表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クラスメイト  作者: 深月咲楽
5/10

第5章

(1)


 約束より少し遅れはしたが、私と美智江はフォルクスで向かい合って座っていた。そして、私の隣には、なぜか岡村が座っている。

「ごめんね。学食に断りに行ったら、どうしてもって言うもんだから」

 私は、美智江に謝った。

「ううん、いいわよ。気にしないで」

 彼女は優しく微笑んだ。

「岡村です。いつも、うちの近藤がお世話になって」

 岡村が、鼻の下をのばしてへろへろと挨拶する。

 まったく、男というのは、どうしてこう『はかなげな美人』に弱いのだろう。しかも、「うちの近藤」ってどういうことだ? 

 腹は立ったが、今は美智江と話をする方が先だ。私は、彼女の方を見た。

「大丈夫?」

 もう一度尋ねる。心労のせいだろうか、もともと華奢な身体は更に更に細くなり、顔色も向こうが透けて見えそうなほど真っ白だ。

「大丈夫よ。勉強も忙しいだろうに、呼び出したりしてごめんね」

 美智江が謝ると、岡村が口を出した。

「いえいえ、こいつ、ついさっきまで寝てたんですよ、ええ身分ですわ」

「岡村さんは黙ってて下さい。黙っていられないなら、出て行って下さい」

 私の言葉に、岡村は肩を竦めて黙り込んだ。

「あの……実はね」

 美智江が、今にも折れてしまいそうな細い指を組み替えながら、切り出した。

「さっき、警察で聞いたんだけど、純子が、殺されるちょっと前に、京子に電話してたって」

「ああ、うん。たしかに電話もらったよ」

 ピラフセットを頼みはしたが、さすがの私も、この重い空気に食べる気が起こらず、すっかり冷めてしまっている。

「途中で、純子のところにキャッチが入ったから、それで終わったんだけど」

 私は、言葉を選んで答えた。

「その、純子のところに途中でかかってきた電話、うちの主人の携帯からかけられたものだったの。通話記録からわかったんだけど」

「あ、そうだったの」

 努めて平静を装おう。

「8時頃、鍵をフロントに預けてるから、その頃ホテルを出たんだと思うの。でも、その後の足取りがはっきりしなくて……。どうして純子に電話をしたのかも、全然わからないのよ」

