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クラスメイト  作者: 深月咲楽
4/10

第4章

(1)


「大変やで!」

 その朝、私は岡村からの電話で目が醒めた。時計は7時半をさしている。

「あ、お早うございます。何ですか?」

「何ですか、って、そんな呑気なこと言うてる場合とちゃうねん。純子ちゃんが、亡くなったみたいや」

「えっ?」

 寝ぼけた頭で聞いていた私は、一瞬にして飛び起きた。

「さっき、テレビのニュースでやっとったんや。今日の明け方、遺体が発見されたらしい」

「ちょ、ちょっと待って下さい。何チャンネルですか?」 

 手探りでリモコンを探し当て、大急ぎでテレビを付ける。岡村に教えられたチャンネルにしてみたが、既にニュースは終わったようで、天気予報をやっている。他のチャンネルも回してみたが、どこも同じ状態だった。

「ワイドショーでやりますかねえ」

 言いながら起き上がり、カーディガンをひっかける。

「そうやな。今、7時58分やから、あと2分くらいか」

「ええ。ワイドショーなんて大嫌いなんですけど、情報はたくさん得られるんですよね」

 私は、爆発気味の髪の毛を手で押さえながら言った。

「たしかに、大袈裟に報道されてる部分はあるけどな」

 岡村が溜息をつく。

 テレビからは、番組のエンディングテーマが、明るく流れている。次々と始まるCMをぼうっと眺めている内に、ワイドショーが始まった。

『今朝早く、比叡山の山中で、男女の遺体が発見されました。男性は、京都市内で損害保険会社に勤めている川上英寛さん。女性は、同じく京都市内で保険代理店に勤務している高階純子さんと見られています』

「うっそお」

 そのレポーターの言葉に、私は思わず声を上げた。

「どないしたんや?」

 岡村が、電話の向こうから尋ねて来る。

「この、川上英寛って人、美智江のご主人です」

「何やて?」

 岡村が大声を上げる。

『2人は、川上さんが所有する車の中で、並んで座っている状態で死亡していました。死亡推定時刻は昨日、8日の午後10時から11時の間。警察では、心中事件と見て捜査を進めています』

 昨日の午後10時? 純子からの電話が切れた後じゃないか。

 岡村が、不思議そうな声を出す。

「不倫なんかしとったんか?」

「そんなはずはないんですけど……」

 不倫の相手は愛だったはずだ。頭が混乱しまくる。

 テレビでは、コメンテーターなる方々が、知った風に『不倫の末の心中、やり切れないですねえ』などと語っている。私はリモコンでテレビを消した。

「岡村さん、一旦、電話切りますよ」

「どないしたんや?」

 岡村が尋ねる。

「警察に行きます」

「警察?」

 岡村は続けた。

「何でや? 何か心当たりでもあるんか?」

 私は頷いた。

「ええ。純子から電話もらったんです。昨夜」

「ほんまか?」

 岡村の声が緊張する。

「その電話の途中で、彼女の電話にキャッチが入ったんですよ。で、その後、『これから出かけなくちゃならなくなった』って、彼女、そう言ってたんです」

「何時頃や?」

「夜の8時半頃です」

 私の答えに、岡村は慎重に口を開いた。

「死亡推定時刻、昨日の午後10時から11時とか言うてたやんなあ。ということは、それからすぐ後か」

「ええ」

 私は頷いた。

「そんな、心中しそうな雰囲気やったんか?」

「いいえ。すぐに帰るって言ってました」

「すぐに帰る? ほんなら、何で心中してんねん。おかしいやないか」

「そうなんですよ。だから、警察に行こうと思って」

 私の言葉の後、少しあって、岡村が言った。

「俺も一緒に行くわ」

「え? でも、論文、大丈夫なんですか?」

 この大事な時期に、巻き込んでしまうのは申し訳ない気がする。

「気になってたら、余計にはかどらへんし。はっきりさせたいやん」

 岡村がさらっと答える。クラスメイトを立て続けに亡くしてしまった私を、彼なりに気遣ってくれているのだろう。

「ありがとうございます」

 私がお礼を言うと、岡村は照れくさそうに、ほな後でな、と言い、電話を切った。


(2)


