危機一髪
「そろそろ寝ましょうか。明日は早い」
オンディーヌのその言葉に、三人は一斉にうなずいた。
「わたしが番をしますので、みなさんは眠っていてください」
「わかりました。しかし、結界は張っておきましょう」
そろそろとメルーナーの指からまばゆい光が現れた。それは闇を切り裂き、一枚の板となって四人を包む。
一通り張り終わるとその板は最後に一つ大きな光を残し、すぐに見えなくなった。
「たぶんこれで大丈夫でしょう」
「ありがとうございます。さあ、おやすみなさい」
疲れていたからか、三人はすぐに眠りに落ちた。オンディーヌはそれをみて、少し微笑んだ。自分の友はこんなにも無邪気な寝顔をするのかと。
一瞬のち、オンディーヌは厳しい顔になってそっと結界に触れた。
「まさか」
「オビス・ヴィクタス」
鋭い声が響き、結界が音を立てて崩れた。その時、メルーナーが少し動いた。オンディーヌは焦ったが、すぐにまた寝息を立て始めたので安心して、声の主をにらみつけた。
「おやおや、ずいぶんと弱い結界だねえ。イン・ルーナーって言っても全然大したことないじゃないか」
顔に薄い笑いをはいた美青年が闇の中から現れた。
「何をしにきたの、レメス」
レメスと呼ばれた青年は、顔ににやにやとした笑いを浮かべたまま立っていた。
「おやまあ、僕が来るのをわかっていたような言い草だな、オンディーヌ」
「その声でわたしの名を呼ばないでって何度言ったらわかるの。
わかるに決まっているじゃないの。『ルーナー殺し』レメス」
「ずいぶんな言い方だなあ。まあ、間違っちゃあいないけどさ。けど、僕に言わせると、僕みたいなやつなんかに魔力を奪われるルーナーのほうが悪いと思うんだけどな。だって、彼は予測できたはずだから」
オンディーヌは激高した。
「道に迷わせておいて何をいうの。あなたなんでしょう。メルーナーの魔力を奪ったのは」
「まあね。でもさすがイン・ルーナーだ。僕の手にかかってもまだこれだけの力をのこしているとは。これは研究の対象にしたくなるよね。お偉いさん方に渡すのが惜しくなったなあ」
「ならば渡さなければよいだろう」
突然うしろから声がして、二人は驚いて振り向いた。見ると、目を覚ましたメルーナーが立ち上がってレメスをにらみつけていた。
「おやおや、本人の登場かい。あんたが寝ている間にかたをつける予定だったんだけどねえ。ちょっと計画が狂っちまったよ。
いくら僕に魔力を取られて弱くなっているとはいえ、やっぱりイン・ルーナーだ。さっきの僕らの話も聞いていたんだろう」
メルーナーは一瞬の逡巡ののち、うなずいた。
「自らが張った結界を破られて寝ていられるほどのんきな性格はしていない」
「ふーん。じゃあ、これでもかな」
突然、赤い光がレメスの手から放たれた。メルーナーはとっさに手をだし、青い光で相殺しようとするも今一歩及ばず、弾き飛ばされた。
「まさか。これほど弱くなっているとは」
驚きを隠せず愕然としたメルーナーにレメスは意地の悪い笑みを浮かべた。
「お前の魔力は戻してやろう。そのかわり、この精霊を僕にくれないか」
「それは無理だわ。わたしはもう彼女と契約を交わしたもの」
慌てて抗弁したオンディーヌを鼻で笑ってレメスは続けた。
「彼女?あそこで寝ている少女かい?まだ年端もいかないじゃないか。よくそんな娘と契約するきになれたなあ」
「契約は年齢じゃないわ。その人の能力よ」
言ってからオンディーヌは自分が墓穴を掘ったことに気付いた。
「ほう、そうかい。それじゃあ僕は君の基準に満たなかったんだね。お高い精霊さんよ」
「そんなことは一言も言っていないわ」
レメスはオンディーヌに詰め寄った。
「いいや、言ったよ。少なくとも今のは言ったのとおんなじことだ」
「いいえ、いいえ。わたしはあなたの能力を低く見ていたわけじゃないの」
そこでオンディーヌは言葉を切り、意を決してつづけた。
「あなたの底意地の悪さを見て取ったのよ。あなたはわたしたちを道具としてしか使わないということがすでに分かっていたから。だから、ジルフェもヴェンタスもあなたには従わなかったのよ。そのことがわかっていなかったの」