「そう」

 私は頷いた。

「純子、電話で何か言ってなかった? うちの主人のこととか」

 たしかに言っていたが、その話をするのはためらわれた。

「いや、別に何も言ってなかったと思うけど」

 私はウーロン茶を一口飲んだ。岡村も、隣でわざとらしく頷いている。

「京子、相変わらず嘘を付くのが下手ね。――私、知ってたのよ。愛と主人のこと」

 グラスを持つ手が、思わず止まった。

「いつから?」

「夏の食事会の時から、かな」

 美智江はそう言うと、ふっと目を伏せる。私はグラスをテーブルに置き、尋ねた。

「何がきっかけで?」

「香水よ」

「香水?」

 私は聞き返した。

「主人が、よくクリスタルホテルに泊まっていたこと、知ってるでしょ?」

 ためらいがちに頷くと、彼女は小さく溜息を吐いた。

「時々、着替えを持って訪ねてたんだけど、彼の洗濯物から香水の香りがすることがあってね」

 かけるべき言葉が見つからず、私は黙って頷いた。

「そしたら、この間の食事会の時、同じ香りのする香水を愛が着けていたの。気が付いた時はショックで、食事をする気にもならなくて……」

 そう言えば、彼女は先付になかなか手を付けなかった。そのせいだったのか。

「だから、警察で愛とのことを聞いた時にも、全然驚かなかったわ。やっぱりって感じだった」

「そうだったんだ」

 かろうじて頷くと、私は再び、ウーロン茶を流し込んだ。

「それにしても、中西君、どうしてうちの主人まで……」

 美智江が辛そうに言う。

「まだ、中西が犯人と決まったわけではありませんよ」

 岡村が口を挟んだ。

「うん。私もそう思うわ。中西君、人を殺せるような人じゃないし」

 私も、自分に言い聞かせるように言った。

「じゃあ、犯人は一体、誰なの?」

 美智江が私の目を見つめる。

「主人を殺した犯人は、一体誰なのよ」

 彼女の目には、涙が溜まっている。目を合わせているのが辛くなり、私はそっと目を逸らした。

 彼女は、バッグから白いハンカチを取り出し、目元をぬぐっている。そして顔を上げると、一生懸命微笑んでみせた。

「ごめん。なんか、混乱しちゃってて……」

「ううん」

 私もぎこちなく微笑み返す。

「それで、中西君の居場所に心当たりとかないの?」

 美智江が、ハンカチをバッグに戻しながら尋ねる。岡村が辛そうに答えた。

「ないんですよ。今も、その話をするつもりで、学食で待ち合わせてたんですけどね」

「そうだったんですか」

 彼女はうつむいた。

「早く見つかってくれるといいんだけど……」

「あなたは……」

 岡村に声をかけられ、美智江が再び顔を上げる。

「1日の午後10時から12時頃と、8日の午後10時頃、どこにいはったんですか?」

 美智江の頬に、さっと赤い色が走った。

「ちょ、ちょっと岡村さん、何聞いてくれてるんですか?」

 私は、驚いて彼の方を見た。

「私のアリバイってことですか?」

 美智江が尋ねる。岡村は黙って頷いた。

「1日の夜には、私は友達のお宅にお邪魔していましたし、8日はボランティアグループの懇親旅行で、奈良のホテルに泊まってました。調べていただければわかると思いますけど」

 美智江は岡村の目を見つめたまま、きっぱりと答えた。

「そうですか。いや、ご主人のことご存じやったってお話やし、念のためと思いまして」

 岡村が納得したように微笑む。

「もう、本当に。ごめんね、美智江」

 私は、右手で岡村の腕を叩くと、美智江の方を見た。

「いいのよ。警察でもしつこく聞かれたわ。でも、きちんと証明されたってことで、容疑者からは外してもらえたみたいだけど」

「そう。よかった」

 私は頷いた。

「あ、ごめんなさい。私、そろそろ行かないと」

 美智江に言われて時計を見ると、もうすぐ3時になろうとしている。

「うん。気を付けてね」

 私の言葉に頷き、彼女は立ち上がった。

「主人のお葬式、できれば身内だけで済ませたいと思ってるの。事情が事情だし……。実は、社葬も断ろうかなって」

「そう」

 美智江の心中は、察するにあまりある。

「警察で、純子のお母さんにお会いしたんだけど、彼女の方もお葬式は出さないって」

 私は黙って頷いた。


(2)


