かもしれない
ある男は、ひどく不安だった。
数十年前に動画で一度見ただけのそれが、どうしても頭から離れないまま、男はこれまでの人生を送ってきた。周囲の人間はフェイクだと鼻で笑っていたが、男はどうにもそれが偽物だとは思えなかった。
もはや聞き飽きた、目の前のカウンセラーを名乗る男の『何を見たのか』という問いに、男は端的に答えた。
――地獄、と。
男は、昔はとてもやんちゃな子供だった。両親の言うことなど聞かず、好き勝手にやりたい放題する男に困った母親が、ある動画を見せたのが全ての始まりだった。
男が見たのは、編集も何もされていないただ地獄の様子を映したものだったが、どうしてこれが流せるのか不思議なくらいには、衝撃的な内容だった。
それから、男は両親の言うことを聞くようになっただけではなく、必死に勉強もするようになった。これまで遊んでいたゲームもやめ、友達からの誘いも断り、机に向かってひたすら知識を詰め込んだ。
そうして、世界でも最高峰の大学に入学し、在学中に環境問題に取り組む会社も立ち上げた。会社はみるみるうちに大きくなり、数年もすれば世界的な大企業となっていた。
卒業後は会社に専念し、様々な問題を解決に導いた。最も大きな功績は、気候変動、海洋汚染、大気汚染の三つを解決したことであろうか。
そうこうしているうちに、気づけば家族が出来ており、子供も生まれ、男は世界一の金持ちとなっていた。しかし、男は金を持つことを嫌ったため、稼いだ金の大半は毎年世界中の養護施設へ寄付し、男の家族は一般家庭並の生活を送っていた。
そうして、平日は働き、休日にはボランティアをするという生活を繰り返している内に、数十年が経っていた。
……すべては、あれと同じ目に遭わないように。
「――これで分かったか?息子に何を言われたのか知らんが、お前がどうしようと私が変わることはない。金ならいくらでもやるからさっさと帰れ」
質素な男の部屋で、向かいに座っているカウンセラーにそう告げた男に、カウンセラーは困ったように口を開いた。
「ええ、お話はよく分かりました。貴方が何を恐れているのかも。しかし、息子さんからは親父の態度を変えてくれと頼まれていまして。私もプロなので、引き受けた以上はこのまま帰るわけにはいきません」
「ふん、お前に何ができる。私のこの悩みを解決してくれるのか?」
そう訝し気な目で見る男に、カウンセラーは堂々と答えた。
「いえ、私には貴方の悩みを解決することはできません。ですが、貴方の行動を変えることはできます」
「ほう。どうするというのかね」
「それは――」
数日後。
カウンセラーの下に、ある青年が押しかけてきた。カウンセラーは青年を応接室に通し、尋ねた。
「何か問題でもありましたか?」
それに対し、青年が座りもせずに答える。
「……あんた、親父に何をした」
「何、とは?」
「とぼけるな!あれだけ地獄にいくかもってあれこれしてた親父が、今度は戦争でもおっぱじめようと軍隊まで作ろうとしてんだ!一体何を吹き込みやがった!」
「失敬な。私は貴方の依頼通りに、あの方の態度を変えただけですよ」
「……どういうことだ」
カウンセラーは、持っていたカップをソーサーに戻し、口を開いた。
「私はただ、こう一言申し上げただけです。
逆効果かもしれませんよ、と」




