スリンの誘拐
「なぜ、そんな顔をなさっているのです」
二人が去った後、茫然と立ち尽くしていたメルーナーをオンディーヌが心配そうにのぞきこんでいた。
「もうすぐ、ムツィオの人が来る」
メルーナーの表情は静かだった。
「わたしたちもここで終わりかもしれぬな。わずか数日しか持たなかったけれど」
「なんということを言うのです。わたしは、何としてでもスリンをサー・チーアーにしたいのです。あなた方もそれは同じではないのですか。
メルーナーさんも、サー・チーアーになれなかったら、何が待っているのかをご存じないのですか」
「恥ずかしながらわからないのです。わたしは今まで世間とあまりかかわってきませんでしたから」
オンディーヌは苦笑した。
「とらえられたチーアーたちはまず元の身分によって分けられます。爵位のある家、それ以外の貴族、中央豪族、地方豪族、平民などと。貴族では農民になるだけではありますが、農村では孤立すると聞いています。
スリンの場合は・・・・・・微妙ですね。へたすると彼女は使用人にならねばならないかもしれません」
「何としてでも、サー・チーアーにならなければなりませんね」
メルーナーは微笑した。
「スリンを使用人にするわけにはいきませんから」
「それは、ムツィオにとって大きな損失になりますから」
「ジルフェ、帰ったんじゃなかったの」
一瞬驚いた表情を見せたオンディーヌはすぐにメルーナーに説明をした。
「メルーナーさん。この人は、ジルフェ。風を司る精霊の最高権威です。
風にはアストフェリはいないから、彼女はアストフェリではありませんが」
「そうなのですか。スリンに用事があってきたのですか」
「ええ。わたくしを彼女の友にしてもらいたくて。
ああ、起こさなくてよろしいですよ。また明日から体力がいるでしょうから。
これから友になろうっていうのに、第一印象が叩き起こした人、だと印象が悪いでしょう」
ジルフェはいたずらっぽく笑った。メルーナーは少し戸惑う。
「ああ、そんなに緊張しないで。さっきまでのわたくしはそう、何と言おうか・・・・・・よそ行きというか、面倒くさい人を追い払う手段ですからね。
あまり親しくして勘違いされてもいやですし」
「そうなんですか・・・。全く印象が違うので、戸惑ってしまいましたよ。
スリンが起きるまで待ちますか」
「そうさせてもらいましょうか。夜明けまで、あなたもお眠りなさい。わたくしとオンディーヌが見張っていますから」
メルーナーはその言葉に甘えることにした。
「おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
次の日、太陽が昇ると同時に三人は二人の精霊に起こされた。
「さあ、朝になりましたよ」
「オンディーヌ・・・と?」
思案顔をしたスリンに、ジルフェは微笑みかけた。
「風を司る精霊、ジルフェです。契約のお願いをしにまいりました。
リュウア・スリン。わたくしの友となってくださいませんか」
「いいわ。よろしくお願いします、ジルフェ」
ジルフェは満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
「俺にも紹介をしてくれないか」
口をはさんだディオネに、スリンは今はじめて気づいた、という表情をした。
「その表情はないだろう。スリンだってわかっていただろう」
「いいえ」
そうしらばっくれて、ディオネの表情を盗み見たスリンは慌てて謝った。
「ごめんなさい。ディオネ、この人はジルフェ。風の精霊さんです。
ジルフェ、この人はディオネ」
「よろしくお願いします、ジルフェ」
「よろしくお願いしますよ、ディオネさん」
「そうそう、昨夜は大変お世話になりました」
少し二人を気遣いながら、メルーナーは小声で言った。
「いえいえ、友を守るのは当然のこと。あなたがスリンを守るのと同じ理由ですよ」
「そうですよ。だから、あなたが気にやまれる必要性はどこにもございません」
そう二人に言われて、メルーナーは少し肩の荷が下りる気がした。
それで罪悪感がすべて消えたわけではないにしても。
「ありがとうございました」
心の底から、メルーナーは二人にお礼を言った。
そのあと、しばらくは何事もなかったかのように無事に過ぎた。
変わったことといえば、行動を共にする精霊が増えたこと、それくらいだ。
このまま何事もなく済めばいい。それは全員に共通する思いだった。だが、そういっていられないこともまた承知していた。チーアーとなった者の大半がすでにとらわれていた。チーアーの数が減れば減るほど、追っ手の数が増えるということを意味していたのだ。
「平和だな、リグナム」
リグナムというのは新しくスリンたちと行動を共にするようになった精霊で、植物すべてを司っている。
「平和だな、オンディーヌ」
穏やかな空気が漂う。そこに一条の殺気が影を落とした。
「危ない」
振り返ると、ノウヤが立っていた。
「そうか、この子はフェリアだったのか。ならば前言撤回。僕は君たちの敵だよ」
「何を言うのだ。フェリアだと何かいけないことでもあるのか」
ノウヤはくすり、と笑った。
「ムツィオの王様はねえ、フェリア狩りを始めたんだ。まあ、君たちが知らなくても無理ないさ。始まったのはここ数日のことだからね。
フェリア狩りをやるなんて彼もとうとう気が狂ったかとも思うんだけどね。だってムツィオにどれだけのフェリアがいると思っているんだい。ざっと人口の2割くらいはいるんじゃないかな?
それを狩るなんて、ねえ。でも命令は命令。『番人』は命令に逆らえないのさ」
それだけ言うと、スリンに向かって、金色の光がとんだ。それは同時にディオネとメルーナーにも降りかかり、二人は倒れた。
スリンをかばったオンディーヌはもんどりうって倒れる。
「やめて。何をしたの」
白銀の瞳が怒りに染まる。
「おやおや、おこっては美人がもったいないよ。
「ふざけないで。オンディーヌに何をしたの」
「ちょっとした睡眠剤みたいなものさ。君を狩るのに、精霊やほかの人たちに邪魔されるのは嫌だから」
「リグナム。ジルフェ。ノウヤに恐怖を見せてあげて」
あたり一面嵐になった。
「雨が降らないのが少し不満だが、まあいいか」
激しく風が吹き、枝があちこちに飛び散る。
その真ん中に単身経っているはずのノウヤは余裕の笑みを浮かべていた。
「ほう。なかなかやるじゃないか、といいたいところなんだが」
次の瞬間激しい光が二人の精霊に直撃した。二人の動きが止まった。
「なにを・・・・・・」
「少し動きを止めたのさ。あとの人たちにはスリンが連れ去られる様を伝えておいてよ」
その、わずか後に。
二人の精霊は金縛りが解けたかのようにはじけ飛ぶと、ノウヤの向かった方向に風や木の葉、木の枝を飛ばした。
そののちにオンディーヌ、ディオネ、メルーナーの三人を起こすとなにが起こったのかを手短に説明した。
「あいつ・・・・・・」
メルーナーの紫紺の瞳には明らかな怒りと悲しみが浮かんでいた。
「スリンが連れ去られた?どういった理由で?」
チーアーを捕まえるならば、ほかの二人も一緒に連れていけばいいはずだ。しかしノウヤは二人を気絶させたうえで置き去りにしている。何かが起こっている。
その時二人の足元にいちまいの羊皮紙が落ちてきた。
「メリノ王子崩御」
そこにはそう書いてあった。メリノはムツィオの唯一の王子の名である。
「とすると、スリンは」