 駅まで美智江を送った後、私と岡村は大学に向かって歩き始めた。

「ああ、そうや。中西のことで頭いっぱいで忘れとった」

 大学の正門が見えて来たところで、岡村が口を開いた。

「南山科の生涯学習の話、前にしとったやろ?」

「ええ」

 私は頷いた。

「来週の月曜日、俺の代わりにやってくれへんかなあ。古代史でOKやし」

「ちょ、ちょっと待って下さいよ。来週の月曜日って言ったら、もう何日もないじゃないですか」

「何でもええねん。ちょっと話したってや。俺、どうしても調べにいかなアカン史料があるねん」

「でも……」

 私が焦りまくっていると、岡村はこともなげに言った。

「間に10分の休みを挟んで、50分、50分や。大したことないやろ」

「大したことありますよ。何を簡単に……」

「もう断られへんで。俺、館長に大丈夫やって答えてもうたし」

 岡村が笑いながら私の方を見る。

「それに、講義一回するだけで、8千円やで」

「ほんとですか?」

 素早く時給を計算している自分に気付き、何となく悲しい気分になる。

「――いや、別にお金はどうでもいいんですけど、何を話したらいいのか……」

「この間の勉強会のネタ、そのまま持って行ったらええやんけ」

 岡村に言われ、思わず手を打った。

「ああ、そうですね。合計100分だったら、ちょっと付け足せばいけるかな」

「いけるいける。心配やったら、事前に内容、確認したるわ」

 不安はあったが、私は頷いた。

「わかりました。ただし、どうなっても知りませんよ」

 岡村は楽しそうに笑う。

「大丈夫、大丈夫。ほんなら、9時30分から講義開始やから、9時には資料館に行ってくれや。レジュメはその時にコピーしたらええし。――今日みたいに、寝坊せんように」

「はあい」

 痛いところを突かれて、私はペロッと下を出した。

「中西のことも話したかってんけどなあ。俺、これから森山先生んとこに行かなアカンねん。せやから、またゆっくり話そうや」

「今日の夜はどうですか? 私、空いてますけど」

「それが、今日は俺がアカンねんなあ」

「バイトですか?」

 私が尋ねると、彼は残念そうな表情で頷いた。

「そうやねん。京都青少年センターの宿直や。知ってるやろ? 西陣にあるとこ」

「ええ。知ってますよ。ラグビー部に代々伝わってるバイトですよね?」

 私は学生時代、ラグビー部に所属している男性と付き合っていた。岡村の後輩で、私にとっては初恋の人。その彼も、たまに青少年センターで宿直をしていた憶えがある。

「おお。そうやねん。あそこやったら、電話番してるだけやし、静かやし、論文考えるのもはかどるねん。で、たまに俺にも回してもうてるってわけや」

「そうなんですか。じゃあ、また明日大学ででも。生涯学習のレジュメ、作らなくちゃいけないから、図書館に来ますよ」

 私が微笑むと、彼も嬉しそうに微笑んだ。

「おう、ほんなら、俺も覗いてみるわ。また明日な」


(3)


