花は剣よりも柔らかく
町には、年に一度の祭りがある。
豊穣を祝い、精霊に感謝を捧げる日だ。
露店が並び、花飾りが風に揺れる。子どもたちの笑い声、大人たちの杯の音──
いつもの町が、まるで夢のように色づいていた。
「レイナさん、これ。よかったら着てみませんか?」
祭りの朝、ユリウスが差し出したのは、淡い紅の布だった。
柔らかい生地に、金糸で小花の刺繍があしらわれている。
「……これは?」
「町の仕立て屋さんに頼んでたんです。レイナさんにも、剣以外の顔があっていいと思って。
今日くらい、ゆっくりしてほしくて」
レイナは黙って布を受け取り、そのまま奥の部屋に引っ込んだ。
しばらくして、扉が静かに開く。
姿を見たユリウスは、言葉を失った。
それは“戦士”ではなく、ひとりの“女性”だった。
長い髪は後ろで緩く結ばれ、軽やかな布が肩を撫でる。
ほんのりと紅を差した頬は、いつもの鋭さよりずっとやわらかく、優しく見えた。
「……似合いませんか」
「えっ!? い、いえ、すごく似合ってます! というか、あの、綺麗です……!」
その瞬間、レイナは顔をぱっと背けた。
頬の赤みは紅のせいだけではなかった。
「剣より軽い布なんて……落ち着かん」
「でも、すごくいいです。たまには、剣を置いてもいいと思います」
ふたりは町へ出た。
露店を巡り、菓子を食べ、手作りの花飾りを髪に差してもらう。
「なんだこれは。甘すぎる」
「でも口からなくなるまで早かったですよ」
「……これは訓練だ。味覚を鈍らせないための」
レイナは誤魔化すように言ったが、どこか表情は楽しげだった。
日が落ち、祭りの広場に灯が灯る。
中央では、楽士たちが静かに弦を鳴らし始めた。
「レイナさん。踊り、どうですか?」
「……無理だ。そんなのは知らん」
「僕が教えます。ほら、手を」
差し出された手を、レイナは一瞬ためらった。
けれど、そっと乗せたその指先は、いつもの剣の柄よりずっと柔らかかった。
音楽に合わせて、ふたりはゆっくりと歩幅を合わせる。
最初はぎこちなく、そしてだんだんと自然に。
「……こういうのは、戦いと違って、相手を感じるんですね」
「相手を感じる、か……」
レイナはうつむきながら、小さく笑った。
「……もし私が、剣を持たなければ。お前に出会わなければ。
こんな夜があるなんて、きっと想像もしなかっただろうな」
その言葉は、風に消えていきそうなくらい小さかった。
だがユリウスは、それをしっかり受け止めていた。
「……出会えて、よかったです。レイナさんに」
ふたりは、音楽が終わってもしばらく手を離さなかった。
夜空に花火が打ち上がる。
けれど、同時に。
祭りのざわめきの中に、見覚えのある男たちの影がひとつ──ユリウスの背後に忍び寄っていた。
(あれは……)
レイナはとっさに剣の気配を感じ取る。
だが、その時ユリウスの表情がわずかに変わった。
微笑の奥に、一瞬だけ見えた“過去の影”。
──まだ、知られていない“もうひとつの剣”があった。