 どの警察署に行けばいいのかよくわからなかったため、とりあえず安永刑事がいる洛北署に行ってみることにした。あそこなら歩いて行けるし、連絡だって取ってくれるだろう。

 純子からの電話の内容を岡村に伝えながら、洛北署に向かって歩いていると、前方からクラクションが鳴った。反対側の車線で信号待ちをしていたパトカーの窓から、山田刑事が顔を出している。

「お早うございます。大学ですか?」

「あ、いえ、これから洛北署にお伺いしようと思ってたんです」

 私が答えたところで、信号が青に変わった。彼は、

「ちょっと待って」

 というと、パトカーを少し走らせ、私達のちょうど横あたりで道路の端に寄せて止めた。私達は道を渡り、彼の方に歩み寄った。

「どういう御用件ですか?」

 山田刑事が、窓から顔を出す。

「あ、車道側じゃ危ないですね。歩道の方に回って下さい。降りますから」

 彼はシートベルトを外した。私達は言われた通り歩道に立って、彼が降りて来るのを待った。

「ごめんなさい、で、なんで洛北署に?」

 山田刑事は、私達の前まで来て、再び尋ねた。

「今朝、比叡山で起こった事件、あれ、心中なんかじゃありません」

「ええ、その方向で私達も動いてますよ」

 山田刑事はこともなげに答える。

「え?」

 私は驚いて聞き返した。

「でも、さっき、テレビでは心中だって……」

「あ、まだ発表されてへんかったんや」

 山田刑事はぺロっと舌を出して、頭を掻いた。

「まあ、すぐに発表されるとは思うんですけどね」

「詳しいことを教えて下さい」

 岡村が山田刑事に迫る。

「まったくもう、困っちゃうなあ……。まあ、いいか。純子さんの死因は絞殺。そして、川上さんは睡眠薬による中毒でした」

「死因が違うんですか?」

 私は口をはさんだ。

「ええ。解剖の結果、純子さんは睡眠薬を飲んで眠らされた後、午後10時から11時の間に殺害されたようですね。川上さんが睡眠薬を飲んだのも、その頃ちゃうかってことでした」

「そうですか、でも、それだけなら無理心中って可能性もありますよね。川上さんが純子を絞殺した後、睡眠薬を飲んで自殺した、とか」

 私が言うと、山田刑事は頷いた。

「たしかにね。でも、被害者3人とも、同じタトゥが入れられていたんですよ」

「タトゥ?」

 岡村が尋ねる。と、その時、山田刑事の携帯電話が鳴り始めた。彼は、ピッとボタンを押して何やら話すと、こちらを見た。

「すいません。実は、駅前のホテルまで、人を迎えに行くところやったんですよ。催促の電話がかかってきたんで、そろそろ……」

 山田刑事は腕時計を見た。

「詳しい話は、署の方でお願いできますか? 安永さんに連絡入れておきますから」

 彼は再び携帯を手にすると、ピピッとボタンを押して耳に当てた。

「やっぱり、殺人なんですね」

 電話中の山田刑事に聞こえないように、小声で岡村に話し掛ける。

「ああ、そうみたいやな。せやけど、なんで純子ちゃんと川上さんっていう組み合わせなんやろな」

 岡村が眉間に皺を寄せた。

「すみません。じゃあ、洛北署に行って下さい。玄関の所で安永さんが待ってはると思いますので。ほんなら、後ほど」

 山田刑事は大きな声でそう言うと、車に乗り込んだ。

 去って行くパトカーを見送ってから、道路を渡る。私達は再び、洛北署に向かって歩き始めた。


(3)


