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クラスメイト  作者: 深月咲楽
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第8章

(1)


「おう、お疲れさま」

 生涯学習の講座を終え、共同研究室に顔を出すと、そこには岡村がいた。

「あれ? 資料の調査は終わったんですか?」

 私が尋ねると、彼は微笑んだ。

「おう。しっかり調べてきたで。論文も、ようやくメドが立ったってところかな」

「お疲れ様です」

 今度は私が頭を下げた。

「昨日は一日走り回ったって言うのに、ほとんど収穫がなかったからなあ」

「無駄を恐れるなって言ってた人、どなたでしたっけ?」

「は、私目でございます」

 岡村は、大袈裟に頭を下げてみせると、楽しそうに笑った。

「で、今日の講座はどうやってん?」

 岡村が真顔に戻り、尋ねる。

「大変でしたよ。下準備もほとんどできませんでしたし。岡村さん、内容確認してくれるって言いながら全然だったじゃないですか」

「すまんかったなあ。せやけど、勉強会の分で何とかなったやろ?」

 呑気に微笑む岡村に、私は嫌味たっぷりに微笑み返した。

「それがねえ、よく考えたら、全然足らなかったんですよ。だから、大急ぎで史料批判の話を入れました」

「史料批判か。そうやなあ。史料の由来なんかをきちんと知っとかな、記事の信憑性なんかもはっきりせえへんしなあ」

 岡村が頷く。

「これ、レジュメです」

 バッグからプリントを2枚取り出して、岡村に渡す。

「へえ。『日本書紀』の成立についてとか、そんな話を付け加えたんか」

「そうなんですよ。昨日は徹夜だったんですからね」

 わざと膨れてみせると、彼はまた楽しそうに笑った。

「せやけど、どうなんやろなあ」

「何がですか?」

 岡村の顔を見る。

「知識をいっぱい持って史料を読むっていうのも、善し悪しやと思わへんか?」

「先入観が入るとか、そういう意味ですか?」

「うん」

 岡村は頷いた。

「富本銭なんか、ほんまにいい例やと思うねんけどなあ」

「たしかに、あまり発見されてないっていう理由で、『祭祀用にしか使われなかった』って思われていたわけですからね」

 私は腕を組んだ。

「天武紀の記事を純粋に読めば、和銅開珎の前に既に流通していた銭があったって、はっきり書かれてるわけやからなあ」

 岡村が、レジュメをテーブルに置き、私の方を見た。

「思い込みで、解釈を曲げてしまっていたわけですもんねえ。たしかに、知識に頼り過ぎるのも考えものですね」

「まあ、だからって、史料批判はきちんとせなアカンねんけどな」

「要するに、思い込みに惑わされるなってことですね」

「そういうことや」

 岡村が微笑む。私もつられて微笑んだが、ふと思い当たることがあり、目を閉じた。

「そうか。思い込み……」

 あれこれと頭の中を整理する。もつれていた糸が、徐々にほどけていく。

「どないしたんや?」

 岡村が不思議そうに尋ねる。私は目を開けて、岡村の顔を見た。

「思い込みですよ。思い込みのせいで、簡単なことに気付かなかったんです」

 私はバッグを手に、勢いよく立ち上がった。


(2)


