揺れる感情
火のはぜる音が、静かに響いていた。
小さな焚き火を挟んで、ルナとルークは向かい合って座っている。
夜の森は思ったよりも冷える。
けれど、不思議と居心地は悪くなかった。
「はい」
差し出されたのは、水の入った小さな瓶。
ルナは一瞬だけそれを見てから、無言で受け取った。
「……別に、気を遣う必要はない」
「遣ってるつもりはないよ」
ルークは軽く笑う。
「ただ、喉乾いてるかなって思っただけ」
「……そう」
短く返して、水を口に含む。
視線は合わせない。
合わせる理由もない。
なのに、さっきから妙に意識してしまう。
「腕、大丈夫なの」
ふと、口に出ていた。
自分でも少し驚く。
ルークは一瞬きょとんとしてから、柔らかく笑った。
「大丈夫。もうほとんど塞がってる」
「そう」
それ以上は何も言わない。
言う必要もない。
——はずなのに。
「……見せなさい」
気づけば、そんな言葉が出ていた。
「え?」
「傷よ。ちゃんと処置してるのか確認するわ」
あくまで当然のことのように言う。
ルークは少しだけ迷ったあと、素直に腕を差し出した。
浅い傷。
確かに大したことはない。
けれど。
「甘い」
小さく呟き、ルナは手をかざす。
淡い光が傷口を包む。
治癒の魔法。
ほんの数秒で、傷は綺麗に消えていた。
「……すごいな」
ルークが素直に感心した声を漏らす。
「これくらい、普通よ」
そっけなく言いながら、手を引いた。
少しだけ、距離が近かった気がして。
無意識に視線を逸らす。
「ありがとう」
その一言が、やけに残る。
「お礼なんて不要よ」
「でも助かったよ」
変わらない調子で言う。
その自然さが、妙に引っかかる。
しばらく、沈黙が落ちる。
火の音だけが続く。
嫌な沈黙ではない。
ただ、少しだけ落ち着かない。
「……なんなの」
ぽつりと、ルナが呟いた。
「何が?」
「あなたのそれよ」
視線を向けずに言う。
「敵にも手を差し伸べる。無駄に傷も負う。それで——」
言葉が、少しだけ詰まる。
「後悔しないの」
ようやく絞り出す。
ルークは少しだけ考えるようにしてから答えた。
「しないかな」
あっさりとした返事。
「助けられたなら、それでいい」
「……助けられなかったら」
「そのときは、そのときだよ」
穏やかに言う。
「でも、何もしないで後悔するよりはいい」
火の揺らめきが、横顔を照らす。
真っ直ぐで、迷いのない表情だった。
ルナは目を細める。
「……やっぱり、理解できないわ」
「いいんじゃない?」
すぐに返ってくる。
「無理に分かる必要ないし」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
否定されないことが、こんなにも楽だとは思わなかった。
ふと、視線を上げる。
ルークと目が合う。
一瞬だけ、時間が止まった気がした。
「……なに」
思わず、ぶっきらぼうに言う。
「いや」
ルークは少しだけ笑った。
「やっぱり優しいよね」
その言葉に、心臓がわずかに跳ねる。
「……は?」
「さっきもそうだったし」
「何がだ」
「子供のこと」
言われて、思い出す。
あのとき。
ほんの一瞬だけ、魔法を止めたこと。
「……別に」
視線を逸らす。
「ただの判断よ」
「そっか」
否定しない。
それだけなのに、妙に落ち着かない。
火が小さくはぜる。
沈黙が戻る。
それでも、さっきまでとは少しだけ違っていた。
嫌ではない。
むしろ——
「……」
ルナは小さく息を吐いた。
理解できない。
目の前の男のことも。
この状況も。
そして、自分のこの感覚も。
ひとりの方が、楽だったはずなのに。
どうしてか、今は。
この距離が、悪くないと思ってしまう。
「……寝る」
短く言って、横になる。
「おやすみ」
すぐに返ってくる声。
それに何も返さないまま、目を閉じる。
けれど、すぐには眠れなかった。
隣に誰かがいる気配。
規則的な呼吸音。
それが、やけに意識に残る。
——違う。
こんなのは、ただの気まぐれだ。
そう思おうとして。
でも。
完全には否定できなかった。
「……違う、はずなのに」
小さく呟いた声は、誰にも届かないまま夜に溶けた。