そういうが否やオンディーヌは寝ている二人に向かって水の壁を
放った。しかし逆上しているレメスは気付かなかった。
「ああ、そんなことはわからないさ。賢い精霊様と違って僕ら人間は口で説明されないとわからないものでね。そうさ、おれは馬鹿な人間だ」
そしてレメスは急に笑い始めた。
メルーナーはそんなレメスに気付かれないように手を向けて、ひそかに囁いた。
「コンヴェルスィオ」
レメスはそれに気づき一瞬のちに飛び去った。
「オプグネール、メルーナー」
激しい風の塊がメルーナーに向かってとんだ。メルーナーはそれを間一髪でよけたが、レメスが繰り出した二発目の風には対応しきれなかった。メルーナーは体勢を崩した。
「ウーリュウ」
激しい水の流れがオンディーヌからレメスに向かって駆け降りた。
「ボウスィラ」
レメスは気の盾を作りそれをとどめようとした。しかし、こらえきれずにその流れに飲み込まれた。
「ジスアン」
水の流れは回転し濁流となって流れ始めた。レメスはそこから抜け出そうとするが今一つうまく抜け出せない。そこで、オンディーヌはさらに技を重ねた。
「プウブウ」
その流れはまるで見えない坂を下るように下に落ち始めた。何もない空間へ。
「分かった。降参だ。メルーナーの魔力を返すから、助けてくれ」
「魔力を返すほうが先だ」
「分かった分かった」
波にのまれながらもレメスは叫んだ。
「リトゥーア」
メルーナーのもとに光の塊が飛び込んできた。それを体に受けたとき、メルーナーは温かいものを感じていた。
「ファンフュイ」
あたりからすべての水が消えた。ただ残っていたのはびしょ濡れになったレメスと、メルーナー、オンディーヌだけだった。
「山で殺気をあらわにしていたのはお前か」
「殺気?」
レメスはすっとぼけて答えた。
「そんなもんは知らないね。僕は君をこの精霊と契約するための捨て駒として使おうと思っていただけだ」
二人は顔を見合わせた。その瞬間、銀色の光が二人の間を駆け抜けた。
「なんだ」
「あら、よけられてしまったのね。残念だわ。せっかく高いディリティリオの葉を煎じたのを塗ったというのに」
ディリティリオは葉は猛毒、実は薬になるというのでどちらも非常に高価で取引されている薬草だ。
「よけなかったら確実に死んでたのにねえ。そっちのほうが幸運だったかもしれないのにねえ」
美女がその口元に妖しげなつややかな微笑を浮かべて現れた。周りは闇だというのにその姿は不気味なほどはっきりと見えた。
「セイレン、なぜ君はここに来たんだい」
「だって暇だったんだもの。それに兄様失敗しそうだし」
「そんなに信用がないのかい」
「ええ、だって兄様今失敗したでしょう」
レメスは言葉を返せずにうつむいた。
「大丈夫、そんな兄様のためにあたしはここに来たんだから」
そして二人に宣告をする。
「兄様とあたしは違う。あたしは兄様と違って失敗したりはしない。
イレサイン・メルーナーおよびリュウア・スリンの契約精霊オンディーヌよ。わたくしはあなたがたをエトニアの王のところに連れていく」
「断る」
二人はその申し出を足蹴にした。
「そんなに無下に断らないでよ。あたしがつかれるじゃん」
いうが早いが目にもとまらぬ速さで銀の針を二人ののど元に向かって投げつけた。
メルーナーはそれを直前でつまむとそれをそのままセイレンに投げ返した。一方オンディーヌはそれを水に飲ませ、一瞬で錆の塊にした。
「銀は錆に強いはずよ」
間一髪で投げ返された針をかわしたセイレンはオンディーヌに向かって文句を言いだした。
「残念だったな」
「でもまだまだ終わらない・・・っ」
セイレンは目を見張った。すべての針が錆の塊になっていたからだ。
「なぜ・・・」
「ディリティリオの毒は水と混ざると銀を錆びさせるのよ」
平然と言ってのけたオンディーヌのほうをちらと見たセイレンはすぐに気を取り直してつづけた。
「まだあたしの順番よ」