「閉まってますね」

 ブティックのドアには、店休日の札がかけられていた。

「いきなり、何やねん」

 私の後ろを追いかけて来た岡村が、肩で息をしながら尋ねる。

「静世に話を聞きたかったんですけど……」

「静世ちゃんに?」

 岡村が不思議そうな顔をした。

「事務所にはいないかなあ」

 外側の階段に回り込み、上って行く。岡村も後について来た。

 ドアの横にある呼び鈴を押すが、何の反応もない。

「やっぱり、いないみたいですねえ」

「店は休みやしなあ」

 岡村がそう言いながら、ドアノブに手をかけた。

「おい、開いてるで」

 思わず顔を見合わせる。

「静世?」

 小さな声で名前を呼びながら、恐る恐る中に足を踏み入れる。

「きゃっ!」

 不意に誰かに体当たりを喰らわされ、私は後ろに倒れ込んだ。その拍子に、私の後ろから部屋に入って来ていた岡村も、悲鳴と共に倒れ込む。

「何? なんなの?」

 パニックに陥りながら起き上がる。ふと見ると、私のグレーのトレーナーには、真っ赤な血が付いていた。

「米倉や! 今、ここを出て行ったの……」

 岡村は腰を押さえながら立ち上がったが、私の服に付いた血痕を見て、目を見開いた。

「お前、刺されたんか?! 大丈夫か?!」

「大丈夫です。血が付いただけです」

 努めて冷静に答える。でも、身体の震えは、どうしても止まらない。

 ――部屋の奥を見るのが怖い。

「京……子……?」

 名前を呼ばれたような気がして、そっと振り返る。しかし、そこには誰の姿もなかった。

「デスクの向こう側ちゃうか?」

 岡村が腰をかがめ、私の耳元でささやいた。立ち上がり、ゆっくり足を踏み出す。

 大きなデスクに手を付き、向こう側を覗き込む。そこには、真っ赤な血溜まりと、その中に横たわる人影があった。

「静世!」

 私は、デスクの裏に回り込み、その人影に走り寄った。

「静世、しっかりして! 静世!」

 血溜まりの横に膝を付き、彼女の腕を掴む。見ると、彼女の腹部にはナイフが刺さっていた。血は、そこから滴り落ちている。

「俺、救急車呼ぶわ」

 岡村がデスクに置かれた電話を持ち上げた。

 救急車を要請する声を聞きながら、私はバッグからハンドタオルを取り出した。ナイフを動かさないように、慎重にその回りに巻き付ける。今はただ、出血が止まってくれることを祈るしかない。

「ほんなら俺、誘導できるように外で待っとくな」

「お願いします」

 頷く私に軽く手を上げると、彼はドアに向かって走って行った。

「京子……」

 岡村が部屋を出て行くと、静世が蚊の鳴くような声で呼び掛けて来た。

「しゃべらないで。すぐ、救急車、来るからね」

 私は微笑みを作って答えた。

「いいのよ、京子。私は助からなくてもいいの……」

 静世が、苦しそうに言う。

「何言ってるのよ。頑張ってよ」

 私の言葉に、彼女はゆっくり首を横に振った。

「私、愛を見殺しにしたのよ」

 彼女は少し咳き込むと、後を続けた。

「ここに戻って来た時、愛は血溜まりの中で苦しんでた。――あの時、救急車を呼んであげてたら、愛は助かったかもしれない……。でも、私はそのまま彼女を放って、逃げ出したの。愛のこと、死んでくれたらいいって、心のどこかで思ってたから……」

「もういいよ、静世。もういいから」

 話すのをやめさせなければ。私は必死で彼女の頬をなでた。

「川上さんと付き合ってたのは、私なの……」

 驚きはしたが、顔に出さないよう、静かに頷く。

「そうだったんだ。でも、続きは元気になってから聞かせて」

 静世は私の言葉に少し微笑むと、首をかすかに横に振り、また話し始めた。

「――愛が私達のこと知ってるなんて、思いもしなかった……。あの子、私と川上さんを別れさせようとして……。なのに、川上さんは、愛に迫られてるなんて嘘を……。私はすっかり信じ込んでしまった」

 静世の目から涙がこぼれる。私は、指でそっと彼女の涙を拭った。こんなことしかできない自分が、もどかしい。

「純子から愛をゆすってたって聞いた時、私は自分の勘違いに気付いた……。お金のことだって、そう。愛は、他にパートナーなんか求めてなかったのに……」

 遠くから、救急車のサイレンが聞こえてくる。彼女はどうしても、話すことをやめなかった。

「純子と川上さんを殺したのは……私よ。だって、許せなかったのよ。私に猜疑心を植え付けたあの2人が……。どうしても許せなかったから……。それに、美智江も……憎かった……」

「静世……」

 私は思わず、彼女を抱き締めた。

「愛もあの時……こうやって抱き締めて欲しかったのよね……。きっと……」

 そうつぶやいた静世の身体から、徐々に力が抜けていく。

「しっかりして。ねえ、静世」

 身体を起こし、夢中で声をかけるが、既に彼女からの反応はなかった。

「静世、ねえ、静世ってば!」

 サイレンが止まる。

 駆け上がって来るたくさんの足音を聞きながら、私は彼女の名前を呼び続けた。


(3)


