第7章
(1)
「まだ4時か。ちょっと早いなあ」
洛北署の駐車場を横切りながら、岡村が時計を見る。
「何がですか?」
私は尋ねた。
「最後に愛ちゃんを目撃してるんは、静世ちゃんやろ? 彼女が愛ちゃんを見たって言う、ブティックの裏のファミレスに行ってみようと思ってな」
「なるほど。で、安永さんに情報を提供しようってわけですか?」
私が言うと、岡村は困ったように頭を掻いた。
「本部が中西を犯人と思ってるって強調してはったやん? あの人自身は、思ってへんってことやで、多分」
「あんなに挑発的な態度を見せて、私達に調べさせようって魂胆ですかね」
「さあな。ただ、中西の無実を晴らさなあかんって気になったわ」
岡村が優しく微笑む。私も微笑んで頷いた。
「それにしても、こんだけ明るかったら、ほんまに顔が見えたんかとか、そういうことがわかれへんなあ」
「そうですね」
私は頷いた。
「しゃあないな、あっちから行くか」
「あっちって?」
「比叡山」
岡村はそう言うと、私の方を見た。
「峰山、つかまるかな?」
「峰山君って、修士の?」
「おお、そうや。あいつ、車持ってるやろ? 例の比叡山の現場まで、乗っけていってもらおうと思ってな」
岡村が当たり前のように言う。相変わらずの人使いの荒さ。
私は半ば呆れつつ答えた。
「さっきは研究室にいましたけど」
「おお、そうなんか。まだいてるやろか?」
「府立博物館に行くって言ってましたけど、もしかしたら戻って来てるかも……。行ってみますか?」
「おう」
私達は、文学部棟へと急いだ。
(2)
「びっくりしましたよ。いきなり、車出せなんて」
峰山が、バックミラー越しに私の方を見る。
「ごめんね。でも、つかまってよかったわ」
後部座席から、私は答えた。
「今日はこれから、修士1回のみんなで飲み会に行くはずだったんですよ。かわりに、ご馳走して下さいね」
峰山は、口をとがらせてそう言った。
「おう、がんがんおごったるがな」
助手席で岡村が笑う。
「で、比叡山って、また何でですか?」
「ちょっとな。――紅葉狩りや」
岡村がとぼけた答えを返す。
「そうなんですか? 血相変えて研究室に飛び込んで来はったし、もっとスゴイ用事なのかと思ってましたよ」
峰山が、がっかりという顔で前を向いた。
「すまんすまん。お、その先の道、左に曲がってくれるか? で、最初の幅が広くなってる所に停まってくれ」
岡村が適当にあしらいながら、指示を出す。
「え? この道ですか? かなり細いですよ」
峰山は、文句を言いながらハンドルを切った。
「これ、一台ギリギリちゃいますか?」
「せやけど、一通ちゃうやろ?」
岡村が尋ねる。
「よっぽど交通量が少ないんでしょうね」
峰山が言った。
「――あ、ここちゃうか」
道幅が少し広くなっている部分を指差して、岡村が言う。
「ここですね。停まりますよ」
峰山がウインカーを出して、左に寄った。
「すれ違う時は、こういう部分でどちらかが待って、やり過ごすんですね。それでも、やっとやっとでしょうけど」
峰山がサイドブレーキを引きながら言う。
「そうやな」
岡村が頷いた。
「ちょっと待って下さい。たしか、大通りの方に向かって停まってたって話じゃありませんでしたっけ?」
私は声をかけた。
「あ、そうやったな。峰山、Uターンできるか?」
「Uターンですか? ここでは無理ですよ」
峰山が困ったような表情をして、岡村の方を見る。
「ほんなら、Uターンできそうなところまで行って、また戻ってくれ」
「はあ。わかりました」
峰山は、大っぴらに溜息を吐き、また車を走らせ始めた。
(3)
「――なかなかUターンできそうなところがないですねえ」
かなりガタガタの山道。たまに幅が広くなっている所もあるが、片方が崖であることを考えると、Uターンするのは難しそうだ。
「あ、あれ? 突き当たりますよ」
正面には古びたお寺の門が立ちふさがっており、そこで道は途切れていた。
「Uターンは無理か?」
「門が開いていれば、中で回ることもできるでしょうけど、このままでは無理ですね」
峰山が腕を組む。
「ほんなら、バックで戻らなあかんってことか?」
岡村が峰山の顔を見た。
「この細い山道をですか? もう、勘弁して下さいよ」
峰山がすねたようにシートに背中を預ける。
「来る途中にあった民家のガレージでは、Uターンできないのかな?」
私が尋ねると、峰山は首を横に振った。
「僕もそう思って見てたんですけど、どのガレージもシャッターが閉めてあって、ちょっと無理そうでしたね」
「そうなの」
私も後ろのシートにもたれかかった。
「しゃあないな」
岡村が車を降り、門の方に歩いて行く。
柱の横に設けられた小さな扉を押して開けると、彼はお寺の中へと消えて行った。
「住職さんにでも、かけ合うつもりかしら」