「さっき、山田からざっと聞いたけど、今回の事件で何か思い当たることでも?」

 正面に座った安永刑事に尋ねられる。

 私達は、会議室に通されていた。目の前には、プラスティックのカップに入ったコーヒーが置かれている。

「ええ。実は、昨日の夜なんですけど、私、純子と電話してたんです」

 途中でキャッチが入り、彼女が出掛けて行ったことを話す。彼は黙って聞き入っていたが、やがて口を開いた。

「誰と会うとか、言うてはらへんかった?」

「ええ。別に何も」

 私が言うと、彼は頷いた。

「電話では、他にどんな話をしたんかな?」

「他にって……。何か参考になりますか?」

 愛と美智江のご主人が不倫していた話です、なんて言うのは、何となく気がひける。私は少しためらった。

「全部、話しといた方がええんとちゃうか? 愛ちゃんの事件にも、何か関連があるかもしれへんし」

 岡村が横から声をかけてくる。

「愛ちゃんって――あの、羽場さんの事件にも何か?」

 安永刑事が身を乗り出した。

「お前が話しにくいんやったら、俺が話そうか」

 岡村が気遣うように言う。

「いえ、私が話します」

 意を決して顔を上げた時、ドアが開き、高橋刑事と山田刑事が入って来た。

「お早う」

 山田刑事が迎えに行った人物は、どうやら高橋刑事だったようだ。

「久しぶりだなあ。相変わらず気の強そうな顔しとる」

 高橋刑事が、私の顔を見て笑う。

「高橋さんも、ヒョロヒョロご健在で嬉しいです」

 私が答えると、彼はさらに楽しそうに笑った。隣で山田刑事が、目をきょろきょろさせている。

「近藤さん、どうやら今朝の事件で、かなり重要な情報を持ってはるみたいや」

 安永刑事が、高橋刑事の方を振り返りながら言う。彼らは従兄弟同士。こうして見ると、やはりどことなく似ている気がする。

「そう言えば、女性の方、君のクラスメイトらしいな」

 高橋刑事は、安永刑事の隣の椅子を引き、座り込んだ。安永刑事が、これまでの私の話を、かいつまんで説明する。

「で、他の話って?」

 高橋刑事に促され、私は純子から教えられた話をすべて聞かせた。

 重苦しい空気が流れる。

「不倫を目撃したのが半年前か。つながったな」

 高橋刑事が低い声で言うと、安永刑事が頷いた。

「山田、三条署に連絡して、裏を取ってもらってくれ。京都クリスタルホテルやで」

「わかりました」

 安永刑事の命を受け、山田刑事が部屋を出て行く。ドアが閉まるのを待って、私は尋ねた。

「つながったって、どういうことですか?」

「実はね、半年ほど前から、高階純子さんの銀行の口座に、毎月100万ずつ振り込まれていたんや」

「100万?」

「ああ」

 安永刑事は頷いた。

「その100万と愛の不倫が、どう関係するんですか?」

 嫌な予感を持ちながら、私は尋ねた。

「もともと、我々は高階さんが誰かをゆすっていたのではないか、と考えていた」

「まさか、純子がそんなこと……」

 立ち上がりかけた私を、岡村が制した。

「その相手は誰なんですか?」

「今、調べている最中や。今日中にでも、わかるとは思うねんけどな」

「ゆすっていた内容も、君の今の話のおかげではっきりしそうやな」

 高橋刑事が言う。私は思わず聞き返した。

「はっきりしそうって? じゃあ、純子は、愛の不倫の件で誰かをゆすっていたとでも、おっしゃるんですか?」

「ああ。それなら、高階さんと川上さんが顔見知りだったという可能性も出て来るしね」

 安永刑事が高橋刑事の後を引き継ぐ。

「それから、羽場さんの事件とも、何らかのつながりがあるのかもしれない」

「どういうことですか?」

 岡村が尋ねた。

「10月30日、つまり、羽場さんが殺害された前々日、いつもとは違う銀行から100万が振り込まれているんだ。10月分は既に振り込まれていたからね。これは、違う人物によって振り込まれたと考えるのが筋だろう」