 愛の事務所で、現場検証が始まった。第一発見者の私と岡村も、そこに立ち会わされていた。静世は今だ手術中で、命の行方はまだわからない。

「で、どうしてここに?」

 一通り状況を説明し終わった私達に、安永刑事が尋ねる。デスクの向こう側では、何人もの男性達が作業をしていた。

「静世ちゃんに話があったんやな?」

 岡村が私の顔を見る。

「そうです」

 私は頷いた。

「ちょっと気が付いたことがあって」

「気が付いたこと?」

 安永刑事に聞き返され、私は壁一面を覆っている本棚に近付いていった。

「これです」

「この本棚が何か?」

 安永刑事が不思議そうな顔をする。

 私はしばらくその本棚を観察し、考えていたことを確認した。

「やっぱり」

 確信を得た私は、本棚の中央を仕切っている縦板に手をかけた。

「何をする気や?」

 後ろから岡村に尋ねられ、私は振り返った。

「本棚を動かすんです」

「本棚を動かすって、これ、作り付けやで。動くわけないやんけ」

 岡村が呆れたように言う。安永刑事も、その隣で不思議そうに腕を組んだ。

「まあ、見てて下さいよ」

 私はその縦板の縁に手をかけ、そっと引っ張った。と、薄い板がはずれ、本棚と本棚の境目が現れる。

「この本棚、2つに分かれてるんか」

 岡村が、その境目を指で撫でながら言う。

 私はその場にしゃがみ込み、右側の本棚の一番下に置かれた書類をすべて取り出した。底の板をどけると、そこから折り畳まれた車輪が現れる。

「これは……」

 私の後ろで、安永刑事が息を飲む。

 真ん中に設置されたレバーを上げると、本棚がわずかに持ち上がった。同時に4つの車輪が地面に設置される。

「移動させますね」

 私がゆっくりひっぱると、少しきしみながらも、本棚は動き始めた。

「この本棚、作り付けとちゃうかったんか」

 安永刑事が唸るように言った。

 かなり前に引き出したところで、元あった場所を覗き込む。そこには、所々にうっすらと染みが付いた絨毯が敷かれていた。

「この染み……そうか」

 安永刑事が唇を噛んだ。

「本棚は作り付けやと思い込んでいたから、この部分は調べてへんかった。絨毯の模様も、ちょうど境目が合うようになってるしな」

「壁一面に壁や天井と同色の本棚があれば、たいていの人は作り付けだと思い込んでしまいますよね。ここの部分の絨毯と、血液の付着していた絨毯を入れ替えるなんて、上手い隠し場所を考えたもんです」