「さあ、どうでしょうね。僕にはさっぱり」
何の事情も話されないまま連れて来られたのだ。不満があるのはよくわかる。
しばらくすると、ぎぎぎぎ、と大きな音を立てながら、門が開けられた。
「Uターンさせてくれはるって」
岡村が走ってこちらにやってくる。
「すみません」
峰山が車の窓から顔を出して、門の所に立っている老僧に礼を言う。私も窓を開けて、小さく会釈した。
「聞いてみたら、4日ほど前にも、やっぱり同じようにUターンさせてくれって、言うてきた女性がいてたらしいで」
「へえ。やっぱり道に迷う人もいるんですねえ」
岡村の言葉に峰山が笑う。
「ほんなら、Uターンしますよ」
(4)
「ということは、ここに、この向きで停まるとなると、バックして入って来なアカンっちゅうことか」
目的地に上手く収まると、岡村が腕を組む。
「そういうことですね」
私も外を見ながら答えた。
「そりゃ、初めて来たら、奥でUターンできると思いますもんねえ。せやけど……」
峰山が岡村の顔を見る。
「どうして、ここにこの向きやないといけないんですか? 別に、紅葉だって大したことありませんし」
「せやなあ。どうして、ここにこの向きなんやろう」
岡村はそう言うと、ドアを開けて外に出た。
「本当ですね」
私も、そう言いながらドアを開ける。
「いやいや、本当ですねって。ちょっと、お二人さん」
峰山も慌てて外に出た。
「ホンマに、僕、訳がわかりませんわ」
峰山が困った顔で、私達の後を付けて来る。
少し歩くと、メインの通りに出た。
「おお、こっから車が見えるなあ」
「ちょうど木がまばらになってて、はっきり見えるんですね」
「その脇道、メインの道に対して、鋭角になってますしね。せやから、よう見えるんちゃいますか?」
峰山が言う。
「他の脇道も、こんな感じになってんのやろか?」
「さあ」
岡村に言われ、私は首を傾げた。
「よし、ほんなら、行ってみるか」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。僕、また付き合わされるんですか?」
峰山が情けない声を出す。
「本当にごめんね。でも、大事なことなのよ」
私が顔の前で手を合わせると、彼は大きく溜息を吐いた。
「ほんまに美味しいもん、奢って下さいよ」
そう言いながら、車の方へと向かう。私と岡村は顔を見合わせて微笑んだ。
(5)
「結局、メインの通りから見える所で、車が止められる部分は、ここしかなかったな」
メインの通りから別れる脇道を、片っ端から調べて回った。時間はもう7時を過ぎている。
私達はまた、さっきの場所に、今度はちゃんとバックして止まっていた。
「にしても、このメインの道路、意外と車が通りますね」
峰山が運転席のシートにもたれて言う。
「12時頃までは、結構交通量が多いそうよ」
安永刑事から得た情報を披露する。
「せやけど、これだけ外が暗くなってて、ほんまに向こうから中が見えるんかな」
岡村が不思議そうに首を傾げた。
「もう一度、通りの方から見てみましょうか」
私が言うと、岡村が頷いた。
「せやな」
「えー、通りからって、昼間ならまだしも、こんなに暗いのに見えるわけがないじゃないですか。もう、いい加減にしましょうよ」
峰山が悪態をつく。
「ごめんね。もしイヤだったら、ここで待っててくれたらいいわ。すぐ戻るから」
車を降りながら、声をかける。
「まったく、もう。人使いが荒いんやから」
峰山は文句を言いながらも、車を降りて後に付いて来た。
「この辺やったな」
私達は振り返って、車の場所を確かめた。
「何や、これ」
岡村が驚いたように言う。
「うわ、まるでスポットライトですね」
峰山も目を丸くしている。
道の反対側に、ちょうど街灯が立っている。その光が、まるで車の中を照らし出しているかのように見えるのだ。
「たしか9時半頃でしたよね」
私は、岡村に確認をとった。
「ああ、中、丸見えやな」
岡村が頷く。
「2人の人影が見えたって言うのも、間違いなさそうですね」
「せやけど、この状態でもう1人乗ってたとしたら……3時間もおったら、目撃される可能性が高いわな。どうやってタトゥを描き込んだんやろう」
私達が考え込んでいると、峰山が泣きそうな声で言った。
「あのお、ちょっと冷え込んで来てるんですけど……。そろそろ車に戻りませんか?」
(6)
2時間後、私達は、愛のブティックの裏にあるガストで、夕食を終えていた。
「デザートはええか?」
岡村がメニューを峰山の前に広げる。
「そうですねえ。コーラフロートいっときましょうか。近藤さんは?」
「そうねえ」
窓側の席からは、愛のブティックがよく見えた。電気が付いているところを見ると、まだ中にはスタッフがいるようだ。
「私はプリンパフェにしようかなあ。岡村さんは?」
「俺はホットミルクにしとこうかな」