 高橋刑事が答える。

「でも、その『純子がゆすっていた』っていうこと自体、事実かどうかわからないじゃないですか」

 純子がそんなことをしていたなんて、私はどうしても信じたくなかった。

「彼女には、かなりの額の借金があったんや」

 安永刑事が、悲しそうに私の方を見る。

「高階さん、あるホストに入れ込んでたみたいでね。借金をしてまで、貢いでいたらしいわ」

「貢いで……。ああ……」

 私は思わず溜息を吐いた。

 純子には、たしかに昔からそういうところがあった。好きになった男の子にはトコトン尽くしてしまうのだ。尽くして尽くして、尽くしまくって捨てられる。その繰り返しだった。

 お金では人の心をつなぎ止めることなんてできない、と忠告する私に、彼女はいつも笑って答えたものだ。

『でも、好きな人が喜んでくれる顔を見ると、ついついね』

 ――その結末がこれなのか。変わってしまったって、こういうことだったのか。

 私はやり切れない気持ちで、目を閉じた。


(4)


「そう言えば、タトゥってなんのことですか?」

 岡村が思い出したように尋ねる。2人の刑事は顔を見合わせた。

「何でそのことを?」

 安永刑事が私達の方を見る。言えばまた、山田刑事が怒られることになるだろう。私達は答えずにいた。

「ああ、山田か。まったくあいつは……」

 私達の態度から察したのだろう。安永刑事は呆れたように溜息を吐いた。

「仕方ないな。――君達、ボルネオフラワーって知ってるか?」

「何ですか? それ」

 岡村が尋ねる

「ボルネオ島の人々が入れている刺青のモチーフのひとつらしい。何でも、死んだ時に天国に導いてくれるって言われてるとか」

 安永刑事が答える。

「そうなんですか。でも、それが何か?」

 私の質問に、今度は高橋刑事が答えた。

「羽場さんと高階さん、そして川上さんの左腕から見つかったんが、そのタトゥやったんや」

「タトゥって刺青ですよね?」

 私は尋ねた。

「いや、今回のものは、刺青というよりもボディペインティングっていう方が近いかな」

 安永刑事が続ける。

「羽場さんは、大のボルネオ好きでねえ。何度も訪れていたらしいし、ボルネオフラワーをモチーフにした小物も集めていた。描かれていた場所が左腕だったこともあって、自分で描いたものなのか犯人が描いたものか、判断し切られへんかったんや」

「それが、今回の事件の被害者達からも見つかった……つまり、この2つの事件には、何らかの関係があるってことですね?」

 岡村の言葉に、2人の刑事が頷く。

「ああ。となると、今朝の事件も心中ではない可能性が出て来る」

「同一犯によって殺されたってことですか?」

 岡村が尋ねる。

「可能性は高いね」


(5)


「あ、そうや。高橋さん、実はちょっと、お伺いしたいことがあったんです」

 長い沈黙を破り、岡村が顔を上げた。

「これだけの情報を提供したわけですから、教えて下さいますよね」

「何かな?」

 高橋刑事が岡村を見つめる。

「これなんですけどね」

 岡村は、バッグの中から1枚のコピーを取り出した。名古屋在住の大学生、飯倉正紀が殺害された事件に関するものだ。高橋刑事は、それを手に取ると、驚いたようにこちらを見た。

「これは?」

「高橋さんが田代先生のところに来はった時、『甥のマサキさん』って声が耳に入ったんです。で、こいつが山田さんから聞いた『7年前に名古屋殺された大学生』っていう情報を合わせて考えたら、この記事に辿り着いたわけです」