 帰り道に買った食料品を冷蔵庫に入れる。

「たまには自炊もしなくちゃね」

 ひき肉、卵、お豆腐におくら。タマネギは冷蔵庫に常備されているし、今日はオムレツとお味噌汁でも作ろう。

 お米を研ごうと立ち上がった時、電話が鳴り始めた。

「はいはい」

 言いながら受話器を取り上げる。

「もしも……」

 こちらが応じる前に、向こうから大声が聞こえて来た。

「近藤、これからヒマか?」

 それは岡村だった。

「あ、はい。どうしたんですか?」

 少し受話器を離して尋ねる。

「俺、今、家にいてんねん。バイト行く前にシャワーだけ浴びて行こうと思って、一度戻って来てんけどな」

「ええ」

 私は頷いた。

「留守電に、中西から伝言が入っとってん」

「中西君からですか?」

 思わず受話器を持ち直した。

「おお。びっくりしたで」

 岡村は続ける。

「6時にからふね屋で待ってるって」

「6時?」

 電話の横にある目覚ましを見る。針は、5時40分になろうとしていた。

「もうすぐですね」

「そうやねん。青少年センターに来るように伝えたくて、携帯に何度もかけてんねんけど、あいつ、電源切っとってな。連絡つかへんねん」

「そうですか」

 私が頷くと、岡村は考え込むような声で言った。

「ほんまは直接警察に行かせる方がええんやろけど、あいつ、意外と肝の小さいところがあるからなあ。話を聞いた上で、一緒に警察に行ってやろうと思って」

「そうですね。その方がいいかもしれませんね」

 取り調べがきつかったと弱音を吐いていた、中西の青い顔を思い出す。私は頷いた。

「それでなあ」

 岡村が申し訳なさそうに続けた。

「悪いねんけど、お前、これからからふね屋に行って、中西を青少年センターまで連れて来てくれへんか? 裏口のインターホン鳴らしてくれたら、すぐカギ開けるから」

「ええ。わかりました。裏口のインターホンですね」

 言いながら時計を見る。時間は既に5時45分。

「そうや。頼んだで」

 岡村の言葉に頷いて受話器を置くと、大急ぎで家を飛び出した。

 バス停まで走る。大学のそばにあるからふね屋までは、バスで10分。すぐに来てくれれば、間に合うだろう。

 信号を渡ればバス停、という所まで来たところで、大学方面に向かうバスが出発するのが見えた。

「ちょっと待ってー!」

 道のこちらから叫んではみたが、停まってくれるわけがない。バスは無情にも、角を曲がり、見えなくなってしまった。

 次のバスが来るまで、約10分。間に合わない。

「あっ、タクシー」

 反対車線を、流しのタクシーがこちらに向かって走って来るのが見える。私は両手を上げ、振り回した。

「よかった」

 私に気付いたタクシーは、Uターンして私の前に停まった。

「市立自然園前にある、からふね屋まで行って下さい」

 開いたドアから中に入り、シートに沈み込む。まだ息がおさまらない。

「それにしても……」

 中西は、今までどこにいたんだろう。逃げ回っているということは、やはり事件に関わっているのだろうか。

 彼を信じたい、でも……。

 複雑な想いが心に渦巻く。

 やはりタクシーは早い。さっき、私を置いて行ったバスにすぐに追い付き、そして抜かしていった。この調子なら、あと5分もしない内にからふね屋に着けるだろう。

 中西を待たせたくなかった。警察は彼を探し回っている。大学のそばでウロウロしていたら、見つかってしまう可能性が高い。

「とにかく、会って話を聞かなくちゃ」

 流れ去っていく景色を見ながら、私はつぶやいた。


(4)


 からふね屋に到着した。ここから青少年センターまでバスで行く手もあるが、やはり公共の乗物は避けた方がいいような気がする。

「すみません。もう一件、お願いしたいんです。少し待っていていただけますか?」

 運転手にそう声をかけ、私はタクシーから降りた。

 からふね屋に入ると、店内を見回す。入り口からは陰になっている席に、中西の後ろ姿を見つけた。

 小走りに彼のそばに向かうと、驚かさないようにそっと肩を叩く。

「近藤?」

 中西が、振り返って意外そうな顔をした。

「岡村さん、バイトで来られないのよ。――私と一緒に来て」

「どこに?」

 少しやつれたようだ。私は小さな声で答えた。

「岡村さんのバイト先。宿直だから」

「あ、ああ。わかった」

 中西は旅行バッグを肩にかけると、レシートを持ち立ち上がった。

 レジでお金を払い、走ってお店を後にする。自動ドアの前には、先ほどのタクシーが待っていた。

「早く乗って」

 開いたドアから、中西を奥に押し込み、私も乗り込んだ。

「京都青少年センターまで」

 ドアが閉まり、タクシーが走り出す。

「ごめんな、近藤。心配かけてもうて」

 中西が、蚊の鳴くような声で言う。横顔が、かなり疲れていた。

「いいよ。どうせあんまり寝てないんでしょ? 着いたら起こしてあげるから、寝ときなよ。って言っても10分くらいだけど」

「ありがとう」

 中西は、そっと目を閉じる。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 私は小さく溜息をついた。


(5)


「おお、よく来たな」

 言われた通り裏口に回ると、岡村はすぐに出て来た。

「まあ、入れや」

 岡村に促され、私達は中に足を踏み入れた。

「はい、これ」

 畳が敷かれた宿直室に入り、適当に座り込んだところで、岡村に缶コーヒーを渡される。

「ありがとうございます」

 中西は申し訳なさそうに頭を下げていた。

「――なあ、きちんと話してくれるよな?」

 中西がコーヒーを一口飲んだところで、岡村が話しかける。彼は小さく頷くと、口を開いた。

「俺、はめられたみたいなんです」

「はめられた? どういうことや?」

 岡村が中西の顔を覗き込む。

「愛の事件? それとも、純子の事件?」

 私も彼の顔を見つめた。

「両方や」

 彼は顔を上げて、私達を見回した。

「愛ちゃんの事件の時は、誰かから携帯に電話があったんです。公衆電話になってたんで、誰からかはわかれへんのですけど。しかも、ひそひそ声やったんで、性別もあやふやです」