岡村は胃をさすりながら言った。ボタンを押して店員を呼ぶと、追加分を伝える。
「あのお」
店員が去った後、峰山がためらいがちに尋ねて来た。
「さっきから思ってたんですけど、この正面に見える建物、この間殺された人のお店ですよね」
「うん。――そうよ」
私も小さな声で答えた。
「中西さんが犯人なんてこと、あり得ませんよね?」
峰山が遠慮がちに言う。
「せやから今、それを調べてるんや」
岡村が答えた。
「なるほど。今日、走り回った比叡山も、中西さんが絡んでたんですね」
峰山が納得したように頷く。
「そうなのよ。あの場所に置かれていた車の中で、第二の事件が起こったの。だから、どうしてあそこが現場になったのかを調べてたってわけ。事情、話さなくてごめんね」
「いえいえ、それはいいんですけど」
峰山が私の顔を見た。
「犯人は、あの場所で2人を殺害したんですか?」
「そこなのよね」
私はちらっと岡村の方を見て続けた。
「死亡推定時刻は午後10時から11時。あんなに明るいところで作業していたら、ドライバーに見られてしまうんじゃないかと思うんだけど」
「そうは言っても、9時半にはあそこに車が置かれとったわけやからなあ」
岡村が首を傾げる。
「そこに車を置いたとして、犯人はどうやって戻ったんでしょうかね」
峰山に言われ、私と岡村は顔を見合わせた。
「そうやなあ。行きは川上さんの車で行ったとしても、帰りは困るわなあ」
「でも、京都方面から向かったら、5~6キロじゃありませんでしたか? 距離的には」
私は岡村に尋ねた。
「ああ。まあ、歩いてもチャリでも戻れる距離は距離やわな」
「そうですね。歩くのは大変でしょうけど、自転車ならずっと下りですからね。折り畳みの自転車でも載せていたのかもしれませんね」
峰山の言葉に私達は頷いた。
「中西がホテルに着いたのは午後8時頃。それからすぐに2人を連れ出して殺害し、タトゥを描いて……。あかんなあ、アリバイ的には可能やな」
「本当ですね」
全員が黙り込んだ時、デザートが運ばれてきた。
「わあ、美味しそう」
わざと明るく言うと、スプーンを手にする。
「噂通りの食欲ですよね」
峰山が呆れたように言った。
「せやろ? こいつの胃袋、底がないねんで、絶対」
岡村が楽しそうに笑う。
ひとくち、ふたくち食べた頃、峰山がブティックのガレージを指差した。
「あ、シャッターが開きましたよ」
「ほんまやな。お、車が出て来たで」
岡村が窓から覗き込む。
「眩しいですね」
車は地下から上がって来るせいか、ライトが上を向いていて、運転手の顔がよく見えない。
「うーん。運転してるヤツの顔、見えるか?」
岡村も、目を細めてじっと車の方を見ている。
「あ、今ちらっと見えました」
車が水平になったところで、ようやく運転手の姿が見えた。
「誰や?」
「多分、静世だと思いますけどねえ」
「多分?」
「ええ。あ、こっちに曲がって来ますから、横顔は見えるんじゃないですか?」
車は右折のウインカーを出している。私達の席の前を通るはずだ。
「お、来た来た」
走行車が途切れたところで、車がこちらの方に来た。ガレージのシャッターは、自然に閉まるようになっているらしい。
その赤い車が私達の前を通り過ぎると、岡村は私の方を見た。
「静世ちゃんやったか?」
「一瞬だったし、はっきり見えたとは言えませんけど、雰囲気はそんな感じでしたね」
「そうか。俺もそんな気がしたわ」
岡村は頷いた。
「岡村さんは、そのナントカさんに会ったことはあるんですか?」
峰山が、ストローをグラスに刺しながら言う。
「会ったって言うか、見たっていうか……。一度だけ、ちらっとな。せやけど、写真で顔は知ってるつもりや」
岡村が答えた。
「そうなんですか」
峰山が楽しそうに言う。
「その人のことをよく知ってる人物から、『あれは誰々ちゃんだ』って言われると、ああそうなのかなって思っちゃいますよね」
「たしかにな。人間の目なんて、いい加減なもんやわな」
岡村は頷きながら笑っていたが、急に真剣な表情になり、私の方を見た。
「そうか。愛ちゃんの時も、そうやったんちゃうか?」
「最初に静世が『あれは愛だ』って言ったから、他の人もそう思い込んだってことですか?」
「おお」
岡村が頷いた。
「本当はそれが愛ちゃんやなかったとしても」
「あり得ますけど……。でも、それなら、静世も共犯だってことになりますよね?」
私は腕を組んだ。
「中西の言うことを信じるとすれば、絨毯を処理したのかって、彼女に違いないねんから」
「そうですねえ」
血液反応の出なかった絨毯。どういう細工をしたんだろうか。
「だけど、純子の時にはアリバイがあるんですよ」
「共犯者に殺らせたんやで。それしか考えられへんやろが」
岡村が決めつけるように言う。
「共犯者、か」
私は腕を組んで溜息を吐いた。