「なるほど、思い込みか……」

 岡村が低い声でつぶやく。

 次に私は、左側の棚に手をかけようとした。

「後は、こちらで調べるよ」

 安永刑事が私の肩に手をかける。

「わかりました」

 私が頷くと、彼は鑑識の人に声をかけた。何人かが、小走りにこちらにやってくる。私達は、邪魔にならない場所に移動した。

「どうしてわかったんや?」

 安永刑事が尋ねる。

「本棚のことですか?」

「ああ」

 彼は頷いた。

「静世から、愛は模様替えが好きだったって聞いてたんです。そのソファにも車輪が付けられているくらいですから、他の家具にも付けられているんじゃないかって思って」

「なるほどね」

 安永刑事が溜息をつく。

「あの染みは、おそらく血痕やろう。ということは、湯川さんが羽場さんを殺害したと考えるんが、自然やねんけどねえ」

 安永刑事が首を傾げた。

「彼女自身は、戻った時には既に、羽場さんは刺されていたと言っていたんやね」

「ええ」

 私は頷いた。

「罪を軽くしようとしてってことは、考えられへんか?」

 岡村が言う。

「静世は、『愛を見捨てた』って言ったんです。罪を軽くしようとするなら、『もう死んでいた』って言うんじゃないですか?」

 私は2人の顔を交互に見て、続けた。

「静世は、愛が殺されかけているなんて、全然知らなかった。知らなかったから、死亡推定時刻に、このブティックに戻ってきてしまったんじゃないでしょうか」

「そうか。知ってたら、もっと確固たるアリバイを作ったはずやってわけやな」

 岡村が頷いた。

「それやったら、実際に愛ちゃんを殺したのは誰やろ?」

「わかりません」

 私は首を横に振った。

「そら、そうやわな」

 岡村が苦笑する。

「川上さんと高階さんの事件については、自分が殺害したと言うてたんやね?」

 安永刑事が口を挟んだ。

「そうです」

 私は頷いた。

「もっと、その……詳しい話は聞いてへんよねえ」

 安永刑事が、ためらいがちに尋ねる。

「ええ。でも、多分こうだったんじゃないか、っていうのは……」

「わかったんか? トリックが?」

 岡村が驚いたように私を見た。

「昨日、現場に行ってみたじゃないですか。あれをヒントに考えたんです。想像の域は出ていませんけど」

 私は答えた。

「話してみてくれへんか」

「わかりました」

 安永刑事に言われ、私は頷いた。


(4)


「――午後10時から11時の間、静世がここにいたことは、証明されているんですよね?」

「ああ。午前1時頃まで、この部屋にいたようや。ピザ屋の店員にも確認をとっているし、ファックスもここから発信されているのは間違いない」

 安永刑事が答える。

「やっぱり……。実際に2人が眠らされたのは、ここ――おそらく、地下にあるガレージだと思います。ガレージなら、デリバリーが到着してもすぐに出られますし、2人にタトゥを描き込んでも目撃される恐れはありませんからね」

「せやけど、純子ちゃんを呼び出したんは、川上さんと違うんか?」

 岡村が尋ねる。

「多分、静世なんじゃないかと思います。彼の携帯を使ったってことは、その時には既に、川上さんは眠らされていたんでしょう」

「なるほどな」

 岡村が頷いた。

「 静世は、やって来た純子にも睡眠薬を飲ませて眠らせた後、川上さんの車の助手席に座らせた。ここには、地下まで続くエレベーターがあるんです。台車か何かを使えば、難しいことではなかったと思います」

 私は、2人の顔を見回してから続けた。

「そして、打ち合わせを済ませてお店に戻った後、純子だけを絞殺したんです。打ち合わせをしていたのは、午後10時まで。死亡推定時刻にもぴったり合いますよね?」

「あれ? ちょっと待てや。たしか9時半には、比叡山の脇道で、2人の乗った車が目撃されてんねんぞ。しかも、遺体には動かされた痕はないって……」

 岡村が口を挟む。

「9時半に目撃された車には、2人は乗っていませんでした。乗っていたのは、2人の……2体のマネキンだったんです」

 私は答えた。

「昨日、確認しましたよね。静世の車も赤色だった。最初にあの場所に止められていたのは、静世の車だと思います。レンタカーでは、足が付く恐れがありますし」

「せやけど、9時半頃は、静世ちゃん、まだ打ち合わせの最中やったって話やろ。いつ車をあそこに?」

 岡村が尋ねる。

「静世じゃなくて、共犯者が置きに行ったんじゃないでしょうか」

「共犯者?」

 岡村が私の顔を見た。

「何の証拠もありませんけど……米倉君じゃないかと思うんです。ちょうどその時間、彼にはアリバイはありませんよね?」

「そうか。米倉のアリバイがはっきりしてるのは、10時以降やったな」

 岡村が唇を噛む。

「ええ。彼は、車を置いた後、トランクに積んでおいた折りたたみ式の自転車か何かで、山を降りた」

「そして、わざと喧嘩してアリバイを作った。そういうことか」

「そうなんじゃないかと思います」

 私は頷いた。

「マネキンを運転席に移すくらい、そんなに時間はかかりませんよね。車が途切れた所を見計らって作業すれば、十分可能だったんじゃないでしょうか」

「たしかにそうやねえ」

 安永刑事が頷く。

「それに、4日くらい前、Uターンする場所を探してお寺に迷い込んだ女性がいたって、住職さんおっしゃってましたよね? あれは多分、静世なんだと思います。下見の時にでも、迷い込んだんでしょう」