 岡村が説明すると、高橋刑事は大きく溜息をつき、コピーをテーブルの上に置いた。

「愛の事件と、関係があるんですか?」

 私は尋ねた。

「関係があるかどうか、まだ捜査中の段階だ」

 高橋刑事はそう言いながら、上着の内ポケットから手帳を取り出した。

「事件の概要は、新聞に載っていた通りだよ」

 私達は頷いた。

「空になった財布が落ちていたっていうのは、知ってるね」

「正紀さんのお財布ですよね。強盗殺人だってことでしたけど?」

 私が尋ねると、高橋刑事は頷いた。

「ああ。表向きはね。ただ、それではどうにも説明のつかない点があったんだ。ちょっと上の方からお達しがあって、公表できなかったんだけどね」

 被害者の飯倉正紀は、国会議員の孫だった。おそらく、その筋から圧力がかかったのだろう。高橋刑事は、頭をポリポリと掻くと続けた。

「実は、発見された時の飯倉正紀の衣服が、えらく乱れていてね」

「強盗に遭ったんやから、当然やないですか?」

 岡村が尋ねる。

「いや、それがねえ。発見された時、ジーンズのファスナーにトランクスの一部がはさまっていて、半開きになっていたんだ。強盗が、そんな所まで開けると思うかい?」

「じゃあ、どういうことになるんですか?」

 岡村が聞いた。

「ファスナーは、彼自身の手によって下げられた、と考えるのが妥当だろう。そして、ファスナーを上げたのは犯人。しかし、トランクスがはさまってしまい、上手く上げ切ることができなかった」

 高橋刑事の見解に、岡村が苦笑する。

「立ちションでもしようとしとったんかな?」

 高橋刑事は首を横に振った。

「その可能性は低いね。――彼の遺体のそばから、引き裂かれた女性の下着が発見された。ごく一部やったんやけどねえ。そして、彼の爪の間からも、その下着と同じ繊維が検出されたんだ」

「ってことは……」

「ああ。痴漢行為を行おうとした時に、何者かに襲われた、と考えるべきだろうね」

 高橋刑事が答えた。

「で、その女性は……」

「解剖の結果、性交渉に及んだ形跡は見つからなかった。つまり、最悪の事態になる前に、その女性は逃げ出せたと考えられる」

「よかった」

 殺人事件に発展しているというのに不謹慎だとは思ったが、思わず口に出てしまった。

「で、それが今回の事件と、どう関係してるんですか?」

 岡村が、神妙な面持ちで尋ねる。

「実は、捨てられていた彼の財布から、飯倉さん以外の人物の指紋が検出されたんだ」

 高橋刑事が言う。

「それは、新聞の記事で見ました。雨が降っていたのに、その指紋は消えなかったんですね」

 私は、不思議に思っていた点を確認した。

「ああ。道路の脇に生えていた雑草の陰に落ちていてね。それに、小銭入れの内側の部分からも、指紋が見つかっている」

「そうなんですか」

 納得して頷くと、高橋刑事は話を続けた。

「その検出された指紋が、今回の事件に関連している人物のものと一致したんだよ」

「誰ですか?」

 岡村が尋ねる。

「――羽場愛さんだ」


(6)


 私は、ベッドの上に寝転がり、じっと天井を見つめていた。もう夜中の3時を過ぎているというのに、一向に眠くならない。

「愛がまさか……」

 頭の中ではずっと、高橋刑事から聞いた話がぐるぐると渦巻いている。

 その内容は、私の想像の域を越えていた。


++++++++++


「恐らく、襲われたのは羽場さんじゃないかと思うんだ」

 高橋刑事は、辛そうな表情でそう言った。

「あの日は雨が降っていた。飯倉さんの前頭部の傷は、襲われた羽場さんが抵抗して、傘で殴りつけた時にできたものだと思う」

 私は頷いた。

「そこでひるんだ飯倉さんの手から逃げ出し、彼の後頭部を石で殴りつけた」

「で、飯倉さんが死んでしまったために、強盗の仕業に見せ掛けようとした、そういうことですか?」

 岡村が続きを予測して尋ねると、高橋刑事は頷いた。

「ああ。飯倉さんのズボンのファスナーを上げ、財布を取り出して中身を抜き取り、道端に放り投げたんだろう」

「ちょっと待って下さい」

 私は慌てて口を挟んだ。

「そんなこと、できるはずがないじゃないですか」

 思わず立ち上がる。

「暴行されかけた女性が、そんなに冷静に行動できると思うんですか? どんなに恐ろしい思いをしたか……。パニック起こして、訳がわからなくなっていたに決まってるじゃないですか」