 私達は頷いた。

「愛ちゃんの事務所にすぐに来いって。10時50分くらいやったと思います。うちのアパートからあそこまで5分くらいしかかかれへんし、11時少し前に着いたんですけど」

「おかしいやんけ。お前、愛ちゃんには8月に一度会っただけやって言うてたよな? ほんなら、何で急にそんなこと言われて、出向くんや?」

「それは……なんとなく」

 中西がうなだれる。私は思わず口を挟んだ。

「そういう細かいことは、また後で聞きましょうよ。中西君、その時事務所で何があったのか、教えて」

 中西が顔を上げる。

「それが……わけがわかれへんねん」

「え?」

 私と岡村は、同時に聞き返した。

「事務所、カギはかかっとってんけど、呼び出された電話でカギの隠し場所を告げられてたんで、それを使って中に入れたんや。で、手探りで電気を付けて……。恐る恐る奥に入って行って。そしたら……」

「そしたら?」

「絨毯にすごい量の血が付いてて……。俺、何がなんだかわかれへんようになってもうて、そのまま逃げ出したんや」

「絨毯にすごい血? でも、ニュースでは、事務所には痕跡はなにもなかったって……」

 私は不思議に思い尋ねた。

「そうやねん。俺もびっくりしてもうて……。でも、ほんまやねんで。ほんまに俺、この目で見てんから。部屋のど真ん中あたりにべったりと……」

 どういうことだろう。私と岡村は顔を見合わせた。

「となると、誰かが絨毯を敷きかえたってことになりますよね」

 私が言うと、岡村が頷いた。

「それができるのは、静世ちゃんしかおれへんのちゃうか?」

「じゃあ、静世が愛を殺したってことですか?」

 私は驚いて岡村の方を見た。

「いえ、それは違うみたいです」

 中西が言う。

「警察で聞いたんですけど、静世ちゃんにはアリバイがあったらしいんです」

「アリバイ?」

 私は尋ねた。

「うん。何でも、事務所の裏にあるファミレスで商談の最中やったらしい」

「そう言えば、ガストがあるよね。あそこ」

 私の言葉に、中西が頷く。

「資料を忘れたって一旦、喫茶店を出たらしいねんけど、5分くらいで戻って来たって」

「5分か……。刺したんやったら返り血も浴びてるやろし、着替えてたとしたら5分では無理やろなあ」

 岡村が首を傾げる。

「その時、静世は愛に会ってるの?」

「それが、静世ちゃんはお店にしか寄ってへんから、異変には気付かへんかったらしいねん」

「絨毯のことは、何て?」

 今度は岡村が尋ねる。

「彼女は、血の跡なんてなかったって言うてるらしいんです。絶対おかしいと思うんですけど」

「で、警察は?」

「事務所でもお店でも、血痕なんて発見されなかったそうです。タイル状になってる絨毯なんで、部分的に取り替えることはできるらしいんですけど、特注品でスペアもなかったらしくて……」

「つまり、敷きかえてへんってことか?」

 岡村に聞かれ、中西が頷く。

「その……中西君が血痕を見た時間は11時頃だったわよね?」

 私は中西に問いかけた。

「ああ。静世ちゃんが一旦事務所に戻ったんは、10時20分頃やって」

 岡村は黙って腕を組んでいたが、やがて中西の顔を見た。

「警察から教えられた情報は、それだけか?」

「あとは……愛ちゃんの車が車庫から出て来るところを見たって言う人がいたって」

「運転してたのは、誰だったの?」

 私の質問に、中西は首を傾げた。

「それが、目撃した人達は、愛ちゃんやって言うてるらしいわ」

「顔が見えたんか? 夜やし、見にくかったんちゃうん?」

 岡村が首を傾げる。

「車庫の前には街灯が付いていて、裏のファミレスからはよく見えるらしいんですよ。それに、愛ちゃんの帽子をかぶっていたみたいで。かなり特徴のある帽子で、一点モノみたいです。彼女が愛用していたサングラスもかけていたそうですし」