「辻褄は合うな」

 岡村がつぶやいた。

「静世は、 どうしてもあの場所に車を置きたかった。フロントガラスを通りの方に向けて。後ろ向きでは、中の人影が見えませんからね」

 私は続けた。

「アリバイを確保するためにも、目撃者に、9時半には既にそこに2人の姿があったって、証言してもらわなくちゃいけなかったんです」

「なるほどなあ」

 岡村が何度も頷いた。

「後で、本物の遺体が乗せられた車と入れ替えたってことか」

「ダミーの車は道幅の広くなった部分に置かれていた。上手くやれば、摺り替えることはできたはずです。静世の車も赤。川上さんの車も赤。走りながら、しかも木の間から目撃するとなったら、細かい車の種類までは特定できませんよね」

 私は、岡村に向かってそう言うと、続けた。

「川上さんを眠らせた状態にしておいたのは、死斑の移動を避けるためだったんだと思います。運転するためには、運転席に座らなくてはならない。川上さんをそこに座らせた状態で運転するなんて、かなり難しいことですからね。後部座席にでも乗せておかなければ無理でしょう?」

「せやけど、マネキンと違って人間は重いで。しかも、静世ちゃんは女性や。移動するのに時間がかかったんと違うか?」

 岡村が頭をひねる。

「さっきも言うたけど、湯川さんが事務所にいたのが確認されているのは、夜中の1時までや。あの道、12時を過ぎると一気に交通量が減るからね。その後なら、多少時間をかけて川上さんを運転席に移動させても、目撃される可能性は低くなるやろう」

 安永刑事の説明に、岡村はようやく納得したように頷いた。

「米倉にアリバイがあるのは、午後10時以降。湯川さんにアリバイがあるのは午前1時まで。2人で交互に動いたってことか」

 安永刑事がうなるように言う。

「午前1時まで事務所にいたのは、2人の腕に描いたペーストを剥がすためっていう理由も、あったんじゃないかと思うんですけど」

「そうやな。時間的にもぴったり合うな」

 岡村は頷くと、私の顔を見た。


(5)


「で、動機は……愛ちゃんに対して殺意を抱くきっかけを作ったからか?」

「静世の話から推測すると、川上さんは、静世と別れるよう迫る愛のことを、悪く言っていたようです。それで、静世も愛に対して不信感を抱くようになったんでしょう」

 一息入れて続ける。

「そのうちに愛がお店のお金を持ち出し始めた。純子にゆすられてるなんて知らなかった静世は、愛が自分を裏切るんじゃないかって、ますます不信感を強めていった。そして、その気持ちが、結果的に愛を見捨てることにつながってしまった。そういうことだと思います」

「そんなもん、ただの逆恨みやないか。愛ちゃんに殺意を抱いた理由を、他人のせいにしようとしているだけや」

 岡村が厳しい口調で言う。

「ええ。たしかに、その通りですよね。――でも、愛を見捨ててしまったことは、静世の心に重くのしかかっていたはずです。他の人を恨みでもしないと、やっていけなかったんじゃないでしょうか」

「まあ、気持ちはわからんでもないけどなあ」

 岡村が溜息を吐いた。

「川上さんを殺した理由は、他にもあったと思います」

 私は少し考えて続けた。

「静世、美智江が憎かったって言ったんです。川上さんの妻の座にあった美智江に対して、ずっと嫉妬心を持ってたんじゃないでしょうか。それで、川上さんを殺すことで、彼女のことも苦しめようとした」

「嫉妬心か……」

 しばらく、誰も話さなかった。

「そうや、中西に電話をかけたんは……?」

 岡村が口を開く。

「たしか7時30分頃でしたよね? 中西君の携帯に電話がかかってきたの。しかも、公衆電話からなんだから、静世ではないでしょ?」

 私の言葉に、岡村が手を叩いた。

「そうか。米倉か。川上さんがホテルを出る時間を見計らって、公衆電話から電話をかけたんやろうな」

 忌々しそうに続ける。

「こうやって、川上さんの事件に米倉が関わってるってことは……」

「愛を殺害したのも、米倉君かもしれませんね」

 私は岡村の顔を見て後を引き受けた。

「そうやな。アリバイって言っても、口論してたなんて、テープでも何でも工作できるからな」

「ええ」

 私は頷いた。

「愛が殺された時も、中西君にかけられた電話は公衆電話からだった。その電話をかけたのも、恐らく米倉君でしょうね。自分が隠したとすれば、鍵の在り処を伝えることだってできたはずですし」