 と、それまで黙り込んでいた安永刑事が、口を開いた。

「たしかに、俺もそう思うわ。何件か、レイプ事件を捜査したことがあんねんけど、そんな冷静な行動をとれそうな被害者には、会うたことないで」

「それに、なんで愛がそんな時間に熱田区にいたんですか? 彼女の家は、瑞穂区のはずですよね?」

 私が高橋刑事に詰め寄ると、彼は上着の内ポケットから、小さく畳まれたコピーを取り出した。

「ここ、よく見てくれよ」

 テーブルに広げられたのは、名古屋市の地図の一部だった。熱田区の辺りを拡大したものらしい。彼は、赤いペンで書かれた○を指差した。

「これが、飯倉さんの遺体が発見された場所だ」

 私は頷いた。

「そして、ここが、羽場さんの実家」

 高橋刑事が指差した場所を見て、私は思わず声を上げた。

「ちょうど、区の境なんですね」

「ああ。実家の住所は瑞穂区になっているけど、羽場さんが利用していたバス停は熱田区にあった。この事件の現場は、彼女の通学路に当たるんだよ」

「帰り道で襲われたってことか?」

 安永刑事が高橋刑事の方を見る。

「当時、彼女は美術系の予備校に通っていた。その終業時間と当時の時刻表とを照らし合わせてみると、ちょうど飯倉さんの死亡推定時刻に一致するんだ」

「ちょっと待って下さい。その襲われかけた女性が、必ずしも愛ちゃんだったとは限らないですよね?」

 岡村が口を挟んだ。

「たしかにね。でも、飯倉さんの衣服に付着していた髪の毛の中に、羽場さんのDNAと一致するものがあった」

「そうなんですか……」

 私は、唇を噛んでうつむいた。

「仮に、襲われたのが愛ちゃんやったとしても、殺したのは誰か他の人物かもしれへん。彼女が襲われている現場を目撃した誰かが、背後から飯倉さんを殺害した、とは考えられませんか?」

 岡村が尚も食い下がる。

「その可能性はあるやんな。殺害した後、強盗を偽装したってことで」

 安永刑事が腕を組んだ。

「あ、せやけど、それやったら、財布に付いていた羽場さんの指紋の説明がつかへんな」

「襲われたのが他の女性で、愛が助けに入ったってことは?」

 私は顔を上げた。

「たしかに、飯倉さんの衣類からは、他の女性のものと思われる髪の毛も検出された。B型のロングヘア。O型のセミロング。それからA型の……」

「毛髪なんて、どこででも付着するものやからねえ」

 資料を読み上げる高橋刑事を補佐するように、安永刑事が口を挟む。

「つまり、可能性は捨て切られへんけど、断定することもできへんってことですか?」

 岡村が尋ねる。

「そういうことだ」

 高橋刑事が資料をテーブルに置いて、苦笑する。

「それに、君達の話から考えるとすれば、人を殺してそんなに冷静でいられるのかってことにならないか?」

「そう言われてしまうと、何も答えようがありませんけど……」

 私は溜息を吐いた。

「たまたまそこを通りかかった愛ちゃんが、落ちてた財布を拾って、そのまま元の場所に戻したとか?」

 岡村が、更に苦しい推測を試みた。

「拾っただけの人間が、小銭入れの中まで指を突っ込んだりするか? それに、髪の毛はどう説明するんだい?」

「やっぱり、無理ですねえ」

 高橋刑事に尋ね返され、岡村がうつむく。

「――その、襲われかけた件に関して、被害届は出されてないんですか?」

 私は高橋刑事の方を見た。

「ああ。該当する届はなかったよ」

 彼は答えた。

「なかなか、被害届を出す女性は少なくてね。もし出してくれたとしても、警察で根掘り葉掘り聞かれるうちに、届を取り下げる人も多いんや。裁判では、大勢の人達の前で、また話をせなあかんし」