「そんなもん、誰かが愛ちゃんのフリして、かぶっただけかもしれへんやんけ」

「僕もそう思います。ただ……」

「ただ、何?」

 私は尋ねた。

「それが愛ちゃんやって証言したの、静世ちゃんやったらしいねん。一緒に居た人達も、愛ちゃんやったんちゃうかって言うてるみたいで」

「そっか。静世は、裏のファミレスにいたんだったわね」

 私が確認すると、中西が頷いた。

「それは、中西君が血痕を見た、前? それとも後?」

「前らしい。静世ちゃんがファミレスに戻って来て20分くらい経ってたって話やから、10時45分くらいやろなあ」

 中西の話を聞いて、岡村が腕を組んだ。

「もし、静世ちゃんが見た人物が愛ちゃんやったとしたら、中西が見た血痕は、誰の血やったんや?」

「殺されたのは愛なんですから、愛の血なんじゃないですか?」

 私が言うと、岡村は私の顔を見た。

「それやったら、何で愛ちゃんが車を運転してんねん」

「さあ」

 私が首を傾げると、中西が口を挟んだ。

「静世ちゃんは12時過ぎに帰ったらしいねんけど、その時はまだ、愛ちゃんの車は戻ってへんかったらしいねん。せやけど、翌日の朝出社した時には戻ってたって」

「中西、もう一度聞くで。血痕があったことは間違いないねんな」

 岡村が、中西の方を見る。

「間違いありません」

 中西はきっぱりと言い切った。


(6)


 私達はしばらく考え込んでいたが、やがて岡村が顔を上げた。

「細かいことは後で考えるとして、純子ちゃんの時はどうやってん」

「純子ちゃんの時?」

 中西が岡村の顔を見る。

「お前、純子ちゃんにゆすられとったんちゃうんか?」

「どうしてですか?」

 中西は驚いた顔をした。

「銀行の防犯カメラに写ってたらしいで。お前の姿が」

「そうですか……」

 彼は唇を噛んでうつむいている。答えをしばらく待ったが、彼は口を開こうとはしなかった。岡村がついに音を上げる。

「わかった。その話も、またおいおいしよう。で、何で、京都クリスタルホテルにおったんや?」

 中西は泣きそうな表情で岡村を見た。

「実は、あれも、誰かにはめられたんですよ」

「どういうこと?」

 私が尋ねると、中西は私の方を見た。

「携帯に電話が入ってなあ。公衆電話ってなってたわ。『クリスタルホテル501号室に来い。無実を証明してやる』って言われて」

「また、男か女かもわかれへんのか?」

 岡村が聞く。

「それが、くぐもってて、はっきりとは……」

 中西はバッグから携帯電話を取り出し、なにやらボタンをピコピコと押して、私達の前に差し出した。

「ほら、これです」

 発信元は公衆電話となっている。

「いつもはすぐ消してしまうんですけど、愛ちゃんのこともあったんで、残しておいたんですよ」

「時間は……?」

 岡村が私から携帯を受け取る。

「11月8日19時32分、か」

「純子達が殺される少し前ですね」

 私が岡村に同意を求めると、彼は頷いた。

「ほんまやな。――で、すぐに出かけたんか?」

「ええ。ホテルに着いたのは、たしか8時ちょっと前やったと思います。501号室のチャイムを鳴らしたら、男の人が出て来て……。話をしたんですけど、まったく要領を得なくて、『これから出かけるから』って、無理矢理ドアを閉められました」