そしてまたしても銀の光が迸った。
「なぜ避けられるの」
「さあ。けれどこれで今度はわたしの順番だわ。と言いたいところなんだけど」
オンディーヌは微笑んだ。
「わたしたちがここで攻撃すると、あなたもあなたのお兄さんも確実に死ぬわ。わたしたちは無駄な死を作るつもりはないの。悪いことを言わないからさっさとお逃げなさい」
「敵に情けをかけられて生きるくらいなら、ここで死ぬほうがましよ。さあ、殺しなさい」
「自分の命を人に預けるのはおやめなさい」
鋭い声が耳朶を打った。
「ジルフェ」
そこには薄い黄色の衣をまとった少女が佇んでいた。
オンディーヌは明らかに嬉しそうな表情になった。
「セイレン、レメス。あなたはわたくしが召喚に応じなかったことがご不満ですか」
「それはもちろん」
「それでは自らに問うてみなさい。自分にわたくしを従わせる器量があるかどうかを」
心は否と言っていた。しかしそれをどこかで拒否している自分がいた。セイレンはふとスリンの寝顔を盗み見た。こんな小娘に負けたくない。
「あるつもりです」
ジルフェと呼ばれた精霊はあくまでも静かだった。
「なぜ自らの心を偽るのですか。つまらぬ矜持など捨てておしまいなさい。それがあなたにとって一番いい道なのですよ」
その途端、セイレンの顔にさっと朱がさした。
「つまらぬ矜持ですって?こんな小娘に負けたくないと思うことのどこがつまらないのです」
「他人のことを基準にして考えているからつまらぬというのです。
自らを基準にしてお考えなさい。そうすればおのずと答えは見つかるでしょう」
凪いだ水面のような表情だった。
それを見たセイレンは口を閉ざしてしまった。
「思い当りがあるのですね、セイレン。ならばわたくしとの契約はおやめなさい。
わたくしたちのことを他人と張り合うために使ってはいけません。わたくしたちもあなたたちも不幸になるだけなのですから」
「いいえ。あなたはきっと怖かったのでしょう、セイレン」
気が付くと、オンディーヌがジルフェの隣に来ていた。
「怖い?怖いって何がです?あたしは怖いものなどありませんよ」
「また自分の心を偽ろうとする。お前は怖いのだろう。お前の兄が誰かに負けることが」
小さいが、厳しい声がセイレンを打った。
「セイレン。あなたはお兄さんを愛するあまり、それ以外の人のことがどうでも良くなっている。これでわからぬようならばわたくしがあなたの名を呼ぶのは最後です」
しかしセイレンは首を振るばかり。
「ジルフェがここまで言っているのに気付けないお前は馬鹿だ」
オンディーヌは吐き捨てるように言うと、ジルフェに向き直った。
「それで、どうしてここに来たの?」
「わたくしの契約者を探しに。そこにいる、リュウア・スリン。彼女こそがわたくしの契約者、友となるのにふさわしい相手。
というのは建前で、実質は、リグナムに聞いたのよ。あなたが彼に果物を届けてくれって頼んだのを。
あなたがそんなことをするなんて珍しいなって思ったから、様子を見に来たのよ。あなたがそこまで入れ込んでいる友人をね。
いい子だわ。フェリアとしては最高ね。このまま成長してくれればよいのだけど・・・・・・」
オンディーヌは静かに同意した。
二人が話し合っている後ろで、メルーナーと、レメス、セイレンは口合戦を開いていた。
「だから、そういうことを言っているお前が馬鹿なんだ。人間は完全じゃない。誰かに負けることもざらにある。しかしそれを乗り越えられるのも人間だからだ。お前はそこを誤解しているんだ」
「じゃあ何。あたしがすべて悪いっているの」
「どうしてそうなるんだよ。お前がすべて悪いというわけではない。だれが悪いというのは特にないのだ。
だが、今回の一件に関しては、お前たちに責任を取ってもらいたいくらいだ」
「僕はごめんだね。だって僕は国のお偉いさんたちに言われてやっただけだから。
ふん、もう遅いさ。もうすぐムツィオのお偉いさんたちがあんたたちをとらえに来るのさ。
そして僕はメノウ様からほうびをいただくんだ」




