他人の成功がまぶしい日に……(*´▽`*)
人間は、他人の成功を素直に喜ぶのが苦手な生き物である。
誰かが売れた。誰かが評価された。誰かが幸福そうに見える。そんな場面を目にした瞬間、心の奥から小さな黒い泡が浮かぶ。
「あれは才能のおかげだ」
「実家が太いだけだ」
「リア充は人生楽勝でいいよな」
そんな言葉が、実に自然に出てくる。もちろん、口に出す側は悪口のつもりがない場合もある。軽い冗談、場を和ませる皮肉、世間話の延長。その程度の感覚なのだろう。
だが、言われた側からすれば、たまったものではない。
私の知り合いは、そういう反応を見て、よく首をかしげる。
「なぜ人は、そんな嫌味を言うのだろう。だから人類は争いが絶えないのだ」
ずいぶん大きな話に聞こえるが、実のところ、あながち外れてもいない。
ペルシャ湾における戦争も争いも、最初は案外くだらない感情から始まるのかもしれない。嫉妬、劣等感、面子、承認欲求。人間の心に棲む小さな獣は、思った以上に原始的で、思った以上にしつこい。
ただし、私はそれを完全に否定する気にはなれない。
なぜなら、そういう感情を抱いてしまう存在こそが、我々凡人の証拠だからである。他人の成功を見て、胸の奥がざわつく。自分より先に行かれた気がする。自分の努力が軽く見える。そう感じる時点で、すでに人間らしい。
問題は、思うかどうかではない。言うかどうかである。
仮に自分が成功した際、SNSで見知らぬ誰かから「あれは才能だけ」「遺伝子を含む、親ガチャ成功者」「苦労を知らない人」と書かれたらどうだろう。
たぶん、多くの人は平静ではいられない。怒る。傷つく。反論したくなる。場合によっては、数日間その一言を引きずるかもしれない。
それなのに、他人には平気で同じ種類の言葉を投げてしまうのだ。
結局、人間は誰しも、自分だけは少し例外でかつ特別でありたいのだ。
自分だけは理解されるべき存在で、自分だけは正当に評価されるべき人間で、自分だけは物語の主人公でありたい。だから他人の成功がまぶしすぎる時、ついその光に泥を塗りたくなる。
しかし、その泥を投げるかどうかは別の話だ。
心の中に嫉妬が生まれるのは仕方がない。黒い感情が湧く日もある。自分が凡人なのだから当然だ。
だが、それをSNSなどに書き込まない。本人にぶつけない。陰湿な形で拡散しない。
それが、現代社会に生きる大人の最低限の品性である。
人類がウクライナなどで戦争をやめられないのは、きっと大きな理想が足りないからではない。
きっと、ほんの一言を飲み込む我慢が足りないからだ ( ˘ω˘ )
現在、SF戦記「星間覇道 ――没落貴族と女海賊、銀河帝位争乱――」を連載中です~♪
良かったら是非読みに来てやってください (*´▽`*)
https://ncode.syosetu.com/n1244lk/




