第1章(1)「アジト」
魔法少女ドキュメンタルは、悪の組織が日々放つ怪物たちと戦う魔法少女の姿を放送した、ドキュメンタリー番組だ。
十年ほど前、突如として異次元から現れた怪物は、無力な人々を相手にとある町を蹂躙した。自衛隊が出動し、武器を使って怪物を倒そうとしたが、その怪物の力は強大で成すすべがない。
その時に現れたのが、妖精の国からやってきた妖精たちだった。彼らは一人の少女に魔法の力を与え、人類はその怪物を撃退することに成功する。
しかし妖精たちは人類に告げる。妖精の国から悪の組織と呼ばれる者たちが、怪物を召喚し、人類が暮らすこの世界をまた襲撃しに来るだろうと。
人類は妖精たちと協力し、怪物を追い払う事になった。悪の組織は、この世界言うところの毎週日曜日の朝に怪物を召喚する。人の活力が集まるのが日曜日という地球側の事情と、この時間帯に世界の境界が曖昧になるという妖精の国側の事情が、見事に合わさった結果だという。
妖精たちは人類に、魔法の力を授ける。しかしその魔力は成熟途中の幼い少女たちが最も適合し、適合しない大人たちには使いこなすことすらできないものだった。だからこそ人類は、怪物と戦う命の危機に晒される使命を、いたいけな少女たちに委ねるしかなかったのだ。
怪物の出現が増えるに比例して、魔法少女の数は年々上昇している。怪物たちと戦う魔法少女の数は、全国で既に千人を超えていた。
そして奇しくもその姿をテレビで収めようと画策した放送局が魔法少女の管理を主導し、今や国家に無くてはならない存在になっている。表向きは民間の放送局であっても、裏では国の防衛省を繋がっていることは、この社会に住む大人であれば容易に想像がつくことだ。
そしてテレビで放送された魔法少女たちの勇姿は、少女たちに自分たちもそうでありたいと思わせるようになった。魔法少女に憧れた少女たちは、各都道府県の放送局のオーディションに参加し、魔法少女としてデビューする。そして魔法少女たちは魔法少女ドキュメンタルという番組で、怪物と戦う姿を見せて、人々に希望を与えていく。
もちろんすべての魔法少女が怪物と戦い、魔法少女ドキュメンタルで取り上げられるわけではない。下積み時代として人助けを行う魔法少女もいれば、大した活躍が出来ず魔法少女を辞めてしまう者もいる。放送局も民営だから、魔法少女ドキュメンタルの主役に抜擢する魔法少女は慎重に選んでいるのだ。
そして魔法少女ドキュメンタルの主役に選ばれていなくても、将来性を見込まれてそのサポートに回る魔法少女たちがいる。
「……ふぅ」
慣れない仮面を外し、裏路地を歩くこの魔法少女……ミナもその一人だ。
紫色のボブカットが風でさらりと揺れる。揺れた前髪は彼女の睫毛に柔らかく触れた。
瞳は宝石のように透き通っているが、ダイヤモンドのように光り輝いている訳ではない。奥底に光が吸い込まれるような、不思議な奥行きを感じさせる。
通常、魔法少女は中学生になって初めてなれるものだが、ミナの顔立ちは幼く、また体つきが未成熟であることも相まって、小学生だと言われても違和感は無い。
衣装だけは見た目の年齢に合わない黒いコートで、そのアンバランスさが彼女の不思議さをより一層引き立てていた。
ミナは裏路地を歩きながら、魔法少女の変身を解く。紫色の髪が黒髪に戻り、ただ黒いコートを着ているだけの少女になる。その表情は、無表情でありながらもどこか緊迫感を帯びたものだ。
裏路地に人気はない。彼女のような年齢の少女が本来来るような所ではないが、それでもミナにとっては見知った道のりだ。目的地にまっすぐ向かい、ようやくやってきたのは、外装がボロボロに寂れてしまっている寂れた二階建てのマンションだった。
人の住んでいる気配がしないマンションの二階に、階段の金属を足でコツコツと鳴らしながら上がる。上りきった先にある四つのドアの中から、奥から二番目のドアの前に立ち、そのノブに手をかけて扉を開いた。
ミナが入った先に、外装からはややかけ離れた、豪華とは言えないが比較的清潔な廊下が現れる。ドアを閉めると隙間から漏れ出る太陽光と、向かいの部屋のガラス扉から溢れる光だけが廊下を薄暗く照らした。
ミナは靴を脱ぎ、廊下をてくてくと歩いていく。やがて廊下の先にあった光の漏れ出たガラス扉を開くと、一気にミナの瞳に光が注がれた。
「おかえりなさい!」
ミナのもとへ、少年の元気な声が向けられる。
ミナよりも小さい一人の少年が小走りで近づいてきて、ぱぁっと明るい笑顔を見せた。
「ただいま、ナヒロ」
ナヒロと呼ばれた少年はふわふわの髪の毛を揺らして、きらきらとした瞳でミナを見つめる。
先程まで緊張した面持ちのミナだったが、目の前の少年の笑顔を見て、その表情が絆されていった。
少年の顔立ちは幼さこそ残っているものの、美少年と呼べるほど整っている。唇と鼻立ちは程よく丸く、二重の中の瞳はダイヤモンドのように綺羅びやかだ。
そんな少年――ナヒロは、何かを思い出したかのようにはっと表情を変えて、顔を赤らめてもじもじし始めた。着ていたエプロンがぎゅっと縮んで、シワを作っている。
「ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも……」
「…………」
ミナは絆された表情もどこへやら、無機質な表情になり、呆れるようにナヒロを見つめた。
対してミナの反応の薄さを見て、どんどんナヒロの顔は赤くなっていく。耐えきれなくなり目を逸らした少年は、自らの内にある恥ずかしさを発散するように、もじもじと体を動かしていく。
「あれ、ミナは喜ぶと思ったのに」
そんな彼らの様子に差し込まれる形で、ミナにはナヒロとは違う別の、低さの中に柔らかさを内包した男の声が聞こえた。
「……誰の入れ知恵か分かるから」
声の主の方へ視線を向けると、そこには一人の長身の男性が髪を掻きながらミナの方へ歩いてきた。
ボサボサの手入れされていない髪の毛は、角が丸い四角のメガネによって、かろうじて目にかかっていない。ヒゲも剃り残しが見られ少し小汚い感想を抱かせる男だが、鼻筋はしっかりとしており、輪郭もすっと整って、不健康そうな印象はなかった。
「ありゃ、オッサン臭かったかな」
笑いながら目の前に立つ男性に、ため息を吐くミナ。対して顔を赤くして頑張っていたナヒロは、大きなため息を一つ吐いた。
「リョウさん、ダメでした……」
俯いて瞳を濡れさせ、泣きそうな顔をしているナヒロ。
「ミナ、ナヒロが一世一代の勇気を振り絞って迎えてくれたのに、そりゃないよ」
リョウと呼ばれた青年はそんな彼の様子を見て、ミナを叱るように腕を組んだ。半袖のシャツで露わになっている腕の筋肉が、ミナに男性らしさを感じさせる。
「言わせたのはリョウ」
「よく見てごらん、ナヒロの真剣な眼差しを。俺の入れ知恵があったとしても、ナヒロにとっては本心の言葉だよ」
ミナはナヒロの緊張した面持ちを見つめる。彼の目はうるうるとしていながらも、決してミナから視線を逸らそうとはしなかった。
彼女は観念したかのように、一つ大きなため息を吐く。
「……ご飯」
「……はい!」
ナヒロはぱあっと向日葵のような笑顔を浮かべて、ダイニングの方へとてくてく走っていった。
ミナは呆れた表情で彼の背中を見つめる。隣りにいたリョウも微笑ましそうに彼を見つめていた。
「……可愛いね」
ぼそっと呟くリョウに構わず、ミナは部屋に置かれたソファへどさっと座る。疲れてるんだな、とリョウはミナの座り方をじっくり観察していた。
ミナはソファに同じく座ったリョウを、睨むように見つめる。隣同士に座った男女の距離感は、まるで兄妹のように遠慮が無かった。
「ナヒロで遊ばないで」
「遊んでないよ。俺はナヒロにアドバイスしただけだよ、どうしたらミナが喜んでくれるかって」
「…………」
飄々としているリョウから目を逸らし、ミナは夕食の準備をしているナヒロを眺める。彼は一生懸命に冷蔵庫から食材を取り出し、料理に勤しんでいた。
彼はミナがかつて命を助けた人物だ。ミナが魔法少女ドキュメンタルのサポート役として放送局から抜擢され、その仕事の中で怪物に襲われている所を助けたのだ。
両親はその時に他界しており、親戚とも上手くいっていないため、よく自宅を抜け出してミナたちの世話をしてくれる。
ミナにとっては大事な存在で、付き合いの長いリョウに対してぶっきらぼうにしている彼女でも、どうしても彼には甘くなってしまう。そもそもこうやって夕食を作ってくれたりと、頭の上がらない部分も沢山あった。
ミナがナヒロから目を逸らし、疲れた体をソファに預ける。吸い込まれるような心地よい感触が、ミナの体中を駆け巡った。
「……今日の件、早速ネットニュースに流れてるよ」
リョウはやや声を落として、ミナに声をかけた。
彼女はその言葉の内容に反応して、背中をソファから離し、リョウの方を再び見つめる。視線の鋭さは変わっていなくても、先ほどとは違い緊張感のある面持ちだ。
リョウはスマートフォンをミナに手渡す。ミナがネットニュースを流し見する。
魔法少女ドキュメンタルの主役魔法少女、ブルーム・ジェンハリーが何者かに襲撃を受け、魔法少女として再起不能の状態だという。
コメント欄を見ると案の定、謎の存在に対しての罵詈雑言がはびこっていた。ミナは表情を一つも変えない。まるでそれが、自分に取ってこうなることが当たり前のことであると分かっていたように。
「いよいよ始まったんだね」
リョウは不安さが残る緊張した面持ちで、ミナの方を見つめる。
「こうなるのは最初から分かっていた」
そんなリョウの様子に、ミナは淡々と述べる。
彼女は心臓に手を当てた。ドクドクと鼓動している。いつもよりも早い気がしてしばらく触れていると、手汗が滲んだ。
ミナも決して動揺していないわけでは無かった。しかしその不安を口から漏らさないように、ぎゅっと口を結んだあと、唾を飲み込んでまた口を開く。
「……私たちは、それでも戦わないといけない」
いつもより低い声で、俯きながら話すミナ。テーブルには仮面。スタンド式のコートハンガーには黒いコート。それはジェンハリーを襲撃した者の服装だ。
紛れもなく、ジェンハリーを襲撃したのはミナだった。