すべての始まり
「魔女」。
この世で最大の魔力をもつ処女。
魔術師は男しか生まれないはずだが、稀に魔力を持った女が生まれる。
その者は処女である限り、この世で最大の魔力を持ち続ける……。
ここは、ムツィオ王国の首都、スティノア。首都、とはいっても計画都市であるためさほど大きくはない。ただひとつ、街の中央に大きな鐘がある。
その名も、「時の鐘」。
この国特有の裁き、「追われし者」が解放されるときに使われる。
もう少しでチーアーが解放される、五年に一度の時である。
時の鐘が皇帝の手で鳴らされた。
人々は蜘蛛の子を散らしたように走り出す。
時は少し遡る。
この国最大の都市、ノスカには貴族の屋敷が立ち並ぶ街がある。その街のなかでも一際目立つ屋敷はこの国最大の貴族、リュウア家のもの。
その、リュウア家の中に、一人の男が入っていく。
ことり、と音がして、リュウア家の息女、スリンはめをさました。
まだ夜は空けていない。
薄明かりが窓から差しているだけだ。
「こんなときにいらっしゃった非常識なお方はどなたですか」
スリンは半ば皮肉を込めた口調で言った。その口調は幼い外見に似合わず、おとなびていた。
「非常識か。確かに非常識には違いないが、罪人の家に入るのに、常識も何もないと思うがね」
そして部屋に入ってきた男を見て、スリンは息を飲んだ。
「ほう、その反応を見るとわたしのことを知っているように見える」
「当然でしょう。この国始まって以来最大の裁判官、オストワ様」
「ならば、わたしが一体どういう用件でここに来たのか分かるか」
スリンは首を横に降り、挑発的に言った。
「なぜオストワ様がここにいらっしゃったのかわかりませんわ。だって」
そこでスリンは言葉を切り、不安そうに周りを見た。
「ほう、ようやく気がついたか。
お前の父リュウア・ノルンは本日付で貴族としての資格剥奪並びに幽閉に処される。
罪人を庇った罪だ。
当然、娘のお前にも同じ刑が処されるところだが、皇帝陛下からの恩赦がでたのだ」
「おんしゃ?」
スリンはここで初めて子供らしい口調になった。
「本来はリュウア・スリンも幽閉せよとのお達しが来たのだが、陛下が情けをかけられて、チーアーにすることにされた」
スリンは混乱した。チーアーとは軽犯罪人もしくは家名を汚したものがなるもの。
「よく分からないという顔をしているな、リュウア・スリン。
今は分からずともよい。
さあ、急げ。もうすぐ時の鐘がなる」
オストワはスリンを「時の広場」まで走らせた。
「時の広場」に急ぐ道中、オストワはスリンに囁いた。
「そなたが困らぬよう、手配はしておいた。
本来、これは規律違反なのだが、わたしとてリュウア伯爵に世話になった身。
その娘であるそなたには真の追われし者(サー・チーアー)となって自由に生きてほしい」
広場に着いた後、オストワはスリンを二人の青年に引き合わせた。
「ディオネ、メルーナー。これが、リュウア・スリンだ。
よろしく頼む」
「スリンともうします。よろしくおねがいします」
スリンがそう言った瞬間、広場に大きな鐘の音が鳴り響いた。
「逃げよ!」
その音にかき消されないよう、オストワは叫んだ。
人々は蜘蛛の子を散らしたように走り出した。
スリン、ディオネ、メルーナーの三人は、国境をでてすぐにある、無法地帯で立ち止まった。
平然としているディオネ、メルーナーに対し、スリンは不安そうに周りを見渡している。
「大丈夫ですか、スリン様」
「大丈夫よ。あなたは……?」
「イレサイン・メルーナーです」
それを聞いたとたん、スリンは慌てて頭を下げた。
「イレサイン家の方ですか。
無礼な態度をお許しください」
すると、ディオネが笑い出した。
「そんなにかしこまらなくてもいいよ、スリン。
わたしたちは家を追われた身だ。
メルーナー、スリンに気を使わなくてもいいぞ。
スリンもわたしたちのことは名前で呼んでくれ。
申し遅れたが、わたしはディオネ。よろしく」
「ディオネ様、よろしくお願いします」
ディオネは微笑んだ。
「堅苦しいことは止めましょう、スリン。
わたしたちは今、皆同じ身分なのだから」
スリンは戸惑っていた。
今まで自分にこういう風に話しかけてくる人はいなかった。
スリンはまだ学校にも行っていなかったので、当然と言えば当然ではあるが。
「は……い。ディオネ……さ、ん」
結局呼び捨てはできなかったらしい。
ディオネは苦笑した。
「スリン、ディオネ。そろそろ動かないとまずい」
そんなディオネの考えを破ったのはメルーナーだった。
「そうだな」
ディオネは同意する。
三人は無法地帯の中を慎重に歩き始めた。