしている。考えすぎて言葉に詰まる俺。久しぶりに顔を出す根暗な自分。


 サオリといる時は楽でいい。


 俺が何も話さなくたって、一人で勝手に喋っているのだから。



 




 二日後の隅桶川の河川敷。一向にサオリは来ない。


 あいつはいつもそうだ。あいつにとって約束を破るのなんて、呼吸をするより簡単なことなんだ。だから友達ができないんだ。


「サオリちゃん遅いね」


「いつものことだって」


 手持ち花火を全部やり終えて、最後の線香花火を見つめる村上と言葉を交わすが、残念なことにあまり会話は弾まない。


「キクくんって意外と無口。教室だとトモヤくんたちとあんなにはしゃいでるのに」


 俺がこんなに詰まらない人間だということがバレてしまっただろうか? 嫌われてしまっただろうか?


 虚栄ばかりのいつもの本田ほんだきくが身を潜めて、緊張してしまっている。


 目のやり場に困って、ただただ村上の手元にある線香花火だけに視点を持っていく。


「キクくんってさ、サオリちゃんのことが好きなの?」


「いいや、全然。あいつが勝手に面倒を運んでくるだけだよ」


 直ぐさま否定して、また沈黙。最後の線香花火も燃え尽きて、俺たち二人は、空間を持て余す。


 会話が続かない。することもない。兎に角、退屈だから……そんな理由で、俺は村上を抱き寄せてキスをするんだ。


 当然のように目を閉じる村上。それがなんだか可笑しかった。


 河川敷の暗闇は、誰にも見つからないよう二人を上手い具合に隠してくれる。


 きっとこうなってしまうことを、なんとなく予見していたし、実を言えば期待だってしていた。だが臆病な俺は、言い訳ばかりを探してしまっていたのだ。




 



 

 


 




 




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