 中西が答える。

「なるほどな。それで、従業員には言い争ってるみたいに見えたんやな」

 岡村が、携帯を中西に返しながらつぶやく。

「ねえ、中西君。その人、美智江のご主人だったんだけど、そのこと知らなかったの?」

 私が尋ねると、中西は情けない顔で頷いた。

「ニュースで見て、初めてわかったんや。その時はその人が一体誰なのか、知らんかった」

 その表情を見る限り、嘘とは到底思えない。

「純子ちゃんのところにキャッチが入ったのは、8時半頃やったって言うてたな?」

 岡村が私の方を見る。

「ええ。時計を見たから間違えありません」

「そうか」

 岡村は顎に手を当てて、目を閉じた。

「美智江ちゃんの話やと、純子ちゃんにかかった電話は、美智江ちゃんのダンナの携帯からかけられたもんやったな?」

「ええ」

 私は頷いた。

「で、中西のところにかかって来た電話は公衆電話。何でやろ?」

「どうしても身元を知られたくなかったんでしょうかね」

 思い付いたことを言ってみる。

「たしかに、公衆電話やったら、身元はわかれへんわな」

 岡村は頷いた。またしても、沈黙が流れる。

「それにしても、お前、何で逃げたりしたんや? 今の話すれば、警察もわかってくれるやろう」

 岡村が困ったような表情で中西を見た。

「前日に会った男の人――美智江ちゃんのご主人が殺されたって聞いて、怖くなってもうて。それで、つい……」

「しゃあないやつやなあ」

 岡村の言葉に、中西がうなだれる。

「明日、朝一番で、警察行こう。俺も付いていってやるから」

「大丈夫でしょうか?」

 中西が顔を上げた。今にも泣き出しそうだ。

「しっかりせえや、ほら」

 岡村が、中西の頭を軽く小突く。

「すんません」

 中西は、少し照れたように軽く頭を下げた。


(7)


「あ、そうだ」

 私の声に、2人がこちらを見た。

「中西君、ボルネオフラワーって知ってる?」

「ああ。ボルネオ島の人達が彫ることがある、刺青のモチーフやろ?」

 中西が答える。

「その通り」

 私は頷いた。

「それがどうかしたんか?」

 中西が不思議そうに尋ねる。

「そのマークが、愛ちゃんと純子ちゃん、美智江ちゃんのダンナの腕に描かれていたらしいねん。タトゥ――ボディペインティングって言うんかな? ヘナ粉とかいうやつを使うらしいねんけどな」

