精霊使い
さく、さく、と足を踏み出しながら二人はエトニアの街中を歩いていた。
スリンを抱いているので二人は目立ってしまう。
「これじゃあ町で紛れる前に捕まっちまう」
ディオネは困ったようにメルーナーを見た。
メルーナーにもその不安は感じていたようだった。
自分の術を破ったものを目にしたのだから当然だろう。
「うまくいくかは分からないが……」
そう言ってメルーナーは足を一歩踏み出した。
「オセカント・ノス」
そう繰り返しながら、ゆっくりと円を書く。すると、三人の周りに青白い炎が立ち上った。それはゆらりと揺れて、すぐに消えた。
「多分これで我々のことは人の心に残らないと思うが、さっきのこともあるので、油断はできない」
メルーナーより力のある魔術師のみ見える結界の中で、メルーナーはディオネに言い聞かせた。
「スリンを起こせ。ここからは一瞬が命取りになるかもしれない」
ディオネは頷き、スリンを起こした。
「なにかあったのですか」
そののんびりとした口調に、緊迫した状況であるにも関わらず、思わず笑みがもれた。
しかしすぐにその笑みを引っ込めてメルーナーは言う。
「追っ手がかかっている。ここからは我々は自分たちを守るために戦わねばならない。スリン、君は自分の身は自分で守れるか」
スリンは震えながら首を横に振る。
「何としてでも、身を守る術をみつけろ、スリン。リュウア家の子供ならそれくらいはいつかはやらねばならぬこと。ならば今やらずしていつやるというのか」
スリンは黙っていた。今放たれた言葉の意味を咀嚼するかのように、じっと黙って立っていた。
それを見てディオネが助け舟をだした。
「メルーナーも悪気があって言ったわけじゃない。
さっき彼の術が破られたので、動揺しているんだ。悪いな」
スリンは辛うじて頷いた。
しかし自分の身を守るすべといってもスリンには皆目見当もつかない。
そのときしばらく考えていたディオネが口を開いた。
「リュウア・スリン。君はフェリア(精霊使い)だ」
「フェリア?」
「その名の通り精霊を友として自分の元に置く能力を持つものたちだよ。
君は素晴らしい素質を備えた正真正銘のフェリア(精霊使い)だ」
ゆっくりとスリンの顔に安堵が広がった。
おそらく誰かに守られているばかりの存在ではないとわかったからだろう。その瞳には喜びが宿ってきらり、と揺らめいた。
「エトニアにいる間は気にしなくてもいいが、エトニアを出たら、ちゃんと見極めて精霊との契約をするんだ。
精霊にも階級がある。君は上位の精霊と契約を交わせる力がある。きちんと見極めるんだ」
「はい」
スリンはよく分からなかったが頷いた。
その時メルーナーが二人に向き直った。
「スリン、すまない。動揺をそのまま押し付けてしまった」
「いいわよ、気にしていないわ。さっきディオネさんからわたくしがフェリアだと聞いたから」
「フェリア?スリンがか?」
そう言ってスリンの瞳をのぞきこんだメルーナーは頷いた。
月光を切り取ったような銀色に輝く双眸が二人を見返していた。
「さすがは魔女の子。最高位のフェリア、か」
そう呟いたメルーナーをディオネは黙らせた。
スリンがその事を非常に気にしているということをメルーナーは忘れていたのだ。
「月の光を弾く瞳は最高位のフェリアの証であり、その力が解放されるまでその瞳に見えることはない」
半ば夢心地でメルーナーは囁いた。
ディオネはメルーナーに向かって微笑んだ。
「そうだよ。スリンは当代最高位のフェリアだ。
絶対にサー・チーアー(真の追われし者)にしなくては、ね。
それにしても、リメーア(読心師)にイン・ルーナー(偽の魔術師)にフェリア(精霊使い)とはね……。なかなかの面子が揃ったものだ」
それにはメルーナーも同意した。
「確かに。こんなことはあとにも先にもないだろうな」
「そう言えば、イレサイン家は君の弟のお陰でアキ・レ・ファム(悪鬼にとりつかれた家族)ではなくなったんだっけ?それとも君の存在をひた隠しにしたお陰で逃れられたんだっけ」
そのとたんメルーナーの瞳は硝子玉のようにつるりとした紫紺の物体になった。
紫紺の瞳は強力な魔力の証。人によってはそれを狂おしいまでに渇望する。
「どっちもだ」
しかし一切の感情を廃した声でメルーナーは答えた。
「母親は私の力が解放されたと知るや否や私を時の小屋につれていったからな」
「あの時の君は荒れてたねー」
そういいつつもちらりとスリンを見たディオネを見て、メルーナーは全てを理解した。
それと同時にメルーナーは己が恥ずかしくなった。
未だにあのときのことを言われると精神に余裕がなくなる。
ディオネよりは傷としては浅いはずなのに、と思ってしまう。
ディオネがどうやってこれを乗り越えたのか聞こうとした。
しかしそれ聞くことはできなかった。
突然目の前に霧がかかったからだ。
「気をつけろ!ルーナーだ!」
メルーナーは叫んだが、時すでに遅く、三人は霧に取り囲まれていた。
自分達を囲む結界を取り囲むように霧が巻かれていく。
結界があるがゆえにメルーナーは手出しができない。
ゆっくりと、しかし確実に霧は結界を蝕んでいく。
あちこちにほつれが生じ始めたとき、一か八かメルーナーは叫んだ。
「エクラウル!」
結界とそれを取り巻いていた霧が一瞬で消え去った。
霧が消えたあとには何もなかった。
誰もいなかったのだ。
ただ三人が立ち尽くしていただけだった。