「米倉が愛ちゃんのフリをしてここから出て行ったのは、10時45分頃。岡村に電話がかかってきたのは、10時50分頃やって話やから……時間的にも合うわなあ」

 岡村が私の顔を見る。

「湯川さんは、血痕を誰にも見られたくなかった。そのことから考えると、自分からわざわざ電話をかけて、中西君を呼び出したとは考えにくいしねえ」

 安永刑事は首を傾げた。

「しかし、仮にそうやったとして、米倉の動機は何やろなあ」

「あいつ、前に愛ちゃんにフラれたって言うてたやろ? それでとちゃうか?」

 岡村が私の方を見る。

「でも、もう何年も前の話ですよ。今さらって気もしますよね」

 私の言葉に、安永刑事が頷く。

「それから、どうして中西君を陥れようとしたのか。そこんところも、よくわかれへんねんなあ」

 それぞれに色々なことを考えているようだ。と、岡村がはじかれたように顔を上げた。

「ボルネオフラワーのタトゥ」

 その声に、私は岡村の顔を見た。

「中西の様子がおかしくなったの、あのタトゥの話を聞いてからやったよな?」

「ええ」

 私が頷くと、彼は話を続ける。

「川上さんと純子ちゃんの腕にタトゥを入れられたのは静世ちゃんだけやんな。今の推理で行くと」

 岡村の言葉に、私は思わず口を挟んだ。

「中西君がかばったのは、静世ってことですか?」

「ああ。米倉も、静世ちゃんから愛ちゃんのことについて、色々な話を聞かされていたとしたら……」

「自分の昔の恨みと相まって、彼女のかわりに殺したって可能性は出て来るなあ」

 安永刑事が納得したように頷く。

「2人は、湯川さんを巡って争っていた。せやから、中西君に罪を着せようとしたのか」

「それなら、米倉が静世ちゃんの犯行を手伝ったことも、説明がつくでしょう」

 岡村が満足げにそう言った時、安永刑事の携帯電話が鳴った。

「ちょっと失礼」

 電話に出た彼の顔が、みるみる真剣になって行く。

「何やて? 目撃者は? ――そうか」

 私と岡村は顔を見合わせた。

「わかった。車の方も、しっかり調べてくれ」

 彼はそう言うと、電話を切った。

「大変なことになった」

 安永刑事が顔を上げて、私達を見た。

「米倉の乗った車が、崖から転落しているのが見つかった。運転席から、彼の遺体も発見されたらしい」

「どういうことですか?」

 岡村が尋ねる。

「ブレーキの跡もなかったみたいやし、自殺の可能性が高そうや」

 安永刑事が眉間に皺を寄せて答えた。

「最愛の静世ちゃんを刺して、自分も自殺、か。やり切れんな」

 岡村がうつむく。

「署に戻って、中西君からしっかり話を聞こう。今となっては、真実を知っているのは彼だけやからね」

 安永刑事の言葉に、私達は頷いた。


(6)