 岡村の言葉に、中西は驚いたような顔をした。

「ボルネオフラワーのタトゥ……?」

 その様子に、岡村が鋭い視線をくれる。

「心当たりがあるんか?」

「あ、いえ」

 中西はぎこちなく微笑んだ。

「なあ、中西。俺らには、隠し事すんなや。お前のこと信じてるから、こうして話を聞いてるんやからな」

 岡村が中西の目を見つめて言う。中西は、ふっと目を逸らすと頷いた。

「よし、ほんなら、そこのホカ弁で何か買うて来るわ。晩めし、まだやろ?」

 岡村が明るい声を出す。

「あ、本当ですね。すっかり忘れてました」

 私が答えると、岡村が目を丸くして言った。

「お前がメシのこと忘れるなんて、珍しいこともあるもんやなあ」

 そして、中西の方を向く。

「明日はヤリが降るで。外歩かんようにせな」

 中西は、岡村に話し掛けられたことに気付かず、ぼうっと一点を見つめて黙っている。岡村は、私の方にちらっと目をやると、再び中西に話しかけた。

「何、買ってきたらええかな?」

 中西は、なおも黙り込んだままだ。

「私、ロースカツ弁当!」

 私は、わざと勢い良く手を上げてみせた。

「わかった、わかった。おい、中西は? ――中西って」

 岡村が中西の肩を叩くと、彼は初めて気が付いたように、こちらの方を見た。

「え? 何ですか?」

「晩メシや。そこのホカ弁で買ってこようと思ってな。――近藤はロースカツ弁当やったな?」

 岡村が私の方を見る。

「ほんなら、僕も同じので」

 中西が小さな声で言った。

「わかった。ほんなら、俺も同じのにしよ。味噌汁は適当に選ぶで」

 岡村が微笑んで立ち上がった時、玄関のチャイムが鳴った。

「誰やろ、こんな時間に」

 時計は7時半を差している。すると、またチャイムが響いた。

「はい」

 岡村が、インターホンを取り上げる。

「え? あ、あの、ちょ、ちょっと待って下さい」

 彼が答えている間に、裏口のドアをコンコンと叩く音がし始めた。岡村がインタ-ホンを置き、こちらを見る。

「安永さんと山田さんや」

「え?」

 中西が立ち上がった。

「何でここが?」

 私もつられて立ち上がる。

「わかれへん。とにかく、中に入ってもらうで。ええな?」

 岡村の言葉に、中西が青い顔で頷いた。ドアは、更に激しく叩かれている。

「今行きます」

 岡村は大声で叫ぶと、裏口に走って行った。

「中西君、さっき私達にした話と、同じことを話せばいいんだからね。大丈夫だから」

 私は彼に話しかけた。

 中西は何も言わず、うつむいている。目が泳いでいるのが、ここからでもはっきりわかった。

「さっき、からふね屋から連絡があってね。君の写真を渡しておいたから……。君達を乗せたタクシーを探すのに手間取ってしまったよ」

 廊下から安永刑事が現れた。

 タクシーよりバスの方がよかったか。心の中で舌打ちする。

「中西君、署まで来てくれるかな」

「中西君は誰かにはめられただけなんです。だから……」

 私は大急ぎで、安永刑事に話しかけた。

「そうなんです。中西は3人を殺してなんかいません。明日の朝一番で、警察に行こうって……」

 山田刑事と共に部屋に入って来た岡村が言う。

「まあ、詳しい話は、署の方でゆっくり聞かせてもらうよ」

 安永刑事が、中西の前に進み出た。

「別に、警察に行かなくっても、ここで聞かれたらいいじゃないですか」

 取調室で責められるのは、本当に辛い。私は思わず食ってかかった。

「もうええねん。ありがとう」

 中西が顔を上げた。

「もうええってどういういことや?」

 岡村が中西の顔を見つめると、彼は力無く微笑んだ。

「すみません。さっきお話したことは、全部嘘です。――3人は、僕が殺しました」

「中西!」

 岡村が中西の肩を掴んだ。

「何を言うてんねん。お前、さっきははめられたって……」

「せやから、嘘やったんです。すみません。お二人を裏切るようなことをしてしまって」

 中西は、岡村にぺこっと頭を下げると、安永刑事の方を見た。

「警察に行って、全部お話します。お手数をおかけしました」

 その言葉に、岡村が中西の肩から手を離す。

「中西君、どういうこと?」

 思わず走り寄ろうとした私の腕を、山田刑事が掴んだ。

「ご本人がそうおっしゃっているんですから」

 中西の方を見ると、彼は私の目を見て頷いた。顔色はまだ悪いものの、何かふっきれた様子だ。

「ごめんな、近藤」

 私がうつむくのを見て、山田刑事が私から手を離した。

「ほんなら、行こうか」

 2人の刑事が、中西の両脇を抱えるようにして部屋を後にする。ドアが閉まる音がしても、岡村はずっと動かなかった。

「岡村さん」

 そっと肩に手を乗せる。

「どういうことなんやろなあ」

 岡村は、私の方を見た。

「俺、めっちゃ混乱してるわ」

 私は黙って頷いた。正直な話、私にだって、何がなんだかさっぱりわからない。

「中西……」

 岡村が顔を覆ってしゃがみ込む。私も溜息をつくと、その場に座り込んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