 安永刑事が、そう言って溜息をつく。

「たしかに辛いですよね。それは」

 私は腕を組んだ。


++++++++++


 襲われたのが、愛だったのかどうかはわからない。でも、事件に彼女が関係していたことは、間違いなさそうだ。

「今回の事件と、どう関わってくるんだろう」

 寝つけぬまま、寝返りを打った。遠くの方でバイクの音が聞こえる。

「朝刊? もうそんな時間?」

 枕元の時計を手にする。午前4時半。

「あ~あ」

 欠伸をして、腕を布団に潜らせる。私は再び、天井を見上げた。


(7)


 電話の音で目が醒めた。いつの間にか眠っていたらしい。

「誰よ、こんな早くに……」

 時計の針を見て、私は飛び起きた。

「11時? うそ?」

 電話はまだ鳴り響いている。私は頭を振りながら、受話器を手にした。

「もしもし」

 それは、岡村だった。

「なんや、近藤。まだ寝とったんか? 体調悪いんか?」

「いえ、単なる寝坊です。昨日、なかなか寝つけなくて……」

 言い訳をしながら、右の頬を叩いた。まだ眠気は去らない。

「そうか。まあ、今日は土曜日で授業ないしな」

「ああ、そうだ。今日、土曜日だったんですね。よかったあ、講義なくて……」

 私はホッと息をつきながら言った。

「おいおい、そんな呑気に喜んでる場合とちゃうねん」

 岡村の声が、少し小さくなる。周りを気にしているところを見ると、どうやら公衆電話からかけているようだ。

「何かあったんですか?」

 何となく胸騒ぎを憶えながら尋ねる。

「中西が……中西が、また警察に追われてるらしいわ。テレビでも、名前こそ出してへんけど、『重要参考人として京都在住の大学院生を探している』って言うてるし」

「中西君が? 何でですか?」

 いっぺんに目が醒めた。

「なんでも、8日の夜、クリスタルホテルで見かけられとったらしい。美智江ちゃんのダンナと、部屋の前で口論しとったって」

「それ、ホントに中西君だったんですか?」

「おお。ホテルの従業員が見てたみたいやで」

 岡村が溜息をついた。

「こんなんやったら、前の事件があった時、無理矢理にでも色々聞き出しといたらよかったわ」

「そうですねえ。――で、まだ見つかってないんですか?」

「おお。まだらしいで。あの山田って刑事、文学部棟の前で、中西探してウロウロしとってなあ。トッ捕まえて、細かいこと聞き出したったわ」

 きっと、後で安永刑事に絞られていることだろう。

「なんか、愛ちゃんの事件と今回の事件、合同捜査になったって。本部は洛北署に置かれてるらしい」

「そうなんですか」

「それにしても、中西は一体、どこに行ってもうたんやろなあ」

 岡村がぼやく。

「姿隠してたら、余計に怪しまれちゃいますよね」

 私が同調すると、

「ほんまやで」

 と、岡村は続けた。

「なんせ、両方ともの現場で目撃されてるわけやからなあ」

「たしかに……」

 思わず溜息が出る。

「それから、純子ちゃんがゆすってたって相手、わかったらしいねん」

「そうなんですか?」

 それが中西と何か関係があるんだろうか。私は受話器を握りしめた。

「なんや、銀行の防犯カメラの映像から割り出したらしいで。ご苦労なこっちゃ」

 岡村が苦笑いしながら言う。

「で、誰だったんですか?」

 私は尋ねた。

「半年前から毎月100万振り込んでたのが、愛ちゃん」

「愛?」

 思わず聞き返す。ゆすりに応じていたということは、やはり不倫は本当だったということか。

「それから、愛ちゃんの事件の前々日に振り込んだ人間は……」

「人間は?」

 私が促すと、岡村は低い声で答えた。

「中西やったらしい」

 私は絶句した。混乱し過ぎて、何をどう口に出したらいいのかわからない。

「聞いてるか?」

 受話器の向こうから、岡村の声がする。

「あ、ええ。すみません」

 私はようやく言葉を発した。

「でも、何で中西君が……?」

「そこんところが、ようわからへんねんけどなあ。100万円なんて大金、中西が払い続けられるわけないやろ? で、切羽詰まった中西が純子ちゃんを殺害した、とまあ、そんな風に警察は考えてるみたいやな」