 現場検証を終えた私と岡村は、ぶらぶらと歩いて大学に戻ることにした。

 まさか血まみれの姿で表を歩くわけにもいかず、岡村が着ていた薄手のジャンパーを借り、着重ねている。

「静世ちゃんと米倉が真犯人やったとはなあ」

 岡村がつぶやく。

「だとしたら、名古屋での愛の事件は、どう絡んで来るんでしょうかねえ」

 私は、長過ぎるジャンパーの袖を折りながら尋ねた。

「うーん、それやねんけどなあ」

 岡村が言いにくそうに言う。

「飯倉正紀に襲われたん、静世ちゃんやったんとちゃうか?」

「静世がですか?」

 私は手を止めて尋ね返した。

「うん。ほら、受験の頃って、同じ学部を受験する仲間同士で一緒に勉強したりとか、せえへんかったか?」

「ええ。たしかに、それはありましたけど……」

 私は頷いた。

「静世ちゃんも愛ちゃんも、美大を目指しとったんやろ? あの事件があった日は日曜日やった。静世ちゃん、愛ちゃんの所に勉強しに行こうとして、襲われたんちゃうやろか」

「ちょうど愛が学習塾から帰る時間だったって話でしたよね。バス停付近で待ち合わせしていたのかも……」

「ああ。そうや。そして、静世ちゃんが被害に遭ったことを隠す為に、強盗を偽装した」

 岡村が続ける。

「愛ちゃんは、親友を助けるために必死やった。せやから、人を殺した後も、あんなに冷静に行動できたんとちゃうかな?」

「たしかに、大切な人を助けるためには、人間って何でもできちゃうもんですからね」

 2年前の事件で、つくづくそのことを思い知らされていた。私は頷いた。

「そうや。そのお礼に、静世ちゃんは愛ちゃんのゴーストを買って出た。これで、ゴーストの謎も解けるやんけ。どうや?」

 岡村が、得意げに言う。

「でも、静世はあの時、放心状態で『ゴースト』って繰り返しつぶやいてたんですよ。彼女自身がゴーストなら、そんなことは言わないでしょう」

 私は反論した。

「そこやがな。あの時、米倉から『お前がゴーストだということを知ってる』とでも言われたんやろう。せやから、驚いて、繰り返し言うてたんやで。多分」

「そうですかねえ」

 岡村の推理に納得できぬまま、なんとなく答える。私の心には、相変わらず、説明できない何かが引っ掛かっていた。

 とその時、私達の横を救急車のけたたましいサイレンが走り抜けて行った。

「おお、おお、ドップラー効果やのお」

 岡村が呑気なことを言う。

「なんか、洛北署の方に曲がって行きましたけど」

 私は、すぐ先の交差点を指差した。

「そら、あっちにも家はいくらでもあるしなあ。洛北署とは限らへんやろ」

「それもそうですね」

 私達はまた歩き始めた。

「あれ? やっぱり、洛北署に入って行ったんじゃないですか?」

 交差点に差し掛かった私は、洛北署の方を見ながら言った。

「ほんまやなあ。人が集まって来てるわ」

「行ってみましょうか?」

「そうやなあ」

 私と岡村は、小走りで警察署に向かった。


(7)


 玄関の前には、救急車が横付けされていた。

「やっぱり、ここやったんやなあ」

「本当ですね。一体、何があったんでしょうねえ」

 私達は、少し遠くからその様子を眺めていた。

「あれ、山田さんや」

 すごい形相で、野次馬を整理している山田刑事が見える。

「ちょっと聞いてみるか」

「そうですね」

 小走りに走り寄る。

「山田さん」

 大声で呼んでみたが、聞こえないようだ。岡村が、人垣をかきわけて前に進む。後に続いて少し行くと、最前列に出ることが出来た。

「山田さん」

 再び大声を出す。今度は、彼の耳に届いたのだろう。きょろきょろと周りを見回している。しかし、手を振る私達には気付かなかったようで、すぐに野次馬の整理に戻ってしまった。