 岡村が溜息を吐く。私は、気持ちを落ち着かせるために、大きく深呼吸をした。

「でも、どうして美智江のご主人まで、殺す必要があるんですか?」

 ようやく頭が回り始めた気がする。

「わからへんなあ。中西に聞いてみんことには」

「岡村さん、もしかして中西君を疑ってるんですか?」

 思わず声が大きくなった。

「そんなわけないやろ。ただ、何かを知っていることはたしかや。せやから……」

「せやから?」

「早く探し出さなアカンねん。もしかしたら、真犯人に殺されてまうかもしらん」

「そうか」

 私は受話器を持っていることを忘れて立ち上がった。電話機本体がぶら下がっているのを見て、慌てて座り込む。

「で、心当たり、あるんですか?」

「ない」

 あっさりと返され、私は溜息をついた。

「とにかく、大学に来いや。ちょうど昼メシの時間やし、学食で待っとくわ」

「わかりました。すぐ行きます」

 受話器を投げ付けるように置いて、立ち上がる。と、すぐに電話が鳴り始めた。

「また岡村さん、何か言い忘れたのかな?」

 何ですか? と言おうかと思ったのだが、この間の静世のようになっては困る。私は少しよそ行きの声を用意して、受話器を持ち上げた。

「もしもし」

「あ、京子? 私、美智江」

 思い掛けない人物からの電話。とまどいつつ、かける言葉を探す。

「美智江? あ、あの……大丈夫?」

 何だか間が抜けていると思いながらも、そんな言葉しか思い浮かばない。

「大丈夫……って言うと、嘘になるかなあ」

 美智江の声は、かなり沈んでいた。

「昨日の朝から、色んな話を聞かされて……。どうしたらいいか、よくわからなくなっちゃって……」

「そうだよね。そりゃ、誰だってそうだよ」

 言いながら、本当に気の毒な気持ちになる。自分の夫がクラスメイトと不倫していただけでもショックだろうに、他のクラスメイトと共に殺害されたのだ。混乱して当たり前だ。

「京子も、2年前はこんな気持ちだったんだろうね。私、自分がこういう立場に立たされるまで、思ったこともなかった」

 美智江の言葉に、私はどう答えたらいいのかわからず、黙って目を閉じた。

「あ、ごめんね。嫌なこと思い出させちゃったね」

 私の気持ちを感じたのだろうか、美智江は慌ててそう言うと、少し間を置いて話し始めた。

「中西君が重要参考人だって話聞いて、私、びっくりしちゃって……。私は8月の食事会以来、会ってないからよくわかんないんだけど、中西君って愛と何か関係があったの?」

「さあ。行方がわからなくなっちゃってて、話が聞けないのよね」

「そう」

 彼女の電話の背後からは、横断歩道の音楽が聞こえて来ている。

「今、外にいるの?」

 私は尋ねた。

「うん。洛北署の前にいるの。さっきまで、取り調べを受けてたから」

「大変だったわね」

 私が言うと、美智江は少し考えている様子だったが、やがて口を開いた。

「今から会えない?」

 彼女の言葉に、私は驚いた。

「私は構わないけど……。忙しくないの?」

「3時くらいまでなら……。4時に、主人の会社に顔を出すことになってるの。一応、役職に付いてたから、お葬式とかどうするかって、色々打ち合わせしなくちゃいけなくて。だから、それまで……ダメかなあ」

 ひとりでいるのが辛いのだろう。私は、わざと元気な声で言った。

「わかった。じゃあ、駅前の『ぽけっと』……」

 は、ピラフからゴキちゃんの足が出て来たとか言ってたなあ。違うところにしよう。

「じゃなくて、『フォルクス』わかる? そこから見えるんじゃないかと思うんだけど」

「うん。わかるわ」

「そこで待ってて。これから行くから――30分くらいかかると思うんだけど」

「構わないわ。待ってる」

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