「あ、誰か出て来ましたよ」

「ほんまやな」

 そのうち、白衣を着た男性達が、担架をかついで現れた。上には、すっぽりと毛布がかけられている。その膨らみから、誰かが載せられていることがわかった。

「え? 今……」

「何でや、どういうことや」

 担架の横には、ぴったりと貼り付いたまま、その膨らみに向かって大声を上げる安永刑事の姿があった。

「中西、しっかりしろ!中西!」

 耳に飛び込んできた言葉を理解するまでに、少し時間がかかった。

「――中西君?」

「中西なのか? どういうことや?」

 前に出ようとしたが、制服を着た警察官に阻まれ、救急車のそばにはたどり着けそうもない。

 そのうち、担架が救急車の中に消え、安永刑事が乗り込む様子が見えた。

「中西! なかにしー!」

 岡村の叫び声が、救急車のサイレンに飲み込まれる。

「なかにし……」

 去って行く救急車を見つめたまま、私達は少しの間、そこに立ち尽くしていた。

 見物するネタが無くなった途端、野次馬達はぞろぞろと駐車場を出て行く。

「あれ? いらしてたんですか?」

 山田刑事が、ようやく私達に気付いて駆け寄って来た。顔には、かなり疲労の色が見える。

「中西君、どうしたんですか?」

 私は思わず、彼の腕を掴んで迫った。山田刑事は、悲しそうな顔で溜息をつく。

「自殺しようとしていたんです。ベルトを鉄柵にかけて……」

「自殺? で、様子は?」

 山田刑事は首を横に振った。

「発見は早かったんですが……。意識がない状態で……」

 思い掛けない展開に、私は両手で口を覆った。岡村は、うつむいて唇を噛んでいる。

「市立洛北病院に搬送されることになってます。行かれますか?」

 山田刑事の言葉に、私は驚いて顔を上げた。

「いいんですか?」

 ややあって、彼は頷いた。

「野次馬の整理が終わったら、すぐに病院に向かうように言われているんです。一緒に行きましょう」

 彼はそう言うと、車に向かって歩き始めた。


(8)


 今日は本当に大変だった。家に着くとすぐ、ベッドにどさっと横になる。

「静世も中西君も、助かってくれるといいんだけどなあ」

 天井を見ながら一人つぶやく。

 病院にいても邪魔になるということで、後ろ髪を引かれつつも、私と岡村はそれぞれ家に戻った。

「『僕のせいなんです』か」

 病院へ向かう車の中で、山田刑事はその言葉をずっと繰り返していた。中西に、米倉が自殺したことを話してしまったというのだ。そして、その後すぐ、中西はトイレに立ち、そこで自殺をはかったらしい。

「真実を知ってるのは自分だけだもんねえ。死んで秘密を守ろうとしたのかなあ」

 中西の顔を思い浮かべる。一体、どうしてこんなことになってしまったのだろう。

「私が、あの食事会に、中西君を連れて行ったのがいけなかったのよね」

 病院の処置室の前で、泣き崩れていた中西の母親の姿を思い出す。胸がきりきりと痛んだ。

 静世と中西。この3ヶ月の間に、一体なにがあったんだろう。

 私は勢いをつけて起き上がった。立ち上がり、本棚の一番下の段から、高校の卒業アルバムを取り出す。

「そう言えば、ずっと見てなかったなあ」

 うっすらと積もった埃を払うと、私はケースから本体を引っ張り出した。

「えっと、E組、E組、と」

 校歌、校長、次々と飛ばしてページをめくって行く。3分の1ほど来たところで、目的のページに到達した。

「この頃は、こんなことになるなんて、思ってもみなかったなあ」

 虚しい思いでつぶやく。

 羽場愛、高階純子、湯川静世、そして米倉利一。みんな無邪気に微笑んでいた。

 高校3年生。色々あったが、それなりに楽しかった。

 進学を希望していた私は、就職を勧める叔父と、毎日のように喧嘩していた。家に帰るのがうっとうしくて、よく純子の家に避難していたものだ。

 彼女も京都の大学を受けるということで、どこのホテルに泊まると受かるらしいとか、どの神社に詣でると効き目があるらしいとか、そんな情報をよく教えてくれていた。

「同じ学部を受ける仲間同士で一緒に勉強した、か」

 岡村の言葉を思い出し、私は微笑んだ。今ではかなり「オヤジくさく」なっている彼にも、そんな時代があったのだ。

 それにしても、と思いながら、クラスメイト達の笑顔を見つめる。

「愛と静世かあ。本当に仲がよかったのにねえ」

 うちのクラスには、美大を受ける人が何人かおり、お互いの顔をデッサンしあったりして、実技を磨いていた。中でも2人はいつも一緒で、見ていてうらやましく思ったものだった。

 しかし、あの年の夏、2人には思い掛けない事件が降り掛かっていたのだ。そんな気配は、全く感じられなかったのに……。

「7月10日、か」

 もう少しで夏休み。

 そう言えば、私はその頃、休みの間に一気に成績を上げてやろうと、張り切っていた記憶がある。そんな辛い思いをしているクラスメイトがいるなんて、想像すらせずに……。

 胸に痛みを感じながら、アルバムを閉じた。

「――ちょっと待って。あの頃……」

 ふと思い出すことがあり、もう一度アルバムを開く。

「そうだ。間違いない。あの子も美大を目指してたんだ」

 飯倉正紀の衣類に付着していた髪の毛……B型のロングヘア。

 ――私は、そこで微笑むその人物の顔を、じっと見つめながらつぶやいた。

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